9月5日、今日は父の命日です。
33年前の今日、亡くなりました。
39歳でした。
33年と、39歳。
亡くなってから39年経ったら、
悲しいだろうなあ。
生きていた年数より、亡くなったあとの年数が上回ったあとは、
なんだか切ないなあ…。
去年33回忌をしましたが、
お寺のお坊さんに33回忌をする方はめずらしい、と。
若くして亡くなった人がそれにあてはまるからです。
今後、法事はしないことになりました。
それもなんだか切ないですが、
仕方ないことなんでしょうね…。
去年の今日のブログでは、
父の命日に想うことをかき、
その時点で私の第二子(次女)が
お腹の中に命を宿したばかり、
ということを書きました。
そのお腹の子供も無事3月に五体満足で生まれてくれて、
10人目の孫誕生となりました。
39歳で亡くなる前に子供4人を残し、
亡くなったあとの33年間で
孫が10人。
自分が立ち上げた事業が創立41年。
兄が二代目として事業継続することに。
亡くなったあとに女手ひとつで4人全員私立大学に進学させ、
事業を引き継いだ母が20年前に立派な二階建ての新しい家を建て、
何年も前に全ローンを完済。
父親の死は、家族にしかわからない
ものすごく強烈な悲しみの事実だけれど、
その父親にとって、自分の死後、
こんなにも事業も家族も末広がりに繁栄するとは
想像できただろうか、と思う。
父親と母親の努力。
それに尽きる繁栄なのだけど、
我が家は何よりも家族全員が亡くなった父親が大好きであり、
全員がいつも心の中に父親の存在を感じ、
「お父ちゃんがみてる」
「お父ちゃんがみてくれてる」
「お父ちゃんがみてくれてるから大丈夫」
「お父ちゃんがみてくれてるから、あとは全力でやるだけ」
そんな風に肉体のない父親への想いが
何よりも支えとなり、努力してきた結果だと思う。
「ラッキーだったね…」
なんて言われたくない。
絶対言われたくない。
残された家族(特に母親)は
ものすごい悲しみと心の穴を抱えながら
「努力」してきた。
「ラッキー」という偶然性のものではない。
残された家族にしかわからないことがある。
小さい時に家族が亡くなる事実は
言葉にできない感覚だ。
どうにも表現しようのないこの大きな悲しみを
自分自身の努力でカバーしようとしてきた。
「お父ちゃんがいつもみてるから…」
この感覚の経験をいつか娘たちが大きくなったら
語っていこうと思う。
肉体はない彼女たちの偉大なる祖父の足跡を。
いまでも繁栄しながら続いている足跡を。