goo blog サービス終了のお知らせ 

窓の向こう冬薔薇

J-popが好きの熊一匹。

心が痛むほど...あのバンド

2013-07-07 12:53:52 | J-pop
小田さんのお陰で知ったアーティストがたくさんいる。例えば、スキマスイッチとか、いきものがかりとか、スターダスト・レビューとか...ふきのとう?あれは違う。ヤスさんのお陰で知ったバンドだ。(こんなところに妙にこだわってる^^;)

で、その中に、ガロは特別な存在な気がしてる。

原因は、短命に終わったかな、遠すぎて影さえつかまりにくいかな...よくわからないけど、なんどなく、音楽は親切で中毒性だ。

はっきり見えなくても、ずっとしっかり見つめたい...って感じ。

最初は、メンバーの中に小田さんの友たちがいたことしか知らなかった。『風のようにうたが流れていた』というDVDの映像に、小田さんが語った「Tommy」(日高富明)との昔話だった。あのDVDも本も今手元にないから、要旨だけが覚えてる。『僕たち2人とも、他の人に嫌われたから、仲間良かったのだろう』と。今から見ると、少し寂しそうに聞こえる話だね。

今でも、小田さんがガロの歌を歌うのは、お友たちへの思いを託したんだろう。『地球はメリーゴーランド』も、『美しすぎて』も。

恥ずかしいが、初めてTommyさんの写真を見た時、その見目の麗しさにちょっと驚いた。女性の天性だろうね。中国に『神は美しい人を嫉妬する』のようなことわざがある。思わずにこれを思い出した。

すると、あの時、二十代の小田さんとTommyさんが一緒にいたら、どんな光景なんだろう...と想像した。写真がないから、自分で描いてみたんだ。



(左側の人はTommyさん。右側は小田さんの後ろ姿。)

今日も、ガロの『涙はいらない』とか、昭和時代のフォーク曲をBGMにして、絵を描いたり、ブログを書いたりしてた。『なんでこんな古い曲ばっかり?』といつもトリッベに言われた。しょうがないだろう?私の好きな小田さんもヤスさんもは、あの時代に生きていたから。彼らに関われてる人たちの青春も、あの時代に輝いてた。

Tommyさんが歌った『My City Girl』が流れ出した。私のとっても気に入った一曲だ。亡くなった人の歌を聞くと、いつも「あの人があの世界で歌ってる」っていう変な気のせいが生み出す。この人、本当に惜しいな、って何度も何度も思った。でも、せめて、彼の顔も声も老けたりしない。これは、世人の目に留まる「とわの美」と言えるかもしれない。

『結婚写真』

2013-06-28 20:45:05 | J-pop
「結婚写真なんて撮る必要があるの?離婚したら破る手間がかかるのに。」
って、高校の時、ある女性の先生がこう言ったことを思い出した。^^;これはこれは、結構残酷な意見だね。
なぜこんな記憶が浮かんできたの?多分、最近うちの母に(ネットで)いとこの結婚写真を見せられたんだから。「あんたたちも早く結婚写真を撮れよ。」って言い付けられた。ヤレヤレ。本当は撮られるなんて嫌いだけど。(自分の顔に自信がないから-_-|||)
そこで、ネットでちょっと調べた。日本で結婚写真を撮るのはむしろ新鮮なことだ。ウェディングドレスなら、洋服はどこでも大差ないと思うが、和服は中国でなかなか着れないものだよ。個人的にね、好みは和服のほうに偏ってる気がする。一方、色とりどりで綺麗。そしてもっと大事なのは、だぶだぶして太っても目立たない。(大汗)
言ってみれば、父と母が結婚したあの頃、芸術的な結婚写真はまだ贅沢なものだった。私が3歳になって、あの2人は補うためにようやく結婚写真を撮った。しかも、3枚くらいしかなかった。今私たちの結婚写真を期待するのも、ある意味で補うようなものだろう。
(でも、娘はキレイに写真に映ることができなくて、ごめんね。TvT)
...で、実は言いたいのはこれじゃない。(汗)
「結婚写真」といえば、『僕の贈りもの』を連想してきた。
...
なんで?
あのカバーのせいかな...昔、「ねえ、これはオフコースのデビュー・アルバムのカバーだよ、美しいでしょ?」って友たちに見せたら、『これは結婚写真?』ってコメントされてしまった。(汗が川を作ってた)
たしかにね...あの雰囲気はちょっと結婚写真に似てると思えるかもしれない。緑の芝生とか、白いピアノとか。とてもロマンチックな匂いがする。
だからあのアルバムをいとしく思ってるだろう。自分の音楽を始めたばかりのオフコースの2人の、最初の輝き。小さくて未熟でも、純粋で可愛いらしい曲達がいっぱい。まさに、あのカバーのイメージと同じだろう。
(なんだか、大変失礼しました。^^;)
その上、あの時、このカバーの写真が好きだから、いたずらな絵を勝手に描いたことも思い出した。
パソコンの古いファイルの中に探したら...あった。



今見ると実に...ノーコメント^^;。
どうしてネタは食べ物なの?もしかしすると、あの時、小田さんの御当地紀行を見て、いろいろ美味しそうなものを食べてるシーンが印象的かもしれない。
本当に、失礼ですから申し訳ございませんね。^^;

Select 30 届いた♪

2013-06-20 15:50:31 | J-pop


早いね。初めてヤスさんのニューリリースのアルバムを入手して、ドキドキしちゃった。

特典のCDも一緒。このロゴのカバーは洗練だから、気に入った。

もう全曲聞いた。いろいろな気持ちが溢れていて...

全部古い曲だけど、新しい何かがある。ファンであって、旋律でも歌詞でもよく知ってるから、原曲との微妙な違いも捕まえられた。本当に一曲一曲リレコーディングしてきたね、って確かな感じが湧き上がった。お疲れ様でした、ヤスさん。

パソコンで再生した時、『燃ゆる心あるかぎり』の番で、『ああ、やはり歌詞は「男60」に変更したね!』って興奮して声出しちゃった。ゲームをやっていたトリッペがこっち向いて「訳がわからない」の眼差しで私を見た。

...それはそうだね、なんでそんなに興奮なの?^^;

多分、ヤスさんの音楽に影响され、「達成感」みたいなものを感じられたかもしれない。

なぜなら、この二枚のCDを聞いたら、「やはりヤスさんにいい曲がいっぱいあるんだ」って感心した。この人の三十年間の努力は無駄じゃない。とっても充実の時間なはずだった。とっても立派なミュージシャンだ。世間の評判にかかわりなく、この人はきっと自分の心に恥じない。

...って偉そうなことを思ってちゃった。御免なさい。^^;

もう一つのことに気づいた。時の流れに沿って、ヤスさんの声は、柔らかくなっている気がする。そういうわけで、今回のバラードの曲は、もっと悲しく聞こえてきた。でも、その中に、昔より淡泊なものがありそうだ。私じゃ上手く言えないけれど...^^;

あの頃の髪が肩まで伸びてアイスティーのような爽やかな声で歌ってた若い男の子と全然違って、成熟で頼もしい歌手に見えてるね、ヤスさん。CDのカバーの内側の古い写真を見ながら、そう思っていた。

(二十代の小娘のくせに、偉そうに言うな!って感じ~_~;)

そういえば、最近Book-offで、このCDを手に入れた。(Book-offはまるで私の救世主みたいだね;¬¬)



これは、十周年の時のアルバムだよね。ほどうんとのライブ音源だ。今見るとちょっと不思議な感じ。あれからもう二十年経ったね。

...というわけで、私にとって、『Nice to be with you』はまだ新曲みたいな存在だ。今回は初CD化だろう?本当によっかた。なかなかいい曲だからね。

「いい曲には魂がある。空気を呼吸して生きている。だから、新しい曲は脆くて幼い。歌手に何度も歌われて、この人と共に成長するものだ。成長するほど、強くて美しくなる。」ずっとこう思ってきた。だから、古い曲はあんなに素敵だ、ということだろう。

残念だが、今まで、まだヤスさんのライブを一度も見たことない。今年はやっとチャンスが来るかも。憧れてるね、あの柔らかく大人しい歌声も、あのギター演奏のスゴさも。

「本当幸運だね、時間も越えて、空間も越えて、不思議な位の確率で、この人達の音楽に出会ったこと。」

時々、こんなことを思っていた。

本物の中華料理(?)

2013-06-16 22:01:48 | 暗黒料理
面白い現象を発見した。日本にいて、街を出たら、「中華料理」の店はよく視界に入ってくる。でも、「日本料理」はほとんど見えない。それに反して、中国では、「日本料理」に名乗っている店は近年増えていくんだが、「中華料理」のような店名は存在しない。

それは当然のことだろう。一般的に、外国でしか、「ある国の料理」は全体として認識されない。日本でなら、ラーメン屋、蕎麦屋、寿司屋、カレイライス、牛丼屋、天ぷら屋は常態だ。中国の場合、「餃子」、「火鍋」、「北京ダック」「小籠包」、あるいは、「四川料理」「北京料理」「広東料理」のほうは自然の様子だ。

日本に来た前に、こんなことを考えたことはなかった。そもそも、自分で料理を作ることもほとんどなかった。恥ずかしいが、素人のままで主婦になった。最初はネットで中国語の料理サイトのレシピを読みながら、簡単なものから作り始めた。半年経ったら、どんどんどんどん、少しだけかもしれないが、上手くなったかなと勝手に思ってる。

気づかなかったが、日本にいても、作った料理で「中華料理」が多数を占める。わざとではなく、ただ習慣に従って、幼い頃から食べた料理を検索したわけだろう。例えば、両親が作ってくれたおかずを思い出して、その作り方を探して、自分の手で作ってみただけ。それは血筋みたいなものかも。

日本で「中華料理」を注目したら、いろいろ面白いことを見つけた。「青椒肉絲」や「麻婆豆腐」はとても人気とか、聞いたことのない料理を「中華飯店」のメニューに見かけたとか。横浜と神戸の中華街も行ってきた。そこの風景をみたらちょっと驚いた。「なんだか...饅頭だらけだね」肉マン、あんまん、胡麻もん...次から次へと目に入ってきた。でも、中国人はそんなに饅頭が好きだと思わないよ。(笑)

しかし、中国人だから、作った料理は本物の「中華料理」と言い切れるかな?そんなことはどうでもいいって思いながら、「本物」の自信を持って、「中華料理」を作り続けるつもりだ。(笑)

昨日は日本で人気No.1の「麻婆豆腐」を作った。肉のミンチはちょっと多すぎたと思ったが...これはもっと美味しいだと思うから、気にしなくていい。



トリっぺ(夫)は「うまいからもっと作って」と言ったから、やる気満々で作った。(ちなみに私自身は肉を食べないから、これは全部こいつの分だ)

そういえば、トリッペ(変なハンドルネームだね)が日本に来たのは私より三ヶ月早かった。在留資格とかの手続きは時間がかかったから。その間、彼は外食や弁当店でお弁当を買うほかなかった。可哀相だったね。

私は初めて二人の住所に足を踏み入れた時、想像以上のぐちゃぐちゃな部屋だった。自分はそんなにきちんとしている人間だと思わないけど、実にこの光景に負けた。

でもしょうがないだろう。一人暮らしの二十代の男の子の部屋だから。

だから主婦が必要だね。素人でも。

「二人で食べる食事はご飯だけど、ひとりで食べる食事はエサだ」と、最近見たドラマ『最高の離婚』のこのセリフは印象深かった。

最初はとっても下手だったから、失敗な作品も出たけど、トリっぺは文句言わずに食べてくれた。これは「暗黒料理」だと言いながら、私の「料理人修業」を励ましてくれた。

心地良いことを思い出したから、もう一品の「定番の中華料理」を紹介しよう。



「紅焼肉」というものだ。中国で肉料理の人気王みたいな存在だが、日本に滅多になさそうだ。どうしてかな。油っこすぎるかもしれないね。でもそれこそ、肉好きな人にとって、贅沢な料理だろう。

最近は中国語だけでなく、日本語のレシピも読み始めた。前も和式料理を作ってみたことがあったが、これからもっと勉強したい。実は「素人」の私にとって、料理を作るのは自由なことだ。「中華」、「和食」、「洋食」...なんでもいいよ、おいしくさえあれば。

料理はやはり楽しい、そして愛情が溢れることだと思う。何しろ、「食べる」は一番大切なことだから。

終わった。

2013-06-14 13:53:06 | J-pop
ニュースリンク

GARNET CROWのラストライブだった。私たちは、そこにいた。3000人くらいの会場で、大好きなバンドと別れた。

いつもどおり、ゆりっぺはキレイで、精一杯歌って、ちょっと緊張に見えた。最後の最後まで、この四人は素敵な笑顔でいた。これは一番いいと思う。涙はいらない。笑ってピリオドを打つことは完璧というものだった。

しかし、やはり寂しいな...四人の姿が消えた後、ファンたちは席を外さずに、手拍子をとって、大声で三曲を歌った。『今宵エデンの片隅で』、『Fall in Life~Hallelujah~』、『Life goes on! 』。全部浮き浮きさせる曲だったけど、泣いた人は多かった。





ねえ、もう逢えないの?あの黒い幕を見つめながら、私は思った。そうよ。彼らにとって、13年間のバンド活動は終わった。私にとって、9年間のファン歴も終わった。夢から、覚めた。

「夢のひとつ、みただけ、明日へ帰りましょう」。――GARNET CROW『夢のひとつ』

去年の年末、私は日本に来たばっかりだった。今年の3月、彼らは解散を発表した。少し冗談みたいな感じだね。

でも、最後のライブ間に合って、よかった。

解散のことを知って、わざわざ中国からこの会場に辿り着いて、最後のチャンスで彼らに会って来た子が何人もいる。旅券やビザやチケットやいろいろな困難を越えて、ただ夢を叶うためだった。この子たちを見て、愛は本当に凄いものだと思った。

予想以上愛されているね、ゆりっぺ、七さん、おかもっち、古井さん。

実は今でも、私は「解散」という実感はほとんどない。もう終わったって言いながら、何も変わっていない気がする。これは、もう習慣になったわけだろう。この音楽も、この「好き」も。

でも、やはり...これから、もうこんなに良い音楽は生まれないだろう。切ないというより、自分の一部が無くした虚しそうな気分だ。

ファンは本当に、情けないものだね。悲しくても怒っても、勝つのはいつも愛しさだけ。

「あなたたちは幸せになれるなら、私たちは納得。」という簡単なことだ。

最後のアルバムは、『Terminus』というタイトル。でも、「あれは新しい出発点だ」とゆりっぺは何度も言った。


だから、私のブログも「終わった」から、始めよう。