最近,囲碁将棋関連のAIについて色々と呼んでいました.
王銘琬「棋士とAI」は,自らも囲碁ソフトプロジェクトに関わっていたプロ棋士である著者がアルファ碁の強さ,囲碁界に与える影響,ひいては人としてどのように対峙していくことになるのか,を経験と深い考察を交えてまとめられたものです.特に,囲碁というゲームの全解析(初手から終局までの最善手が見つかること)がもしなされたならば,『「この手は正しい故に正しい」という以上に語ることがありません。本書で紹介した勝率、候補手、読み、そして勝ち負けまですべて無意味になるのです。』『強さの果てには「無」しかなければ,強さは目的ではなく、面白さを手に入れる仕掛けだったと考えることもできます。』と喝破するあたりは哲学的な印象すら持ちました.将棋の神様も囲碁の神様も「無」なんですね.(そうえいば,チェッカーは21世紀に入ったあたりで全解析されていますが,まだ人間が楽しむためのゲームとしては存続していると思います.完全解析されたゲームが廃れることなく存続しているというのは人間は神ではないから?)
あと,山本一成「人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?」もさらっと読める好著.意外に感じたのは,巻末付録にある対談でAIの水平線効果について触れたところで「コンピュータは論理が非常に弱い。」と言っている箇所.確かに,ディープラーニング(特にCNN)は画像認識を通して特徴抽出を行うもので,抽出された特徴を強化学習によってうまく活用できるようにしているのが現在のゲームAIのパターンだとすると,人間でいうところの直感(とか大局観)は優れてきている.一方で,深読みの部分はランダム探索を行っているので無駄が多い.これを論理的に行えるようになればさらに強くなりそうな気もする.どこかの講演会でAIの研究者が(正確な言葉は忘れたけれども)「これからはパターン認識の機能と論理推論の機能を有機的に統合させていかなければならない.」と言っていたことを思い出した.
AIが色々な成果を出してきて驚かされることが多いですが,論理推論とパターン認識の統合みたいな昔からの難問はやっぱり難問なんですね.
王銘琬「棋士とAI」は,自らも囲碁ソフトプロジェクトに関わっていたプロ棋士である著者がアルファ碁の強さ,囲碁界に与える影響,ひいては人としてどのように対峙していくことになるのか,を経験と深い考察を交えてまとめられたものです.特に,囲碁というゲームの全解析(初手から終局までの最善手が見つかること)がもしなされたならば,『「この手は正しい故に正しい」という以上に語ることがありません。本書で紹介した勝率、候補手、読み、そして勝ち負けまですべて無意味になるのです。』『強さの果てには「無」しかなければ,強さは目的ではなく、面白さを手に入れる仕掛けだったと考えることもできます。』と喝破するあたりは哲学的な印象すら持ちました.将棋の神様も囲碁の神様も「無」なんですね.(そうえいば,チェッカーは21世紀に入ったあたりで全解析されていますが,まだ人間が楽しむためのゲームとしては存続していると思います.完全解析されたゲームが廃れることなく存続しているというのは人間は神ではないから?)
あと,山本一成「人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?」もさらっと読める好著.意外に感じたのは,巻末付録にある対談でAIの水平線効果について触れたところで「コンピュータは論理が非常に弱い。」と言っている箇所.確かに,ディープラーニング(特にCNN)は画像認識を通して特徴抽出を行うもので,抽出された特徴を強化学習によってうまく活用できるようにしているのが現在のゲームAIのパターンだとすると,人間でいうところの直感(とか大局観)は優れてきている.一方で,深読みの部分はランダム探索を行っているので無駄が多い.これを論理的に行えるようになればさらに強くなりそうな気もする.どこかの講演会でAIの研究者が(正確な言葉は忘れたけれども)「これからはパターン認識の機能と論理推論の機能を有機的に統合させていかなければならない.」と言っていたことを思い出した.
AIが色々な成果を出してきて驚かされることが多いですが,論理推論とパターン認識の統合みたいな昔からの難問はやっぱり難問なんですね.