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カルディア日誌

新米牧師のBlog

自分をほめていますか

2013年03月19日 | 今週のみことば
私が中学のとき、いつもほめてくれるおばあちゃんが居ました。
ある事情で、一年間、一緒に住んで生活をしたおばあちゃん。
ちょうどそのとき、学校の友人で悩んでいて、いじめられていて、
いつも心はへこんでいました。
でも家に帰ってくると、いつもそのおばあちゃんがほめてくれたんです。
その「一言のプレゼント」にどれだけ支えられたか。
ことばってね、私たちが思っている以上に影響が大きいんです。
だからね、一つ提案したいのは、もしまわりにあなたをほめる人が一人も居なくても、
自分で自分のことをほめてほしい。卑下して、自分のことを責めるんじゃなくて、暖かい言葉を自分にもかけてほしい。
そして、天のお父様もあなたに語っておられることに気付いてほしい。
「すごいね、がんばってるね。だいじょうぶ。もう少しだよ。」
愛がいっぱいあふれたことばがあなたの周りにいっぱいあるとき。
ぽかぽかになるんだよ。そして周りの人がいっぱい集まってくる。
愛の言葉を意識して使ってみませんか。愛の言葉を意識して耳を傾けてみませんか。

2歴代誌36章12節

2009年10月05日 | 今週のみことば
「主のことばを告げた預言者エレミヤの前にへりくだらなかった」

ヨシヤの死(BC608)からエルサレム陥落(BC586)まで22年。この間に4人の王が立てられましたが、誰一人として主の目に適う歩みをしたものはいませんでした。特に最後の王ゼデキヤは頑なで、再三にわたる神の勧告を受け入れず、最後までバビロンに抵抗したために、エルサレムの飢餓と戦火は壮絶を極めました(哀歌4の9~10)。結局ゼデキヤは捕えられ、目の前で子供達が殺され、視力を奪われます。この章には、神の言葉に対してどこまでも頑な者の悲惨な結末が語られているように思います。光が示されたとき、素直にそれに従うことができますように。主よ、どこまでも頑な私の心を造りかえて下さい。


2歴代誌35章22節

2009年10月04日 | 今週のみことば
「しかしヨシヤは身を引かず、神の口から出たネコのことばを聞かなかった」

アッシリヤの首都、ニネベがバビロニアによって陥落したのがBC612年。アッシリヤは急速に力を失います。このままではバビロニヤに全てを握られると危機感を持ったエジプトの王ネコが大軍を率いて北に向かいました(BC608年)。もともとバビロンよりのヨシヤは自分の目の前をエジプト軍が通り過ぎていくのが面白くありません。彼はエジプトを迎え撃つため、出陣します。ネコはヨシヤに言います「敵はおまえではない」。しかしヨシヤは身を引かず、変装して戦いを挑みますが返り討ちにあいました。聖書はヨシヤが「神のことば」を聞かなかったと述べています(22節)。あれほどの信仰者が人生の最後で失敗をしてしまう。信仰を守り通すことの難しさを覚えます。

2歴代誌34章19節

2009年10月04日 | 今週のみことば
「王は律法の言葉を聞いたとき、自分の衣を裂いた。」

ヨシヤは26歳のとき、主の宮の修理に着手しますが、この時突然「主の律法の書」が発見されます。彼は発見された律法のことばを聞いたとき自分の衣を裂いて、悔い改めました。
毎日の聖書通読や黙想の中で突然強い光があてられて、自分の本当の姿が示されるときがあります。あのヨシヤが経験した「律法の書が発見される」という出来事は、今日の私たちの信仰生活の中では、何度も起こりうる経験です。もしみことばによって御旨が示され、罪が示されたなら、それを素直に悔い改め、十字架を仰ぎましょう。神はその経験を益として下さり、更なる深い交わりを与えて下さいます。(31~33節参照)

2歴代誌33章13節

2009年10月03日 | 今週のみことば
「神は彼の願いを聞き入れて」
主の道から大きく逸れていたマナセは、アッシリヤの将軍によって捕えられ、家畜のような扱いを受けてバビロンに連れて行かれます(11節)。彼はこの屈辱的な経験の中で砕かれて、バビロンの牢獄でひざまずいて祈りました(12節)。
主はマナセの祈りを聞かれました。彼の罪を赦し、再びエルサレムへと戻されます。(13節)。
何という主の恵みでしょうか。これほどよこしまで邪悪な王であっても、砕かれ、主の前に謙るとき、主は豊かな愛と憐れみを持って答えて下さるのです。今日、同じ主が、同じ愛と憐れみをもってあなたを受け止めて下さいます。主の前に謙りましょう。

2歴代誌32章7,8節

2009年10月02日 | 今週のみことば
「私たちとともにおられる方は…私たちの戦いを戦ってくださる方」

アッシリヤの大軍を前にしたヒゼキヤは、かつて難攻不落のエリコを前にしたヨシュアと同じ教えを神様から受けています(ヨシュア記5の13~15参照)。神様はヒゼキヤに「この私こそが、主の軍の将」であることを教えようとなさいました。
ヒゼキヤは、かつて神様がヨシュアに語られた言葉(ヨシュア記1の6以下)を用いて民に語りかけます。恐れてはならない。主が共におられる。主が先頭に立ち戦ってくださる(7~8節)。そしてこれを聞いた民は奮い立ち、心が定まりました。
今、自分は同じような苦境に立たされているとお感じの方はおられますか。主が先頭に立ち戦って下さいます。主を見上げ、主に信頼致しましょう。

2歴代誌31章1節

2009年10月02日 | 今週のみことば
「これらすべてのことが終わると」
前章の最後にレビ人の祈りが出てきます。これは民数記6章24~26節を用いての祝祷で、礼拝の最後に献げられるものです。つまりこの30章で2週間にわたる歴史的な過越の祭りが完結しました。しかし民はこれで終わりません。31章1節「これらすべてのことが終わると」地の至る所を行き巡り、石の柱を壊し、アシュラ像を切り落とし、高き所と祭壇を取り壊します。彼らは礼拝で受けた恵みをその後の歩みに生かし、主にお従いしました。
私たちの礼拝は礼拝だけで終わるのでありません。その後の生活と生き方に変化を与えるものです。毎週の礼拝に期待して臨みましょう。主が恵みを注いで下さったとき、そこで終わるのでなく、日々の生活の中で恵みを生かすお互いでありたいと思います。

2歴代誌30章1節

2009年10月02日 | 今週のみことば
「全イスラエルとユダに使いを遣わし、主にいけにえをささげるよう呼びかけた」

ヒゼキヤの改革は続きます。彼は全イスラエルに使いを送り、過越の祭りを祝うように呼びかけました。注目したいことは、南ユダだけでなく、北イスラエルの同胞にも彼は呼びかけたということです。北イスラエルとは、父アハズの時代にも仲違いした間柄です。しかし「こんなときだからこそ一つになろう。もう一度一つとなって神に立返ろう、救いを待ち望もう」とヒゼキヤは考えました。この呼びかけに拒絶する者たちもいましたが(10節)、多くの民が応答します(11節)
過去の反目を乗り越えて和解し、ひとつとなった教会には大きな喜びがあります(26節)。そして彼らの祈りは天に届けられるのです。(27節)

2歴代誌29章3節

2009年10月02日 | 今週のみことば
「第一年の第一の月に、主の宮の戸を開き」

ヒゼキヤが王位を受け継いだとき、国は危機的な状況でした。北はアッシリヤ、南はエジプト、その他敵対する周辺民族に囲まれて孤立無援の状態でした。普通このような状況であれば、真っ先に手を付けるのが軍事的強化や外交の政策でしょう。しかしヒゼキヤは違いました。彼が即位してまず一番最初に行ったこと、それはこの国の霊的回復だったのです。国民が一つとなって悔い改め、神に立ち返ること、このことこそが国を救う唯一の道だと考えたのです。
今、人生に行き詰まって、苦み悶えている方がおられますか。主を見上げましょう。主を覚えて、このお方の前によりすがるとき、主の御手があなたを支えます。

2歴代誌28章23節

2009年10月02日 | 今週のみことば
「この神々にも私もいけにえをささげよう」

「ご利益があるかもしれないから、とりあえず手を合わせておこう」といった心情は、日本人によく見られる傾向ではないでしょうか。28章に出てくるアハズ王はまさにそういった心情の持ち主で「ご利益があるのなら、敵国の神々でもかまわない。手を合わせよう」と考えて、ありとあらゆる神々を国に持ち込みました。聖書はアハズがこうした「主に対しての不信の罪」(22節)を冒したので、神の怒りを引き起こす結果となったと語っています。
「二人の主人に仕えることはできない」とキリストは語りました。八百万の神を拝む文化の中でも、ただ主だけを拝し、主だけにより頼む決意を今日も新たに致しましょう。