過食症は妊娠、出産しても治りません。それどころか大切な赤ちゃんにまで悪影響を及ぼす可能性があります。

過食症がもたらす妊娠、出産、育児への悪影響。ママ達の体験談。
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妊娠出産での過食嘔吐

2005年08月03日 | 妊娠・出産
9304 妊娠出産での過食嘔吐 ナッツ 2005/08/03 10:11
女性 主婦 35歳 B型 兵庫県

妊娠出産した時。
私はなかなか妊娠できない体質でした。多嚢胞卵巣症候群というやつで、卵は大きく育たないものです。
医者は「原因はわかりません。もともとの体質です」と言った。
でも、私は結婚する前から私は子供ができないだろうという予感がしていた。
この病気が原因でホルモンバランスが崩れてしまっていたからだ。
それまでにも生理がちゃんときたことは一度もなかったし。
もし妊娠できたらそれは奇跡だと思った。
そんな私に奇跡が起こった。結婚4年目の不妊治療の末のことだった。
「妊娠しています」と医者に言われたとき体をふわふわ浮くような信じられない気持ちだったことを覚えている。
ものすごく嬉しかった。この子のために絶対に治さなきゃと思った。
私は過食嘔吐を止めるために実は喫煙もしていたのだが、(これもみんなに内緒にしていた)子供にタバコの害を与えたくないという思いですんなりと禁煙することができた。
過食も今までの量よりは確実に減らしていた。ただ妊娠中はほっといても体が太ってくる。それなのに「太りすぎないように気をつけなさい」と医者に言われる。そのことが私のストレスになった。
体重を増やさない程度に食べて吐くといった微調整しながらも過食嘔吐行為は続いた。
私の過食嘔吐が原因でこの子を流産させてしまったらどうしよう・・・と毎日怯えていた。
いけないママに頼らずにしっかり自分の力で生まれてきて!と無理な願いをいつもお腹の子供に言い聞かせていた。

出産した時。大きな喜びだった。私がこの子を生んだということが信じられなかった。
ママになったんだからちゃんと育てていかなければ!と思った。
ところが、子供ができたことで大きな喜びを感じる反面、自分の時間がまったくないことで育児ノイローゼ気味になってしまった。
出産前の体重になかなか戻らないことも嫌だった。
また過食に走ってしまうようになった。
子供が3歳の現在子供は繊細でちょっとしたことに怯える子になっている。
愛情の飢えからくるものかもしれない。私の性格を遺伝したのかもしれない。
とにかく私のせいだ、と自分を責め続けている。
3歳になると物心がついてくる。私の小さいときの記憶も掘り下げれば3歳のときに起こった悲しいことは何となく憶えている。
とすれば、この先私の過食嘔吐が原因でこの子に与える影響は恐ろしいものになるだろう。
この子がまっすぐ成長していくには、本当に‘今’この病気と完全に決別しないといけないだと思う。

だらだら書いてしまったけれど、私が大好きなみんなに伝えたいことは、この病気が人生のいろんな節目に自然と治せるものではないということです。
私も治したいと思いながらもズルズルと過食嘔吐を治せなかった
。ここに出会えなければずっと一人で悩み続けたと思う。
自分のために子供のために後悔したくない。絶対に今度こそ止める!!

世代間連鎖

2005年08月03日 | 世代間連鎖
9306 世代間連鎖 ナッツ 2005/08/03 10:55
女性 主婦 35歳 B型 兵庫県

その言葉の意味をなんとなくは知っていたつもりだったが、
先生から直接話を聞いたときに自分の思っている以上のことだっのだと分かり背筋が凍った。
ここにきて自分の探しの旅に出てから私のルーツは母なのだなと思うようになった。
母は過食嘔吐の病気ではないが、アルコールに依存してしまう傾向があった。
母は結婚したくない相手(父のことなんだけどね・・・)と無理やり結婚させられたことから人生が変わったのだと常に愚痴っていた。
両親は私が小さいときから冷え切った関係だったし姑との折り合いも非常に悪く、母はそんな家を飛び出したいといつも思っていた。
母は外に出て仕事をすることで自分の存在を見い出していた。
常に家にいなかったからか私の小さい時の記憶で母にハグをしてもらったとか、一緒に笑った、遊んだということは一度も(ちょっとオーバーかな)ない。
母はよく「あんたらがいなかったから私はもっと自由になれるのに」と言っていた。
その度に自分を否定されている気持ちになった。また母は100%自分になつかない私のことを嫌っていた。「あんたは私の辛い気持ちを分かろうとしない」「あんたは冷血人間や」とよく言われた。
私は自分の感情を抑えるようになった。私は母だけでなく家族みんなに幸せになってほしかった。
だから母だけの見方にはなれなかったのだ。そこのところを母はわかってくれなかった。母は感情の起伏が激しく、叱り方はほとんど虐待に近かった。暴言も多かった。
でも、そんな姿を他の大人の前では絶対に見せなかった。起こって叩いたり蹴られたりするには常に私と2人きりのときだった。
だから私の苦しみを他の家族には分かってもらえなかった。(分かっていたとしても何もしない温かさの抜けた家族関係ではあったが。)
そんな母との関係を続けていた中学生の頃に過食嘔吐が始まった。
母はずっと気がつかなかった。私は、‘悪いのは私ではなく母や周りが自分をこんな風にしたのだ’と思いたがった。

そんな親子関係のひずみが原因で摂食障害の病気にかかったことは一理あると思っている。
でも今はそれだけじゃなく、私の生まれ持った性格も過食に走らせる要因があったと思うようになった。
私がそう思ったのは子供を出産したからだ。それまでの私は性格は全て生まれた環境によって作られると思っていた。
私は不幸な家庭に育ったから、だからこんな人格を持ってしまったのだと常にみんなのせいにしていた。だけど、出産したときに感じた。
赤ちゃんって生まれたそのときから泣き方も違えば体の動きも違うんだな~と。
親が教えなくても何でも積極的にやりたがる子もいれば、ものすごく消極的な子もいる。そんな性格は生まれたときから持っているのだと。
それを感じてから母との関係が私の中では少し変化した。母との確執だけが原因ではないと思ったことで許せる部分も出てきたのだ。
だがそれと同時に、生まれ持った性格の一部は母のものであるとも感じた
母も心の病気をかかえた人だったのかもしれないなと。
私の性格の一部をもっているだろう息子のことを思うと泣きたい気持ちになる。
しかし、今私が頑張って環境を整えることができたら、今頑張ったことで私の暗い性格を明るくさせることができたら、息子の将来も悪い方向に走っていく可能性は減るだろうと思う。
2世代連鎖って辛すぎます。そんな風にならないためにも今頑張らなきゃと思っています。

世代関連鎖

2005年08月02日 | 世代間連鎖
9238 世代関連鎖 ジュエル 2005/08/02 09:22
女性 主婦 34歳 A型 神奈川県

出産して育児におわれて気が付くのが遅かったのだけど、
私の後を追いかけれる様になったヒデ(息子)はいつも私の過食嘔吐の姿を見ていた。
トイレに入れば泣くので、ドアは開けっ放し。
やっぱりこんな姿見せたくないよな。。。
今度は台所の流しの桶に吐いてからトイレに流した。
長時間台所に立ってる私にヒデはまとわり付く。抱いて欲しい、かまってほしいとぐずる。
「ごめんね。ママ今忙しいから待っててね。」余裕があるときは声掛けできるけど、無視することもしばしば。。。
ヒデのせいで嘔吐が中断したり、ヒデが言う事聞かなかったりすると、すごくヒデに当たった。
つねったり、力任せに叩いたり、足を蹴ったり、ソファーに叩きつけたり。お前なんか嫌いだ、ばあちゃんの子になっちゃえ。
お前なんかいらない。と罵声を浴びせる。最低な母親。。。
その時は自分が見えてない。感情の赴くままにしてしまってる。
なんとなく頭では止めなくてはと思うけど、止まらない。私は何処にストレスをぶつければいいの?!
ごめんね。心の病気のために辛く当たって。。。
いつも涙が止まらない。ごめんね。。。ごめんね。。。
ヒデは言葉が遅くて、2歳頃からすごく喋れる様になった。
最近は「ママ~。何してんの~?げーげーしちゃったの~?」
って聞いてくる。「うーん。」しか答えられない私。
ヒデにも私の病気の副作用が出てる気がする。
これが世代関連鎖だと思う。
ヒデは食にすごくムラがあり、ご飯は3口で終わり。かと思えばお寿司8かんって事もしばしば。
お菓子、特に飴とアイスが大好きで、毎回食べれるまで泣き叫ぶ。私の作るご飯はあまり食べない。たぶん嫌い。
ヒデは思い通りにならないとすごくヒステリックに泣き叫ぶ。
私の様子をよく伺っている。ご機嫌を取るようになってる。
抱っこして欲しいのに、本当はママにお話聞いて欲しいのに、
私は怒ってばかり。
ばあちゃんはいつも優しいくてかまってくれるから、ばあちゃんの所に行きたいんだよね。
毎日児童館や保育園の園庭開放に遊びに連れて行ってる。
他のママ友からは「遠いのに、えらいね」って言われる事もある。
ヒデの好きそうな物をいつもチェックしたりしてる。
普通のママと同じ気持ちなのに。。。
今ここで治さなければ、今度はヒデが心の病気、問題をかかえることになる。そんな事絶対させない。
ヒデの為にも絶対治したい!!!