4月30日 月曜日 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
最近、自分でもわからないことが起きている。
と、いうのは、どーゆうわけだか、子供が生まれてから
未だに一発も いれていないのである。
私は十代半ばから今までの間、K察に行かなければならない時
のような、やむを得ない、仕方なく抜かなくてはいけないと
いう時以外は、ずっと身体に入れていたので、今のように やっ
ていない という状態でいるというのは、自分でも本当に
不思議で仕方がない。
二月の終わりに、妊娠している私に陣痛が襲ってきて〝入院〟
となった瞬間まで、ずっと身体に(クスリを)入れていた私は、
陣痛と戦っている入院中というのは、お腹の痛みと切れ目が
同時にやってきたせいか何なのかわからないが、
私的には何となくしか記憶がないのが正直なところである。
見た人が言うにはかなり荒れていて、看護婦に悪態をつくわ、
罵倒するわ、自分のまわりにいる人間みんなに、やから を
いれるわ、泣くわ わめくわ 叫ぶわ 大変だったらしい。
陣痛の中 病院を抜け出してしまったり、嫌になって病院の
一階のトイレに隠れたりもしたし、大騒ぎだった。
痛みが激しくなった頃に、帝王切開にするかどうかという話
になっていて、なかなか OK を出さない先生に対して
『ポン中やからあかんねんやろ!問題ないわ!はよ
やらんかい!』みたいな事を言った記憶は なんとなく
ある。
そんなこんなで、私は 気がつけば 知らない病室のベット
の上で両手と両足をベットにきつくしばられて 寝かされていた。
看護婦さんに『元気な男の子が産まれましたよ』と言われ、
暴れないという約束で手足のひもをといてもらったが、すぐに
私はふらふらになりながら 子供がいるところへ向かった。
何故かと言うと、本当に五体満足な子供なのかどうなのか
心配でたまらなかったからである。
向かった先にいた小さな赤ちゃんを見て、手や足があるのと
健康だというのを確認してホッとしたのもあったが、
同時に色んな罪悪感でいっぱいにもなったし、正直言って
ちょっと 複雑 だった。
・・・私という女は、今までずっと『今の自分は子供なんて
絶対にいらない』と常に思っていた。
回りにたくさんいる、子供を親に預けっぱなしでポン中を続けて
いる人や 子供を施設にやり一度も会わないままで罪悪感に
かられながらポンをいってるお母さん達 のように、
心に重い十字架 を背負って生きているような思いなんて
絶対にいやだったし、こんなバカなことばっかりやっている
自分に子供なんて育てていけるわけがないと思っていたからだ
。
いつか、ちゃんとした生活をおくれるような時がきたら
子供を産もうと思っていて、無理なら、一生子供はいらない
と かたくな にそう思っていた。
そんな風に思っているせいで、今まで、両手では数え切れない
くらい何回も中絶手術をしてきたし、五ヶ月でおろした事も
一度や二度ではないし 流産 もしてきた。
今ここで言うことじゃないけど、自分がバカ で本当につらい
思いをたくさんした と思う以上にそんな私のせいで産まれる
ことができなかった赤ちゃんたちの方が きっともっと
つらい思いをしたのだから。
そんな私が、何一つ変わらない生活のまま 妊娠して、
ましてもや 産む なんて・・・と思うと 怖くてたまらなか
ったし 妊娠中は、『なんで おろさへんねん?』という思い
と、6ヶ月を過ぎた頃には『何でさっさとおろさんかったんや
ろう』という思いにかられて、不安で不安で仕方なかった。
今まで自分の勝手な思いで さんざんお腹の子供をあきらめて
きた私が、こんな状態でこどもを産んでいいわけがないだとか
こんな私がちゃんと産んで育てていけるわけがないだとか
いろんな心の葛藤があって、いっそのこと流産してくれたら
いいのにとすら思ったこともあった。
そんな考えで毎日を過ごしながら、おまけに 品物も身体に
入れっぱなしで、かなり気持ちが不安定でいつも泣いていた
絶対にまともな子供がうまれるわけがないと思っていた
から 自分の親やきょうだいにも、子供が産まれるまでは
一言も自分が妊娠している事を明かさないでいた。
それでも、今のところではあるが ちゃんとした子 が産まれ
た。
ただ、正直なところ
未だに一発も入れていないままでいるというのは、
私自身、子供のため だとか、罪の意識でやらないでいる
というわけでもないのだ。
カッコつけてる わけでもなんでもなく、ただ、なんとな
く・・・なのだ。
と、言うのも、私が ポンをいれていないという事と育児を
しているという事以外で、いままでの生活と何か変わった
ことがあるのかと聞かれれば、それが ない のである・・・。
母乳をあげなきゃいけないからというわけでもないし・・
・と、言うのは、母乳の出が悪いからどうしようか悩んでいた
ときに、母乳には クスリが出るからあげない方がいいかなと
思って看護婦に ポン中だった という事を正直に明かして
相談してみると 薬剤師さんまで出てきてさんざん話し合った
結果『心配ならあげないでおこう』という事になった。
そうなったとたん、私の母乳も止まってしまったから、
母乳を理由に抜かなくてはいけないというわけでもなくなった。
それに、私自身、子供が産まれる前と変わらず 今までどおり、
毎日のように、患者 の 腕 や 首 や からだの
血管のあるところ あちこちに、注射 をしてあげているし、
普通に はかり の上に品物を乗せて 分けてもいるし
・・・しいていえば、よく手を洗うようになった事と、少し
だけ睡眠時間が増えたことと、私の家では、あぶり が
禁止になったこと・・・くらいである。
私は、ポンだとかクスリを無理にやめると、必ず うつ病 のように
なる か、イライラしたりキレやすくなったり みんなどこか
精神的に病むものだと思っていた。
現に、出産直後の私は、病室で息が詰まりそうに
なり パニック障害のような症状がでて、全身麻酔の帝王切開
で1,3ℓも出血をした身体で フラフラのまま、痛いのを
我慢して それでも『帰って一発いきたい』という思いの方が
勝ち、パジャマ姿のまま 深夜3時に病院を抜け出して
歩いて家に帰ったくらいである。・・・その時は、家に着いた
時点でなぜか気持ちが満たされて 倒れるように寝てしまった。
そして、そのまま、『今日は面倒臭いからあしたやろう』
だとか『つめる(注射器に品物を入れる行為)のが だるい
から今はやめよう』だとか そんな理由で入れないまま
毎日をずっと過ごしている。
どうせそのうち やるんだろうなァ と、毎日思っているし、
やめたなんて断言する気なんてさらさら ない。
一体何故、ずっとやらないで平気なのか自分でもわからない。
周りの人以上に自分が一番びっくりしている。・・・あの、
痛い痛い陣痛と出産と共に、私の 切れ目 は どこかに
吹っ飛んでしまったのか?!
私の中からポン中という言葉が ポーンと消えてしまった
気がする。
でも、ポーンと消えてしまったか思えば、再び ポーンと
やってくる というのが、ポンというものなのだ。
ただ、私は 今のところこの可愛い我が子を いい加減に
育ててしまうんではないか と言うような、出産前の不安
も 全然ない。
かといって、いいお母さんになる自信も無いが、それは、
私(とこの子のパパ)という 星 の下に産まれた、
この子の、宿命だと思う。
ただ、私が子供すぎる分、子供の気持ちだけはめっちゃ
わかる(苦笑)
正直で健康で優しい子に育ってくれればそれでいいなァ・
・・。きっとそれが一番難しいんだろうなァと言うのも
最近すごくわかる気がする。
でも、今の所は ポン中ややくざやチンピラのやさしい
やさしい おじちゃんやおばちゃん達に本当に可愛がられて
いるし、
現に、めっちゃ 可愛い
^ ^
前途多難ではあるが、これが今の私の現状である。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_do.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
最近、自分でもわからないことが起きている。
と、いうのは、どーゆうわけだか、子供が生まれてから
未だに一発も いれていないのである。
私は十代半ばから今までの間、K察に行かなければならない時
のような、やむを得ない、仕方なく抜かなくてはいけないと
いう時以外は、ずっと身体に入れていたので、今のように やっ
ていない という状態でいるというのは、自分でも本当に
不思議で仕方がない。
二月の終わりに、妊娠している私に陣痛が襲ってきて〝入院〟
となった瞬間まで、ずっと身体に(クスリを)入れていた私は、
陣痛と戦っている入院中というのは、お腹の痛みと切れ目が
同時にやってきたせいか何なのかわからないが、
私的には何となくしか記憶がないのが正直なところである。
見た人が言うにはかなり荒れていて、看護婦に悪態をつくわ、
罵倒するわ、自分のまわりにいる人間みんなに、やから を
いれるわ、泣くわ わめくわ 叫ぶわ 大変だったらしい。
陣痛の中 病院を抜け出してしまったり、嫌になって病院の
一階のトイレに隠れたりもしたし、大騒ぎだった。
痛みが激しくなった頃に、帝王切開にするかどうかという話
になっていて、なかなか OK を出さない先生に対して
『ポン中やからあかんねんやろ!問題ないわ!はよ
やらんかい!』みたいな事を言った記憶は なんとなく
ある。
そんなこんなで、私は 気がつけば 知らない病室のベット
の上で両手と両足をベットにきつくしばられて 寝かされていた。
看護婦さんに『元気な男の子が産まれましたよ』と言われ、
暴れないという約束で手足のひもをといてもらったが、すぐに
私はふらふらになりながら 子供がいるところへ向かった。
何故かと言うと、本当に五体満足な子供なのかどうなのか
心配でたまらなかったからである。
向かった先にいた小さな赤ちゃんを見て、手や足があるのと
健康だというのを確認してホッとしたのもあったが、
同時に色んな罪悪感でいっぱいにもなったし、正直言って
ちょっと 複雑 だった。
・・・私という女は、今までずっと『今の自分は子供なんて
絶対にいらない』と常に思っていた。
回りにたくさんいる、子供を親に預けっぱなしでポン中を続けて
いる人や 子供を施設にやり一度も会わないままで罪悪感に
かられながらポンをいってるお母さん達 のように、
心に重い十字架 を背負って生きているような思いなんて
絶対にいやだったし、こんなバカなことばっかりやっている
自分に子供なんて育てていけるわけがないと思っていたからだ
。
いつか、ちゃんとした生活をおくれるような時がきたら
子供を産もうと思っていて、無理なら、一生子供はいらない
と かたくな にそう思っていた。
そんな風に思っているせいで、今まで、両手では数え切れない
くらい何回も中絶手術をしてきたし、五ヶ月でおろした事も
一度や二度ではないし 流産 もしてきた。
今ここで言うことじゃないけど、自分がバカ で本当につらい
思いをたくさんした と思う以上にそんな私のせいで産まれる
ことができなかった赤ちゃんたちの方が きっともっと
つらい思いをしたのだから。
そんな私が、何一つ変わらない生活のまま 妊娠して、
ましてもや 産む なんて・・・と思うと 怖くてたまらなか
ったし 妊娠中は、『なんで おろさへんねん?』という思い
と、6ヶ月を過ぎた頃には『何でさっさとおろさんかったんや
ろう』という思いにかられて、不安で不安で仕方なかった。
今まで自分の勝手な思いで さんざんお腹の子供をあきらめて
きた私が、こんな状態でこどもを産んでいいわけがないだとか
こんな私がちゃんと産んで育てていけるわけがないだとか
いろんな心の葛藤があって、いっそのこと流産してくれたら
いいのにとすら思ったこともあった。
そんな考えで毎日を過ごしながら、おまけに 品物も身体に
入れっぱなしで、かなり気持ちが不安定でいつも泣いていた
絶対にまともな子供がうまれるわけがないと思っていた
から 自分の親やきょうだいにも、子供が産まれるまでは
一言も自分が妊娠している事を明かさないでいた。
それでも、今のところではあるが ちゃんとした子 が産まれ
た。
ただ、正直なところ
未だに一発も入れていないままでいるというのは、
私自身、子供のため だとか、罪の意識でやらないでいる
というわけでもないのだ。
カッコつけてる わけでもなんでもなく、ただ、なんとな
く・・・なのだ。
と、言うのも、私が ポンをいれていないという事と育児を
しているという事以外で、いままでの生活と何か変わった
ことがあるのかと聞かれれば、それが ない のである・・・。
母乳をあげなきゃいけないからというわけでもないし・・
・と、言うのは、母乳の出が悪いからどうしようか悩んでいた
ときに、母乳には クスリが出るからあげない方がいいかなと
思って看護婦に ポン中だった という事を正直に明かして
相談してみると 薬剤師さんまで出てきてさんざん話し合った
結果『心配ならあげないでおこう』という事になった。
そうなったとたん、私の母乳も止まってしまったから、
母乳を理由に抜かなくてはいけないというわけでもなくなった。
それに、私自身、子供が産まれる前と変わらず 今までどおり、
毎日のように、患者 の 腕 や 首 や からだの
血管のあるところ あちこちに、注射 をしてあげているし、
普通に はかり の上に品物を乗せて 分けてもいるし
・・・しいていえば、よく手を洗うようになった事と、少し
だけ睡眠時間が増えたことと、私の家では、あぶり が
禁止になったこと・・・くらいである。
私は、ポンだとかクスリを無理にやめると、必ず うつ病 のように
なる か、イライラしたりキレやすくなったり みんなどこか
精神的に病むものだと思っていた。
現に、出産直後の私は、病室で息が詰まりそうに
なり パニック障害のような症状がでて、全身麻酔の帝王切開
で1,3ℓも出血をした身体で フラフラのまま、痛いのを
我慢して それでも『帰って一発いきたい』という思いの方が
勝ち、パジャマ姿のまま 深夜3時に病院を抜け出して
歩いて家に帰ったくらいである。・・・その時は、家に着いた
時点でなぜか気持ちが満たされて 倒れるように寝てしまった。
そして、そのまま、『今日は面倒臭いからあしたやろう』
だとか『つめる(注射器に品物を入れる行為)のが だるい
から今はやめよう』だとか そんな理由で入れないまま
毎日をずっと過ごしている。
どうせそのうち やるんだろうなァ と、毎日思っているし、
やめたなんて断言する気なんてさらさら ない。
一体何故、ずっとやらないで平気なのか自分でもわからない。
周りの人以上に自分が一番びっくりしている。・・・あの、
痛い痛い陣痛と出産と共に、私の 切れ目 は どこかに
吹っ飛んでしまったのか?!
私の中からポン中という言葉が ポーンと消えてしまった
気がする。
でも、ポーンと消えてしまったか思えば、再び ポーンと
やってくる というのが、ポンというものなのだ。
ただ、私は 今のところこの可愛い我が子を いい加減に
育ててしまうんではないか と言うような、出産前の不安
も 全然ない。
かといって、いいお母さんになる自信も無いが、それは、
私(とこの子のパパ)という 星 の下に産まれた、
この子の、宿命だと思う。
ただ、私が子供すぎる分、子供の気持ちだけはめっちゃ
わかる(苦笑)
正直で健康で優しい子に育ってくれればそれでいいなァ・
・・。きっとそれが一番難しいんだろうなァと言うのも
最近すごくわかる気がする。
でも、今の所は ポン中ややくざやチンピラのやさしい
やさしい おじちゃんやおばちゃん達に本当に可愛がられて
いるし、
現に、めっちゃ 可愛い
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前途多難ではあるが、これが今の私の現状である。
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