読書会

読書会の議事録

平成26年12月18日 第31回読書会

2015-01-12 14:12:56 | Weblog


平成26年12月18日 第31回読書会
・日 時:平成26年12月18日 18時30分~
・場 所:新橋
・出席者:6名(Tnさん、Msさん、Iさん、Moさん、Kさん、H)
・推薦本:『空白を満たしなさい』平野啓一郎 著

※印で、補足を記載しています。
 この本の解釈などは、私の私見となりますので、違うなぁと思うところが多々あると思います。
 また、議事録を作成する際に読んでいてあとから補足した部分がたくさんありますのでご了承ください。

■まずは、この本の感想から


この本は、漫画「モーニング」で連載されていたとのことで読みやすいかなと思ったが、なかなか読みにくい本(ストーリー展開が遅くて途中で集中できなくなる。死んではいけないということを言いたいためか、佐伯のような死にたい死にたいという嫌な人物を描きすぎるなど)だった。


Msさん
率直な感想は展開がどうなるんだろうと思いながら読み、どこに導かれるのだろうか、と思いながら読んでいった。
3年間の空白は、自分も2年半、単身赴任生活を送った経験があったので、重ね合わせながら読み進んでいった。

全体の感想としては、ふだんは死について深く考えることはなかったので、これを機会に考えることができた。
分人という考え方は分かりやすかった。



分人という考え方はこの話の中で重要だと思う。


この「分人」を著者のコメントを引用して解釈すると、
自分の中にはたった1つの「本当の自分」が存在するのではなく、自分の顔のどれもが「本当」なのだと。
人間にはいくつもの顔があり、相手次第で、自然と様々な自分になる。その1つ1つを「分人」と呼ぶ。
この「相手」というのは何も人間に限らない。小説、ゲーム、音楽といった無生物でも構わない。

だから、相手によって顔が変わってもいいんだ。
相手によって顔が変わることは、むしろ相手一人一人を尊重して向き合うことだと言えると。

そして、その人間の個性というものは、その人の中にある「分人」の構成比率で決まると言っています。

たとえば大好きな恋人と一緒に居る時間が長い人なら、幸せや優しさが他の人と接しているときにもにじみ出るし、あるいは職場で上司に毎日絞られている人は、友人と接していても暗い顔になりがちだったり愚痴ばかり言ったりすることになると。

前者は大好きな恋人との「分人」が大きい状態で、後者は嫌いな上司との「分人」が大きい状態であり、それぞれ大きな「分人」が他の人との接し方にも影響を及ぼしている。

よって、より幸せな自分、より好きな自分になるためには、次のようにすればいいと言っています。
それは、「分人」の構成比率を変えればいいんだと。

その「分人」の構成比率をコントロールするにはどうしたらよいか?

以下の3点をすればよいとのこと。

1.接する人・モノを変える→接する相手を変えることで分人の構成を変えていく。
2.好きな分人を重視する→好きな分人・幸せな状態の分人を重視することで体感的な構成比率を変える。
3.分人を「切り替える」→嫌いな分人のことは忘れて、好きな分人に浸る。好きなゲームをやる、好きなマンガやアニメをみる、好きな音楽を聞く、好きなスポーツをするなど、自分の好きなことをする。

1は接する相手をだんだん変えていくという「プロセス」ですが、3は「瞬間」的な行動で、思い立ったらすぐにできるというものです。

そうやって、「嫌な感情→切り替え」のサイクルを繰り返すことで、分人の切り替えが習慣化されていって、いくら人に嫌な思いをさせられようと、好きなものに触れることで心(精神)を浄化できるというものです。


Msさん
この作者にとって、分人といういう考え方が重要であるようだ。


■この本では、自殺がテーマの1つだと思いますが、人が自殺をしてしまう原因は、どんなことだと思う?

Kさん
思春期の少年少女の場合、自分も他人も誰も一切愛せなくなったときに、死んでしまうのではないか。



それは、孤独感のようなものか


Kさん
世界中から嫌われている自分、その自分が嫌いになって自殺してしてしまうのでは。

そのほか、借金苦や何か大きなミスをしてしまったというのを原因に自殺するのでは。


■では、自殺未遂というのはどうか

Kさん
自殺未遂は、自分を傷つけることによってその痛みに本来の痛みから逃げる、気を紛らわすという部分があるのでは。


■Moさんはどのように感じましたか

Moさん
自殺したことを本人が覚えてなかった。だから、本人にも自覚がなかった。
その展開がよくわからなかった。



そうそう、この主人公は自殺した記憶がないから最初殺されたのかと思った。
そして、その犯人捜しのような物語かと思ったが違った。


Moさん
あと、最初は本の厚さを見て、びっくりしてしまって、読めるかなと圧倒されたが、最初の50ページくらいはぐいぐい引き込まれるような気持ちがしたが、最後のほうは、展開に振り回されて、???という感じだった。

ただ、大切な人との向き合い方であったり、仕事に対する向き合い方など、考えさせられる部分があった。

最後まで読んでの感想は、主人公にとってはよい人生なのかなと思ったけど、奥さんなどにとっては、どうなのかなと思った。

奥さんの子供の頃からの苦しみと、旦那さんがいなくなってからの苦しみと、旦那さんが戻ってきてからの苦しみと、奥さんは大変そうだなぁと思っていた。

最後の奥さんの感情を見ると、よかったのかなと思うけど、途中の過程を見ると、よかったのかなとも思う。



この本を読んで、自殺をされた周りの人たちの気持ちがわかった。
驚き、自殺の理由がわからない場合の周りからの白い眼、社会はその人がいなくなった部分をうまく埋めて進んで行っており、その人が突然戻ってきた時の戸惑いなど。


■生き返った復生者は最後のほうでどんどん消えていくが、この主人公は最後、世界から消えると思う?消えないと思う?

Msさん
消えると思う。



私も消えると思う


■その他、読んでみての感想などありますか

Tnさん
P493
「世界が一斉に、目も開けていられないほどに眩しく輝いてゆく。永遠が、一瞬と触れ合って、凄まじい光を迸らせる。
璃久が駆け寄ってくる。抱き締めるまでは、もうあと少しだった。」

というところで、「世界が一斉に、目も開けていられないほどに眩しく輝いてゆく。永遠が、一瞬と触れ合って、凄まじい光を迸らせる。」というのはどういう意味か?

死の瞬間なのか?



わからない。何も思いつかなかった。


後日、考えてみて思い浮かんだのは、宇宙ができた瞬間ビッグバンのこと。
このビッグバン理論は、今のところ現在の宇宙の起源とされている現象“ビッグバン”としている。
何千億個もの銀河やそれを形作っている材料のすべてが凝縮した小さな1点、それがビッグバンを経て一瞬のうちに宇宙へと変貌を遂げた。
宇宙の最初の1秒間は、宇宙の歴史上で最も重要な時間といわれている。
なぜならば、その間に空間、時間、エネルギー、物質が一瞬のうちに生まれて動きはじめたからだ。

このシーンが、「永遠が、一瞬と触れ合って、凄まじい光を迸らせる」という部分と重なりました。
ただ、なぜビッグバンなのかは全然思いつきません。


Moさん
最後の章は自分がやり残したことを、やれてやり遂げた感じがあったのではないか。


Msさん
この主人公が空白を埋められたから笑顔になったのでは。


■Kさんは何か感想はありますか

Kさん
佐伯の存在に、嫌悪感を覚えて、そこで読めなくなってしまった。



確かに。
物語の作り方として、圧倒的な悪を描くことによってその対象である正義がいっそう輝くというのがあるので作者はその手法を採っているように思えるが、あまりにも長く描きすぎると思った。



この佐伯で思い出したのは、佐伯が自殺する前に主人公に対して「わからないのか? 俺は、お前の父親だ、徹生。」という部分があったが、ここは驚いた。えーそうなのかと。


Tnさん
生きることは死ぬこと。
人生にはいろんな出来事があって、いろんな人との出会いや関係のなかでこの主人公は3年間の空白があって、死んだことによって、自分の人生のしがらみを考える3年間だったのではないかと思った。

前世療法的な話も出てくるが、実際にアメリカで前世治療というものが行われている。
どうしても原因がわからない精神的な苦痛が今世ではなく、前世のなかに原因があったということがわかってくる。

この話の中で出てくる、火の中で死んだポーランド人だとか、そういうことを思い出すと、その症状が消えたということもある。

そういうことも頭の中にごちゃごちゃと出てきて、どういう風に理解してよいかわかりかねた。



永遠と一瞬については、「人生は長いようで永遠の命から見れば、一瞬である」という言葉がありました。
永遠と一瞬をこのように捉えているかもしれません。



前世療法とは、
催眠療法の一種であり、退行催眠により患者の記憶を本人の出産以前まで誘導し、心的外傷等を取り除くと主張されている。
精神分析医が書いたものの例として、ノイローゼなどの精神病で精神分析医にかかったものがある。
アメリカなどでは、悩みなどを精神分析医にかかる風潮があるようで、自分の悩み、たとえば、暗闇に異常な恐怖を感じるとか、高い所が異常に怖いとか、自分の母親に自分は殺されるのではないかとか、自分が誰かを殺すことになるのではないかとかで深刻に悩んでいる患者がいます。
こうした患者の治療方法として、どうしてそのような症状が現れたかを、催眠術を使って調べます。 

これはすでによく行われている治療方法のようなのですが、逆行催眠、退行催眠といって、自分の過去の記憶を遡らせます。
3年前の自分、5年前の自分と、どんどん遡っても、私たちの記憶はすべて蘇ることが分かっています。
人は赤ん坊の時のことまで記憶しているらしいのですが、たとえば、生後3カ月の赤ん坊の時に、自分がべビーベットで寝ているところに母親がミルクを投げ込んだとか、そういうことも覚えているらしいのです。
まったく表面意識では忘れてしまったようなことを思い出すらしいのです。

そして、現在の精神病の原因となったなんらかの事実、事件を発見します。
そのことが原因となって心・精神に傷ができ、現在の病気を起こしたことが分かるとされています。
そして、不思議なことに、その原因たる事実を患者に指摘してやることによって、以後一切、その悩みから解放されるそうです。
こうして精神分析医が治療を行うのですが、現在の人生での原因が発見できないことがあります。
そして、その患者が生まれる前にまで遡らせて、その記憶を聞くと、その患者はその記憶、自分の前世や前々世…をいろいろと話します。
自分はかってどこにどういう名前で生まれ、何年にどういう死に方をしたかなどと詳細に述べるわけです。
千年も2千年前のことを話します。
そして、現在の精神病の原因がそこにあるらしいことがあります。
たとえば、現在の母親から殺されたとか、それが親子関係が今回これほど険悪な原因をなしているらしいとか、いろいろです。
これらは、すべて状況証拠にすぎないわけですが、カナダのトロント大学医学部教授のホイットンなどはこれらは、もはや否定できない、と言っています。


Tnさん
そのような前世の治療例が1人だけではなく、たくさんの事例が積み重なってきたため、その精神科医もこれは事実だと思わざるをえなくなった。

そのとき、「周りにどなたかいましたか?と聞くと、父親や、母親や、友人がいる」と答える。
しかし、それが今いる身近な人たちが前世でも同じような人たちがいることがわかる。

同じようなグループで何度も生まれ変わっている。


Tnさん
現在の治療法の中でも同じようなものがある。
人生で起きた出来事をロールプレイして、トラウマになった出来事をできるだけ再現する。
そのことによって、トラウマが消えていくというもの。


Msさん
事故で無くなった手が痛むというのがある。



これは幻肢痛(げんしつう)といい、ケガや病気によって四肢を切断した患者の多くが体験する、難治性の疼痛。
あるはずもない手や足が痛む症状。
バーチャルリアリティーなどの技術により、実際に存在しない腕が自由に動かせるという錯覚を目から脳に送ることにより、治る場合がある。

なお、幻肢痛は先天的に手足がない患者にも起こることがあり、これは過去に手足を使っていた記憶によって起こるわけではない事も分かっています。
ということは、どこかの前世の記憶とも言えるのでは。


その他、この本は一度死んだ人が生き返って、再び消失するという内容ですが、これは、何を言いたかったのか。



最後の方の章で、主人公は自分が消えてしまうかもしれないということで、一瞬一瞬の時間を大切にしている、という部分を感じた。
これを読んで、一日一日を大切にしないといけないなと感じた。


Msさん
P408
「僕は、違うと思うんです。何かがこの世界に残るでしょう?消滅せずに存在し続ける。もちろん、遺骨だとか、髪の毛だとか、体の一部分は残ります。けど、それだけじゃない。僕は、他に残るものを、5つにわけて整理してみたんです。」
「5つっていうのは、そこにあるように〈記憶〉〈記録〉、それから〈遺品〉〈遺伝子〉、そして〈影響〉です。」


記憶と記録と魂など、何らかのものが残っていく。それを場面設定したのではないか。


Kさん
東日本大震災に出版された本なので、なにかしらの震災の影響は残っているのかもしれない。


Msさん
大切な人が身近で見守ってくれていると思って残された人は生きている。そんな場面設定をしたのでは。


Moさん
ふつう、残された人の心情を描くことは多いが、亡くなった当事者のことを描いたものは少ない。
その亡くなった当事者の心情を描きたかったのではないか。


Msさん
自殺をやめさせたいという思いで作者はこの本を描いたのではないか。



MOさんが調べてくれたところによると、この小説は、作者が36歳の時に書き始めた。それは自分の父親が死んだ歳で、作家になった時から、作者はその年齢を迎える時には、何か自分なりの死生観を、小説の言葉にすべきだと感じていたとのこと。
また、この小説を書き始めた年には、東日本大震災で、多くの方が亡くなり、それもまた、決定的な出来事だったとのこと。

デビュー以来、作者はずっと現代を「生きる」ということについて考えてきた。特に、2000年代に入ってからは、あまりにも社会が激変して、もう旧来の人間観では到底、間に合わないという実感を強く持っていた。
根性論でも、安直な癒しでもなく、どうすれば、今の自分の生に納得できるのか。
幸福とは何なのか?
この小説では、作者と同世代の人間の自殺が1つのテーマになっているが、それは、最終的に生を肯定するためとのこと。


Kさん
1分1秒の大切さ重みを感じた。


Moさん
この著者の自分の人生もオーバーラップしているのではないか。


Tnさん
自分の父親が亡くなった年齢は誰でも意識することがあるようだ。
友人が28歳で亡くなった父親の年を越えたときに、ずいぶん考えさせられたと言っていた。


Kさん
父親の亡くなった年齢を意識する息子の話を聞くが、母親が亡くなった年齢を意識するというのは聞かない。

息子にとって、父親の亡くなった年齢を目標設定する部分はあるのかもしれない。


Tnさん
森信三先生は、「男性は母親の性格を受け継いでいる傾向が強い。女性は父親の性格を受け継いでいる傾向が強い。だから、生まれてから、男は父親の背中を見て学ぶ。女は父親の性格を受け継いでいる傾向が強いから生まれてから母親の背中を見て学ぶ」と言っている。


結婚相手に女性は父親似、男性は母親似の容姿を選ぶ傾向があるといわれている。


ここでIさんが到着する。

■読もうと思ったきっかけは?

Iさん
「クロス×インタビュー」という番組で平野啓一郎さんが出演していて、この小説の話をしていた。

こんな本、絶対読むかと思ったが、なにかのきっかけで読んだら考えさせられた。

考えさせられたこと。
死について。死んだあとのことについて考えさせられた。

読んでいくうちに、分人という考え方になるほどそういう考え方があるんだなと感じた。

平野さんの小説は初めて読んだが、表現が好き。リアルに伝わる。表現が上手だなと思った。
いちいちリアルに思い浮かんでくる。


Moさん
家の中の情景はすごくリアルに感じた。



この本の中で佐伯が「幸せって、一体、何ですか?」「私は一体、何のために生きているのか?」「生きるのが好きじゃない人なんているんですか?」ということを言っていた。

その内容について、主人公は反論するが心の底では共感するところがあった。
これについて、こんな奴(佐伯)に言い負かされるかと反論していた。

受け売りですが今から140年ぐらい前のイギリスにジョン・スチュアート・ミルという哲学者・経済学者がいました。ミルは歴史上もっとも知能指数が高かったのではないかと言われていて、ミルが幸福について言っていることが参考になりそうだと思ってメモしてきました。

・「幸福を求めるのではなく、幸福以外のものを求めている時、幸福はそこにある」
幸福は求めるとどうしても手に入れやすいものに向かってしまう。そこで何らかの目標をもって活動している時、本人は気づかないかもしれないが、幸福はそこにあると言っています。
そして、そういう人は周りの人から見ると「幸せそう」となり、本人もあとから振り返った時に「あの時は幸せだった」となるというものです。

・「幸福を得る唯一の方法は、幸福を目的とせず、幸福以外の何か目的物を人生の目的とすることである」

・「自分の胸に今幸せかとたずねたら、とたんに幸福ではなくなってしまう」



その他、これは別の方が言っていたものですが、
・「人生は思い出をつくることにある。だから、たくさん思い出をつくれ!たくさん思い出をつくった人がいい人生を歩んだということである」

このへんが、幸福について、いい人生についての答えかなと思います。

あと、佐伯がこんなことを言っていました。

「人間は自由だ。だから死ぬ自由もある」と。

これについては、人間には自由はあるが、死ぬ自由というのはないと言いたいと思います。

人間以外の動物で自殺する動物はいないし、花には枯れる自由がないのと同様に、人間も死ぬ自由はないのが本来だと思います。
桜の花は桜の花を満開に咲かせようとしている、または、そのように作られていると思います。
自由があるから枯れて(自殺して)もよいとはいえないのではないかと思います。

その自由は、満開に咲く方を選択する自由であって、枯れる方の自由ではないと思います。

ではなぜ枯れる方を選べる自由があるのか、神様がいるのなら人間にそんな自由を与えなければよいのではという意見もあると思います、それについては、今年から始まったNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」からこんなシーンがあったので引用します。

禁書を読むことの必要性についてです。
禁書とは、戦前で言えば、共産主義の本がこれにあたると思います。
権力者は自分たちの体制を揺るがす批判的な書物を嫌います。
本来なら、さまざまな考え方や情報を与えて、人々に判断させるべきなのに、自分に都合のいい情報しか与えようとしません。
このような状態が、花が枯れる方を選べないという状態(自由がない)です。

吉田松陰は言いました。
「邪な本を読んだとしても、己の頭で考えれば何が良く何が悪いか人は分かるはずです。己の頭で考える事ができる者はかぶれも染まりもしません」と。
これが、枯れる方を選べる自由だと思います。人は本来、己の頭で考えれば枯れる方を選びません。


Tnさん
宇宙のすべてのものは、成長しようと思って生まれてくる。
そういうものをもって生まれてくるので、自ら死を願うということはないと思う。


Msさん
作者は、死にたがっている佐伯を反面教師として見せたかったのではないか。


Iさん
自殺というのは自分とあまりに遠いところにあるから、考えつかなかったけど、もしかしたら、ふと、疲れたから死にてーよとなってしまうのかなぁと。



うつ病は、今どんなに元気な人でもいろんな要素や出来事が積み重なっていくと、うつ病になってしまうようです。
そういうことが重なって、うつ病となり暗くなっていって、自殺を選んでしまうのかなと思う。
なので、どんな人でも自殺の可能性としてはあると思う。

ここに「ストレスチェック表」というのがあります。
このチェック表によってストレスの量を採点できるといわれています。
1番重いのは配偶者の死、2番目は会社の倒産などあり、1年の間にいろいろなことが積み重なると、高い確率で病んでしまうというものです。

たぶん人は、自殺する前にうつ病という暗い気持ちになって、それから死を選んでしまうのではないか。

朝、家を出るときに、今日死のうと思って家を出る人はいないのではないか。
今日も会社かいやだなという暗い気持ちで家を出て、駅のホームで電車を待っている間に、ふと、「あ~ここで線路に飛び込めば会社に行かなくてもすむな」と思って、発作的に飛び込んでしまう気がします。
なので、ホームドアというのはそういう自殺にはとても有効だと思います。


Moさん
自殺予防として色の効果を聞いたことがある。
駅のホームについている青色LED照明に自殺予防効果があるとのこと。
ブルーという色が飛び込みたいという気持ちを和らげてくれるとのこと。



一時期、高速道路の用賀インターの手前ぐらいにブルーライトの照明があった。


Msさん
世の中で自殺した人が、なぜ亡くなってしまったのかわからない、ということがよくある。



残された人がその理由がわからないことによって、なんで死んでしまったかということに苦しめられる。


Kさん
自分が配偶者を亡くして、配偶者の親からも責められて、収入も減って、周囲の人からも白い目で見られ、となると、ストレス点数も高くなる。



先ほどのストレス表は、アメリカの心理学者が考えたものを日本的なものにアレンジした表ですので、参考に後日みなさんに送ります。


Msさん
転勤、引っ越しもストレスになるんだ。


Tnさん
人事もこういう表のことはわかってるかな?


Msさん
P387に、疲れ、疲労というところがあった。

「……僕は、不安から逃れる方法を、1つだけ知ってました。それさえあれば、先のことなんか考えずに、とにかく今だけを生きられるんです。生きてるっていう実感を得られるっていうか……」
「……クスリか?」
「いえ。でも、そんなようなもんです。」
「酒?」
「――疲労です。」




疲労については、P389にこんなことが書いてあった。

「疲労は、披露宴のビールみたいなものだ」
「疲労が注がれるコップは1個なんです。会社で、これくらいなら耐えられると思っていても、実はコップには、家での疲労が、まだ半分くらい残っているかもしれない。そうすると、溢れてしまいます。」
「楽しい疲れは、仕事の疲れとは違うんじゃないか」
「精神的には違っても、肉体的には、疲労は疲労と見るべきなんだそうです。鬱になって、気分転換にマラソンに挑戦したり、登山をしたり、海外旅行に出かけたりしたせいで、症状を酷く悪化させてしまう人が、実は多いらしいんです。」



Kさん
Msさんは、お客さんとの接待とか疲れることはないのか。


Msさん
お客さんとの付き合いが続いたときは、疲れを感じることはある。


Tnさん
寝る前に良い本をちょっとだけ読めばいい。
ただ、読書会の一週間前はまだ読めていなかったので、毎晩本をけっこう読んでいた。



これは読んだ本にありましたが、寝る前に考えごとをしてはいけない。
どういう道を選んだらいいか、どちらを選択したらよいかなど悩ましいことを考えてはいけない。
人生や進路の選択など考えごとは昼間にすべしと。
夜には、正常な思考が惑わされる。
夜に考えても、解決しないか、考えた結論はおかしなもの(自らを不幸にするもの)になる。
夜に人生の重大な決断をしてはいけない。考えてもいけない。
特に、寝る前はどんなに悩みがあっても、悩みを考えず、意図的に排除して、できるだけ幸せな気持ちになって寝るのがよい。
どうしても考えてしまうようなら、自分の好きな本を読み、眠たくなったら寝るのがよい。
やり残した仕事のことなど考えては絶対にいけない。
将来の不安要素があることを考えてはいけないなどなど。


Iさん
自分は深く考えないほうだけど、同じ物事でも、深く考えてしまう人もある。


Tnさん
物事をみるときに、ブレないことが必要。
悪いことが続いたときに、これは自分のために起こっていると思うか、すべてが悪いほうに向かっていると思うか。そういうことが大事。



世の中にはバランスの法則があると思う。

幸福・不幸の状態にもバイオリズムがあると思う。
今はどういう時期か、ボトムか、ピークか、そこそこか。
ボトムではあきらめず、回復の時期を待って、ピークではおごらず、急転落をしないようにしなければいけないと思う。


バランスの法則についての補足です。

世の中なんでもいいことばかりではない。
いいことがあれば同じだけ悪いことがある。
いいことがあって、有頂天になっていると危ないし、反対に、どん底にみえてもそのうちそれに耐えただけに応じたいいことがあるとのこと。
なにかうまくいかないと思っても、それによっていろいろなことがそこそこうまくいっているともいえるわけで、何事もうまくいくなどというほど危ないことはないとのこと。

その他、このバランスの法則については、複雑なところがあるようです。

たとえば家族の幸福については、単純にみなを幸福にしてあげればいいというものではないらしい。
家族の幸福を守るためには、あえて不幸要因(多少の悩みを提供すること)を作るようなこともすることが大事のようです。
バランスの法則により、幸せはずっと続くものではなく、人は幸せすぎるわけにはいかないようです。
多少の悩みを提供することで、家族の幸せのバランスを取るということのようです。


Tnさん
みなさんも自分の人生振り返ってみて、良いこともあったし、悪いこともあったと思うけど、あとでそれが役に立ったなと思うことが多かったと思う。

自分も不良債権ばかりのところに異動になったとき、なんで自分が?と思ったが、その後研修に異動になったとき、後輩が不良債権で苦しんでいる気持ちがわかってやれた。

人生で与えられている試練は、神様が自分が与えてくれていると思ったほうがいい。



自分が苦境のときはなかなかそうは思えないですが。



人生で与えられている試練は、神様が与えてくれているというところを読んで、エドガー・ケイシーの言葉を思い出しました。
「あなた方は、宇宙が最大限の配慮を込めて今の状態にしているのだから、それを受け入れなければいけない。
今の自分の状況をしっかり受け入れて、これは今の自分に一番必要なんだ、相応しいベストな環境なんだ、宇宙は最大限の配慮を込めて、私をここに置いてくれたんだ」ということを。


Msさん
つらい経験もマイナス10の経験をした人は、プラス10の経験ができる、マイナス100の経験をした人はプラス100の経験ができる。
振り幅があるということ。

大病をされた人は、その後の価値観が変わっていたりする。


この「振り幅」というところで、嫌いな女優ですが沢尻エリカの言った言葉がいいなと思いました。
「波風を立てずに生きていくほうがよっぽどラクだし、できることならそうしたい。でも、深い悲しみや、心の底から湧き上がるようなよろこび。これだけ振り幅の広い人生を歩んでいるほうが、きっと表現に生かされると思う」


Tnさん
30になるまで病気になったことがなかったのに、ある日突然今夜が山だと言われるような経験をして、動くこともできない、食事もできないという経験をして、弱い人の気持ちが理解できるようになった。

経験しないと、なかなか理解できない。

弱っているときは、ベットから一歩も出られない。元気になれば、海外にも行ける。

経験しないと、なかなかわからない。
頭でわかっていても、体ではわからない。



事故に遭って、入院していた当初は、片足が固定されていて、寝返りができなかった。
寝返りを打てるってすごいことなんだと思った。
寝返りが打てることに感謝した。


Tnさん
たまに普段と違ったことが起こるというのは、その人にとって良いことだと思う。歯の痛みもそう。
ふつうに食べられることがふつうじゃないと感じる。


■このへんで時間となりました。

以上です。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿