アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

681 アチャコの京都日誌  武者と戦った天皇たち  ゆかりのお菓子(偉い人も食べた?)① 麦代餅

2020-04-14 07:59:06 | 日記

① 中村軒 「麦代餅」

 
後水尾天皇の項で書いた八条宮智仁親王は、「桂離宮」の造営で有名だ。後水尾天皇は叔父の「桂離宮」を参考にして、「修学院離宮」を造ったのである。智仁親王は、正親町天皇の皇孫、後陽成天皇の弟に当たる。後陽成は譲位してこの弟に即位をさせたかったのだが、智仁親王は以前豊臣秀吉の猶子となった事があり徳川から拒否されたのである。その後、八条宮家(桂宮家)を創設したのだが、お二人とも徳川幕府の発足時において、その絶対的権力の構築時に立ち会ってしまったのである。


その桂離宮のすぐ南、八条通りと桂川の交差する西南角にある「中村軒」の麦代餅を紹介したい。店先には、峠の茶屋風の吹き流しのれんがかかっている。カウンターには、紅白饅頭や御餅に加え、赤飯や粽などの定番のものが並んでいる。昔、関西では「赤のれん」と言われるそのような店では、陳列の奥で、うどんや丼を出していた。どの町内にも必ずあったものである。「中村軒」では、奥の間では観光客など団体さんにお茶を振舞っている。
麦代餅は、素朴な菓子で、甘い粒あんを柔らかい平べったい餅で包んで特製のきな粉をまぶしている。甘いけれど上品な後味の餡ときな粉の風合いが実によく合う。適度に柔らかいお餅が歯に心地よい。お店は明治初期の創建だが、麦代餅は昔から近所の農家の田植え時期のおやつ・昼食代わりに食べていたもののようだ。その時には代金をもらわず、農閑期を終えた夏になって麦を代金代わりにもらったらしく、その名は、それに由来する。庶民由来の素朴なお菓子である。お店の独自の名物は、「かつら饅頭」だがこれも落ち着いた味わいがうれしい。桂離宮散策の帰りには是非食べて帰りたい。

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智仁親王も麦代餅を食したのだろうか。もともと下桂のこの周辺は八条宮家の領地であった為、山荘造営以前から度々来遊していたと、自身の日記に書き記している。当然、行き帰りに庶民の様子を垣間見ただろうし、後水尾天皇からも一目置かれた人格豊かな親王なので、造営時には地元民の協力を得たことだろう。何かのひと時、麦代餅を一緒に食べている風景を想像して見た。


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