私についてきて!

私の名前はエリザベス。
私と私を取り巻く人たちとの、Oh My God!な毎日を綴ります。

      

このブログは2014年11月5日をもって、無期限休止中ですが
たまに、←「ひみつのつぶやき」 に、つぶやいています♪

休止中につぶやいたコトは、カテゴリー 「ひみつのつぶやき」からご覧下さい

懐かしいワケは、私の心の中に

2014年03月13日 | 思い出

急に、ラリー・ネクテルを思い出しました


訃報が流れたのは5年前・・・?

もうそんなに経つ?

 

中・高・大学時代を、彩ってくれたアーティストたちの訃報を聞くと

私の青春時代が、遠い昔になっていくのを実感する

 

 

名曲と共に、心に残るミュージシャン

彼の演奏に、特別な思いが私の胸に・・・

 

 

 

本当に、多くの有名アーティストと関わった、ミュージシャンでした

ブレッド、コステロ、ドアーズ・・・

ガーファンクルのソロアルバムのpf伴奏は、素晴らしかった

 

 

 

彼を、ご存じない?

いえいえ、絶対、ご存知ですよ

あの曲のピアノ伴奏が、彼なんですから

 

 

 

 

明日に架ける橋

 

 

 

 

見つけました

ブレッドのジェイムス・グリフィンとのライブ

ふたりの誓い&明日に架ける橋

 

 

二人とも、もうすでに、空の上の人なのねぇ。。。

 

 

 

 

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今でも時々思い出す、昭和に生きた悲しい女性  後半

2013年12月05日 | 思い出

《 ひとりの少女が見た、ツネさんの人生 》 

 

ノリくんのおばあさんは、
なぜあんなにも、ツネさんに辛く当たるのだろう?
少女の心から離れない疑問だった

 

ノリくんの家は、手広くご商売をされていた。
戦前からの大店(おおだな)だった。
おばあさんはそのお店を、
男顔負けで取り仕切る、気風のよい肝っ玉母さんだった


歯に衣着せぬ物言い
そこにはキツイ性格が見え隠れしたものの
豪快で明るく、頼もしい人柄は、
戦後の混乱と物のない暮らしの中で、
生活に少しの潤いをを求める人たちにとっての
小さな救いだったに違いない
従業員や周囲の人たちからの信望も厚かった


ご主人が急逝してからは、
大学を卒業したばかりの一人息子を
一人前の後継者に導いた人でもあった

 

 

 


 あの夜、
少女は屋根裏で、ツネさんから聞いたことを
母の耳元で、恐る恐る話した

母は一瞬、動きを止めたが
少女をなだめるかのように、静かに言った

   
           子供が病気で亡くなったことがショックで、そう思い込んでるだけだから・・・


少女は母の言葉にほっとした
と共に、そう信じたかった


やがてノリくんと少女は、
中学・高校へと、お互いに別々の学校へ進み
自然な形で疎遠になって行った

そして、二人の成人式を見ることなく、おばあさんは激動の人生を閉じた

 

 

 

 

 

 

それから、何年もの月日は流れた


家庭を持った少女が実家に里帰りしたとき
ツネさんが亡くなっていたことを知る

あの夜の話を、思い出したかのように
少女の母は言った

         ツネさんは、誰かの庇護の下でしか、生きられない人だった

大人になった少女には、全てが理解できた

 

ツネさんは、おばあさんの夫に愛された人だった
ツネさんの存在を、本妻は早くから気付いていた
ツネさんと夫の間に、子供が生まれたことも、本妻は黙認せざるを得なかった


昼間は商売に精を出し
夜は、自分の子供達のために時間を削り
夫に尽くしてきた本妻
夫を助け、大店を切り盛りしてきた本妻
明け方、人目を避けるように、別宅から帰宅する夫に
どれだけ、煮え湯を飲まされた思いだったことだろう


そんなとき、ふたりの女性を残して、夫が急逝した


ツネさんには、頼れる身寄りがいなかった
乳飲み子を抱え、生活力のないツネさんは
どういう経緯でか、本妻の住む本宅に引き取られ、
家政婦同様に使われる身となる


最低限の生活は保障されたが、
そんなツネさんには、
自由になるお金と時間を持つことは、許されいことだった

それでも天涯孤独のツネさんは、
そこで生きていく以外にすべはなかった



夫の亡き後、その愛人の生活の面倒をみる。。。
本妻にとっても、
どれだけの葛藤を苦しみぬいていたことか・・・

 

 

 

 

 

 

少女の母は、多くを語らなかった
いくら親しい間柄でも、所詮、他人の家庭内の事情。。。
真実は母にもわからない。

ただ、ツネさんの晩年を少女は知ることができた。

 

おばあさんが他界し、ツネさんも70を過ぎたけれど
家の中の家事をよく手伝っていた

そんなツネさんに優しく接していたのは、
本妻の息子夫婦、ノリくんの両親だった

父親の愛人ではあったけれど
悲しい人生を歩んだ、弱い女性の姿を、誰よりも身近で見ていた夫妻

 

やがてツネさんは病いに伏した
手厚く看病し、最期を看取ったのも、ノリくんの両親だった

お葬式をして、丁寧に葬られたと聞いたとき
少女の目に浮かんだのは、ツネさんの笑顔だった

 

 

少女は今でも時々思い出す
働くツネさんの姿と、
少女をかわいがってくれたノリくんのおばあさんを

 

 

 

 

 

 

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今でも時々思い出す、昭和に生きた悲しい女性  前半

2013年12月04日 | 思い出

《 ひとりの少女が見た、ツネさんの人生 》

 

少女には姉弟のように育った幼馴染がいた

幼馴染ノリくんの家には、両親と、明治生まれで性格のキツイおばあさんがいた
ノリくんの父は、母親であるおばあさんに似ず、
とても温和で、こころ優しい人だった


家族のほかに、ツネさんも一緒に暮らしていた
少女はツネさんを、おばあさんの妹だと思っていた


しかし、ツネさんはいつもおばあさんに怒鳴りつけられ、
お手伝いさんのように、昼も夜もコキ使われていた

ののしられ、罵声を浴びせられても
黙って耐えているツネさん


時には、その罵声に耐え切れず、
泣きながら言い返すツネさんを、優しくなぐさめるノリくんの両親


少女はそんなシーンを目撃するたびに、
一生懸命働くツネさんを、気の毒に思い
少女を自分の孫のように可愛がってくれる裏側で
あんなにも感情あらわに、荒れ狂うおばあさんを、冷静に見つめていた

 

 

  

  

 

ある日、ノリくんの家の二階で、三階に上る階段をみつけた
暗くて細い梯子のような、不気味な階段

興味津々、上ってみると、、、そこは薄暗い屋根裏だった


ダンボールや不用品が置かれ、
納戸のように使われているように見えた
その片隅に、たたんだ布団が置かれ、小さな整理ダンスがひとつ。。。

 



その屋根裏は、ツネさんの部屋だった。。。

 



裸電球の下で、繕い物をしていたツネさんは
少女がいることに気付くと話し始めた

        ここはね、夏は蒸し風呂のように暑くて、冬は牢屋のように寒いとこだよ

ツネさんは続けた・・・

        ねずみもいっぱい出るんだよ

ツネさんの家族はいないの?

        ふふ、、、ずっと昔に、死んだよ

ツネさんは薄笑いを浮かべる。。。

子供はいないの?

        男の子がいたけどね、赤ちゃんのとき、悪い人に殺されたんだ

警察に言ったの?

        言っちゃダメなんだよ、、、ふふふ

どうして?
犯人つかまえてもらわないと!

        犯人はね、知ってるけど、言えない

 

ショッキングな告白に、少女は凍りついた

 

 

ツネさんの言葉の裏側に、
おぞましい大人の世界があることなど
8歳の少女には想像がつくはずもない

少女はツネさんの言葉を、真正面から受け止めた

ただ、人に話してはいけないことだと、察しはついた
少女はその秘密をこっそり家に持ち帰り、誰にも言わないように胸にしまった

 

 

その夜、どうにも抱えきれなくなった少女は
ツネさんを助けたい一心で、母に相談した

 

 

 

 

 

つづく

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勉強以外のことも学ぶこと!

2013年08月01日 | 思い出

学食で、ぼっち席が人気らしいわね。。。 

まぁね、

お友達がいないわけではなくとも、

ひとりで食べたい時ってあるけど。。。

 

 

 

 

 

 

 

大学時代に、縦横のツナガリを作ることの大切さを

嬉しい形で教えてくれた教授

学生の私たちは、

親しみを込めて、彼を 山 爺 と呼んでいた

 

 

 

 

 

 

山爺は、定年間際の教授だった

見た目も、よぼよぼの爺さま

 

 

山爺のクラスのテストは、

山爺が教授になってから、何十年も続く  伝統の 全く同じ試験問題

当然、先輩やらクラスメートから

事前に、過去の試験問題が、流れてくる

 

 

親しい友人も、

サークルなどの先輩もいない学生には

事前に、過去の試験問題は手に入らない

 

 

そんな「ぼっち学生」が、

山爺の研究室に抗議に行った

 

 

       先生、友人のいない僕には、前年のテストの情報が回ってきません。不公平です



われらの山爺は、静かに答えた


       大学時代はね、縦横のパイプの作り方も、学ぶ場なんだよ君

 

いよっ! 山 爺

 

 

 

山爺のおかげで、

社会に出てから、

あちこちとの、太いパイプを作ることが上手な友人達は

頼もしい企業戦士に育って行った

 

 

そんな教え子達の活躍を、

天国で、きっと喜んでくれてるねっ、山爺

 

 

 

 

 

 

 

 画像はすべて、拾ってきた借り物画像

東大、、、私の母校じゃございませんからね

わかってると、思うケド

 

 

 

 

 

 

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またひとり 星になる(加筆)

2013年02月04日 | 思い出

昨年12月、
中村勘三郎さんが亡くなられたことが
未だに信じたくないというのに、
今度は、市川団十郎さんの訃報。。。

 

立て続けに、二人の人気役者を失った歌舞伎界


バレエダンサーの現役期間は短いけれど、
歌舞伎役者の場合、
80になっても、90になっても舞台に立ち
年齢と共に増す貫禄と、
もう、そこにいるだけでいい、味わい深い存在感を放ち、
舞台に華を添えられます。

市川団十郎さんも、
そうしてずっと、舞台に立ってくれると信じていましたが・・・・・

 

荒事が十八番の成田屋
早くに、師であるお父様を亡くされ、
日々稽古に精進し、
苦労して成田屋の芸を、自分の物にした団十郎さんは
本当に、歌舞伎を楽しませてくれた役者でした


私の心に残るのは、パリ・ガルニエ宮での公演

ご子息・海老蔵さんとの勧進帳の演目は
一日目は弁慶役を海老蔵、富樫役を団十郎
二日目は弁慶役を団十郎、富樫役を海老蔵と、
役を入れ替わっての公演で、
私はTVで、両方を観ることができました


団十郎さん演じる弁慶の迫力は
父の芸暦の半分にも達しない
若い海老蔵さんは、勝てるはずも無く、
団十郎さんが、あのガルニエで輝いていた舞台でしたが
親子で演じる、弁慶と富樫の緊迫の掛け合いを
もう観られないと思うと残念でなりません



 

団十郎さん、
長い闘病生活、本当におつかれさまでした。。。
成田屋の芸は、きっと海老蔵さんが引き継いでくれることでしょう

どうぞ、安らかに

 

 

 

 

 

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