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『希望難民ご一行様』 俺たちをあきらめさせてくれ、と驚きのハードパンチ!

2010年09月04日 | 京都ぶらり [書 評]
 『ホームレス博士』発売まで二週間をきりました。この時期はいつも結構そわそわします。同じ出版社の本の動きなんかも結構気になるところです。8月発売の光文社新書5冊はどれもグッとくるタイトルのものばかりなので、なおさらです。迷いつつ、今回はこの一冊を選んで書評を。


 『希望難民ご一行様』 古市憲寿/著  解説/本田由紀


希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)
古市 憲寿,本田 由紀
光文社

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 生きづらさを抱えながら彷徨う若者たちの姿に、社会や大人たちが戸惑い、時に強く非難する光景は、二一世紀に入る前からも繰り返し見られた。かつても今も、親世代は若者を理解したいがなかなか出来ず、「若者論」はそんな大人たちの不安を静めてくれる貴重な手がかりであり続けてきた。

 だが、若者の〝生きる力〟が減退する理由をなんとなくわかったような気になった後も、どうしたら彼らにこの殺伐とした世の中で〝生き続ける〟力を授けることができるのか、というところで親たちはまだ悶々としていたのではないか。親にとって、そんなふうに少々食傷気味になっていた「若者論」に新たな地平を切り拓く研究者が現れた。古市憲寿。若干二十五歳の当事者でもある著者は、本書で「俺たちをあきらめさせてくれ」と、驚きのハードパンチを繰り出す。

 古市は、現代のことをわざわざ「後期近代」と呼ぶ。社会が成長路線を順調に歩み、すでに確立した仕組みのなかで上手に立ち回れれば(高学歴を手にすれば)、必ず自らの階層も上昇させることができた時代と区別するためだ。もうそれが幻想だと知らない者は現代にはいないはずだが、いまだに「夢をあきらめるな」「やれば出来る」と、社会からは相も変わらず前時代のメッセージ(著者曰くそれはウソだ!)が繰り返される。

 希望などどこを探しても見つからないはずなのに、努力しさえすれば〝大丈夫〟と、社会は本気で若者たちを励まし続ける。たとえ本当のことであっても「〝希望〟はもう世の中から消えたから期待しないでね」とは、大人たちの口からは絶対に言えない台詞だろうから、まあ仕方がない。でもそんな建前社会で生きる若者がどうなっているかは、みなさんの目に映っているとおりである。

 そうした風潮に対して著者はこんなするどい指摘をする。「希望がないことは、本当にダメなことなのか?」。それはこういうことだ。

 希望があると思ってしまうから、若者が欲をあきらめきれず「ここよりも良い場所がある」「今の私よりも輝く私がいるはずだ」、と苦しみ続けるんだよ!。

 そんな希望など、ないほうがいいというわけだ。

 希望があるとへたに思ってしまうと、若者は、今自分が置かれている状況に納得できず「旅」を続けてしまう。しかし、いくら苦しい道のりを歩いてみてもゴールは見えず、結果、難民化する。本書のタイトル「希望難民ご一行様」である。

 「俺を・わたしを諦めさせる!」、そんな装置こそが社会に今必要なんですよ、と著者は声を大にして世間に訴えたいのである。そして、古市は「ピースボート」に乗船したことで、なんとそれを見つけてしまった。格安で世界一周させてくれるこの船では、「世界平和のために」とか「憲法九条を守ろう」といった大きな目的も掲げられており、そうした「共通目的」のもとに集まってくる若者は後を絶たない。熱い思いを抱えながらの船上生活が続くわけだ。ところが、数ヶ月経ち旅が終わりに近づく頃、著者は同世代であろうその他の若者たちの姿に、乗船前とは異なる不思議な様子をみてとったそうだ。

 それは、若者たちのなかに見え隠れしていた〝ムラムラ〟としたものがすっかりオチ、息苦しかったはずの現実社会にたんたんと適応していこうとする姿だった。どうしてそんなことが起こったのか?

 著者は船内での共同生活のある種の心地よさが、彼らを「冷却」していったとみる。仲良くなった者たちのグループは、船を降り下界に戻ってもなくなることはない。ささやかだが確かに心地よい「共同性」への持続的なコミットが、若い人たちのなかにあった〝ムラムラ〟を消し去っていく。

 世界平和も憲法も、そんなのどうでもいい!。 ココの気持ちよささえあれば、それでいいの、と。

 世のオジサンおばさんたちは「それでいいのか?若者よ」と思うかもしれないが、著者によれば「これでいいのだ」。

 なぜなら、彼らは見事に希望を含めたいろいろなことに〝あきらめ〟をつけ、だが、そのおかげで、確かに生き延びる「技」を手にしたのだから。親たちが抱えていた〝悶々〟もこれにて一件落着である。息子や娘は、希望なんかない社会でもこんな「承認の共同体」さえあれば生き延びることができるということがとりあえずわかったのだから。

 夢を見ることがサバイバルへのリスク要因になる時代に生を受けてしまった若者の一人として、著者は同世代に向けて「なんとしても生き抜こう」と本書を通してメッセージを投げかけているようにもみえる。親たちには、だから夢や希望を放棄したオレらを見ても決して嘆かないでね、とも。(まあ放っておいてもヤル奴はヤル、と押さえもちゃんと入れている)

 自殺者が三万人を超え続けるなか、ただ生き抜くことさえ誰にとってもたやすいことではないが、若者はそのなかでも最も厳しい環境にいると言えるだろう。彼ら向けのセーフティネットが全然整備されていないからだ。「解説」でも本田由紀が、とにかく今を生き延びることがまずは大事だと強く主張している。若者を軽視しがちな我が国の政治の現状を踏まえてのことだろう。

 売れているそうだ。

 もう少しだけページを削って百円落としてもらえれば、さらに売れたんじゃないかと思うくらい、勢いのある動き方(売り上げ)のようだ。そこらへん、ちょっと悶々としてます。
 嬉しいことに、軽妙な文章であっさり楽しく読める。本田由紀も褒めちぎっておりました(身内なんだからそんなに持ち上げてどうする、とも思ったが)。オススメ。860円プラス税。

 ちなみに、『ホームレス博士』のテーマとも繋がる部分がある。
 ウチの目次はこうなっています。
 第一部:派遣村・ブラック企業化する大学院
 第二部:希望を捨て、「しぶとく」生きるには


+α 愚僧の指標
Q1 誰に読んでもらいたい?
 → 大学生・大学院生およびその両親・ロスジェネ世代・若者を理解したい方すべて

Q2 どんな効用が見込める?
 → 卒論・修論の切り口やまとめ方の参考になる。 若者の持つ閉塞感への理解が深まる。

Q3 見所は?
 → 引用箇所での遊び。ユーモアたっぷりの一文が添えられることで、その本や論文を書いた人の人物像が見えてくる。これは新しい表現かも。

  
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