こんにちは!遠藤いく子です

社会の進歩を進める人間の力を信じて

国会ルール無視、あの日のことは忘れない

2017年07月14日 | 日記
 先日、夕方からニュースを聞いていました。テロ等準備罪いわゆる「共謀罪」法案が強行採決されました。驚いたのは、委員会採決を行わず本会議で採決を強行しのです。理由は会期が残り少なく会期内成立をするには、仕方がないという。
 これだけ国民の批判があるのに、必ず通さなければならないと強行することは絶対許されない、参院法務委員会の委員長が公明党というのも関係していると思われる。強行採決ではイメージが悪くなるから。
 今朝の定例宣伝、花木・すげの市議とともにマイクを取りました。今日は、通る人のまなざしが温かい。頑張れと言われているような気がしました。今日私は訴えの大半を「共謀罪」にしました。
 夕方、いてもたってもいられなくなり、5時半からという宣伝時間の30分前にいってみると、市民の方々がすでにマイクを持っています。その列に私も加わり声をあげました。信号待ちの方々が顔を向けて真剣に聞いてくださっている姿に、負けないぞという気持ちが沸き上がりました。
(2017年6月末記) 
今仙台市長選を全力でたたかっています。市民の暮らしと福祉を守る力、そして安倍内閣の暴挙にNOという意思表示を!

自然エネルギーの共同が原発の町でも

2017年05月30日 | 日記
 先週の日曜日、女川のNPO法人共同発電所設立記念講演会。環境エネルギー政策研究所の飯田哲也さんの講演を聴くことと、共同発電所に取り組む方々の息吹に触れること、そんな気持ちで駆けつけました。諸事情により、30分近く遅れてしまいました。
 飯田さんは、デンマークの80年代以降の取り組みを紹介しながら、その地域に住む人が担い手となって、その地域で意思決定でき、成果をみんなで分かち合うことを最も基本的な点として強調され、とても印象に残りました。これからは、電気自動車が大きく普及するとのこと。石油ストーブで暖を取るやり方は、世界で日本が突出していると聞いてビックリしました。
 講演終了後、懇談の席で「水素エネルギー」の将来に対する質問に、FCV(水素自動車)に未来はないと厳しい見方が示されました。アメリカでは、テスラーの株式時価総額がGMを抜いたことなどを紹介しつつ、水素自動車に重点を置くことが間違った方向ではないかと話されました。
 再生可能エネルギーの共同発電に、原発に対する立場の違いを超えて取り組んでおられる町民の皆様に、心から尊敬の念を持ちました。工事車が頻繁に行き交う茶色の街の中、歯を食いしばって見つめた6年前のことを心に抱えて、私も活動を続けます。

宮城県の発展税の行方

2017年05月30日 | 日記
 19日議会常任委員会がありました。報告事項の中で発展税の5年延長の方向性がだされました。発展税は宮城県独自の超過課税、この5年間で177億円活用、うち8割138億円が企業集積促進に使われていました。企業立地奨励金のうちトヨタグループにどのくらい活用されたか聞きましたが、具体的金額は総務企画委員会では明確な答弁はありませんでした。後で福島県議に聞くと、経済商工観光委員会ではトヨタグループに77億円という数字が出たと聞き、改めて驚きました。半分以上ですから。
 中小企業なども一定の要件で負担しているにも関わらず、こんな使い方でいいのか、今後の延長方向で中小企業小規模事業者活性化や人材確保支援が新規項目として挙げられましたが、私は納得できませんでした。
 大本の方向性で質疑をと委員長に注意されたので、県財政が厳しいため発展税を延長するという報告に、異議をとなえました。宮城県の実質収支比率は2014年度で全国トップ、相当余裕と見られます。総合的に見なければなりませんが、厳しいと言い続け、増税延長を提案することを簡単に認めることはできません。

漂流ポストを訪ねて

2017年05月02日 | 日記
 4月は、気になりながらできなかったことがいくつかできました。そのひとつ、一日休みを取って陸前高田へ。
 以前TVで観た「漂流ポスト」を尋ねました。そのポストがあるのは、広田半島の山の中、出発前にポストのあるカフェ「森の小舎」が開いているか確認して仙台を出ました。
 不安になるほど細い道を走って到着、店主の赤川さんが待っていてくれました。お茶をいただいた後、裏手の建物へ。大震災で亡くなった方々への想いがつづられた手紙の数々、気持ちを改めて、一通づつ読ませていただきました。宮城の方もおられました。ご遺族にとって、大震災は過去のことではなく進行形の今のことなのだと思い知らされました。
 そこにあったのは公開を了承した方の分、赤川さんは未公開のお手紙が沢山あることを話してくれました。
 最近は、進捗率なん%ということを耳にする機会が増えました。がどんな復興と呼ばれる事業でも、被災した方の心根に寄り添いながら発言・評価すること。これを私自身の戒めとすること。
 帰り道、広田湾が見えました。夕暮れの海は穏やかで、なんだか涙が流れました。

子どもたちに会いたくて入学式に行きました

2017年04月29日 | 日記
 今年4月、視覚支援学校の入学式に始めて参加しました。校長室から入学式の会場の体育館に移動すると、小学部・高等部普通科・専攻科保健理療科・理療科の入学児童生徒10人が着席していました。小学部の1年生は3人、保護者と思った隣にいた人は先生でした。
 県立第二工業高校の入学式は、別の日だったので参加することが出来ました。定時制高校の通学は通常4年間ですが、5年とか6年かかって卒業する生徒もいると聞きました。数年前、第二工業の卒業式に出て、私は卒業生代表の言葉に深く感動しました。困難を乗り越えその日を迎えたことが、飾らない言葉ででもしっかりと表現されていました。それ以来、可能な限り(卒業式は3月議会の真っただ中でいつも迎えるので、土日に当たる年しか参加できません)第二工業の入学式卒業式に参加してきました。子どもたちに会いたくて。
 視覚支援学校の帰り、校門の前の桜が咲き始めていました。立ち止まって眺めて、彼らの学校生活のために、私ができることをしなければ。