コンタクトレンズの世界

大手メーカーがつくるコンタクトレンズをご紹介します。

【『あしたの瞳』…コンタクトを作った男・田中恭一】

2015-09-23 14:51:10 | 日記

かつて、
日本にまだ、コンタクトレンズという物が無かった頃、
ある一人の人物が、
コンタクトレンズの開発に、取り組みました。
その人物の名は、田中恭一。
田中恭一は、日本で初めて、
角膜コンタクトレンズの開発に成功し、
そして、コンタクトレンズを開発したばかりではなく、
その実用化や、普及させる事も、やってのけました。
田中恭一は、メニコンという会社を立ち上げ、
メニコンは、コンタクトレンズ・メーカーの草分けとして、今でも、大きな存在感を保っています。
その、田中恭一の生涯が、
かつて、ミュージカルとして上演された事が有るというのを、ご存知でしょうか?
『あしたの瞳』
というタイトルのミュージカルなのですが、
音楽は、宮川彬良(昭和の大作曲家、宮川泰の長男としても有名)が担当し、
脚本は、オペラと落語を融合させた、
「オペらくご」という、全く新しいジャンルを創出した事でも知られている、響敏也が、
そして、演出は、
オペラやミュージカルの演出を多数手掛けている、佐久間広一郎が、
それぞれ担当しました。
物語は、田中恭一をモデルとした、
田中常一という青年が、数々の困難を克服し、コンタクトレンズを開発して行く…という内容ですが、
田中常一青年は、
終戦直後、焼け野原となっていた日本で、
「自分の手で、コンタクトを作ってみたい!」「日本にも、コンタクトレンズを普及させたい!」
という熱い思いを胸に、
独自のコンタクトレンズを、作り上げて行きました。
それまで、何のノウハウも無かった所から、
自分の手で創造して行くというのは、
本当に、大変な事だと思います。
しかし、彼は見事に、それをやってのけました。
『あしたの瞳』
のテーマとして、田中が生涯をかけて追求した、
「目に見える、という事は、一体何か?」
という問いが、根底に有ると言われています。
コンタクト愛用者ならずとも、とても気になる、この舞台は、
ラジオドラマとしても、放送されたとの事。
私も、機会が有れば、是非とも鑑賞したいものです。