あるポン中女の懲りない日常 ~大阪売人編~

わかっちゃいるけどやめられない?!たかがポン中されどポン中・・・大阪に住む♀プッシャーの今日の出来事&独り言。

どーなってんの?!

2007年04月30日 21時58分16秒 | Weblog
4月30日 月曜日 

最近、自分でもわからないことが起きている。
と、いうのは、どーゆうわけだか、子供が生まれてから
未だに一発も いれていないのである。

私は十代半ばから今までの間、K察に行かなければならない時
のような、やむを得ない、仕方なく抜かなくてはいけないと
いう時以外は、ずっと身体に入れていたので、今のように やっ
ていない という状態でいるというのは、自分でも本当に
不思議で仕方がない。

二月の終わりに、妊娠している私に陣痛が襲ってきて〝入院〟
となった瞬間まで、ずっと身体に(クスリを)入れていた私は、
陣痛と戦っている入院中というのは、お腹の痛みと切れ目が
同時にやってきたせいか何なのかわからないが、
私的には何となくしか記憶がないのが正直なところである。
見た人が言うにはかなり荒れていて、看護婦に悪態をつくわ、
罵倒するわ、自分のまわりにいる人間みんなに、やから を
いれるわ、泣くわ わめくわ 叫ぶわ 大変だったらしい。
陣痛の中 病院を抜け出してしまったり、嫌になって病院の
一階のトイレに隠れたりもしたし、大騒ぎだった。

痛みが激しくなった頃に、帝王切開にするかどうかという話
になっていて、なかなか OK を出さない先生に対して
『ポン中やからあかんねんやろ!問題ないわ!はよ
やらんかい!』みたいな事を言った記憶は なんとなく
ある。

そんなこんなで、私は 気がつけば 知らない病室のベット
の上で両手と両足をベットにきつくしばられて 寝かされていた。
看護婦さんに『元気な男の子が産まれましたよ』と言われ、
暴れないという約束で手足のひもをといてもらったが、すぐに
私はふらふらになりながら 子供がいるところへ向かった。
何故かと言うと、本当に五体満足な子供なのかどうなのか
心配でたまらなかったからである。

向かった先にいた小さな赤ちゃんを見て、手や足があるのと
健康だというのを確認してホッとしたのもあったが、
同時に色んな罪悪感でいっぱいにもなったし、正直言って
ちょっと 複雑 だった。

・・・私という女は、今までずっと『今の自分は子供なんて
絶対にいらない』と常に思っていた。
回りにたくさんいる、子供を親に預けっぱなしでポン中を続けて
いる人や 子供を施設にやり一度も会わないままで罪悪感に
かられながらポンをいってるお母さん達 のように、
心に重い十字架 を背負って生きているような思いなんて
絶対にいやだったし、こんなバカなことばっかりやっている
自分に子供なんて育てていけるわけがないと思っていたからだ

 いつか、ちゃんとした生活をおくれるような時がきたら
子供を産もうと思っていて、無理なら、一生子供はいらない
と かたくな にそう思っていた。
そんな風に思っているせいで、今まで、両手では数え切れない
くらい何回も中絶手術をしてきたし、五ヶ月でおろした事も
一度や二度ではないし 流産 もしてきた。
今ここで言うことじゃないけど、自分がバカ で本当につらい
思いをたくさんした と思う以上にそんな私のせいで産まれる
ことができなかった赤ちゃんたちの方が きっともっと 
つらい思いをしたのだから。

そんな私が、何一つ変わらない生活のまま 妊娠して、
ましてもや 産む なんて・・・と思うと 怖くてたまらなか
ったし 妊娠中は、『なんで おろさへんねん?』という思い
と、6ヶ月を過ぎた頃には『何でさっさとおろさんかったんや
ろう』という思いにかられて、不安で不安で仕方なかった。
今まで自分の勝手な思いで さんざんお腹の子供をあきらめて
きた私が、こんな状態でこどもを産んでいいわけがないだとか
こんな私がちゃんと産んで育てていけるわけがないだとか
いろんな心の葛藤があって、いっそのこと流産してくれたら
いいのにとすら思ったこともあった。

そんな考えで毎日を過ごしながら、おまけに 品物も身体に
入れっぱなしで、かなり気持ちが不安定でいつも泣いていた
 絶対にまともな子供がうまれるわけがないと思っていた
から 自分の親やきょうだいにも、子供が産まれるまでは
一言も自分が妊娠している事を明かさないでいた。

それでも、今のところではあるが ちゃんとした子 が産まれ
た。

ただ、正直なところ 
未だに一発も入れていないままでいるというのは、
私自身、子供のため だとか、罪の意識でやらないでいる
というわけでもないのだ。
カッコつけてる わけでもなんでもなく、ただ、なんとな
く・・・なのだ。
と、言うのも、私が ポンをいれていないという事と育児を
しているという事以外で、いままでの生活と何か変わった
ことがあるのかと聞かれれば、それが ない のである・・・。
母乳をあげなきゃいけないからというわけでもないし・・
・と、言うのは、母乳の出が悪いからどうしようか悩んでいた
ときに、母乳には クスリが出るからあげない方がいいかなと
思って看護婦に ポン中だった という事を正直に明かして
相談してみると 薬剤師さんまで出てきてさんざん話し合った
結果『心配ならあげないでおこう』という事になった。
そうなったとたん、私の母乳も止まってしまったから、
母乳を理由に抜かなくてはいけないというわけでもなくなった。

それに、私自身、子供が産まれる前と変わらず 今までどおり、
毎日のように、患者 の 腕 や 首 や からだの
血管のあるところ あちこちに、注射 をしてあげているし、
普通に はかり の上に品物を乗せて 分けてもいるし
・・・しいていえば、よく手を洗うようになった事と、少し
だけ睡眠時間が増えたことと、私の家では、あぶり が
禁止になったこと・・・くらいである。

私は、ポンだとかクスリを無理にやめると、必ず うつ病 のように
なる か、イライラしたりキレやすくなったり みんなどこか
精神的に病むものだと思っていた。
現に、出産直後の私は、病室で息が詰まりそうに
なり パニック障害のような症状がでて、全身麻酔の帝王切開
で1,3ℓも出血をした身体で フラフラのまま、痛いのを
我慢して それでも『帰って一発いきたい』という思いの方が
勝ち、パジャマ姿のまま 深夜3時に病院を抜け出して 
歩いて家に帰ったくらいである。・・・その時は、家に着いた
時点でなぜか気持ちが満たされて 倒れるように寝てしまった。

そして、そのまま、『今日は面倒臭いからあしたやろう』
だとか『つめる(注射器に品物を入れる行為)のが だるい 
から今はやめよう』だとか そんな理由で入れないまま
 毎日をずっと過ごしている。

どうせそのうち やるんだろうなァ と、毎日思っているし、
やめたなんて断言する気なんてさらさら ない。
一体何故、ずっとやらないで平気なのか自分でもわからない。
周りの人以上に自分が一番びっくりしている。・・・あの、
痛い痛い陣痛と出産と共に、私の 切れ目 は どこかに
吹っ飛んでしまったのか?!
私の中からポン中という言葉が ポーンと消えてしまった
気がする。

でも、ポーンと消えてしまったか思えば、再び ポーンと
やってくる というのが、ポンというものなのだ。

ただ、私は 今のところこの可愛い我が子を いい加減に
育ててしまうんではないか と言うような、出産前の不安
も 全然ない。
かといって、いいお母さんになる自信も無いが、それは、
私(とこの子のパパ)という 星 の下に産まれた、
この子の、宿命だと思う。
ただ、私が子供すぎる分、子供の気持ちだけはめっちゃ
わかる(苦笑)
正直で健康で優しい子に育ってくれればそれでいいなァ・
・・。きっとそれが一番難しいんだろうなァと言うのも
最近すごくわかる気がする。
でも、今の所は ポン中ややくざやチンピラのやさしい
やさしい おじちゃんやおばちゃん達に本当に可愛がられて
いるし、
現に、めっちゃ 可愛い
 ^ ^


前途多難ではあるが、これが今の私の現状である。









Gちゃんの話

2007年04月29日 09時54分16秒 | Weblog
4月28日

みなさんお元気ですか?・・・私は頑張って品物売りながら
お母さんやっとります。

今日はGWがはじまるせいなのか、給料日あとだからなのか、
朝方に客が集中してた。

ふいに・・・Gちゃんという人の話をしたくなった。
Gちゃんという人は、私の知っているポン中のなかでも、
かなり、珍しい?というか、おもろいキャラで、私の中で
唯一、『殿堂入り』(一体、何の殿堂やねん)している人で、
今は、人工透析を受けながら・・・のジャンキーなのだが
Gちゃんは、何ともいえないすごいキャラで、本当に面白い。
巾着袋にペットのハムスター入れていつも持ち歩いてたり、
『悪い品物入れたせいで、こんなんになってもーた』と言って
後頭部に手のひらぐらいの大きなハゲをつくってきたり
(はげるなんてどんな悪い品物やねん!笑)・・・・。

前も、Gちゃんに品物を売ったとき、その場で、一発入れたので、
入れた感想をきこうと思って『Gちゃん、どない?』と聞いたら
Gちゃんは渋い顔をして一言、『これ、雌(メス)やな』と言った。
もう50歳になるGちゃんには、覚せい剤に、オスとかメスがあるらしい。

つい先日、久々にGちゃんの家を訪れると、西成の狭いアパートの部屋の
中で、七輪で焼肉を焼いていた。Gちゃん体大切にしてね。





  復活しちゃってもいいですか?

2007年03月17日 17時04分52秒 | Weblog
2007年3月17日

久々に帰って参りました!

・・・多分もう、見ててくれる人なんていないだろうなァ・・・
と思いつつ、リニューアルして更新しちゃおうかと思っております


みなさんはきっと、もう、ぱくられてしまっているに違いない 
と思っていたはず・・

いいえ、パクられてなんぞおりません!
実はわたくし、ポン中ながらにして、妊娠、出産をしてしまったのです。

ここからは大きな声で言えない話というか、こんな事を言うと、
批判されてしまうかもしれないのは承知の上ですが)
この10ヶ月間、陣痛がおきるまで 一度も抜くことなく、
バンバンに入れながら、(まわりの先輩ポン中ママにたくさんアドバイス
を受けながら)無事、お母さんになる事ができました(泣)

こんな悪いお母さんでごめんなさい
そんな気持ちを抱きながら、日本中のポン中ママは、毎日を必死で生きている
んだなァと、(超・勝手すぎる話だと言う事はわかっておりますが)
つくづく感じた10ヶ月でもありました。


そんなこんなで、ポン中ママ色が強くなってしまいいそうですが、
又ブログを再び始めようかなと思っております。みなさんごめんなさい。
フッカツダー!!(゜∀゜ )三 三( ゜∀゜)フッカツダー!!





暗い話ですんません。

2006年06月20日 10時34分41秒 | Weblog
6月20日
難波のネットカフェに来た。ゲーム屋の帰りである。
最近、やっと住む所を確保したので、もうすぐPC環境ができそうです
家でPCができるようになれば、またいっぱいブログの更新ができるように
なる。・・・この間、泥棒にやられたとき、私の愛用しているデジカメも
一緒に盗られたのですが、そのデジカメのメモリーカードの中身といえば、
ここのブログに載せていた怪しい写真ばかり・・・泥棒さんはあれを見た
のだろうか・・・

先日、私の友人のK子さんが、突然 首吊り自殺をして死んだ。
友人と言っても、50近いババアである(笑)。
彼女も、かなりのジャンキーで、刑務所も精神病院も常連さんという感じ
だった。
K子さんは1,2年前、刑務所を出てからすぐに、色々と人間関係の
トラブルに巻き込まれ中で一緒だった仲間に(本人曰く)騙され、
お金も取られ、挙句の果てにボコボコにしばかれて丸坊主にまでされ
てしまい、ボロボロ+ぶっとび状態で、再び精神病院か、刑務所か・
・・と、ドロップアウト寸前の所まできていた。
K子さんという人は、少しクセのあるタイプで、嫌われる人には
嫌われるという所(性格)があるというのもあって、ドロップアウト
寸前の彼女を、~もう誰も相手にしないモード~ が漂う中、
私は、そんなK子さんに『今、ここで負けたらあかん!またここで、
同じ事を繰り返したら、負け犬人生やでっ』みたいな事を言って
必死で励まし、真夏に電車代もない状態だというのに二人で歩き回り、
彼女が再出発できるような環境をつくる手助けをした。
その結果、K子さんは、負け犬人生を送らずに、新しい自分の居場所を
見つけ、何とか自立して、生きていたのだ。
自殺する数日前に、真夜中いきなり私のところに電話をかけて来て
『今の自分がいるのは、○○ちゃん(←私のこと)のおかげやわぁ。
○○ちゃんがあの時助けてくれたからやでぇ』と何度も言ってきた。
『何わけのわからん事いってるねんK子さん!プリケーもったいないから
はよ電話切って寝なさい!』とか言って適当にあしらってしまった。

うちが、何故あの時のK子さんを助けたのかというと、そのドロップアウト
寸前の誰も相手にしてくれないというK子さんを見ていると、20年先の
自分を見ているようだったから・・・20年先、私がそんな状態になって
しまった時、誰かに助けてもらいたいだろうなぁと思ったから・・・
ただそれだけである。ありえない事ではないから・・・。

K子さんは、夫も、若くしてヘロインで、自殺してしまっている。誰よりも
愛している男だったそうだ。自分も同じことをして本当に馬鹿女だ。
私はK子さんアホ!と怒ってやりたい。私を含め、こんなにみんなが
悲しんでいるのに、どんなにツライ理由があっても、こんなしょーも
ない死に方はやめて欲しかった。『うちがあの時必死になって助けた意味が
ないやんか!!!』この言葉を言われるというのは誰よりもK子さんが
一番わかってるはずなのに。せめて最後にもう一度会いたかった。

『私、よく、ぶっ飛んでて次の日気づいたら、知らない人の家で、
そこの家族に囲まれて、楽しくご飯ごちそうになってることあった
んよみんなも、ない?そんな事^^』・・・と言ってたK子さん。
・・・ナイナイそんな事できるのは、あんただけやで。・・・合掌


そういえば、これもつい先日、家の猫も死んだ。
うちがまだ、10代の頃に連れてきた
天使の様な本当に可愛い子で、まさに家族の一員だった。本当に悲しかった(泣)
15年近くもの間、可愛いというオーラを出し続け、うちを本当に癒し続けて
くれた○○ちゃんに本当にありがとうと言いたい。

今日は長々と暗い話をしてごめんなさい。ここで一発ほやいてから帰ります^^。

やってきました落ち目生活!!

2006年06月09日 19時45分34秒 | Weblog
6月9日金曜日

みなさん元気ですか?・・・今日はもう6月9日です。久々の更新です。
みなさんが私を心配してくれている事を知って、めっちゃビックリした。
本当にありがとう(泣)
私の方は、あの、泥棒に入られた家も引き上げ、その時の仲間たちとも
別れ、個人的なツライ別れもありましたが、ゼロからの再スタートを切り出す
一歩手前・・・と言ったところでしょうか・・・。客は、こんな私でも
ついてきてくれるとても気のいいお客さんが、数名残っているだけで、
かなり細々とやっていると言う感じです・・・グスン

と、言うわけで、今は過去にも何度も経験した、
ポン中的、落ち目生活の、再来といったところでしょうか

あ~ぁ(泣)またもややってきたか、落ち目モード!どうせ落ち目なら
ついでに楽しんじゃえ!!と言わんばかりに、普段出入りしないゲーム屋
なんかをウロウロしながら、みんなに愛想を振りまいて 一発一発を大事に
打ちながら、毎日をエンジョイしています。
おかげさまで、結構、刺激的な日々かも?ほんまはめっちゃいややねんけど、
でも、頑張るわ。うちよりもしんどい人はいっぱいいるんだ。
頑張って這い上がるでぇー

そんな中、明日は、結構大きな取引きのお話が
本当かなぁ?・・・・ま、期待せずに待とう。ってか?