『音楽の原点』
*東京生まれで12歳のとき大分竹田に移り住む
*高等小学校の時に学校のオルガンで、教師から指導を受ける
*15歳東京音楽学校に入学しピアノに初めて触れる
*17歳の時初めての演奏会
『才能豊か』
*ピアノ以外にもフルートや歌にも才能をみせた
*その当時求められた軍歌を廉太郎も作曲していたが
興味は西洋音楽へ
『作曲家として花開く』
*日本初の合唱曲→1900年に組曲「四季」を発表
その中の1曲が「花」
*日本初のピアノ伴奏→合唱伴奏の先駆け
『音楽にささげた生涯』
*21歳で男子初の国費音楽留学生としてドイツライプチヒへ行き
旧ライプチヒ王立音楽院へ入学
*しかし入学後2ヶ月の頃、結核に罹り翌年帰国し
故郷の大分へ帰る
*その時に書いた作品が「憾」
この曲を書きあげた4ヶ月後23歳で生涯を閉じる
*生涯に34作品を作り、そのうち2曲がピアノ曲