意見・主張には必ず前提条件と結論があります。
AならばB。
XならばY。
まれに無条件に成り立つということもありますが、
それは「無条件でZ」ということですから、
無条件という前提があるわけです。
もちろん、前提条件を書くまでもない場合は多くありますが、
それは前提条件を省略しているだけであって、前提条件がないわけではありません。
つまり、「全ての意見・主張には前提条件がある」わけです。
ということは、意見・主張を理解するためには、前提条件と結論の2つをセットで理解することが必要です。
ところが、世の中には前提条件を忘れて、結論しか記憶していないやからが非常に多くいます。
私への反論のほとんど全てが、前提条件を忘れて、結論だけ批判してきます。
例えば屋内スポーツをD3で撮ったら今までないほどノイズレスだから、D2X以下の画質だという私の主張は違う・・・等。
これなど、全然反論になってないわけです。
私は「低感度画質ではD3はD2Xに劣る」と書いているわけで、
D3の超高感度のノイズの低さを否定しているのではありません。
つまり、前記の反論は反論ではなく私への賛成意見に過ぎません。
ことほど左様に、あらしは前提を忘れています。
要するに、結論しか記憶できないわけで、要は記憶力が劣っているわけです。
今後、記憶力の悪い人からの反論は受け付けません。
AならばB。
XならばY。
まれに無条件に成り立つということもありますが、
それは「無条件でZ」ということですから、
無条件という前提があるわけです。
もちろん、前提条件を書くまでもない場合は多くありますが、
それは前提条件を省略しているだけであって、前提条件がないわけではありません。
つまり、「全ての意見・主張には前提条件がある」わけです。
ということは、意見・主張を理解するためには、前提条件と結論の2つをセットで理解することが必要です。
ところが、世の中には前提条件を忘れて、結論しか記憶していないやからが非常に多くいます。
私への反論のほとんど全てが、前提条件を忘れて、結論だけ批判してきます。
例えば屋内スポーツをD3で撮ったら今までないほどノイズレスだから、D2X以下の画質だという私の主張は違う・・・等。
これなど、全然反論になってないわけです。
私は「低感度画質ではD3はD2Xに劣る」と書いているわけで、
D3の超高感度のノイズの低さを否定しているのではありません。
つまり、前記の反論は反論ではなく私への賛成意見に過ぎません。
ことほど左様に、あらしは前提を忘れています。
要するに、結論しか記憶できないわけで、要は記憶力が劣っているわけです。
今後、記憶力の悪い人からの反論は受け付けません。