ねこや食堂開業日記

北海道静内町ねこや食堂を開業するまでの2年間の記録です。開業を志す方の参考に…なるかなあ?

2003.3.18

2005-11-20 | 無職時代
朝7時半高松駅前のレンタカー会社へ。昨日のうちに予約しておいたマツダデミオ12時間6000円。レンタカーの人にルートを見てもらう。谷川米穀店への道は山道を使わずに遠回りでも国道を行きなさい、と忠告されました。そうですよね…そうでした…
香川県ドライブの長い一日が始まります。本当に長いです。

地図はるるぶと、梅田バスターミナルでゲットした讃岐うどんドライブマップ。カーナビはなし、同乗者もなし。まずは「赤坂製麺所」へ。いきなりちょっと迷いました。近くの郵便局に車を止めて近所の方に道を聞き、8時半にたどり着きました。本当にここか!衝撃の玄関戸を開けるとカウンターがあって、おばちゃんがいて、奥ではおじちゃんが布団の上でテレビ見てる。おばちゃんが「あんたねぎ好きか」と聞くので「うん」と答えるとねぎ1本と鋏をくれました。だしなしの醤油と自分で鋏で切ったねぎで一杯。写真を撮ったり撮られたり。一番手としては相当過激なルートでした。

9時「山越」。正確には9時ちょっと前ですがもう開店していました。まだ特設駐車場もがら空きでラッキー。しかしすでに何人か並んでいます。この日は平日(火曜日)で9時前なのにもう行列。まずは釜玉。ゆであげ麺に衝撃です。赤坂でも茹でたてだったけど釜揚げはすごい。丼を返してまた並んだらおかみさんに「並ぶんだったら丼持ってきて」と言われました。ルールがあるのです。次はかけ小。2杯行きました。店を出て見るともう駐車場は一杯で、外まで人が並んでる。すごい…

いよいよ「谷川米穀店」への旅が始まります。ここは11時から開店だけど距離があるからちょっと急ぐ。教えてもらった国道はやはり遠回りなので冒険して山道を行きました。これが危険!対向車とすれ違えないし!路肩にガードレールないし!ここで落ちても気が付かれないだろうなあと思いながら運転してました。ようやっと国道に出ると谷川米穀店はすぐ。一旦店の前まで運転していくが駐車スペースがないので手前の公共の宿「ビレッジ美合」に車を止めました。まだ10時だったのでここの温泉に入りました。露天風呂が素晴らしい。渓谷そのままで、秋はいいだろうなあ。11時に「谷川米穀店」へ行くとNHK「ひるどき日本列島」の生中継の準備をしてました。店内はもうお客で一杯。小で玉子を入れてもらいました。だしはなくてテーブルの上に醤油と酢と青南蛮漬けがある。酢と醤油で食べました。もう美味いんだかなんだかよくわからない。テレビマンは切羽詰ってるしお店の人は叫んでるし急いで食べて外に出てみるともう橋のあたりまで行列。もう一杯食べようとまた並んでみましたが、下を流れている渓流を見ていたらなんか満足してしまって、生中継を待たずに車に戻りました。この時11時40分。

国道438を遡って琴平町へ。途中「花畑うどん」「たかの」「小懸家」「長田うどん」「水車うどん」など名店を通り過ぎましたがすでにここまでで4杯。食べられません。琴平町では「中野うどん学校」に行くのです。13時半の回の予約。駐車場も完備なのが嬉しい。料金一人1500円で、麺棒がもらえます。ねこやではこの麺棒でピザを伸してます。

「中野うどん学校」はこんぴらさんの参道にあり、1階がおみやげ物屋さんでした。団体や個人観光客対象にうどん打ち体験が出来ます。まっちゃん先生は本当に面白いし後に自分がうどん教室をやる時に実はここのノウハウをちょっと使わせてもらっています。行って良かった。自分で打った一人前のうどんは釜揚げでその場で食べることが出来ます。とういことでここでまた一杯。

車はそのまま置いていいということなので金毘羅さんへお参り。私は歴史が好きなので史跡もなるべく回りたかったのです。2004年御遷座に向けて境内整備があちこちで行われてました。奉納されたソーラーシップやタンカースクリューなど船にちなんだものが多いです。円山応挙の襖絵「遊虎図」は絶対これ猫をみて描いただろう!と突っ込みつつ一番てっぺんのお宮まで登ると讃岐平野が一望でき、遠くに讃岐富士。更に遠くに瀬戸内海。ああ、来てよかった。これが讃岐だ。

で、この日のうどんは中野うどん学校での釜揚げで終了です。5杯。
高松への帰路ショッピングセンター「高松ユメプラザ」で回転寿司を食べました。さぬき麺業のお店もあったんだけど明日もうどん三昧なので…高松駅前に戻ったのは7時。レンタカーを返して琴電で片原町へ。一駅なので歩ける距離なんだけど琴電好きだったのでつい乗ってしまう。降りた駅の商店街でコロッケを買いました。宿に戻ると割とすぐに寝てしまいました。しかしこの時すでに花粉症の症状は出ていたのです。だって窓の外には杉の木が3本も!!今もあるのかなあ…

翌日、いよいようどん屋に向けての運命の出会いが! (笑)

2003.3.17

2005-11-15 | 無職時代
お待たせしました、ようやく高松に入ります。やっと讃岐うどんが出てきます。関西旅行も7日目にしてようやく (笑)。何しに行ったんだろう、という疑問も出ようというものです。

朝、高知駅バスターミナルでぐるーっと回遊する長距離バスの図はどうでしょうファンにはおなじみ。でも今回乗るのはよさこい号ではなくて高知高松間「黒潮エクスプレス」3300円。9時乗車11時高松駅前到着。宿はさきさかユースゲストハウス。市電で一駅です。昔はビジネスホテル本館だったのを新館完成を機にユースにしたらしい。古いです。しかも窓の外が杉の木。これが後々たたるんです。

とにかくうどん。まずは市内を散策。でもまだ冷たいうどんの魅力が分かってないので取り合えず入った食堂浅草亭でも温かいうどんとカツ丼のセットを頼んでしまう私。今思うとどうしてぶっかけを頼まなかったのか…痛恨。市電片原町駅から歩いてわざと脇道を通りながら栗林公園へ。4kmほど歩いたでしょうか。途中セルフ店さぬき麺業やこんぴらや、かな泉など見てますが「こういうセルフ店はたいしたことはない」という妙な先入観を持っていました。それは麺通団の本を読んだために「面白い店」を名店だと思いこんでいるからです。今思えばどうして全部行っておかなかったかと…ああ痛恨。とにかく栗林公園。ここはお殿様の日本庭園ですので美しい。しばらく散策してからバスでまた市内へ。丸亀町商店街を遡って片原町のユースへ一旦戻ります。疲れたので。

このユースのまん前にボールという手打ちうどんのお店があります。宿の支配人さんとうどん話をしてまずは行きなさい、と勧められて行きました。ここでも温かいきつねうどんを注文してしまいました。ボールさんは麺を茹で始めました。そうです、茹でたてなのです、なのに温かいきつねうどん…ばかだ、私はばかだ。その時初めてうどんを茹でるには15分掛かること、ダシには煮干(いりこ)を使うこと、いりこは頭とワタを取ること、などを教えてもらいました。2003年時点で私はこれを知らなかったのです。めまいがします。高松での思い出は今となっては痛いことばっかりです。ボールさんは本当に親切にいろいろ教えてくれました。打ち立ての麺は冷凍が効くので地方発送が出来ることもここで聞きました。きつねうどんは美味かった。

ボールさんを出てから、更にライオン通りのこんぴらうどんに行きました。ここは夜の営業のお店なので開店時間に合わせたんだと思います。細麺の生じょうゆうどん。茹でたての細麺の滑らかさとすだちの香り。すごい!讃岐うどんってこれか!大阪のはがくれの生じょうゆうどんを経験済みだったのにぜんぜん違ううどんの世界。その多様性にびっくりしました。同じメニューで同じようなトッピングなのに違う!それは麺の違いだったのです。うどんは店によってこうも違うのか、ということを初めて感じたのです。

ここから高松4日間。一日が長いですよー
そりゃもう、人生変わるくらい (笑)。

2003.3.16

2005-11-15 | 無職時代
高知2日目、日曜日。朝から雨だが高知で日曜日と言えば日曜市。
お城の前の通りが2kmくらいに渡って全部市場になるのです。

すごかった。オバちゃんたちが素晴らしい。手作りの色取どりのお餅。キビや蓬、粟、赤米、小豆などで自然の色が美しい。そして寿司。炊き込み御飯。竹の子の握り寿司最高。笹の葉に包んである寿司の一つずつの美しさ。美味さ。あの寿司のためにもう一度行きたいです。たくさんのお店があって、種類がそれぞれ全部違う。
それから土佐包丁を買いました。野菜用なのに刃が厚い。魚用はもっとごつかった。流石、鰹を捌くお国柄。今、うちで鮭をさばく時はこの野菜用の包丁を使っています。ここのおばちゃんもいい人だった。

雨にあたって寒かったので途中「うさぎや」という甘味屋さんで肉うどんを食べました。高知市内はうどん屋があまりない。うどん文化圏ではないのですね。では何屋が多かったかと言うと特に印象がないのです。しかし普通のレストランでも鰹のたたき定食があったなあ。市場のオバちゃん達が売っているご馳走を見ても、お店で何か食べるというよりは家庭でご馳走を作って振舞うという感じですか。そういうご馳走の種類はものすごく豊富なんだと思いました。

なんで高知まで来てるかというとそもそも私は幕末ファンなので竜馬がらみで一度ぜひ来て見たかったという、ただそれだけ。しかし桂浜の資料館には行きません。それよか高知市内を見下ろす88箇所霊場五台山竹林寺に行きたかった。で、バスに乗って竹林寺裏参道で下車。ここから山登りですよ!雨の中、細い山道をとぼとぼと登ります。途中、山の中に小さな小屋掛けしてあったり古い墓地群(しかも手入れされてない)があったりで怖かったです。裏参道を今時徒歩で登る人なんか居ません。表参道には車道もあってバスも直通ですから。竹林寺では竹筒に入った羊羹がお土産に売られていて、これもおいしかった…帰りはバスに乗ろうとしたら時間が合わなくて今度は車道を徒歩で降りました。これがまた急坂で。山中を2kmくらい降りたら民家や畑が現れて、畑から帰るおばちゃんと道行き話をしました。やっと国道まで出たらバスの便がやはりなくて市内に戻るのに、おばちゃんがそこでたまたま休んでいたタクシーに話をしてくれて、市内に戻りました。(バスの便もなければタクシーも通らなそうなところだったので助かりました。)高知の人、親切だ…この時でだいたい2時頃だったかな。

高知城を見物しました。容堂さん、ここにいたのねー幕末好きには感無量。寒かったので高知市図書館で幕末資料を見て一休み。路面電車で上町4丁目まで行き徒歩でお城へ歩いてみる。竜馬の実家が上町だったのでお城までの距離感を実感したかったのです。途中、寺田寅彦記念館がありました。閉館してて残念だった。また繁華街へ戻ったのでHPチェックするためにネットカフェを探す。…見つからない。なんと繁華街には1軒、郊外にもう1軒あるだけだったのです。2003年ですよ、県庁所在地ですよ。観光案内所で調べてもらって行きました。その後レストランで鰹のたたき定食を食べて、高知駅バスターミナルで高松行きバスの予約。
ホテルに戻りました。ホテル1階居酒屋に貼ってある「のれそれ」がなんなのか気になって仕方がない。のれそれ…

高知での収穫は日曜市のおばちゃんたちの仕事の丁寧さです。家で作ってきたお寿司やお惣菜、珍しい野菜が本当に美しい。デザイン的に素晴らしいのです。もう一度行きたい。高知は実質1日行程(2泊してますが)にも関わらずものすごく濃密でした。



2003.3.15

2005-11-12 | 無職時代
ゲキさん宅で朝ご飯をご馳走になってから梅田へ。この日は高速バスよさこい号で高知へ行く予定。ゲキさんのお母さんの朝ご飯は本当に美味かった。このお母さんが作っただしまきたまごが今ねこや食堂で出てるだしまきたまごの原型です。おじいちゃん猫のトラさんと猫のチャコと犬のマックがうろうろしていたコタツの部屋懐かしい…

梅田ジュンク堂には大阪滞在中通ってました。本当に居心地のいい書店だ。なぜだろう。書架には欲しい本ばかり並んでいるし背表紙を眺めているだけで嬉しくなってしまう。梅田ブルグにも行きました。ちょうどこの時ロードオブザリング「二つの塔」を上映中でこの前にすでに札幌で2回見ているのにも関わらず、大阪でも2回見ています。梅田阪神地下スナックパークで立ち食い寿司と野菜焼きを食べてバスターミナルへ。スナックパークもやたら行ってるのにとうとうお好み焼き食べなかったなあ…

ここの待合所で手に入れた「うどんでドライブ」というドライブマップ。これがこの後重要です。「名物さぬきうどんと香川のドライブを楽しむ情報満載MAP」この地図のおかげで、ひとりでレンタカーを運転しレンタカー会社の人が「この道はやめたほうがいいよ」と言った山道をうっかり進んだものの谷川米穀店まで行けたのです。しかしそれはまた後の話です。16時半に梅田を出発したよさこい号は深夜便ではなかったので、普通仕様のバスでした。神戸経由、淡路島ICで休憩して21時55分高知駅前到着。宿は駅から少し離れたビジネスホテルですがここの人達は親切でした。ホテルロスイン高知。ナイスです。コインランドリーもあったし。高知は2泊です。

2003.3.14

2005-11-12 | 無職時代
朝っぱらから三十三間堂の二十八部衆立像を見に行く。向かいの国立博物館にも。ここでピンクのスーツを着た妙齢のお嬢さんと背広の中年男性カップルがとても興味深かった。親子でもなければ夫婦でも…まあ、いいか。国立博物館のミュージアムショップにある絵葉書は素晴らしいので、皆さんぜひ。

ゲキさんと待ち合わせしてスコルピオーネ祇園というイタリアンへ。ここは京都の典型的な町屋を改造した新しいイタリアンレストラン。靴をはいたまま上がるというのは今、思い出してもまだ抵抗があるなあ。食べたのは「雲丹のパスタ」ジャポネーゼ。ギャルソンがオーダーや厨房との連絡の返事に「Si!」と言うのがなんか素敵。2階の吹き抜けから1階のバーを見下ろせるのがまたおしゃれ。

ゲキさんおすすめのカフェにも行きました。東山が良く見える素敵カフェ。
京都のお店は店構えもカードもおしゃれだな。こじんまりとおしゃれだ。
ヨーロッパアンティーク、東洋雑貨、古道具屋など回りました。夕暮れ近い先斗町をわざわざ通ると狭い路地から芸子さんが出勤するところだったり。ああ、いいなあ。この日はひたすら京都散歩でした。単なる観光客だな。全然修行の感じじゃないぞ。いや、これからです、これから。


2003.3.13

2005-11-11 | 無職時代
よさこい号の予約もしたし「はがくれ」の生醤油うどんに衝撃も受けていよいよ四国上陸かと思ったらまだ観光。今度は京都へ行く。京都歴史博物館で装身具展を見たり「ケーキ松之介」でベーコンホットサンドとアップルパイを食べたり。うどん関係ないじゃん!とか思っていたが今となってはカフェメニュー探索も決して無駄ではなかった。松之介さんは東京でもカフェを出している良店でした。

一旦宿へ戻った後バスで東寺見物。美形帝釈天を見たかったから。
更にバスで三条へ。途中四国宿泊(予約済み)のためにユースで会員になる。
先斗町から知恩院山門、高台寺、円山公園と春のライトアップの美しい夜桜を見ながら清水寺へ。円山公園では竜馬と中岡君の銅像を見て思わず笑う。なにやってんのあんた達こんなとこで…。清水寺もすごい人出。胎内めぐりとかも大行列だし何百年に一度のご本尊御開帳にも老若男女がわんさかと。ライトアップのきらびやかさと相俟って「お寺ディズニーランド」状態。一人で行ったのが本当にもったいなかった。
清水坂で黒豆きんつばを買って道々食べる。
バスに乗って宿に戻る。途中コンビニでおにぎりを買う。翌日も京都。
北海道にいると神社仏閣や仏像を見たいという禁断症状に陥るのです。
そういえば前日の奈良では唐招提寺にも行くつもりだったのに東大寺しか…今更だけど思い出すとなんだか悔しい。

2003.3.12

2005-11-11 | 無職時代
朝、ゲキさんの家で朝ご飯を頂いてから観光へ。
まず通天閣。一度行って見たかった。しかし何かと怖いので午前中に行く。地下鉄出口から動物園の脇を通る途中に小屋掛けがたくさんあって、こりゃなんだろう美術館のすぐ前なのに…と思っていたら何とカラオケ屋台だった。そう、撤去するしないで大騒ぎになったあの!平日午前中なのに、演歌を歌う人がいて驚いた。通天閣はなるほどーそうかーという感じ。食堂に入ってみたかったが勇気が出なかった。

そのまま電車に乗って今度は奈良へ。レンタサイクルを借りて東大寺へ。
ちょうどお水取りの儀式の最中。これも日中なので火を振るのは見られないけど食事を振舞う儀式は見られました。何日もやるらしい。
奈良公園の中の茶屋で玉子うどん。この時はまだ関西のうどん、といえば温かいうどん。しかしこの日のうちにそこ固定観念は破られるのです。

大阪に戻って梅田バスターミナルで高知へ向かう長距離バス「よさこい号」の予約をする。どうでしょうファンなら一度は乗りたいよさこい号!深夜便ではないのが残念だ。予約も済んだのでゲキさんから教えてもらった「はがくれ」にうどんを食べに行く。大阪のうどんならここ!という話。梅田地下街をちょっと迷いながら到着。
カウンターしかない狭いお店なのにものすごい活気。夕方なので行列なしで食べられた。ラッキーだ。生しょうゆうどんを注文。
「初めてですか、食べ方わかります?」と大将が聞いてくれて分からないと言うと
ちゃんと教えてくれる。醤油はダシ醤油で、冷たいうどんにちょろっと掛ける。
すだちも乗っている。冷たいうどんを食べたのはここが生まれて初めて。

な、なんですかこれ、これがうどんですか、こんなにツルツルとして醤油の香りがすごいんですけど、ええええー!?
本当に驚いています。
しかしうどんの世界は四国に渡ってより深まっていくのでした。

2003.3.11

2005-11-07 | 無職時代
大阪につきました。
友人のゲキさんのお宅へ滞在させて頂きました。ゲキさんの案内と自転車激走で天満橋商店街のエスニック料理店へ。うどん修行、と聞いてまずは外国のうどんを食べさせてくれた。
「カンティプール」という屋台風のネパール料理店でトゥクパという手打ちうどんとチョウメンという焼きうどんを。ここはすごいいい雰囲気の店です。日本じゃない。そのあとシャッターが降りた商店街に出ている「上海食亭」という屋台で今度はシャオロンポウと、ニラの焼餅。

北海道の田舎ではそもそも屋台がないので(札幌とか都市に行けばあるよ)この雰囲気にまず飲まれてる。大阪の人は北海道が日本じゃない、と言いますが、大阪も日本というよりはアジア。
ネパール料理や焼餅の味よりも、あのロケーション。
夜の天満橋商店街の路地を縫うように自転車で爆走してたどり着いた屋台に自転車止めてあつあつの焼餅を食べる。私にとっては非日常の経験ですが、そこに住んでいる人には当たり前ですよね。3月11日から3月24日までは連日そういう経験が続きます。この15日間で今のねこや食堂の原型が決まりました。

2003.3.10

2005-11-07 | 無職時代
職安で認定。これを待っていたのです。
なぜならこの後半月ほど大阪に滞在するつもりだから。
携帯でパソメールを読める設定にしたり、HPを更新したり準備をしています。
大阪には仕事を探しに行くつもりでした。この時はうどん、といえば関西。食に関する本場は関西。なので、じっくり探せば住込みで修行も出来る職場があるだろうと思っていたのです。実際会社も「うどん修行に行く」と言って辞めてます。
友達にも「修行に」と言ってます。言いまくってます。
まさか、讃岐でうどん食べてびっくりして帰ってきただけとは。

しかし今、思い返してみて自分がいつから「うどん」だったのかははっきりしないのです。きっかけは「水曜どうでしょう」での四国88箇所巡礼でのうどん。
R-14でも大泉さんが「うどん食わせなさいよ!」って言ってます。それで本屋で「恐るべきさぬきうどん」の文庫本を手にしたのだと思います。そんなにうまいのか、と。
それから北海道のテレビで見た札幌のセルフ店「かがわ軒」に行ったり千趣会の通販「恐るべきさぬきうどん」シリーズが始まって早速食べたり。でも大阪の梅田地下や京都や山口萩で食べた関西風だしの、上にかまぼこが乗っかったあの温かいうどんをこの時はまだイメージしてました。そういった状態で翌日大阪へ。
ここから急展開です。

2003.3.5

2005-11-07 | 無職時代
町の役場に出向いて健康保険を親の扶養に入れてもらう手続きをしています。任意継続にしようかとも思ったのですが月々の保険料を自力で払うのは無理だったので。実際この時は無職でしたから。

友人宅で昨日生地を寝かせたうどんを試食してみました。
温かい出し汁で食べてます。この時はまだ冷たいうどんの破壊的な美味さを知らなかったのでした。へなちょこうどんでも打ちたて茹でたてをもったいない。
しかしこの時は打てなくて当たり前、だって修行はこれから行くんだもーんとかなりお気楽な感じでした。うどん打ちなんて修行しないと絶対無理だと思っていた。普通そうですよね。

2003.3.4

2005-11-05 | 無職時代
この日、無職になってから初めてうどんを打っています。久しぶりです。
この頃はまだ薄力粉と強力粉を半分ずつ混ぜた粉を使っていて、うどんの打ち方の本を開いてやっています。(いや、実は開店してからも本にはお世話になってました)やわらかいふにゃふにゃの短い麺が出来ますがそれなりに美味かった。翌日、友人の家で茹でて試食してもらっています。しかし、あの麺で本当にうどん屋になれるのかどうかはひどく不安でした。今思っても、無理です。
正直、無謀です。
でも会社やめちゃった。はははは

2003.3.3

2005-11-05 | 無職時代
職安に行って失業者認定。
ここで重要なのは開業予定者は失業者とは扱いが違うことです。
この時点で私は確かに開業予定者ではありましたが、それは気持ちの上でのことで、実際はこれから修行に行く身でしたからまさしく「仕事を探している」状態。実際の開業はいつになるかさっぱりわかりません。問題なく認定してもらいました。係りの方には確かその辺正直に相談したはず。5月に札幌へアルバイト出稼ぎに行くことになって、失業保険支給を保留にしてもらいました。再度失業状態になったときには支給を開始してもらうような手続きが出来たのです。これは助かった。
なにかとラッキーではあったのです。

2003.3.2

2005-11-05 | 無職時代
事務所を引越しする知り合いの家に古い家具をもらいに行く。
テーブルセットを頂いた。この時は今のねこやの建物ではなくて前にある大きい元ドライブインの建物を改装して使うつもりだったので座席数も30は欲しかった。しかし資金は極力節約したいのでテーブルは中古で揃えることにしていた。
そういうわけで、古い家具はとてもありがたい。新品よりも絶対、店構えに味が出ると確信している。仲介してくれた友人にも感謝!ありがたいです。本当に。
家具についてもその他の道具についても本当皆さんのお世話になりました。
今でもねこや食堂にある家具や小物は一つ一つ由来が言えますよ。お時間のある方はぜひ振ってみてください。長い話になりますから。

2003.2.25

2005-11-05 | 勤め人時代
3年勤めた会社を退職。入社した当時から「5年後にはうどん屋をやります」と言っていたので、いよいよ、という感じ。職種は建設会社の総務です。最初は経理担当でしたがあまりに金勘定が下手で配置換えになりました。給料計算と社保手続きと伝票入力とそのチェックに明け暮れる毎日。それでも円満退職にするまではいろいろと大変でした。しかしもう今となっては何が大変だったかは忘れてしまいました。
なにしろ、その後のバイト時代が肉体的にはもっとハードだったので。うどん屋になる、と決めたのは2000年。店を開く、と決めたのはそれより更に前の1999年頃か。そしてその時には、ねこや食堂の名前はもう決めていたのです。

2000年にそれまで勤めていた博物館をやめて無職になった時に旅行した会津で老舗駄菓子屋の名物女将さんと話した時に近い将来に店をやりたい、という話をしてそこで店の名前を聞かれ「ねこや食堂」と答えているんです。ちょっとした丼物やおにぎりやうどんなんかを出す店にしたい、と。イメージは和風です。

新しいブログ立上げました。

2005-11-02 | Weblog
北海道静内町ねこや食堂開店1周年を記念して、開業までの歴史を語るブログを開設しました。
思いがけず手打ちうどん店を開業した私の体験談です。飲食業経験のない人間が果たして本当に自分の店を営業できるのか?はらはらどきどきです。これから開業を目指している方になにか参考になれば、と思ってます。
個人名や辺り障りのないところでどこまで書けるかあれですけど、なるべく脚色なく真実に沿って書いて行きます。感想など頂けるとありがたいですよ。これから冬に向かってお店が暇に (笑)なるので、ぼちぼち書き進みます。