源氏物語の男たち(12) 夕霧(その二)

2009-06-20 00:48:59 | 源氏物語
宇治十帖を除く源氏物語本編の最後を飾るのは、夕霧と落穂の宮(おちぼのみや)の恋物語ですね。

女三宮と結婚できなかった柏木を哀れに思った朱雀帝は、女二宮を彼のもとへ降嫁させました。
このとき朱雀帝は既に退位し、そのうえ出家もしていましたから、妃や子供たちとは別居しています。
それでも帝が溺愛した女三宮は同じ敷地内で暮らしていたようです。
なぜかというと彼女の母親(藤壺の女御)は既に亡くなっていたからで、一方の女二宮は母親(一条の御息所)とともに一条の宮に暮らしていました。

柏木と結婚した後も女二宮は柏木の邸にはお入りになりません。 といいますか、これが本来のかたち(通い婚)だったのですね。
女三宮は母方の実家がなかったため、光源氏の住む六条院にお嫁入りしましたが、こちらのほうが特別でした。

柏木は女二宮と結婚はしたものの、女三宮へのあこがれが強すぎて、自分の妻は妹(女三宮)に比べて器量がはるかに劣っていると思いこんで、自分は落ち穂を拾ったと嘆きました。 
これが物語の中で「落穂の宮」と呼ばれる由来なのですが、まったくもって失礼な話しです。

とはいうものの、柏木は落穂の宮を粗略にあつかってはいませんでした。
柏木の死の間際、落穂の宮はお見舞いに訪れようとしていますし、柏木のほうも宮に先立つことを気にかけていました。
光源氏の女三宮に対する態度、(柏木とのことがなかった以前から)幼い妻をつまらない女だと決めつけていたこと、のほうがよほど冷たかったのではないかと思います。

さて。
柏木は、死の間際に親友の夕霧を呼び寄せ、落穂の宮をよろしく頼むと遺言いたします。
まじめな堅物男の夕霧は、友の遺言通り一条の宮を訪問するようになりました。
いくら身分が高いといっても有力な後ろ盾(夫)がなければ人は集まってまいりません。 柏木はそれを心配して夕霧に落穂の宮が落ちぶれることがないようにと頼んだのです。

夕霧/一条の御息所(母)/落穂の宮は、光源氏/女五宮(叔母)/朝顔宮の組み合わせに少し似ています。
母親や叔母を訪問すると見せて、本命はその後ろにひっそりと隠れている女性であること。 いかにして本命に近づくかの画策。
面白いことに、光源氏は本命(朝顔宮)を射止めることができませんでしたが、夕霧は射止めることができました。
どちらの女性も言い寄ってきた男を拒否したのに、光源氏ではなくて夕霧が成功したところがおもしろい。

夕霧の正室、雲居の雁は長年連れ添ってきた(きまじめが取り柄の)夫が、他の女性に心を移したことに衝撃を受けていたのですが、或る日、落穂の宮から夕霧への手紙を隠してしまいます。
ところがこの手紙は落穂の宮ではなく、母親の一条の御息所からのものでした。
御息所は娘の再婚には反対だったのです。 しかし世間は夕霧と落穂の宮は「できている」と噂していて、それを否定するのもむずかしい状況でした。

御息所は夕霧の真意を確かめたいと、病をおしてお手紙を書いたのですが夕霧からの返事が来ない。 夕霧の手元に届かなかったから仕方がないのですが、それは御息所のあずかり知らぬこと。
夕霧からの返事を待って、待って、待ちかねているうちに、病状が急変した御息所はあっけなく亡くなってしまいます。

夕霧は実務派の人でした。
この顛末に、最初は呆然としましたがすぐに立ち直ります。
亡き御息所の手紙は夕霧に有利な内容ではなかったのですが、一条の御息所からのお手紙には、娘をよろしく頼むと書いてあったと世間に発表して、婚礼の準備を始めます。
ふたりの結婚に反対だったのは、当事者の落穂の宮、それから当然のことですが雲居の雁。 そうですね、亡き柏木の両親もあまり良くは思わなかったでしょう。
しかし、それ以外は好意的に受け止めていました。 夕霧は世間を味方にして落穂の宮との結婚に成功した。 なかなかやりますね。

~~~~~~
宮さまが最後の抵抗をしたのが、有名な「塗籠(ぬりごめ)立て籠もり事件」です。 塗籠=納戸でしょうか。
夕霧が嫌いだからというよりも、自分にはもう誰も味方がいないことを悲観した宮さまは塗籠の内側から鍵をかけて立て籠もったのですが、女房たちが夕霧が塗籠へ入れるようにしたために、せっかくの苦労が水の泡になってしまいました。

そうそう、雲居の雁と落穂の宮は同格の正室だったようですよ。
夕霧は一日おきに二人の妻の許へ通いました。
いかにも彼らしいじゃないですか、わたくしは夕霧ismと呼んでいます。


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2 コメント

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Unknown (シュン)
2009-06-22 16:50:08
夕霧は堅物ばかりが表立っていますが、光源氏の息子ですのできっと見目麗しい青年だったのでしょうね。
面白みは少し欠けてはいたでしょうが、イケメンの真面目男に女二の宮はホロッとなったのも頷けます。柏木と女三ノ宮の事を全く知らなかった筈はないのでしょうから・・・。
紫式部は夕霧を皮肉っぽく書いているように見えますが、誰かそんな人がいたのでしょうか?
それとも そういう真面目さを誰かに分かって欲しかったのでしょうか?
☆シュンさま (デュエット)
2009-06-23 01:12:29
見た目は、光源氏、冷泉帝、夕霧、そっくりだったようです。(^^)v
柏木のほうが色気と風情があると、宮さまはひとりごとを言っていますけれど、結果としては夕霧の奥さまになって幸せだった。
紫式部は夕霧に辛口、、、わたしもそう思います。

藤原道長は光源氏と頭中将のあいだくらいの人だったのでしょうね。
次回は光源氏についてああだこうだ書いてみようと思います。

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