神社の世紀

 神社空間のブログ

孤独な場所で(2)【入水する娘たち】

2012年09月28日 00時11分33秒 | 隼人たちと月神

★「孤独な場所で(1)」のつづき

 まず、桂が重要である。

 中国の古典、『西陽雑俎』には月の中に桂の樹とガマガエルがいるとある。また、月面には巨大な桂があり、呉剛という仙人がそれを切り倒そうとする姿が見られるともある。 

 呉剛は仙術を学んだが、過失により月に流され、切っても切口がすぐにふさがって倒せないこの木を切り倒す永劫の罰を受けている。ここから転じて「月桂」は、眼には見えながらも、手には取ることのできないあこがれの譬えとなったが、そのいっぽうでこの切り倒せない桂の木は、月が不死の信仰と結びついていることを暗示している。  


桂の大木
 

ちなみに中国でいう「桂」は、わが国の木犀なのだそうだ

 それはともかく、月桂の故事はわが国にも早くから伝わっていたようで、『万葉集』巻四には湯原王の「目には見て手には取らえぬ月の内の 桂のごとき妹をいかにせむ」の歌がある。湯原王は光仁天皇の兄弟で、天平前期頃の人物である。 

 さらにまた京都市右京区にある桂は、桂離宮があることで有名だが、古くから月の名所であった。桂離宮じたいが月のことを非常に意識した建築として知られるが、この離宮の敷地にはもともと藤原道長の別業があり、そこで歌われた歌の中には月を愛でる内容のものが多い(この別業で行われた観月の宴の様子は『紫式部日記』にも出てくる。)。近くには月神を祀る式内明神大社の月読神社も鎮座し、『日本書紀』顕宗天皇3年(487年)条には当社が壱岐から勧請された由緒の記事もある。  


右京区の月読神社

 こうしてみると桂の木が月と関係深いという観念は、結構、古い時代からわが国にも伝わっていたことがわかる。  


桂離宮

 さて、海神宮を訪れたヒコホホデミノ尊は桂の木の上にいたことになっているが、これはこの木がヒモロギで、彼がそれに憑依したことを神話的に表現しているのである。 

 ただ、問題はそれが桂の木であることだ。どうしてヒコホホデミノ尊は月と関係が深いこの木に憑依したのだろうか。「海幸・山幸」の神話がほんらいは隼人たちのものであったこと、彼らには月神を祀る習俗があったことを考えると、大和岩雄も指摘するようにここでの彼には、隼人たちが祀った月神の要素が混入していたと考えられる。 

 ちなみに『山城国風土記』逸文とされるテキストに以下のようなものがある(本当は古風土記の逸文ではないらしいが)。 

「月読尊、天照大神の勅を受けて、豊葦原の中国に降りて、保食神の許に到りまし。時に、一つの湯津桂の樹あり。月読尊、乃ちその樹に寄りて立たしましき。その樹のある所、今、桂の里と号く。」 

 前述した京都市右京区の桂の地名起源説話であるが、ここに登場する月神の月読尊も高天原から下界に降り立った際に「湯津桂の樹」近くに寄り立っている。その行動は海神の宮殿を訪れたヒコホホデミノ命のそれときわめてよく似ており、後者に隼人たちが信仰していた月神格が混入していたという考えを支証するものである。  

 さて私は、海神の宮殿を訪れたヒコホホデミノ命の伝承のうち、「宮殿の前にある井泉の傍らにある桂の木に登っていたところを発見されて、トヨタマ姫と結ばれる。」という部分は、おそらく古代に行われた隼人の月神と、それに仕える巫女との神婚儀礼の記憶を伝えるものだと考えている。この儀礼を復元してみよう。まず、ヒコホホデミノ命が井戸の傍らにある桂の木に登った等が、この木に月神を憑依させたことの神話的表現であることはすでに述べた。 

 だが、どうして、その木は井戸の傍らになければならなかったのか? 

 古代の水辺は神婚の舞台で、そこには洋の東西を問わずしばしば「水の女」がいて神と結ばれる。「海幸・山幸」の場合はトヨタマ姫が「水の女」なのであり、ここにおける井戸は、「ヒコホホデミノ命=隼人たちの月神」が彼女と結ばれるための装置だったのだろう。 

 では、この井戸によってど両者がどのように結ばれたというのか? 

 神婚とその儀礼のことは、神話学や民俗学の書物などにしょっちゅう出てくる。しかし、実体のない神は、そのままでは巫女と交わることができない。したがって、神とその一夜妻との婚姻は、果たしてどのような儀礼によって行われたのかという素朴な疑問が生じるのだが、それを具体的に解説した書物というのは意外と少ない。神が憑依した生身の神主が巫女と交合したというような想像も可能だが、私は、神婚は神の憑依した聖樹の影を水面に映し、巫女がそこに飛び込むことで行われたと考えている。 

 だが、『日本書紀』一書(第二)のトヨタマ姫は、宮殿から出てきて水を汲もうとしたとき、水面に映るヒコホホデミノ尊の影で彼のことに気づいたが、だからといってそこに飛び込んだりはしていない。したがい「どうしてそんなことが分かるのか。」と言われそうだが、これは全国各地に次のような伝承や民話がたくさん残っていることからそう考えるのである。すなわち、山姥の追跡を受けた猟師が木に登って隠れると、その影が下の水面に映り、猟師が水の中に隠れたと誤解した山姥はそこに飛び込んで溺死したとか、恋に狂った娘の追跡を受けた若い山伏が木に登って隠れていると、やはりその影が水面に映り、山伏が入水したと勘違いした娘が後を追って身を投げてしまった、とかである。山姥は人里から離れた場所で神に仕える巫女たちの零落した姿だったと言われるので、こうした伝承もまた神の憑依した聖樹の影を水面に映し、そこへ巫女が飛び込むという神婚儀礼の記憶を伝えるものだったと思う。  


菅田神社の一夜松
 

奈良県大和郡山市に鎮座する菅田神社には、恋に狂った娘に追跡された山伏が、
境内にあった松に登って隠れると、その木は一夜にして大木となり、
男の姿が下の水面に映っているのを見た娘は、男が身投げしたものと勘違いして
後を追って入水したと伝わる

菅田神社は式内社だが、近くにはやはり式内社の菅田比売神社があり、
この伝承は両社の祭神間で行われた神婚の記憶に、
道明寺のモチーフなどが加わって成立したものだろう
 

現在、拝殿と本殿を結ぶ渡り廊下の中に古ぼけた木の残骸があるが、
伝承にある「一夜松」の2代目のものという

 この問題に関してもう少し書いておくと、概して日本各地には入水して果てた娘の伝承がやけに多い。悲恋の結果だの、落城した城から落ち延びたお姫様が追っ手の追跡から逃れられなくなって入水しただの、理由は様々だが、こうした「入水した娘」タイプの伝承は、「機織り姫」タイプのそれと同じく、かつて神に仕えていた一夜妻の記憶を反映したものが多いのではないか。 

 また、各地の古い神社の境内にしばしばみられる「鏡池」「鏡ヶ池」「鏡の池」などといった名前の池も、祭神の女神が姿を映して化粧をしただの、神宝の鏡がそこに沈めているだのといった伝承が伝わっていることが多いが、上代にこうした神婚儀礼が行われていたケースもあるのではないか(出羽三山神社の「鏡の池」のように実際に池中から大量の鏡が見つかっているケースもあるが)。  


出羽三山神社本殿と鏡池
 

一面水草に覆われていて分かりづらいが、
この池中からこれまで平安~鎌倉期の古鏡が
500面近く見つかっている
 


八重垣神社の鏡の池

島根県松江市の八重垣神社には「鏡の池」という池があり、
祭神の稲田姫命が姿を映したという伝承がある

この池は縁結びのスポットとして有名で、遠近から多くの女性参拝客が集まるが
こうした信仰は古代にここで行われていた神婚儀礼の名残ではないか

孤独な場所で(3)」につづく

 

 

 



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