VIXX!暗闇を照らせ!

*性的表現を含む場合タイトル横にR18と表記します。
*実在の人物の名前を借りたフィクションです。

【act.7】 Heaven

2015-06-20 00:19:23 | ERROR(テグン×ハギョン)

























【Heaven】  (R18)

















真夜中に部屋の外で小さな物音が聞こえ、不審に思ったテグンが恐る恐るドアを開けると
そこには頭から毛布を被った、憔悴した顔のチャハギョンが立っていた。

「ハギョナ、何だよ。こんな遅くにどうしたんだ」

戸惑いを隠せないテグンの胸にハギョンは何も言わず凭れかかった。テグンが抱きとめる
と、身体が氷のように冷たかった。

「おい大丈夫か、どこか悪いのか」
呼びかけると、ハギョンはテグンの胸に額をつけて俯いたまま
「寒くて、寝られないんだ」
と呟くように言った。すがるようにテグンを見上げた顔は真っ青だった。

「僕、何かおかしいんだ。ウナ、僕どこかおかしい」

震える声で繰り返しながら、ハギョンはガクガクと膝から崩れ落ちた。重みを支えきれず
一緒に跪いたテグンは、ハギョンの頭を抱え髪を撫でながら何度も名前を呼んだが、彼は
完全に気を失っていた。胸に耳を当てるとどうにか心臓は動いていたが、どう見ても尋常
ではないハギョンの様子にテグンは焦った。自分だけではどうにもできないことは明らか
だった。早急に誰かを呼ばなければいけないと思った。

スマートフォンを握ったその時、テグンは毛布の下のハギョンが裸であることに気付いた。

何故裸なのかはわからなかったが、咄嗟に思ったのはこのままではまずいということだ。
人を呼ぶ前にとにかくまず、こいつに何かを着せなければいけない。彼は床に投げ捨てら
れているバスローブを掴むと、ハギョンのぐったりとした身体を抱え起こした。力無くだ
らりと垂れ下がった腕を持ち上げて、苦労しながら何とかワッフル地の袖に通した。

肩に凭れさせているハギョンの顔を見ると、浅黒い彼の顔はいつもより一層黒ずんでいて
半分開いた口の端から涎が垂れていた。テグンはハギョンの頭を床の上にそっと下ろすと、
ティッシュで彼の口を拭った。
それから震える指でスマートフォンを叩き、マネージャーを呼んだ。










…テグンは目を開けた。今起こったことが夢なのか現実なのかすぐには把握できず、彼は
ベッドの中で不安げに目を泳がせた。
しばらくしてから身体をのろのろと起こしたチョンテグンは、両手で目を覆ってさめざめ
と泣いた。全身にじっとりと寝汗をかいていた。

あの日から、彼は毎日同じような夢を見た。それはハギョンの命よりも先に自己の保身を
考える、自分の本性が暴かれる夢だった。
自分の本性は自分が何よりも忌み嫌っていたはずの、エゴイストだった。
夢にうなされ彼は毎晩夜中に目が覚めた。

ハギョンの命に別状はないと聞いた時、テグンは泣きじゃくった。普段とまるで違う彼の
様子は周囲の人間の涙を誘ったが、テグンの中には、ハギョンの無事を喜ぶだけではない
別の気持ちが確かにあった。

そんなことをするより先に、一刻も早く誰かを呼ぶべきだったのに
もしかしたら、あいつは死んでいたかもしれないのに






・・・・・・・



異国の地で起こったチャハギョンの身体の異変について知っているのは、マネージャーと
テグンだけだった。

朝まだき、テグンの電話で血相を変えて部屋に駆け込んだマネージャーは、ハギョンの息
があることを確認すると、まず彼の荷物をひっくり返した。
中から出てきた無数の白い錠剤を見て、マネージャーとテグンは凍り付いた。
普段とは人が変わったような冷淡な目でテグンを睨み、お前は何か知っているのかと問い
質すマネージャーに、テグンは青い顔で首を振るばかりだった。
マネージャーは薬の名前を確認しスマートフォンで検索して、それが医者の処方する合法
的な睡眠薬であることを知ると、安心したように深い溜息をついた。

テグンの肩に手を置き、わかってると思うがこのことは誰にも言うなと釘を刺してから、
彼はひそひそとどこかに電話していた。

テグンは床に散らばった錠剤を茫然と見つめ続けた。





他のメンバー達にはリーダーは体調不良の為帰国したとだけ告げられた。ひどく動揺した
後輩達はハギョンと同部屋だったテグンを取り囲み前夜の彼の様子についてしつこく訊い
たが、テグンは無表情に
「よくわからない」
と繰り返した。

実際よくわからなかった。ハギョンの身柄はテグンたちから引き離された後どこかに消えた。

しばらくして、ハギョンは退院し今は実家で療養中だと聞かされたが、それが本当なのか
どうかもわからなかった。

メールをしても電話をしてもハギョンからの返事はなかった。






・・・・・・・







ある日テグンが台所で水を飲んでいると、背後から突然誰かに抱きしめられた。振り向く
とチャハギョンが笑っていて、テグンは心臓が止まりそうなほど驚いた。

「驚いた?ウナ、明らかに今驚いただろ。」
すこし太ったようにも見える、見違えるほど健康そうで明るいハギョンが自分を見て興奮
した。テグンが目を丸くして

「お前、どうしたんだ。帰ってきたのか?よくなったのか?」

と聞くと、うんうんと大きく何度も頷いた。

「もうすっかり大丈夫だってお医者が言ってくれた。だから今日から練習始めるんだ。」

ウナ、僕がいなくて寂しかった?そりゃ寂しかったよなと、テグンを覗き込んでニヤニヤ
しているハギョンを夢見るように見ながら、テグンの口をついて出るのは「よかった」と
いう言葉しかなかった。

「よかった、ハギョナ、よかった、本当によかった」
と言うとテグンは思わずハギョンを抱きしめた。広い肩の間にハギョンの華奢な身体がす
っぽり埋まった。

「…お前もしかして泣いてるのか?ちょっと大げさだよ」
と言ってテグンの背中をポンポンと叩いたが、そういうハギョンの声も少し鼻声だった。

「…ウニは本当に泣き虫だなあ。みんな知らないけどお前は僕よりずっと泣き虫なんだ」
明るいけど静かな、心地よいハギョンの声を耳元で聞きながら、テグンはただただ嬉しか
った。



「僕先にレッスン室に行ってるからお前も早く来い。遅刻しちゃだめなんだからな。わ
かってるよね」

と人差し指でテグンを指差してウィンクすると、ハギョンは台所から小走りに駆けだした。
テグンは彼の後を追うように廊下に出ると、急ぎ足で出て行くハギョンの後ろ姿を見送った。
この上ない安堵感と解放感に包まれ、テグンは長い溜息をついた。この何か月間かの緊張
がどっと解けていくように感じた。身体から力が抜けテグンはへなへなと座り込んだ。

よかった。あいつが元気になって。良くなってよかった。

涙がまた止め処もなく溢れてきて何も見えなくなった。テグンは両手で目を覆って、弾け
たように泣き出した。












テグンが目を開けるとそこは深夜の暗い自分の部屋だった。目を覚ました後も涙は流れ、
頬を伝い続けていた。
テグンは絶望に顔を歪ませた。ベッドにうつ伏せになると1時間ほど泣いて、それから仰
向けになった。
白い顔の中の目と鼻の部分を赤くさせて、天井をぼんやりと見続けた。




・・・・・・・



テグンは自分という人間の闇の部分を知った。そしてそれと同時に音の無い闇の世界を知
った。
見慣れたはずの自分の部屋が夜更けの暗闇の中ではまるで他人の部屋のように冷たくよそ
よそしい空間へと変化することを知った。眠っている者を優しく包む静寂が、眠ることの
できない者にとっては底知れぬ恐怖になることを知った。

普段静けさを好むテグンでさえ完全な無音の闇が恐ろしかった。耳を澄まして音を探すと、
部屋の何から発せられているのか分からない小さな電子音と自分の息遣いが聞こえてきた
が、その音は彼の孤独感を増幅させるだけだった。

テグンは膝を抱え頭を伏せて目を瞑った。頭を上げようが伏せようが目を開けようが瞑ろ
うが、そこには暗闇しかなかった。

あいつもこうだったのだろうか。あいつは一体どれだけの間、この闇を独りで見てきたの
だろうかと思った。


灯りが漏れていたからという理由で、頭から毛布を被って初めて部屋に押しかけてきたチャ
ハギョンを思い出した。


時々遠慮がちに叩かれるノックの音を思い出した。


迷惑かけてごめんなウナ、お前だって疲れてるのに、というハギョンの申し訳なさそうな
声を思い出した。


「病院へ行けよ」
と面倒くさそうに彼をあしらう自分と、
「病院は怖いから嫌だ」
と、床を見つめて呟くハギョンの姿を思い出した。







・・・・・・・



列車の窓に凭れて、後方に流れていく景色を見ながら音楽を聴いていると、目の前の折り
畳み式のテーブルにコーヒーが置かれた。

見上げるとハギョンが立っていたので、テグンはイヤホンを外した。

「なかなか売ってる場所がわからなくて手間取った。売り場がわかりにくすぎる」
ぶつぶつ文句を言うチャハギョンを眺めながら微笑んだが、テグンにはすでにこれが夢で
あることがわかっていた。


「ねえウナ」

「うん?」

「飛行機の中で手を握ってくれた時、ものすごくビックリしたんだ」

「……」

「だけどすごく嬉しかったんだよ。僕本当はあの時、すごく嬉しかったんだ」

「そうか。そうだと思った」

テグンが口の端を上げるとハギョンの目の色が変わった。

「お前、僕が嫌な振りしてるのがわかったのか」

「お前は嘘つきだもんな。昔っから嘘ばっかりついて皆を煙に巻いてただろ」

テグンの言葉にハギョンは反論するように一瞬目を見開いたが、はたと何かを思い出し
たようにクククとほくそ笑んで、両手を頭の後ろで組んだ。

「僕の嘘は誰にもバレたことないんだ…僕は演技派だからね。プロだからね」

テグンは呆れたようにハギョンを見たが、それに気付くと彼は打ち明けるように言った。

「ねえウナ、僕時々自分にも嘘をつくんだ。」

「自分に?」

訝しげに訊くテグンに、うんと頷いた。

「嫌なことがあっても別になんてことないって嘘をつく。辛いことをしていても、僕は今
楽しいんだって嘘をつく。嫌いな人がいても、僕はあの人が好きなんだって嘘をつく。好
きな人がいても…その人のことそんなに好きじゃないって嘘をつくんだ。自分に嘘をつく
んだよ。」

「そしたら不思議なんだよ。自分の嘘に自分がひっかかるのさ。なにしろ僕は嘘の達人だ
からね。嫌なはずだったことが、そう嫌でなくなる。しんどいと思っていたことが、なん
だか楽しく感じてくる。苦手だった人がだんだん可愛く思えてきたりするんだ。面白いだろ」

ハギョンはそこまで言うと、口ごもった。

「だけど、好きな人のことを好きじゃないって自分を騙すことだけはなんだか難くて、ど
うも上手くいかない」


テグンはコーヒーを飲みながら、そんなハギョンをぼんやりと眺めた。





・・・・・・・




テグンは独り駅に降り立った。ハギョンの実家のある街に来るのは2回目だった。
タクシーに乗り運転手にメモを見せた。お兄さんの顔どっかで見たことあるなあという運転
手の話す言葉が昔のハギョンの言葉と同じで、それは当たり前のことなのにテグンは何だか
嬉しかった。



ハギョンの実家は、レンガ造りの古くて大きな家だった。練習生だったころ一度だけハギョ
ンに誘われて来たことがあった。

玄関のチャイムを鳴らすと、ほどなくしてハギョニの姉さんが出てきた。彼女はテグンを見
てひどく驚いた様子だった。
何年か前に会った時は、ハギョンとテグンを「このガキども」とからかった気の強いハギョ
ニの姉さんが、テグンにすっかり恐縮して

「忙しいのに…」

と言って頭を下げた。唇を噛んで涙を堪えている様子のハギョニの姉さんを、テグンは哀し
い気持ちで見た。


あの子は、この時間はいつも甥っ子を連れて海に行ってるのよ、とハギョニの姉さんは言った。


行ってみます。歩いていきますからと言うテグンを、何をバカなことを、ハギョニだって毎
日私が車で送っていくのよと言って、姉さんは自分の車に無理やり乗せた。

車の中で姉さんはハギョンのことを話し続けた。

帰ってきた時は、もう本当に何も喋らなくってまるで別人のようになってしまって、家族中
で心配した。なんとかベッドから起き上がれるようになってからも、すぐ床に寝転がってし
まって、だからと言って眠っているわけではなくて、ただぼんやりしているだけなのよ。昔
は、止まったら死んじゃうメダカみたいにいつもちょこまか動き回っていたハギョニが、全
然動かないのよ…
今でもしょっちゅうぼんやりして、こっちが話しかけてるのに気づかない時もある。無視し
てるのかもしれないけどね。まあ元々神経が細かいところがあったから。あの子は神経質な
んだかふてぶてしいんだかわからない子だからと、姉さんはまるで自分自身に言い聞かせて
いるようにとつとつと話した。それからも姉さんは止め処もなく弟の話をして、テグンは黙
って頷きながらそれを聞いた。


そのうちフロントガラスの向こうに青い海が開けてくると、その美しさにテグンは思わず息
を飲んだ。







・・・・・・・






姉さんの指差す方向を見ると、小さい甥っ子と一緒に黒い岩の上にしゃがんで何かをして
いる、チャハギョンの姿が見えた。


近づくと徐々に懐かしいあの声が聞こえてきた。


「…ダメだよ。小さいんだから苛めちゃダメだよ」

「そんなことしたらかわいそうだろ?」


ボーダーのボートネックのTシャツと膝丈で切り落とした細いジーンズという、気楽な恰
好の彼は、小枝でつついて小蟹を苛めて喜んでいる小さい甥っ子を頬杖を付いて眺めなが
ら、そんなことを漫然と言い続けていた。



ハギョニの姉さんが大声で息子を呼ぶと、母親に呼ばれた小さい男の子は弾かれたように
立ち上がった。蟹をつついていた小枝を放ると、仔犬のように母親の元に駆けて行ったが、
すれ違う時チラリとテグンを見上げてニッコリ笑った。





ハギョンは駆けていく甥っ子を眩しそうに眺めたその時、テグンの存在に気付いた。














目の前のハギョンは黒い岩の上にうずくまるようにしゃがみ込んでいた。さっきまで甥っ
子をたしなめていた彼は今、甥っ子がやっていたことを真似して一心に小さな蟹を苛めて
いた。蟹が右へと進むと彼は手にした小枝を右にやる。枝に当たった蟹が仕方なしに左へ
進み始めると、今度は枝を左にやって、また蟹の行く手を阻む。何が面白いのか、彼はさ
っきからそんなことを延々と繰り返していた。
自分の執拗な意地悪のせいで右往左往するしかない哀れな蟹の様子を、ハギョンは何かに
憑りつかれたように目で追っていたが、ふと手を止めると膝を抱えたまま妙に神妙な顔に
なった。


「…あの時、お前が着せてくれたんだろ」


「…うん」


「ありがとな。あんな恰好みんなに見られたら、恥ずかしくて僕死ぬ」


ハギョンはテグンの気持ちを知ってか知らずかそういうと、照れたようにふふと笑った。

蟹をつついていた小枝を放り投げるとハギョンは立ちあがった。やっと自由を取り戻した
小蟹が、ハギョンの足下をすり抜けるようにして慌てて岩場の陰へと逃げていった。
彼は眩しそうに目を細めながら海を眺めていたが、ふとテグンの方を向いて


「…今日は訊かないの?」
と言った。

怪訝な顔をしているテグンに

「眠れてるか?って訊かないの?」
と笑ったその時、突然ハギョンはテグンに左腕を掴まれ、テグンの胸の中に倒れ込んだ。

ハギョンはテグンに抱きすくめられた。





ハギョンの身体からはいつもの甘い匂いではなく潮の香りがして、テグンはそれを深く
吸った。温かくさらりとした肌が気持ちよくて、テグンはハギョンの二の腕を撫でた。

「会いたかった」

不安で、怖くて

みんな、お前のこと生きてるって言ったけどなんだか信じられなくて、それで来た

確かにお前はここにいたけど、それでもここにいるお前が本当のお前なのかどうかもよ
くわからなくて

もしかしたら、本当のお前はもういないんじゃないか

ここにいるお前は、幻なんじゃないか

これは俺の見ている夢なんじゃないか




ハギョンはテグンの胸の中で目を瞑り、テグンの体温と、しなやかな筋肉のついた身体の
質感を心地よく感じながら、ぽつぽつと止め処もなく語る彼の言葉をぼんやりと聞いていた。

そうかもしれないと思った。本当の僕はあの時もう死んでいて、ここにいる僕は幻なのか
もしれない。
だって、妙に穏やかな気持ちだからだ。あんなに苦しかった気持ちが、今の僕にはないか
らだ。捨て鉢になるというのではないけど、なんとなく、もうどうでもいいと思っている
からだ。
薬から目覚め、母親の干した太陽の香りのする布団の中で、いいことも悪いことも永遠に
続くわけではない。と悟った時にハギョンの心は不思議と楽になった。


眠れなくてもいい。何年後か何十年後かわからないけど、どっちみちそのうち死ぬのだ。
その時には嫌でも眠ることになるのだ。それまでの間ちょっとだけ眠気と不快さを辛抱す
ればいいだけの話だ。楽しい仕事もそうでない仕事も一生続くわけではない。(仮に上手
く行っても)たかだか数十年のことで、一生懸命やってももし上手く行かなければそれは
もっと短くなるだろう。
テグンに愛されなくてもいい。どっちにしても近くにいるのだ。いつまでなのかはわから
ないけど、今のような感じで仕事をする間はとりあえず彼と一緒にいることになるのだ。
僕の気持ちがあればいい。彼の気持ちを無理やりこちらに向ける必要はない。


どうせそのうち全てが変わっていく。何もかもほんの少しの間のことなのだ。


俯いているテグンを覗き込むと彼は泣いていた。
…テグニが今僕の為に泣いてくれている、それだけで十分だ、とハギョンは思った。嬉し
くて涙が出そうになる自分を抑え、ハギョンは笑顔を作った。両手でテグンの手のひらを
そっと握り自分の胸に置いた。
「僕は生きてるよ。生きてるだろ、ウナ」
そう言ってから、ハギョンはテグンを抱きしめた。
…僕もずっと会いたかった。きっと僕の方が会いたかった…そう思いながら抱きしめた。
テグンはハギョンの肩に顔を埋めて静かに泣いていた。


テグンの唇が自分の唇の先に触れた瞬間ハギョンの全身に痺れるような感覚が走ったが、
彼の中の理性が彼に「それはいけない、ここではいけない」という忠告を発した。
指先でテグンの胸をそっと押すと、テグンは苦々しい顔で俯き彼から一歩退いた。テグン
の中の理性もまた、さっきから同じ忠告を彼に繰り返していた。

考えて見れば、こんな昼間に二人きりでいることなど初めてだった。彼らが自由に思い通り
のことが出来るのは、深夜2時の、どちらかの部屋でだけだった。



…ハギョンは頬を紅潮させ潤んだ目でテグンを見ながら、うわ言のように言った。

「あっちの岩場の先に、誰も知らない僕の場所があるんだけど、行ってみる?」

「……」

「僕が小学生の時に見つけた場所だ。誰も知らない、僕だけの場所なんだ…」

テグンはハギョンを見上げた。彼の頬に残る涙の跡がハギョンの心をくすぐった。初めて
テグンのことを、かわいいなと思った。








・・・・・・・








小学生のハギョンが見つけたというそこは、戦争中に作られたらしい防空壕の跡だった。
そこまでの道中はなかなかの難所続きだった。彼らは黒い岩をよじ登ったり、腰を下ろし
て恐る恐る降りたりしなければならなかった。濡れた岩は滑りやすくひどく歩きにくかっ
たが、運動が得意でないはずのハギョンは、小猿のような身軽さでひょいひょいと前へ進
んだ。うっかり足を滑らせたテグンの手をすばやく握って助けながら、
「案外とろいなあ。本当に国家代表だったの?」
と勝ち誇ったように笑った。

ハギョンのそんな顔をテグンは安心と不安が混ざり合った目で見た。ここにいるハギョン
は確かに自分の知っている彼であるような気もしたが、それはつまり何年か前のハギョン
だった。

崖の淵を回った向こう側に、洞窟のような穴がぽっかり口を開いていた。よくこんな場所
見つけたなとテグンが呆れて言うと、ハギョンは自慢げに胸を張った。

暗い洞窟の中に入ると、ひんやりとした空気が二人を包んだ。そこは山肌が剥き出しになっ
ている素朴な洞窟だったが地面が平らにならされていて、それがここが確かにに人の手に
よって作られたものであることを物語っていた。奥の暗闇から時々冷気が伝わってきた。

「こんなところに防空壕作っても、誰も来れないだろ」
と言うテグンの口が、ハギョンの唇に柔らかく塞がれた。

会えなかった時間を埋めるように二人は唇を合わせ続けた。ボートネックの襟から覗いて
いるハギョンの喉元に唇を当てて強く吸うと彼は相変わらず奇妙なほどよがり、その姿は
テグンを興奮させた。ハギョンは身をくねらせ息を弾ませながらテグンの顔を引き寄せる
と、また彼の舌を求めた。

抱き合いながら二人はよろめくように後退った。山肌に凭れたハギョンの口の中を犯しなが
らTシャツの裾から左手をもぐりこませたテグンはハギョンの胸やら腰やらを弄っていたが、
そのうちその手はゆっくりと撫で下ろされジーンズのボタンを器用に外した。
忍び込んできたテグンの指を感じたハギョンは、驚いて咄嗟に腰を引き彼の手首を強く掴んだ。

「ダメだ…ダメだ…」

ハギョンはテグンから唇を離して喘ぐように言ったが、テグンにはもう自分の動きを止め
ることなどできなかった。何か言おうとするハギョンに短く口づけして黙らせた後、怯えた
ようにも見える彼の目を猫のように凝視しながら口を尖らせた。

「…嘘つき」

「……」

「本当は嬉しいくせに。飛行機の時も嬉しかったくせに」

「……」

「…本当は、続けて欲しいんだろ」


からかうような口調の割に自分を見つめるテグンの目が妙に真剣で生真面目なのがおかしく
て、ハギョンの表情が一瞬崩れた。

ハギョンの顔を見て許可が下りたと判断したテグンが、ハギョンの下着の上からこねるよう
にゆっくりと左手を動かし始めると、最初こそ羞恥心に捉われて硬かったハギョンの表情は
徐々に緩まり、そのうち彼は息を震わせ始めた。
ハギョンはテグンの後頭部を抱いて彼の耳を舐めながら、下半身に蠢く彼の手指に合わせ腰
を動かした。

テグンが目の前にあるハギョンの赤い耳に唇を付けて囁くと、彼は目を瞑ったままコクコク
と小さく頷いた。震える右手でテグンのズボンのボタンを外して、その手をそっと中に差し
入れた。

「……」

まだ何もしていないというのに、手に触れた彼のズボンの中のものは非常に熱く固くなって
いてハギョンは顔を赤らめた。指の先で恐る恐るなぞるとテグンの身体が小さく震えた。
ハギョンが見上げるとテグンは目を瞑り眉間を少しだけ寄せていたが、磁器のように白い彼
の肌が熱を帯び薄いピンク色に染まっていて、ハギョンはその美しさに見とれた。
ハギョンは美しいテグンの胸に口づけしながら手に触れているものを優しく握ると、それを
しごくようにゆっくりと手指を動かし始めた。

…彼らは同じ速度で同じ動きをしながら片手で抱きあって口づけを交わした。相手を愛撫し
ながら相手に愛撫される行為にほどなくして夢中になった彼らの手指の動きは当然のように
早くなった。彼らはそうしながら互いの顔を時々確認し合った。熱に浮かされたような相手
の表情と潤んだ瞳を見ると昂りは一層大きくなった。

2つの激しい息遣いと時々それに混じる小さな喘ぎ声、そして靴底が地面を擦る乾いた音が、
薄暗い洞窟に絡まり合いながら響いた。



「…あ、あ」
突然手の動きを止めて、助けを求めるようにシャツの胸元を掴んでしがみついてきたハギョン
の首に、テグンの指がそっと触れた。するりと伸びたハギョンの首をまるで猫にするにように
何度か柔らかく撫で降ろした後、ノドボトケの下の例の部分を親指でグッと押さえた。
テグンが何かを探るような慎重さでその部分を揉み始めるとハギョンの顔はみるみる赤くな
ったが、彼の指はハギョンの求めるその場所にはなかなか届かなかった。もどかしくてハギ
ョンはテグンの手首を両手で掴むと、力一杯引き寄せた。

今ハギョンはほとんどテグンに首を絞められている状態だった。息も絶え絶えのハギョンの
目は大きく見開かれ一見恐怖に慄いているようにも見えたが、よくよく見れば瞳の奥が恍惚
感に濡れていることがわかった。



ハギョンは今、止め処のない快感の波に身を委ねながら海の中を沈んでいくような感覚に包
まれていた。投げ込まれた硬貨のようにゆっくりと揺れながらハギョンは海の底へと沈み続
けたが、どこまで沈んでも底はなかった。そっと目を開け下方を見るとそこには真っ暗な闇
が広がっていて、彼は恐怖に叫んだ。

突然我に返ると、すぐそこにテグンの漆黒の瞳があった。自分を抱き寄せて大丈夫かと訊き
ながら汗ばんだ髪を撫でてくれるテグンの胸に顔を埋めて、ハギョンは彼の匂いを嗅いだ。

…自分はずっと独りだった。ずっと独りだと思っていた。だけどそうじゃなかった。いつの
間にかこいつがそばにいた。
いつの間にか僕たちは二人で、底の無い海を沈んでいた。

ハギョンの目に涙が滲んだ。結局テグンを引きずり込んでしまったという罪悪感とテグンが
一緒にいてくれるという嬉しさが混じり合い、彼の胸は甘く痛んだ。
明らかにテグンに悪いことをしたのにそれを喜ぶなんて自分は最低だと思いながらも、ハギ
ョンは胸の中の喜びを抑えることができなかった。
ハギョンはテグンの胸の中で「ウナ、ウナごめんな」と何度も繰り返したが、幸いなことに
彼の声はとても小さく、テグンの耳に彼が一番嫌いなその言葉が届くことはなかった。

テグンは今、自分の胸の中にいるハギョンの熱いくらいの体温と激しく動き続ける鼓動と汗
ばんだ肌を感じていた。潮の香りの混じるハギョンの甘い匂いと熱っぽい息を感じていた。
彼の顔は見えなかったが、五感で感じるそれらの全てがハギョンが生きていることの証しの
ように思えた。ここにいるハギョンが幻などではなく、確かに存在していることの証しのよ
うに思えた。
















・・・・・・・










洞窟の前には海が広がっていた。そろそろ陽が沈み始めるから帰らなきゃ、と言いながら
小さな浜辺に並んで座った二人は、いつまでも夕陽を見ていた。
ハギョンがオレンジ色に光る海を見つめながら、夢見るように言った。

「僕はここの海が大好きだ。いつもステキだけど1番いいのは冬の海なんだよ。今度は冬
に来よう。冬の海はとても静かで、冷たいけど温かいんだ。僕は冬の海が一番好きだ。」

ハギョンが隣を見るとテグンは海を見ていた。行為が終わってハギョンの額にそっと口づ
けた後くらいから、彼は口を噤んだままだった。
何かを考えるように海を見つめるテグンの横顔は穏やかだがどこか冷めていて、どこか悲
しそうに見えた。


テグニは冬の海に似ているとハギョンは思った。


自分は、冬の海に似ているからこいつのことが好きなのだろうか。
それともこいつに似てるから冬の海が好きなのだろうか。


そんなくだらないことを思いながら、海を見つめた。








夕焼けに光る波を見ながらテグンは、いいかげん夢が覚める頃ではないかと考えていた。

自分が仕事を放り出してこんな場所にいることも、ハギョンがこんなに元気で明るくて変に
頑なでないこともなんだか妙に感じられた。

ハギョンが普段と違うこと以上に、自分もいつもの自分ではなかった。妙に気楽で素直な気
持ちでいることも、自分の心の内をやたらペラペラ喋ったことも、全てが現実離れしている
気がした。
「ハギョニが小学生の頃に見つけた防空壕の跡」などというのも、考えてみれば嘘くさかった。
そんな場所が現実にあるとはとても思えなかった。

つまりこれはいつもの夢だ、とテグンは判断した。美しく光る波をぼんやりと見ながら、彼
の心は孤独の淵にあった。


俺はいつものようにもうすぐ目が覚める。あの部屋に戻っていく。


テグンは、隣でぼんやりと海を見つめているハギョンの横顔を見た。さっきさんざん山肌に
擦り付けられた彼の背中は乾いた土で汚れ、Tシャツにはところどころ血の跡さえあってテグ
ンは申し訳なく思った。ハギョンの背中にそっと手を当てて大丈夫かと訊くと、膝を抱えた
ハギョンはビクリとして、照れたように笑って膝の中に顔を隠してしまった。

テグンは行為が終わるといつもこんな風に急に消極的になるハギョンを、今日は特に寂しく
思った。ハギョンの尖った肩に手をやってぐいと自分に無理矢理引き寄せた。寄り添うよう
な形になるとハギョンの身体の熱がテグンに伝わってきた。

周囲には誰もいない。なのにテグンは自分の声が外に漏れないよう、ハギョンにだけに聞こ
えるように唇を彼の耳に柔らかく当てて、そっと囁いた。

「……」

その言葉を聞いたハギョンは身を固まらせた。彼は黙り続けていたが、ふいにテグンを見た。



「ねえ…」



「ねえウナ…僕を抱いてくれる。抱きしめてくれる」





テグンはハギョンを見たが、逆光のせいなのか何なのかすぐ隣にいるはずの彼の顔がよく見
えなかった。よく見えないハギョンの姿がよく見えないまま夕陽に溶け込んでいくように思
えた。


こいつは本当にあのチャハギョンなのだろうか。という疑念がまた頭に擡げた。自分の知っ
ているあいつはこんなことを言う人間ではなかったと思う。いや違う。あいつはこういうこ
とを平気で言う人間だった。
テグンはいくら考えてもハギョンがどんな人間だったかはっきりと思い出せなかった。だが
考えれば考えるほど目の前にいるハギョンが本当のハギョンではないという思いは、大きく
なった。











ー俺はもうあいつに会えない。会えるわけなんかない。

だって俺はあいつを見捨てたから。あいつを見捨てた自分にあいつに会う資格なんてあるわ
けないから。だから会えない。俺はあいつに夢でしか会えないのだ。




テグンは自嘲するように顔を歪めて笑い、小さな声で
「ハギョナ、ごめんな」
と言った。
涙が溢れ頬に伝った。彼がハギョンの顔を上手く見れなかったのは、彼の目の中にずっと涙が
あったからだった。


夕陽に染まりながらキョトンとして自分を見ているハギョンを見ていると、テグンの中にこの
ハギョンが幻でもかまわないという思いが生まれた。

夢でもいい。こいつがそばにいるならこれが夢でもかまわないと思った。
それならもう、俺が目覚めなければいいというだけのことなのだ。簡単だ。すごく簡単な話だ。



テグンは笑った。泣きながら笑った。そしてもう一度言った。

「…チャハギョン、愛してる」

そして彼は目を瞑り、ハギョンをふわりと抱きしめた。









…背中にハギョンの手を感じた。テグンの耳元でハギョンの柔らかい声が聞こえた。
「泣き虫なウナ…愛してる。僕もお前を愛してる。僕は…」









ー僕はずっとお前が好きだった

お前よりずっと前から、お前のことが好きだったんだ









陽は落ちて辺りは夕闇に包まれた。燃えるように赤く染まった水平線上の空を見上げていく
と頭の上の高い空には濃い紫色の雲が流れていた。
赤い空に流れる濃紫の雲は混じりそうで混じらず、この世のものとは思えないような不思議
なコントラストを空に描いていたが、太陽の名残が完全に消える頃結局1つに溶け合って、
いつの間にか空は一面、優しいブルーグレイに覆われた。


だが、そんな奇跡のように美しい空の色の変化にも2人は気づかなかった。まるで魔法のよ
うに刻々と変化する美しい空の色を見ることもせず、彼らはその場所でただ互いを抱きしめあった。


































the end