eu-balance〜インナーチャイルド・フラワーエッセンスセラピー〜

インナーチャイルドの勘違いを紐解き、自分の本質と軸を取り戻して、喜び溢れる生き方へのシフトをお手伝い

そこにあった愛に気付くこと

2017年05月17日 | より道散歩

ここのところ、夏の12年振りのアメリカ旅を控え、

大学時代のことや、大学時代お世話になった人のことを

色々思い出す機会が増えておりました。

 

大学留学して最初の1年は語学の壁と闘っていました。

私は元々、大学院留学経験がある父と(1ドル360円時代)、

その父と結婚すれば海外に住む機会があるのでは?と期待していた母、

という海外好きの家庭で育ち、

兄もその影響を受け大学・大学院と留学していましたが、

自分自身は帰国子女でもなんでもなく、

なのに、要領が良かったのか?TOEFLやSATと呼ばれる

アメリカの大学入学用学力試験はそこそこの点数を叩き出して

アメリカで名門女子大といわれる大学に入ってしまいました。

 

しかし、そこで待っていたのは、ネイティブでも苦労する授業の連続。

特に美術史の授業はHard-grader(採点が厳しい教授)が揃っており、

最初のレポートでD(ほぼ落第点)を食らって、

泣きながら教授のところに相談に行くと

『ネイティブだろうが、ノンネイティブだろうが、

評価の基準は変えられない。

あなたのレポートは、文章が美しくないから良い点はあげられない。』

と言われ、美しいキャンパスの池の畔で泣いたりしていました(笑)。

 

そんな時、寮のリビングルームにあった

スタンウェイのグランドピアノにふと手を伸ばし、

ピアノを弾いていたら、

アメリカでは日本のように猫も杓子もピアノを習う、という文化がなく

「上手ね!」

と褒められたのに気を良くして、

それから、音楽学部のピアノの練習室に通うように。

(↑コンサートホールや練習棟があった音楽学部の建物) 

 

言葉での表現にストレスを抱えていた私が

ピアノという言葉によらない表現で解放されるという感覚を味わった時でした。

 

私が通っていた大学では、音楽専攻でなくても

オーディションに受かれば演奏の授業(レッスン)が

単位付きで取れるという仕組みがあったので、

2年生になる時にオーディションを受け、

この先生のレッスンを受けたい❗と思っていた

ジュリアード音楽院出身の教授の授業を受けられることに。

 

寮の部屋の留守電にその教授、モニカから

『リサ、私があなたのレッスンを担当することになったわ』

というメッセージが入っていた時の喜びは忘れられません。

 

単位数は普通の授業の半分でしたが、

授業としてレッスンを取る条件は

「毎日1時間練習すること」

そこから、ピアノとモニカとの深い関係が始まりました。

 

日本では比較的『正確に弾くこと』が求められることが多く、

表現の自主性が求められた記憶があまりないのですが

(先生の個性かもしれませんが)

モニカとのレッスンは、対照的。

『あなたは、この部分はどんな風に感じてそう弾いたの?』

と常に私の自主性を尊重しながらアドバイスをくれ、

ピアノで表現することが、どんどん楽しくなっていきました。

 

そして、4年生になる時、

それまで知らなかった衝撃の事実を知らされます。

なんと、4年生で演奏コースを取っている人は、

卒業前に1時間のコンサートを開くことができ、

(しかも、うちの大学のコンサートホールは

カーネギーホールを改修した人が設計した

マサチューセッツ州内でも秀逸なコンサートホールでした)

さらに、オーディションに受かれば、

卒業式前夜祭として開かれるコンサートで、

オーケストラと協奏曲を演奏できるというではないですか。

 

小さい頃から、ショパンコンクールなどを見て

絶対叶うはずがないのに

「いつかピアノ協奏曲弾いてみたいな」

とぼんやり思っていたのですから、

この時の驚きと喜びといったら。

 

そんなこんなで、4年生の後半は、

『毎日2時間練習する』が必須の

単位数が倍の演奏コースを取り、

専攻のセミナー論文とピアノに

ほぼ全精力を注いでいるような生活でした。

 

モニカは相変わらずの情熱を注いでくれ、

当時普通のピアノと並行して、

フォルテピアノと呼ばれる古典ピアノもやっていたのですが、

その博物館に往復4時間掛けて連れて行ってくれたり、

フォルテピアノの権威の先生を大学に呼んで

公開レッスンを企画したり、

その後協奏曲のカデンツァと呼ばれる

即興的な部分の楽譜をもらってくれたり…

 

自分のコンサートも沢山の友達が聴きに来てくれ、

卒業式前夜祭コンサートは、

もう授業が終わって家に帰ってしまっていた他の学年の友人や

はるばるカリフォルニアから

母の友人ご夫婦が駆け付けてくれ、

最後のトリを勤めさせてもらえ…

 

両親も短い期間に日本とアメリカを二往復して

両方のコンサートを聴きにきてくれました。

 

いま、そのどの場面を思い出しても、

そこには

『愛』

が溢れていました。

 

 

帰国して、

仕事のミスマッチ、

両親の介護、

いろんなことがあって、

アメリカ時代の経験を活かせていない自分を

潜在意識の中で責め続け、

しばらく、アメリカ時代の思い出そのものに

ヴェールを被せていました。

 

モニカとも、

カリフォルニアの叔父叔母のような存在だったご夫婦とも

気が付けば、何年も連絡を取っていませんでした。

 

アメリカ旅行が決まって、

モニカに連絡を取ったら、

それはそれはとても喜んでくれ、

一晩泊まらせてもらうことになりました。

 

カリフォルニアのご夫婦も

電話したら、あの時と変わらず話して下さり、

一時間も話し込みました。

 

私はなぜ、

こんなに大切な人たちから

こんなに離れて隠れていたんだろうか、

と思うと、涙が溢れてきました。

 

でも、きっと、一度

『ない状態を知ること』

で、

『いま、その存在のありがたさに余計に気が付けた』

そんな風にも思います。

 

個人的に、インナーチャイルドセラピーの半分は

『貰えていたものを貰っていなかったという勘違い』

を紐解く作業だと思っていますが、

貰えてなかったとまで思ってなかっとしても、、、

 

『そこにあったものを受け取れるようになる』

つまり、

『そこにあった愛に気付く』

それこそが、究極の豊かさのような気がしています。

 

インナーチャイルドや思い込みのパターンを

癒やしてちょっと成長した私が

今度のアメリカ旅で何を感じるのか、

いまはそれが楽しみです。

 

(↑写真のクラス課題で撮った大学のピアノが出てきました…多分寮のピアノかな)