朝のウォーキングですが、最近は 結構 遠くまで 足を延ばしています。
その途中で 下の標識を見付けました。
かつては この道も 「通学路」として使われていたのですが、区画整理によって すぐ向うに
舗装道路が出来てしまい、今は 通行止めになっていて 標識だけが取り残されています。
この道は、所謂 古道で、明治以前からあった!と聞いていますが、この辺一帯は 区画整理
対象地域になっていて、近い将来 消え行く運命にあります。
と云う訳で、改めて この近くを歩いて見ました。
①:土地の人は 「大坂」と呼んでいるそうです。
江戸時代には 検見川にも湊がありました。
湊は花見川河口に作られていて、この辺りの海岸は遠浅な為、船道として花見川の天然の澪を
利用していました。
検見川湊は、登戸浦、寒川浦、曽我野浦、と共に、近在から江戸へ 米麦、等の農産物を運ぶ
湊として栄えていました。
往路は 農産物の他、木材、薪炭、等。復路は 日常生活品と「江戸のごみ」で、「江戸のごみ」は
農作物の肥料として使われていた様です。
そして この「大坂」は、近在から検見川湊へ向かう主要なルートの一つとして、多くの人の
行き来があった様です。
②:「大坂」を ほぼ登り切った左手に、子安観世音の祠があります。
検見川には、子安観世音信仰がある様で、方々にお堂があります。
③:正面の細道は 区画整理により 無くなる運命にあり、矢印の先は 既に住宅地に造成済です。
④:先程の「通学路の標識」を、後ろ側から見ています。
10 m程 先に見える右手に入る道も 古道です。
計画では、この辺は公園になる予定の様です。古道を上手に生かして欲しいものですね!
⑤:この先は 区画整理により 既に住宅地になっていて、道はここで切れています。
その途中で 下の標識を見付けました。
かつては この道も 「通学路」として使われていたのですが、区画整理によって すぐ向うに
舗装道路が出来てしまい、今は 通行止めになっていて 標識だけが取り残されています。
この道は、所謂 古道で、明治以前からあった!と聞いていますが、この辺一帯は 区画整理
対象地域になっていて、近い将来 消え行く運命にあります。
と云う訳で、改めて この近くを歩いて見ました。
①:土地の人は 「大坂」と呼んでいるそうです。
江戸時代には 検見川にも湊がありました。
湊は花見川河口に作られていて、この辺りの海岸は遠浅な為、船道として花見川の天然の澪を
利用していました。
検見川湊は、登戸浦、寒川浦、曽我野浦、と共に、近在から江戸へ 米麦、等の農産物を運ぶ
湊として栄えていました。
往路は 農産物の他、木材、薪炭、等。復路は 日常生活品と「江戸のごみ」で、「江戸のごみ」は
農作物の肥料として使われていた様です。
そして この「大坂」は、近在から検見川湊へ向かう主要なルートの一つとして、多くの人の
行き来があった様です。
②:「大坂」を ほぼ登り切った左手に、子安観世音の祠があります。
検見川には、子安観世音信仰がある様で、方々にお堂があります。
③:正面の細道は 区画整理により 無くなる運命にあり、矢印の先は 既に住宅地に造成済です。
④:先程の「通学路の標識」を、後ろ側から見ています。
10 m程 先に見える右手に入る道も 古道です。
計画では、この辺は公園になる予定の様です。古道を上手に生かして欲しいものですね!
⑤:この先は 区画整理により 既に住宅地になっていて、道はここで切れています。