鞦韆院落
北京で過ごすインディペンデント映画な日常
 

検定  


調べ物があって東京都立図書館へ行ってきました。
入ったのは初めてだったのですが、さすが都立図書館だけあって、なかなか近代的ですね。

まず入館時に入口で入館証を受け取るのですが、それに番号とバーコードがあります。
入館すると、検索パソコンがずらりと並んでいて、それにバーコードを読み取らせて検索をします。
読みたい本が書庫にあったらボタンをクリックし、暫く待てば、館内の各階にあるモニターに自分の番号が表示され、カウンターで本が受け取れるという仕組み。
図書館も進化するんですね。

ここは蔵書の量も多いので、見たことがないような本もたくさんあります。
ちなみに私が書いた本も置いてありました。

語学のコーナーで中国語関係の本を眺めていたら、『日本人を対象とした旧「満洲」中国語検定試験の研究』という本がありました。
どうやら博士論文らしく、著者は中国人。
中国の学者が、日本で研究して書いたもののようです。
パラパラめくってみたところ、当時の試験問題も掲載されていました。
でも、結構難しいのです。
私も一応中国語学習者ですが、正直合格できる自信がありません。
満州の言葉なので、今の普通語より東北方言に近いというのもあるし、今では使われていないような表記方法もあったりするのかもしれないけど、全然理解できないものもチラホラ。
こんな検定試験が行われていたとは、当時の日本人の中国語力は相当なものですね。
やはり現地で育った子供とかもいるから、李香蘭のようにネイティブなみの人も少なくなかったのだろうし、大勢いる日本人の中には優秀な人もたくさんいたのでしょう。

開拓団のイメージもあり、日本人が固まって住んでて中国語もろくに理解できてなかったように想像してましたが、これでかなり印象が変わりました。
非常に興味深い本なので、時間があったらちゃんと読んでみようと思います。

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困難  


香港国際映画祭(HKIFF)のサイトを見ていたら、『笨鳥』がキャンセルになっていて驚きました。
よくわからないけど、止むに止まれぬ事情があるのでしょう。
この作品はかつて香港亜洲電影投資会(HAF)で賞を獲った作品でもあり、HKIFFで上映できないのは残念だろうと思います。

今年のHKIFFは、いつになく大陸の作品が少ないというか、魅力的な作品が少ない気がします。
一部にはHKIFFは中共に屈したのではという意見もあるようですが、むしろ電影促進法による映画会社側の事情でしょうね。
ロッテルダムやベルリンの頃はまだ電影促進法が施行されていなかったから、駆け込みで出品できたけど、HKIFFは施行されてから最初の大きな映画祭(中国映画にとって、という意味ですが)なので、とりあえず様子を伺っているのだと思います。
ベルリンに参加した映画会社のところに、その後電影局からいちいち連絡があったという噂も聞きました。
睨みが効いているのでしょうか。
それでもHKIFFのコンペ入選作をみると、フィクション部門にはどう考えても検閲を通してなさそうな映画もあるし、ドキュメンタリー部門も馬莉の『囚』といい郭熙志の『工廠青年』といい、検閲は通してないと思うので、その限りとも言えませんが。

実は、土曜日に栗憲庭電影基金で『囚』の中国初となる上映があったのですが、政府からの妨害もなく、無事に287分の上映を終えることができたそうです。
何かあっても可怪しくないと思っていたので、ちょっと意外でした。
ドキュメンタリーにはさほど厳しくないんでしょうかね。
それとも両会が終わったばかりだから、ちょっと緩んだとか?

今年はHAFへの参加を見合わせた中国人監督もいると聞いて、ビックリしました。
そこまで厳しくなっているんですね。
今後は資金集めも容易ではなさそうです。
ますます政府の顔色を伺いながら作るつまらない映画ばかりになって、映画業界が「促進」されていくんでしょうか。

知り合いの青年が、半年くらい前から北京の映画宣伝会社で働くようになったのですが、もうこの業界に未来が感じられなくなったらしく、他業種への転職を考えていると言ってました。
宣伝会社でさえそう思うんだから、映画を作る人はなおさらでしょう。

この現状には于広義もかなり嘆いていて、今日も「映画は厳しいから、お前は日本で中国語の先生にでもなれ」「中国語を学びたがっている女の子を掴まえればいい」と言われました。
仮に中国語を学びたがっている女の子がいたとしても、カワイイ娘はなかなか掴まらないんですがねえ。

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転居  


このたび転居をして、三十数年ぶりに都民になりました。
春なので新生活です。
今度の住居は、築46年のボロ物件で、大通りと線路に挟まれた凄い所です。
なので、とにかく安いです。
もちろんそんな物件が好きなわけではなく、あえて居心地の悪い所に住んで、ハングリー精神を養おうという「臥薪嘗胆作戦」です。
1年くらい住んだら、もっと良い所へ引っ越そうと思っています。

もともと引っ越しが嫌いじゃないというか、大学に入ってこれまで二十数回引っ越していて、いろんなところに住んでみるのが楽しいのです。
今回はさすがに、これまで住んだ中で最古の物件ですけど。
ただ、中国のマンションに比べたらキレイかな。

そんなボロ物件ですが、不動産屋からインターネットが無料だと言われました。
でも、よく聞いたら無料なのは1Mの超低速サービスのみで、それ以上の速度にすると有料なのです。
しかも、ケーブルテレビのネットサービスだといいます。
以前にも、日本でケーブルテレビのネットを契約していたことがあって、そのときはしょっちゅう停まるし、なぜか異常に遅いし、ロクなもんじゃなかったのです。
できれば1Gの光とかにしたいけど、その場合は工事費とかがかかるし、大抵は2年以上の契約の縛りがあり、私のように1年くらいで出たいと思っている人には不向き。
悩めるところです。

部屋の申し込みをした日、さっそくケーブルテレビ会社から電話が来ました。
テレビの初期設定をするので、引っ越しの日に来ると言います。
私はテレビを観ないのですが、この物件は最初からテレビが付いているので、不動産屋が連絡をしたのかなと思い、ネットのこともあるのでとりあえず来てもらうことにしました。

引越し当日、さっそくスーツを着たケーブルテレビの人が現れ、初期設定をするから上がらせてくれといって入ってきました。
その人はテレビのスイッチを入れ、画面が映っているのを確認すると、スイッチを切りました。
え?それだけ?
そんな確認なら自分でできるじゃん。
すると今度は、「ところでネットの契約はどうしますか?」と聞いてきます。
どうやら初期設定などもともと必要なく、ネットのセールスに来ただけのようです。
なんか感じ悪い。

その人は、1Mだと無料だけど、遅くて使い物にならないから、月々3300円の320Mにしろと言います。
使い物にならないサービスを提供しているのは自分たちなのに。
一応、建物でケーブルテレビに入っているので、定価よりは安いらしいけど、NTTの1Gで3800円とかだから、微妙な金額ではあります。
「どうしますか。320Mでいいですか」
「それ、今決めないとダメなんですか」
「皆さん、そうされてます」
「他社と比較したいから、パンフレットか何かください」
「パンフレットはありません」
「は?無いんですか?詳細もわからず契約するんですか」
「ホームページに書いてあります」
「とりあえず無料の1Mを使って、あとで切り替えるのはダメですか」
「切り替え料が五千円かかります」
「随分高いですね。1Mと320Mしか選択肢は無いんですか?」
「そうです」
「でも、不動産屋は他にもあると言ってましたよ」
「12Mというのはありますが、遅くて動画も観れませんよ」
「12Mと320Mの中間は無いんですか」
「ありません」
「たしか120Mというのがありますよね」
「ああ、あります。でも値段は320Mとほぼ同じですよ」
「具体的にはいくらですか」
「ちょっと調べないとわかりませんね」
どう考えても怪しすぎです。
会社としてはコストは同じだから、そりゃあ一番高い320Mに加入させたいのでしょう。
調べると320Mといっても下りだけで、上りは10Mしかなく、全然使えません。
だから資料とか見せたくないんでしょうね。
また、ネットで調べるとものすごく評判が悪く、実測ではスピードが100M出てないのは当たり前、酷いのは1/100なんて人もいて、解約したいけど違約金がかかるから何とかしたいという意見ばかり。
その場で結論を急がせるのはそのへんにも理由がありそう。

こう考えると、ケーブルテレビはありえない選択です。
しかし、他社は工事からやるから数万円は高くなるし、2年使わないと更に違約金が。
それに、今から頼んでもネットが使えるのは4週間後とかいいます。
待てません。

うーん、広州では4Mが三千円だったし、それに比べたらケーブルテレビもありかな。
でも0.5Mしか出てないという書き込みもあるしな……。
臥薪嘗胆作戦はやっぱり大変。
皆さんは、ちゃんと光が引いてある物件を探してくださいね。

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新作  


長らく更新を怠っておりました。
ブログを始めて以来、1ヶ月近く更新をしなかったのは初めてです。
もっとも、最近はブログというのもは流行らなくなっていて、読む人も減っているようですが。
Facebookも最近は投稿数が減っているというニュースがありました。
個人的な感覚ですが、Twitterも以前に比べて反応が鈍くなっている気がします。
みんなあんなにスマホをいじっているのに、何を見ているんでしょうね。

さて、私が更新をしなかったのは、ずっと日本にいたためにネタが無かったからです。
実は空気の悪い中国を離れ、日本で働くことに決めました。
今後はますますブログを更新する機会が減りそうです。

ネタが無いとは言っても、中国の映画人たちの活躍は続いています。
ベルリンでは『笨鳥』がジェネレーション部門でスペシャルメンションを取り、日本でも大きく報道されていましたね。
昨年WOWOWでも黄驥と大塚さんがこの作品を撮っている様子がドキュメンタリー番組で放送されていて、とても面白く見ました。
この映画はかなり長い時間をかけていて、私も完成をとても楽しみにしていたので、受賞したと聞いてとても嬉しく思っています。
早く作品を観たいものです。

それから、ベルリンではコンペに劉健の『好極了』が出ていました。
コンペ唯一の中国作品だし、中国アニメがコンペに出るのはもちろん初とあって、中国でも関心を集めました。
人民網の日本語版でもニュースになっています。

しかし、この映画は中国の検閲を受けないまま出しているので、本来は政府からのお咎めがあっても不思議ではありません。
去年法改正があって規制が厳しくなったばかりなので、マイナーな映画祭ならまだしも、三大映画祭のコンペ出品とあっては嫌でも注目されます。
そのことは劉健もわかっていて、遅れて検閲には出しているのですが、まだ結果は出ていないそうです。
そのため、国内の公的メディアは『好極了』の存在を黙殺しているそうです。
人民網日本語版は外国語だからいいのか、ただのフライングなのか……。
映画祭で作品の評価が高いと後から検閲を通るという例も過去にあったので、どうなるかは分かりません。
ちなみに賞こそ逃したものの、ベルリンでの評判は非常に良かったようです。
ワールドセールスも決まったようなので、海外で公開される可能性も出てきました。
こちらも楽しみです。


それから、フランスのドキュメンタリー映画祭Cinéma du réelが来月開かれますが、国際コンペに中国作品が2本入っています。
ひとつは徐辛の『長江』。
これは楊超の『長江図』が撮影されていたとき、撮影隊と同じ船に徐辛が乗って、長江沿いを撮ったものです。
でも内容は『長江図』と直接関係がなく、あくまでも彼個人の作品だとか。

もう一本は黄文海の『凶年之畔』。
これはロッテルダムにも参加していた作品です。
日本では『夢遊』くらいしか知られていない黄文海ですが、最近は香港で暮らしながら社会運動系の作品を撮ったり、中国ドキュメンタリーの本を出版したりしています。
かなり批判性の強い作品になっていることでしょう。


いずれの作品も私は観ていません。
こうした作品を私が日本で紹介できればいいのだけど、きっと『笨鳥』や『好極了』は既に色んなところが興味を持ってるだろうから、私の出る幕は無いでしょうね。
寂しいような、嬉しいような。

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新年  


新年快乐!
春節ですね。

中国各地では昨夜からPM2.5の数値がずっと300を越えています。
あの人たちは、普段は数値が高いと文句を言うくせに、こういう時はむしろ自分から空気を汚すんですよね。
爆竹の煙なら体に悪くないとでも思っているんでしょうか。
一晩だけならまだしも、連日ずっとやってるし。
時代が変わっても、こういうのは変わらないですね。

ただ、彼らに言わすと年々春節らしさが無くなってきているそうです。
貧しかった昔みたいに、春節だから新しい服が着られるというようなこともないですからね。
この頃は海外で過ごす人も増えたし。

それから、春節と言えば餃子ですけど、今は年夜飯で食べない人も増えています。
山西や山東の友人も、昨夜は食べなかったと言ってました。
かつては北方なら絶対に餃子は外せなかったと思うんですが、食事も多様化しているようですね。
もともと餃子なんて滅多に食べられないという時代があったので、年夜飯に食べるというのは一種の贅沢でもあったわけで、今はもっと良い食べ物があるということなんでしょう。
経済発展とともに楽しみ方も変わるのです。

彼らには、早く爆竹に代わる楽しみも見つけて欲しいものです。

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報告  


中国にいるとツイッターが見られないので、普段は自分の映画祭のツイッターを開くこともほとんどありません。
日本に戻った時は、たまに告知を流したりもして、今日も開いていました。
ついでに、前回の映画祭のときに流したものを読み返したのですが、多くの人が映画祭について書いていて、それもとても良いことを書いてくれていて、ああ前回も面白かったなあと思いました。
自画自賛になるけど、いい作品も多かったし、充実してましたよね。


告知するタイミングをずっと考えていたのですが、ここで書くことにします。
今年は中国インディペンデント映画を開催しません。
本来なら2年に一度で、今年の年末ごろが第六回の開催時期にあたるわけですが、やらないことにします。
理由は、面白い映画が少ないから。
やっぱり納得のできる映画が集まらないと、苦労してまで開催する気が起きないし、観に来てくれる人たちにも申し訳ないですから。

良い作品が全く無いわけではないのです。
呉文光の『調査父親』はとても好きな作品だし、前回上映できなかった張賛波の『大路朝天』とか周浩の『大同』などもまたチャレンジしてみたいとは思います。
でも、特にフィクションで上映したいと思える作品が非常に少ないのです。
映画祭のプログラムを固める夏までにはまだ時間はあるので、これから出てくる可能性は大いにあります。
ただ、これから出てくる作品は、うちが日本プレミアを奪うわけにはいかないので、他の映画祭の結果を待たないといけないのです。
だから、やっぱり今年上映するのは難しい。

とりあえず今年はお休みする、ということにします。
次回については、時期が来たらまた考えるということで。

私も今年は個人的に生活を変えてみようと思っています。
どう変わるのかは、まだ分かりませんが。

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山航  


日本に戻って来ています。
昨日、山東省済南から飛んできました。

春節を前に、最近はチケット代が随分と上がっています。
以前はもう少し春節が近づいてから値上がりしていたのですが、だんだん前倒しされている気がします。
春節で海外へ出る人が増えましたからね。
特に日本はここ数年中国で人気の旅行先なので、高くなります。
あの春秋航空の上海ー茨城便でも片道4万円くらいします。

一番安い便を調べたら、山東航空が昨年8月から飛ばしている済南ー羽田便でした。
費用は850元ほど。
北京から飛んでいる便だと安くても2000元くらいするので、ダントツの安さです。
その代わり20時20分発で、羽田に着くのは深夜の1時ごろなので、もう終電もなく、非常に不便ではあります。
LCCみたいなものですね。
ただLCCではないので、荷物は20kgくらいは預かってもらえます。

北京から済南までは高速鉄道で約2時間、194元。
済南駅前から済南空港までバスが走っていて、約1時間で着きます。
昨日は悪天候のため、途中の高速道路が閉鎖されており、バスが出なかったので、乗り合いタクシー(50元)で行きました。
トータルで1100元ほどですから、やっぱり安い。

早めに北京を出て、午後に済南の友人と会い、夕方に空港へ移動しました。
私が2時間前くらいに空港の出発ロビーに着くと、国際便カウンターへ向かう扉が閉じられたままで、大勢がその前で待機していました。

済南の空港は小さく、国際線は1日数便しか飛んでいません。
山東省では、国際便は青島空港に集中しているのです。
だから、国際便の一角は普段扉が閉まっていて、フライトが近づくと職員たちが入っていって国際便の業務を行い、搭乗を終えると職員も持ち場を離れる、というやり方のようです。
いつも混んでる北京や上海と違い、イミグレも時間の余裕がたっぷりあるので、乗客への尋問も行われます。
前に並んでいた人は、「日本へ行く目的は?」「留学先の学校名は?」「専攻は?」など細かく聞かれていました。
日本人は何も聞かれません。

機体はB737-800。搭乗率は60%くらいでしょうか。
乗客ほぼ全員が中国人で、それも地元の団体ツアーが多いようです。
搭乗するなり客室乗務員が入国カードと税関申告書を配っていたのですが、客室乗務員は「申告する物がある人だけ書けばいいです」と言ってました。
本当は全員が書かないといけないのに、この人たちは知らないのでしょうか。
いつもとんぼ返りで、本人たちは書いたことが無いのかな。

彼女たちは乗客から日本との時差を聞かれ、他の乗務員もわからず、操縦室まで聞きに行ってました。
なんで? 8月から飛んでるんじゃないの?

夕食が出るものだと思っていたら、ビスケットしか配られませんでした。
国内便でももう少し何か出そうなものを……。

飲み物を何にするか聞かれたので、ビールはあるかと聞いたら、小さな声で「有」といいます。
まるで、他の乗客に知られたくないような感じ。
山東航空だから、もちろん青島ビールだろう、いやもしかしたら嶗山ビールかなと思ったら、出てきたのはなんと武漢のバドワイザー。
地元のこだわりとかないんですね。
しかも、客室乗務員が紙コップに注いでくれるのはいいんだけど、泡が溢れて大変なことになってました。
初めてビール注ぐの?というくらい。
ビールのない国内線ばかり乗ってるのか、国際便でもビールを頼む人がいないのか、不思議です。

それにしても山東航空の客室乗務員は背が高いです。
もともと中国の航空会社はどこも背が高いけど、ここは格別ですね。
さすが山東。

羽田には0時頃に到着しました。
予定より1時間も早いです。
フライト時間が2時間40分しかかからないなんて、北京よりだいぶ近いんですね。

イミグレに行くと、日本人用の窓口に係員がいませんでした。
深夜ってこんな感じ?
日本人の利用者がそんなにも少ないということでしょうか。
初めて外国人窓口に並びました。
それほど並ばなかったのでいいですが。

羽田から済南へ戻る便は深夜に飛んでいるようで、こちらも安いようです。
中国北部では数少ない格安便なので、済南に興味のある人なら、利用を考えてもいいかもしれませんよ。
特にオススメはしないけど。

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式典  


7日と8日は北京で大きなイベントがありました。

7日に行われたのは、栗憲庭電影基金10周年記念パーティー。
宋荘のレストランで行われたこのイベントには、100名以上のゲストが参加しました。
ゲストの多くは監督で、特に初期から基金の映画祭に参加していたベテランの監督が揃っていました。
胡傑、馮艶、季丹、徐童、章明、杜海濱、李紅旗、顧桃、徐辛、皮三、張賛波、叢豊、楊弋枢、楊瑾、皺雪平などなど。
また張献民や郝建、楊洋といった宋荘の映画祭でおなじみの人をはじめ、王小帥、楊超などあまり映画祭には来ていなかった人も顔を出していました。





遠く南京や深センなどからわざわざ訪れた人もたくさんいました。
こんなに映画人が宋荘に集まるのは何年ぶりでしょうか。
久しぶりのイベントでも人がこれだけ集まるというのは、みんな基金に想いがあるのでしょうね。

私は基金が設立して1年もたたないうちに事務所を訪れ、第2回の映画祭からは毎回参加していたので、かなり古いほうです。
2010年にはスタッフもやってたので、基金との関係は深いし、その時知り合った人も少なくありません。
ただ、私が基金を離れた11年からもう5年経っていて、いま10周年ということは今後は私が離れてからの期間のほうが長くなるわけです。
それでもパーティー参加者の殆どが知り合いなのは、最近あまり基金が活動をできていないために、新しい人たちはあまり増えていないからです。



パーティーでは特に催しもなく、ただ関係者や来賓が挨拶をし、食事をするだけでしたが、久しぶりに会う人も多く、同窓会のような感じで非常に楽しかったです。
20時頃には終わり、その後も宋荘の一元電影院などに移動して、深夜まで歓談して過ごしました。


翌、8日には中国独立影像展(CIFF)の授賞式が北京市内のアートスペースで開かれました。
CIFFはずっと南京で開かれていて、南京影展などと呼ばれてきましたが、今では南京政府からの圧力が強く、大学での開催も困難になっており、場所を北京に移しています。

中国で一番圧力が強いのは北京のはずで、その北京に移ってくるというのも変な話ですが、彼らは北京ではCIFFを名乗って活動しておらず、別な組織に名を借りて、先月から入選作品を少しずつ上映してきました。
ついにその上映も無事すべて終了したので、このタイミングで授賞式を開くことになったのです。

北京は他の都市と比べものにならないくらい映画の上映イベントも多いので、隠れ蓑がたくさんあるとも言えます。
また、監督や審査員をはじめ、主催者側の人も圧倒的に北京に住んでいる人が多いので、北京のほうが当然やりやすくなります。
どうせ映画祭の名称に南京という名は使われていないんだし、全国どこだって良いじゃないかというわけです。

私は主催者から授賞式の日時を知らされてはいましたが、行くつもりはありませんでした。
会場が宋荘から遠く、しかもスタートが夜からなので帰るバスもなくて、不便だからです。

当日私が昼から友人の家に呼ばれ、何人かで過ごしていたら、急に顧桃がやって来て、「南京影展の授賞式に行くぞ」と言います。
他の人たちは行く気がなくて断ったのですが、顧桃は誰かと約束でもしたのか、誰も行く人がいないことに焦っていて、私を意地でも連れて行こうとするので、車があるなら行っても構わないと言ってしまいました。

顧桃の隣人が車を出すことになり、我々はその車で会場まで行きました。
着くともう授賞式は最後の大賞を残すのみとなっていて、しかも大賞は「該当作品無し」でした。
他の賞を獲った作品もほとんど観ていないので知りません。監督も若い人らしく、名前も聞いたことがありませんでした。
私が授賞式に来る気がなかったのは、作品も監督もほとんど知らないからなのです。



香港とマカオの作品が何かの賞を獲っていたようです。
中国のインディペンデント映画祭で香港とマカオが賞を獲るというのも、時代が変わったなという感じがします。
唯一、ドキュメンタリー部門では私の知る李紅旗の『神経Ⅱ』が賞を獲っていて、好きな作品だったので良かったです。

かつては宋荘とCIFFの映画祭ではほとんどプログラムが被っていたのですが、最近は応募段階から毛色の違いが出てきているようで、上映作品も受賞作品もほとんど被りません。
宋荘がわりと批判性があって検閲を通りにくいような作品を好むとすれば、CIFFは検閲を通り得ないようなハードな作品は選ばず、特にフィクションでは若い監督の作品が多く選ばれています。
これは数年前から主催者のメンバーが若い世代に入れ替わったこととも関係があり、CIFFは運営側も監督も観客も、みな20代から30代前半にかけてばかりで、若い人がインディペンデント映画をやるというのはある意味で海外に似ているのですが、かつての中国独立電影とは明らかに変わってきています。
私は彼らとは世代が離れるばかりで、趣味も合わなくなってきているし、CIFFへの興味は薄れているというのが本当のところです。
正直、10年くらい前に観たような、面白いなあと感心させられるような作品はほとんどありません。
どれも安っぽい商業映画みたいで、見ごたえがないのです。
そういう点では、宋荘も面白い作品が減ってきたとは言え、比較的趣味は合います。



授賞式には数百人が来ており、やはりほとんどは若者でした。
宋荘のパーティーが40代中心だとすれば、こちらは20代中心といった感じ。
女性も着飾って厚化粧をしている人が多く、宋荘のような普段着とは全然違います。
知り合いももちろんいたけど、8割以上は知らない人でした。
2011年のCIFFなら、少なくとも半分は知ってる人だったんですけどね。
ノリも趣味も違うので、あんまり私が来るところじゃない気がしました。

もちろん、CIFFが悪いとは言いません。
若い人の登竜門は必要だし、それもインディペンデント映画祭の役割ですから。
もともと中国のいくつかの独立映画祭は似すぎていたので、個性が出て多様化していけば映画も豊かになるでしょう。
それぞれが発展していくことに期待したいものです。

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昆明  


昆明に来ました。
マンダレーから昆明へ東方航空が飛んでいて、北京まで通しで買うと安かったので、昆明経由にしたのです。
久しぶりに昆明も見てみたかったので、昆明で1泊することにしました。

前回ここに来たのは09年の雲之南ですから、もう8年近くになります。
あの頃は空港が街の近くにあって便利だったのに、今は新しい大きな空港が遠くに出来てるんですね。
高速鉄道まで通っているとか。
昆明も変わったものです。

私は99年の1月に始めて雲南に来て以降、わりと頻繁に昆明に来ていました。
旅行でも度々訪れていたし、サラリーマン時代は出張でも何度か来て、1ヶ月昆明飯店に滞在したこともありました。
当時はJASが関空から直行便を出していて、客室乗務員も昆明飯店に泊まっていました。

そんなわけで、昆明はかなり馴染みの街でした。
ここは本当に気候が良くて、居心地の良いところです。
それが、気がつけば8年も来ておらず、久しぶりに来たら風景も変わっているし、道もよくわかりません。
中国はどこもそうだとわかっていても、少しショックです。

雲南は旅するべきところが多く、私も独龍江や梅里雪山へ行ったり、ラオスから入って来たり、いろんな過酷な旅もしました。
だから毎回昆明に着くと、すごくホッとするのです。
ここで英気を養ったり、必要な物を買ったり、昔はフィルムの現像をしたりもしました。
旅人にとっては、そういう街でした。

90年代は、昆湖飯店という宿が外国人旅行者に人気があって、私もよく使っていました。
当時はユースホステルなんか無かったですから。
でも今は昆明にも魅力的なユースホステルができて、外国人がたくさん集まっています。
私も今回宿を探していて、安くて外国人が泊まれる宿が見つからず、ユースホステルにしました。
とはいえ、私の部屋はバスルーム付きの個室ですけど。

ここまで歩いてくる途中、急にかつて見た懐かしい風景が出てきて、思わず立ち止まってしまいました。
昔あんなに好きでよく来ていた昆明が突然姿を現したために、いろんな記憶がフラッシュバックしました。
思い返せば、色んな人と出会い、ともに旅をした雲南です。
忘れていた想い出もたくさんありました。

ちょっと感傷に浸りながら、ユースホステルに着きました。
レセプションの壁には、雲南各地の写真や情報が貼ってあります。
当時もこんな宿があったら便利だったろうなと思う反面、麗江を始め、変に観光開発される前に雲南を周れることができて良かったなとも思います。
未開発で少数民族の自然な生活が見られるところが、雲南の大きな魅力でしたから。

ユースホステルにはバーが併設されていて、とても賑わっていました。
中に入り、シャングリラビールというのを飲みながら、本棚を眺めていたら、懐かしい本がありました。
2003年に発売された、『中国徒歩穿越』という本です。
当時は中国の若者の間で旅行がブームになってきていて、『藏地牛皮書』が流行ったり、雑誌『中国国家地理』が人気を博したりしていた時期で、この『中国徒歩穿越』はアウトドアな徒歩旅行の手引書として、お勧めルートを紹介したりしていました。
ただ、ガイドブックと言うにはお粗末すぎるほど情報が足りず、ネットも発達していなかった当時では、こんな本を鵜呑みにしたら遭難必至でした。
でも私はこの本を手に、実際に独龍江に行ってしまったりしたので、影響は受けています。
その後、引っ越しで捨ててしまい、10年以上見ていなかったので、改めて見直して「やっぱりこの本使えないな」と思いながら、でもとても魅力的に書いてあって(当時はまだ未開な場所がたくさんあって、旅も面白かったのです)、ワクワク感を思い出しました。

さらに本棚を眺めていたら、96年版の『地球の歩き方 中国』がありました。
私が始めて中国に来た時に使っていたものと同じです。
きっと私と同年代の人が置いていったんでしょうね。
載ってる写真も古くて懐かしいし、都市ごとの地図には「新華書店」とか「中国国際旅行社」「民航售票処」なんて表記があるし、外国人入場料◯◯元とか、宿の紹介で大学の招待所が書いてあったり、もう懐かしくてたまりません。
今では考えられないほど道路地図が簡素で、凱里なんて宿も全然なくて、本当に、当時の中国ってこんなでしたよね。
旅人にとって、情報といえばこうしたガイドブックと、ほうぼうに置いてある旅ノートくらいでした。

今回ミャンマーを旅して感じたのは、そういう旅の不便さや情報の少なさでした。
ネットで宿が予約できる時代になっても、行ってみると「予約なんて知らない」とか「料金はそんな額じゃない」とか言われ、ネットが遅くて使い物にならない所も多いし、英語が通じない地域もある。
多くの人が行く観光地は違うけど、そうでない地域はバスの発車時刻もわからず、行ってみないと次の目的地にいけるかどうかもわからない、そもそも外国人が入れないところがたくさんある。
なんだか90年代の中国を旅しているような、ちょっと懐かしい旅でした。
街の活気や人々の反応も当時の中国に似ていて、ああ、ミャンマーはこれから変化するんだろうな、と痛感させられました。
すごく面白い旅になったと思います。

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臘戌  


ラショーに来ました。
ここはシャン州第二の都市で、鉄道も空港もあり、人口は30万人。
昔から、中国へ行く人や物がかならず通過する場所であり、交易の街として栄えてきました。

wikiによれば、人口の半分が中華系の人々だそうです。
中国語教育を行っている学校も10校ほどあると書いてありますね。
たしかに街には中国語の看板が多く、中国語を話している人もたくさんいます。
ホテルでは鳳凰電視台が観られるし、フロントの人もシャン族なのに中国語が通じるし、商店や飲食店でも中国語ができる人が多いです。
中国語できない人でも、私がビルマ語がわからないと見ると、近所の中華系の人を連れてきて通訳させたりしています。
あと、タナカを顔に塗ってる人が、他の地方より少ない気がします。
本当に、ミャンマーと中国の中間みたいなところです。

ここへ来る時に乗ったシェアタクシーも、私以外3人の客のうち2人が華僑でした。
地元の同士が話す中国語は、北方系方言で聞き取れる単語も多いものの、ぜんぜん聞いたことのないアクセントでした。
雲南方言より四川方言に近い印象です。
きっと、地元の言語のアクセントが混じっているのでしょうね。


シャン州に住む中華系の人々は、とても複雑です。
もともと、何百年も前から中緬国境付近には漢民族が住んでいて、この人たちはミャンマーでは華僑ではなく少数民族のコーカン族とされています。
シャン州のあたりは他にもシャン族(中国のタイ族と同族)、ワ族、カチン族(ジンポー族)など少数民族が多く、ビルマ族の支配が緩かったこともあり、漢民族も独自の力をもっていたようです。

また、近代になってミャンマーに入ってきた華僑もいて、その人たちはコーカン族とは違い、主にヤンゴンなどの都市部で商売をしていました。
ただ、60年代になってビルマが計画経済を行うようになると圧力を受け、政府の力の及んでいないシャン州に移ってきた人が多くいました。
その中には、ビルマ共産党の支持者が多く、彼らはその後、ミャンマー民族民主同盟軍という武装組織を作ります。
これが、今でもシャン州で勢力を持っている反政府組織です。
彼らの資金源はケシ栽培でした。

一方、49年に中国から国民党の残党がビルマに逃げてきました。
その人たちは中共との闘争を継続すべく、シャン族の独立を助けるという名目でこの辺りを軍事拠点にしました。
中共の弱体化を狙うCIAも彼らに協力し、武器提供や阿片貿易を手助けし、蒋介石も台湾から増員兵力を送ったりしました。
ビルマ政府はときに中国軍と手を組み、彼らと交戦したりしています。
また、彼らは阿片でビルマ共産党と利権を争うことになり、漢民族同士でビルマ版国共内戦をやったりもしています。
この勢力はやがて消滅していきますが、彼らは家族を作り、この地域に住み着きます。
一部は台湾へ移住していきました。

また最近は、大陸から商売を目的にした中国人が多くやって来ていて、住み着いています。
このように、いろんな時代、いろんな立場で入ってきた中華系の人々が、入り混じって暮らしているのがシャン州なのです。

中華系以外にもビルマ族やインド系の人々もいて、仏教徒が中心ですがイスラム教徒もおり、街の中心にはモスクがあります。
仏教徒とイスラム教徒の対立が激しいミャンマーですから、ラショーも例外でなく、13年は暴動が起こって放火や殺人もありました。
血の気の多い人たちです。

以前、趙徳胤(Midi Z)のことはこのブログでも触れましたが、彼も台湾へ移住した中華系ミャンマー人です。
彼の故郷がここラショーで、ここの中国語学校で学んだそうです。
『帰来的人』はなかなか印象的で、私にとっては始めて映画でミャンマーを観た作品でした。
まさか数年後にその舞台に来るとは思ってもいませんでしたが。
発展に伴い、ラショーの街も映画の当時とは変わっているようです。
あと数年もしたら、全然違ったものになっているかもしれませんね。

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