いぁ、いつも真面目なほたるデズ^
今から丁度16年前。
2月に次男が生まれてからその年の12月まで、育児ノイローゼかと人から言われながらも、あちこちの病院へ次男を連れて体の異常さを訴えていました。
母親の勘というのは自分で言うのもなんですが、凄いものがあります。
「心配し過ぎだ」という医者にもCTまで撮ってみても「異常なし」という医者にも信用することができず、藁をもすがる思いで神戸に居る先生を訪ねました。
そこで「脳腫瘍」と診断されてからもう16年が経ちました。
息子の病気をきっかけに、それまで考えもしなかったことを考えるようになりました。
「生きること」って何だろう。
「脳死って人の死なのか?」とか、そういうこと等。
まだ生まれて間もない自分の子供に、次々に最悪(?)を想定させる言葉が医者から出たけれど、歩けないかも知れない。目は見えなくなるかも知れない、etc・・・・
その1年前には全く想像もし得なかったこと。
この子の未来はどーなるのか。
歩けなければ私が車椅子を押して何処でも連れてく。
けれど目が見えなくなってしまったら・・・・・・
感動するということをどうやって味あわせてあげたらいいのかって思いました。
4ヶ月間ほどの入院の間には、そりゃーもーいろんなことがありました。
丁度その当時「脳死は人の死とするか」ということについて連日騒がれていたときでしたけど、
私は自分の子供が「脳死状態になるかもしれない」と言われた瞬間に答えがはっきり出たことを今でも覚えています。
「決して脳死は人の死ではない」ということ。
どんな形であろうと、灰ではなく生身の体があって、その「人」が「人」に何かを与え、そして影響を受けることが出来ること。
それが「生きている」ということではないだろうかと考えました。
今17年経って、次男はピンピンしていて、今ではその当時のことを笑い話にしたりするけれど、私がそう答えを出したということは、忘れてはならないことだと思います。
どっかのお坊さんのように偉いわけじやーないけれど
「生きる」ということは、「生かされている」ということで
それがどんな形であろうとも必要とされて自分の存在があるということ。
存在することによって、誰かに影響を及ぼしているのだということ。
生まれながらにして寿命に運命があるとしたら、限られた時間をたった1分でも無駄にしてはいけないということ。
ここんとこずっと、下らないストーカー行為まがいのことをする人に悩まされてきたけれど
そんな下らないことに自分の大切な時間を使ってはいけないのだ なんてことを
今日改めて思いました。(謎)
「生きるということ」「生きているということ」について、勝手に自己完結しているのですが^^
自分に有るもの。
自分に与えられたもの。
それを認め、その範囲内で自分のできることを
自分の出来る限りで尽くすこと。
それによって、間接的ではあるけれど
何かに、誰かに必ず影響するのだという責任を自覚すること。
が、「生きること」「生かされること」なのではないだろうかと今日改めて、思いました。
今から丁度16年前。
2月に次男が生まれてからその年の12月まで、育児ノイローゼかと人から言われながらも、あちこちの病院へ次男を連れて体の異常さを訴えていました。
母親の勘というのは自分で言うのもなんですが、凄いものがあります。
「心配し過ぎだ」という医者にもCTまで撮ってみても「異常なし」という医者にも信用することができず、藁をもすがる思いで神戸に居る先生を訪ねました。
そこで「脳腫瘍」と診断されてからもう16年が経ちました。
息子の病気をきっかけに、それまで考えもしなかったことを考えるようになりました。
「生きること」って何だろう。
「脳死って人の死なのか?」とか、そういうこと等。
まだ生まれて間もない自分の子供に、次々に最悪(?)を想定させる言葉が医者から出たけれど、歩けないかも知れない。目は見えなくなるかも知れない、etc・・・・
その1年前には全く想像もし得なかったこと。
この子の未来はどーなるのか。
歩けなければ私が車椅子を押して何処でも連れてく。
けれど目が見えなくなってしまったら・・・・・・
感動するということをどうやって味あわせてあげたらいいのかって思いました。
4ヶ月間ほどの入院の間には、そりゃーもーいろんなことがありました。
丁度その当時「脳死は人の死とするか」ということについて連日騒がれていたときでしたけど、
私は自分の子供が「脳死状態になるかもしれない」と言われた瞬間に答えがはっきり出たことを今でも覚えています。
「決して脳死は人の死ではない」ということ。
どんな形であろうと、灰ではなく生身の体があって、その「人」が「人」に何かを与え、そして影響を受けることが出来ること。
それが「生きている」ということではないだろうかと考えました。
今17年経って、次男はピンピンしていて、今ではその当時のことを笑い話にしたりするけれど、私がそう答えを出したということは、忘れてはならないことだと思います。
どっかのお坊さんのように偉いわけじやーないけれど
「生きる」ということは、「生かされている」ということで
それがどんな形であろうとも必要とされて自分の存在があるということ。
存在することによって、誰かに影響を及ぼしているのだということ。
生まれながらにして寿命に運命があるとしたら、限られた時間をたった1分でも無駄にしてはいけないということ。
ここんとこずっと、下らないストーカー行為まがいのことをする人に悩まされてきたけれど
そんな下らないことに自分の大切な時間を使ってはいけないのだ なんてことを
今日改めて思いました。(謎)
「生きるということ」「生きているということ」について、勝手に自己完結しているのですが^^
自分に有るもの。
自分に与えられたもの。
それを認め、その範囲内で自分のできることを
自分の出来る限りで尽くすこと。
それによって、間接的ではあるけれど
何かに、誰かに必ず影響するのだという責任を自覚すること。
が、「生きること」「生かされること」なのではないだろうかと今日改めて、思いました。