恩師「長尾弘」先生御著書・御講演

愛しき我が子よ幸せに生きよ健やかに生きよ。
自らを浄め自らを高め自らの神我に目覚めよ。

恩師「長尾弘」先生御垂訓

2015-01-25 01:09:17 | 日記

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


あとがき

この書の出版に至るきっかけとして、私を知る方々から、
どうしても長尾弘の生きざまを世に著わしてほしいという強い希望がありました。
しかし、私は自分の人生を人に知られず生える野の雑草の一本として、
世に知られぬままに、人々の下僕として生き抜こうと思っておりました。
この実践を守り通して、この世を静かに去れたなら、大満足の人生であったと
思っていたからです。
何回もお断りしました。
今の世に受け容れられにくいであろう法を世に訴えても、労多くして益少なき
ことではないかと思っておりました。

しかし、たとえ一人でもいい、まことの心を求める求道者があるならば、
その方の参考としていただけるかもしれない。
こういう望みを託して、とうとう出版社との契約に踏み切ることになりました。
この書はあくまで一個人の人生における体験談です。
人に説法したり、人に聞かせるような意志はまったくありません。
自分に与えられた人生に悔いなき花を咲かせよう、人生の終末に喜びの果実を
収穫しようと、一生懸命に生きてきました。
私の生活実践は完全に自分を捨てて(不惜身命)、己を忘れて他を利する
(忘己利他)を理想としてきました。

この世の肉体の五官煩悩におおわれ、自己保存、自我我欲にとらわれ、地位、
名誉、名声、財産、金銭の追求に明け暮れる方々にとっては、まことに愚かな、
哀れな生活実践であると思います。
この生活実践を通してこそ、煩悩の炎が消え去った心の状態を味わうことができます。
涅槃寂静の心境かもしれません。
涅槃はどれだけの知識を得ても、座しても、悟れるものではなく、
生活実践の中に悟るものだと思います。
しかし、第三者に強要はしません。
それは言うに易く、行うにあまりにも難しいからです。
また、弟子、後継者は、敢えて望みません。

それは自然にまかせます。
故高橋信次先生との出会いによって、私の人生は大きく変わりました。
もし、先生との出会いがなかったならば、今の私はありえないと思っています。
それは心に目覚めをいただいたからです。
心の目覚めがなかったならば、おそらく苦悩の中をさまよって人生を終わっていたでしょう。
私が先生との出会いによって目覚めたように、この書との縁にふれた方々が、
結果として一人でも多く目覚めていただいたならば、幸甚であり、喜びであります。
また、このことによって、私個人の人生がはじめて存在する意義を持つことに、
心から感謝いたします。
この書の出版にあたり、ご尽力、ご協力をいただきました方々に対して、
心から感謝を申し上げます。

平成十年 十月吉日
                             長尾 弘 識す


          ~ 感謝・合掌 ~



ご著書「真理を求める愚か者の独り言」は今回で終了です。
ありがとうございました。合掌

なお、下記の関連ブログにも訪問・閲覧下さいますよう
お願いします。
① 「神の御心」「自己をみつめる」「心行の解説」
http://blogs.yahoo.co.jp/tenzenhana 
② 「光の天使」御講演「ブッダのことば」
http://blog.goo.ne.jp/minraianko 
③ 「神癒の奇蹟」御講演「心身の神癒」
http://blog.goo.ne.jp/kaminoiyashi 
④ 恩師「長尾弘」先生垂訓 御著書「心行の解説」(上下)
「講演集」(1,2,3)
http://blog.goo.ne.jp/hanatenzen 
⑤ 恩師「長尾弘」先生御著書「真理を求める愚か者の独り言」 
http://blog.goo.ne.jp/eikawa-tenzen 
⑥ 恩師「長尾弘」先生御著書「思いの中に生きる」 
http://blog.goo.ne.jp/omoinonakani



恩師「長尾弘」先生御垂訓

2015-01-24 04:15:28 | 日記

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


      心の教えを正しく行うと証がついて回る


            気づきと癒し

先の続き・・・

外見によって人間を判断し、こうあるべきだという固定観念に縛られ、
あらゆる権威に目を欺かれていれば、本質を見誤るという愚を犯してしまいます。
魂を少しでも向上させて、魂のふるさとに帰り着くまでの、
この世にいる間の修業です。
そのための警鐘が病気です。
ふつうは病気になったと言っては嘆き悲しみ、運命を呪い、ついには心を重くしていきます。
ところが、同じように病気になっても、この方は、「肉体を救ってくださいとは
いいません。どうぞ心を救ってください」と言えたため、心が浄化されたのです。
そして、これこそが本当の癒しです。

自己の過ちへの気づきが起こり、その結果として、心の浄化が起き、
そして肺癌が消えるという快癒につながったのです。
病気が心を見直し、自らの心の誤りに気づいてこれを改めるきっかけとなりました。
私たちが神のいとし子であり、もともと光から来ている神の分け御霊でもあり、
たとえ病気になっても自己治癒能力を与えられているからです。
誰かに癒してもらって、病気が治ったからもういいのだというのではなく、
病気になるには、それだけの原因があり、これに気づくことによって、
本当に心身ともに癒されます。

この気づきは結局、一人一人がその原因に心を向けて修正すべき事柄であり、
誰かに頼って行われるものではありません。
癒されてありがたくて心を入れ替えるか、
心を見つめて今までの過ちに気づいて心を変えるとともに心身が癒されていくか。
まさに「病気は神が与え給うた反省のチャンスである」と思います。
常に自己反省を心がけ、自らを正し、幸せな人生を送りたいと願っています。
人は、よく話せばよく喋ると言われ、話さなければものを言わないと言われ、
中程に喋ればうるさいと言われます。

この書を読んで人は又いろいろと言ってくれると思います。
治っていても、私は治らなかったとか、私は悪くなったとか言う人もあると
思います。
しかし本書は真実のみを伝えたものです。
全ての方々よ、自らの心に目覚めましょう。
健康で幸せに生きましょう。
これが神の御心であり法であり、私の日々のお祈りであります。

                              合掌


          ~ 感謝・合掌 ~



恩師「長尾弘」先生御垂訓

2015-01-23 06:21:28 | 日記

     恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


      第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


      心の教えを正しく行うと証がついて回る


      気づきと癒し

神戸のあるクリスチャンの婦人がヨーロッパからの帰り飛行機の中で、
山口での講演からテープ起こしして作っていただいた文章を読み、
ここに聖書そのものの世界が書かれていると感じられたそうです。
洗礼を受けて以来三十年も経つという方ですから、聖書については赤線が
たくさん引かれてほとんど赤くなるくらいに詳しいのです。
ひょっとしたらこれはイエス様が日本にご出現になったのではないか、
日本に戻ったらすぐに会いに行こうと思われたそうです。
ところが、このハイカラな婦人が実際に訪ねて見えられると、ステテコと
ランニングシャツ一枚でうろうろしている私の姿を見て、最初は人違いだと
思ったようです。

そのうちお目当ての人物とわかると、腰を抜かすほどにびっくりされました。
もっと威風堂々として、
立派な出で立ちの方がカーテンの奥から静々と出て来られるのかなと思っていたと言われます。
この方にお話をさせていただきました。
宗教の法王様なら、大勢の人々にかしずかれ、壮麗な長衣をまとい、
頭にはきらびやかな冠を頂き、黄金の錫杖を手にして威厳を保たれておられる
姿を彷彿とさせるでしょう。
そういう方が立派であるとあなたは思っておられるかもしれません。
しかし、古の聖者イエスはその生涯において、いつあのように着飾られたでしょう。
そのように身を飾ることなどなさったことは一度もありませんでした。
キリスト教徒といえば、イエスの生きざまを生きなくてはいけないのです。
後の世の法王のように生きるのではないのです。

イエスは一般の者となんら変わりはない格好をされていたはずです。
しかも、イエスはこのように言われています。
「私は人々に仕えられるために来た者ではなく、仕えるために来た者である。
そして、多くの人々の贖いのために私の命を与えに来た者である」と。
教会の偉い方々は、大勢の人々に仕えられています。
イエスはそうではなく、人々に仕えています。
今の在り方が元の教えから隔たってしまったことに目覚めなさい、と言うと、
本当にそうですとおっしゃいます。
その方が、肺癌ですぐにも入院して抗癌剤で治療をしないといけないと、
医者から宣告を受けました。

すると、肉体を救ってくださいとは言いません。
このまま自分の魂が汚れたままあの世に帰ると大変です、せめて私の心を救ってください、
と頼まれました。
そこで、反省をしていただきました。
泣いて泣いて、本当に泣き叫んで、ご自分の過ちに目覚められました。
それから、まもなくお医者さんで検査を受けると、まったく癌がなくなっていたそうです。
反省により心によって癌が消えた事例です。
もう十数年も過ぎますが、元気に生きておられます。
自分の心の誤りに気づくということが、限りある人生においていかに大切であるか。
このことをわからせてもらえる好例だと思います。


             ~ 感謝・合掌 ~



恩師「長尾弘」先生御垂訓

2015-01-22 02:12:43 | 日記

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


       第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


       心の教えを正しく行うと証がついて回る


         個我の力ではない癒しのパワー

先の続き・・・

なぜ、そのようなものを受けるのか。
人の病気を治させていただきたいですが、相手の病気をもたったら大変です。
これは嫌いです。
怖いです。
これも自己保存の心です。
病気には何とも言えない恐ろしいものまでいろいろとあります。
そんな病気を自分が受けたらたいへんです。
そういうわけで、一時はとても悩みました。
そこで、その当時はまだ正法に御縁はありませんから、
どこに神様がいらっしゃるかもわかりませんが、
もし神様がいらしゃったらということで祈りました。

「今いただいた力で少しでも多くの方を救わせていただきたいです。
しかし、相手の業をもらうのは嫌でございます。
だから、治させていただいて、相手の病気を受けない方法があるなら、
是非教えてください」と、あつかましい祈りですが、毎晩一時間、二時間、三時間と
真剣に祈りました。
或る時は朝まで祈りました。
百日も過ぎた頃に、「汝の癒しを他にゆだねよ」という言葉が、
自分の心の中から湧き上がってまいりました。
この短い言葉ですべての謎が解けたのでした。

病気治しをする人で相手の病気をもらっているのは、
「自分が治してやった」という「自分が 自分が」の「我」の中に相手の業を
受けてしまうのだということがわかったのです。
すべての謎が解けて以来、癒しの成果を自分以外の方の力に帰しました。
その結果、あまりにも多くの方が救われてくれましたが、
そのかわりに私自身の肉体のほうはなんともないという有難い結果が出ております。
それは、人々の業が神様のほうへ行ってしまい、その光の中で消されるからです。

「偉大なる光の王に導かれ 我が身は動き口は語らん」当時の歌です。

私以外の力であるということは、神様の力であり、目に見えない世界の
ご協力をいただいているお陰ということを誰よりもよく理解しているつもりです。
その代わり、自慢することができません。
自分の力でないとわかっていますから、どんな奇跡を現わしていただいても、
自慢することはできません。
これは神様のお陰であって、私には関係のないことです。
神に感謝しましょう。

 
           ~ 感謝・合掌 ~



恩師「長尾弘」先生御垂訓

2015-01-21 00:57:32 | 日記

       恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


        第六章 人類滅亡を救う奇跡と癒しの秘密


        心の教えを正しく行うと証がついて回る


     個我の力ではない癒しのパワー

体中に癌が出る多様性の癌という病気に罹った方がいらっしゃいました。
七月の終わりにもう盆までは命は持たないだろうと診断され、体力がなくなり
電灯を見る気力もなかったそうです。
その方の主治医は私の縁ある方の息子さんでした。
お医者さんのお母さんは癌の方が息子の友人でしたから、かわいそうに思い、
当方に見えて、彼に飲ませるお水に光を入れてくださいと言われました。
そこで、水に対して祈りました。
「水は命の親様です。この水を通して命をお与えください」と。

その水を運んでくださり、飲ませているうちに癌がすっかり消えてしまったということです。
その方はある新興宗教系の大学を出られ、宗教団体の幹部だったそうです。
他の信仰には耳を貸さず、私とはまったく会う機会もなかった方です。
水も飲めなかったのが、一週間もしたらコーヒーが飲めるようになり、
食事を受け付けるようになったそうです。
九月に退院し、十月から職場復帰され、年末には死にかけていたはずの方が
全快して島根の銘酒を三本下げて、そのお医者さんのお母さんのお宅に御礼に
訪れたそうです。
そのうち一本をいただきました。

こういう話をしていると、自慢話しばかりだと言われる方もあると思います。
ただ神が現わしてくださる御業を神の子として述べ伝えさせていただいてるだけのことです。
神はこのようなお力をお持ちです、
このようなお力をお現わしです、ということをお伝えしているだけなのです。
「神が病気を癒し給い、医者がその手柄を横取りする」という言葉もあります。
お医者さんといえども、ただ自然治癒能力のお手伝いをしているだけです。
それを「わしが治してやった。わしが治してやった」と思っていると、
いつの日か必ずその業を受けます。

相手の業を自分が受けてしまいます。
すべての癒しというのは、私たち以外の力により、その御業がなされていると
いうことをしることが大切です。
今から二十五年ほど前のことです。
私の身の上にいろいろと不思議な事が起きておりました。
「人さんに助かってほしい。人さんを助けさしてほしい」と私はよく思いました。
しかし「人を助けて我が地獄」ということはよくあります。

拝み屋さんにしても、不思議な癒しをされる人でも、あるいは霊的に治す人でも、
相手の病を治すけれど、自分が人々の業を受けて苦しむ方がたくさんいます。
或る時、私より背の高い立派な紳士が現れて、「もう生きる希望もありません。
仕事する気力もありません。もう死にたいんです」と言われます。
「ああ、そんなものは心の病気です。心を学んで心を正しなさい」と言いますと、
「いやあ、実は私はその専門家です」とおっしゃいました。
よく聞く話しです。
精神病院のお医者さんが心の病になるとか、癌の専門医が癌に倒れるとか、
よく聞く話しです。



           ~ 感謝・合掌 ~