~別子銅山跡(東洋のマチュピチュ)に遊ぶ~ 尾崎 春風
NPOとうおんの合言葉「孤独(ひとり)はいけない」に賛同し今日は妻、友人と共に東洋のマチュピチュを訪ねるバス旅行に参加した。
天気予報によると午後には雨と言うことだったが、帰るまで傘の用なし。
これもお先達の蟹江先輩のお大師様信心及びお世話役の心遣いのお蔭と感謝の気持ちで一杯。
東温市を発って3時間ほどでマイントピア(別子村跡)に着いた。聳える連山を仰ぎ、ここは赤石山系の麓だとすぐ分かった
。紅葉の中の石段を二百段ほど下り鉱石保管庫に着いた。見上げると赤レンガの索道基地、保管庫、崩れかけた3Kの住居跡。
なるほど、写真でよく見るインカの天空の都マチュピチュだ。途中から先導車がエスコートするほどの曲がりくねった道。
到着するや約三百年の歴史を秘める銅山村。
最盛期には、ここに1万近い人々が住み、学校、病院、映画館、飲み屋、役所などが山谷を埋め、索道が空中を行き来し、
鉱山鉄道が走っていたんだ。
石見銀山が世界遺産に認定されたことを思えば、新居浜市が別子銅山をそれにと思うのは頷ける。
マイントピア本館から鉱山鉄道に乗り、観光坑道を見学すると江戸時代、近代の別子村の状況がうまく再現されている。
さて、今日の一首「 苔むしし 索道基地の 赤レンガ 歴史豊けき あかがねの里 」
数年前にここを通って西赤石山に登山した時には、別子銅山がこんなに重大な歴史を秘めていることは知らなかった。
無知を恥じる次第だが、大変いい勉強をした。
今を盛りの紅葉の山々とは対照的に清楚に寂しげに咲いている冬桜が何故か印象に残っている。
帰途に、西山興隆寺を参拝した。素晴らしい紅葉と堂塔伽藍。五百段もあろうかと思う石段を上り、
お先達に合わせみんなで拝み、今日のバス旅行の無事を感謝した。
赤レンガの索道基地、保管庫・・・標高750mの山中に4000名の方々が生活していたなんて~~驚きの連続。 冬桜が可憐に咲いていました、
記念写真の後は、コーヒータイムを過ごして…西山興隆寺へ 紅葉はみごろ!!
感動のあまり 山下達郎の曲が聞こえてきそうな~タオル美術館
NPOとうおんの合言葉「孤独(ひとり)はいけない」に賛同し今日は妻、友人と共に東洋のマチュピチュを訪ねるバス旅行に参加した。
天気予報によると午後には雨と言うことだったが、帰るまで傘の用なし。
これもお先達の蟹江先輩のお大師様信心及びお世話役の心遣いのお蔭と感謝の気持ちで一杯。
東温市を発って3時間ほどでマイントピア(別子村跡)に着いた。聳える連山を仰ぎ、ここは赤石山系の麓だとすぐ分かった
。紅葉の中の石段を二百段ほど下り鉱石保管庫に着いた。見上げると赤レンガの索道基地、保管庫、崩れかけた3Kの住居跡。
なるほど、写真でよく見るインカの天空の都マチュピチュだ。途中から先導車がエスコートするほどの曲がりくねった道。
到着するや約三百年の歴史を秘める銅山村。
最盛期には、ここに1万近い人々が住み、学校、病院、映画館、飲み屋、役所などが山谷を埋め、索道が空中を行き来し、
鉱山鉄道が走っていたんだ。
石見銀山が世界遺産に認定されたことを思えば、新居浜市が別子銅山をそれにと思うのは頷ける。
マイントピア本館から鉱山鉄道に乗り、観光坑道を見学すると江戸時代、近代の別子村の状況がうまく再現されている。
さて、今日の一首「 苔むしし 索道基地の 赤レンガ 歴史豊けき あかがねの里 」
数年前にここを通って西赤石山に登山した時には、別子銅山がこんなに重大な歴史を秘めていることは知らなかった。
無知を恥じる次第だが、大変いい勉強をした。
今を盛りの紅葉の山々とは対照的に清楚に寂しげに咲いている冬桜が何故か印象に残っている。
帰途に、西山興隆寺を参拝した。素晴らしい紅葉と堂塔伽藍。五百段もあろうかと思う石段を上り、
お先達に合わせみんなで拝み、今日のバス旅行の無事を感謝した。
赤レンガの索道基地、保管庫・・・標高750mの山中に4000名の方々が生活していたなんて~~驚きの連続。 冬桜が可憐に咲いていました、
記念写真の後は、コーヒータイムを過ごして…西山興隆寺へ 紅葉はみごろ!!
感動のあまり 山下達郎の曲が聞こえてきそうな~タオル美術館