鞦韆院落
北京で過ごすインディペンデント映画な日常
 

悪評  


先日、雲南の大理で環境をテーマにした小さな上映イベントがありました。
これは芸術祭の一部というかたちで行われ、今回が初めてだったのではないかと思います。
中国や台湾、日本のドキュメンタリーを上映するということで、私のところにも作品を紹介してほしいと声がかかりました。

プログラムをやっている、仮にL氏としておきますが、この人とは面識もないし、以前に聞いたこともありませんでした。
私は台湾にいたときに、王宏偉からの紹介でこの人と微信でやり取りをしました。
「中国国際女性映画祭」を名乗るL氏は、なぜか私に日本語で微信を打ってきて、こちらが中国語で返しているのに、わざわざ下手な日本語を使ってきて、話が前に進みません。
ちょっと苦手なタイプです。

主旨としては、日本から2,3人の監督を大理に招きたいから、環境汚染に関わるドキュメンタリー映画を紹介してくれとのことでした。
ただ、上映まで2ヶ月もないので、サンプルを取り寄せたり字幕をつけたりしている時間を考えると非常に厳しいのです。
過去にどこかの映画祭で上映され、すでに中国語字幕がついているものを借りてくるのが一番いいのでしょうけど、適当な作品があるかどうか私も知りません。
とにかく全然知らないイベントだし、L氏のことも知らないし、王宏偉には悪いけど、ちょっと面倒くさいので私は引き受けませんでした。
それでも、L氏は4月に台湾に来るとかで、台湾で会おうとかいろいろ言われました。
その後は連絡も取らず、6月になって日本の映画を1本やることになったと微信が届き、監督が来場している写真が送られてきました。
字幕はどうしたのか知りませんが、台湾で紹介を受けたようだし、台湾で上映した時のを借りたのかもしれません。
プログラムを見ると、台湾の映画が11本もあって、あとは張賛波の『天から落ちてきた』がありました。


それからしばらくして、張賛波が微博で主催者に謝罪を要求する声明を出しました。
彼は呼ばれていたけど行けなくて、代わりにプロデューサーが行ったらしいのだけど、大理に着いても迎えも来なけりゃどこに泊まるかもわからないし、上映も途中で止まったり、まあ散々だったそうです。
それより問題なのは、これがただの上映会じゃなくてドキュメンタリー制作ワークショップになっており、「張賛波監督らの指導のもと、10日間で短編を作る」という触れ込みで18人の学生を集めており、一人あたり1980元(泊・食は別)という学費を取っているのに、ワークショップには何もプランがなく、指導する役の監督たちも何も聞いてなくて、学生も監督も大理についてから唖然としたそうです。
何度も抗議の声があがったのに主催者は逃げてしまい、丸投げされた形になった台湾人監督たちは良心で学生の相談に乗ってあげたりしたそうだけど、みんな失意のうちに日程を終え、大理を後にしたのだとか。

張賛波の数日後、今度は台湾の監督たちが連名で声明を出しました。
イベントの1ヶ月前になって、1人1時間ずつ学生との交流をしてほしいと頼まれたものの、同意した覚えもなく、現地についてからワークショップで撮影の指導をすると聞かされたことや、当初は公益のための無料ワークショップと聞いていたのに、実は有料だとわかったこと、監督たちには報酬の話はまったくなく、文句を言ったら少額(学生の情報では1人300元)の報酬を払うと言われたこと、などを挙げ、今後このようなことがないよう注意するとともに、イベント期間中に監督たちを撮影した映像(指導の様子を撮っていた模様)については一切使用しないよう要求しました。

やがて、主催者側から「準備不足から誤解を与えてしまった。すぐに問題を解決できなくて監督たちに申し訳なかった」と謝罪文が出ましたが、ずっと仕切り役だったはずのL氏は沈黙を守ったまま。
そのうち、かつてL氏と中国女性影展で同僚だったという人から、「あいつは人権活動だといって外国の大使館から金を集めて映画祭をしていたが、結局30万元を持ち逃げした」との暴露話が飛び出したり、ワークショップに参加していた学生が「L氏に日本語ができると言ったら日本人監督の通訳を押し付けられた。スタッフもひどくて、監督から預かった上映素材を紛失した」などといった話がネットに上げられました。
仕舞には、悪評を聞きつけた応亮が、L氏との絶交宣言を出してました。
応亮がもともと彼と関係があったわけでもないのでしょうが、いちいち態度をオープンにする応亮らしいやり方ではあります。

私は特に関わらなかったわけだし、被害を受けてもいないけど、依頼を受けたことをある人に話したら「あの日本人も危うく騙されるところだった」みたいな書かれ方でネットに出回ったりして、ちょっとビックリしました。
私が紹介していたら、後味の悪いものにはなっていたでしょうね。

独立電影は金儲けにならないから、詐欺師みたいな人は基本的に少ないのですが、まあ困った人はどの世界にもいるものです。
迷惑を被った台湾人監督たちには、心から同情します。

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選曲  


ちょっと前に、カラオケに行ったんです。
最近は歌を歌うことはあっても、宋荘の誰かの家で呑みながらアカペラで歌うくらいで、カラオケなんて何年ぶりだかわかりません。
私はこういう性格ですから、一緒にいるのが気心の知れた人でもないと歌ったりしないわけで、このときは全員がほぼ初対面だったから、基本的に歌いたくない感じでした。
でも、日本人がいるから日本の歌を歌えみたいな話になるわけです。

それで、機械の所へ行って日本の歌を探してみたんですが、日本の歌はあってもAKBとかそういうのばかり。
マイナーな曲は中国人が誰も知らないから場がシラけそうです。
ちなみに、そのとき一緒に居たのはいわゆる80后がほとんどでした。
こういうときは香港でカバーされたことのある曲を選べば無難なのですが、なぜかそういう曲もみつかりません。

仕方がないので、一番カラオケに来てそうな人に、知ってる日本の歌を入れてくれと頼みました。
すると、出てきたのは『北国の春』。
うーん、想像はしていたけど、もう21世紀になって15年もたつのに、やっぱりまだ『北国の春』なんですかね。

若い人は知らないと思いますが、『北国の春』は日本で昔流行った歌謡曲です。
80年代にテレサ・テン経由で中国に入って大流行し、中国人はみんな大好き。
ちなみに中国では、これは日本の伝統的な民謡で日本人の魂だと誤解されています。
なので、日本人は必ずリクエストされ、私も職場の行事など、事あるごとに半ば強制的に歌わされてきました。
今ではイントロを聞いただけで吐きそうです。
当然、この曲はパスしました。

しばらくしたら、部屋にロシア人が入ってきました。
すると、今度は皆がそのロシア人に、ロシアの曲を歌ってくれと言うわけです。
私は、ロシアといわれても『めざせモスクワ』か『カチューシャ』くらいしか思いつきません。たぶん『めざせモスクワ』はロシアの歌じゃないけど。
で、皆が入力した曲は『莫斯科郊外的晚上(モスクワ郊外の夕べ)』。
うわー、中国人が選びそうな曲!
たぶん、ロシア人は毎度毎度この曲を歌えと言われて、辟易してるんでしょうね。
笑ってごまかしながら、まったく歌おうとしないロシア人を見て、私はすごく共感してしまいました。

きっと、モンゴル人なら『烏蘭巴托之夜(ウランバートルの夜)』をいつもリクエストされているに違いありません。

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上映  


宋荘には興味があるけど何があるか分からないし、電影基金は収蔵作品を没収されているから映画が観られないし……と思っている人たちに、宋荘で映画を観る方法をお知らせします。

まず、栗憲庭電影基金では、一般に対して収蔵作品を観せるサービスは現在行っておりません。
その代わり、今年から月に1回ペースで監督をゲストに招いた上映イベントを事務所の映写ホールでやっています。
イベントはだいたい週末の午後で、いつもほぼ満員になります。
時期は不定期で、情報は微信くらいでしか流していませんが、問い合わせれば教えてくれると思います。

それから、基金からそう遠くないところで、黄香という監督が自宅をバーにしていて、一元電影院という小さな映写室を併設しています。
チケット代として1元払えという意味で、ここでは毎晩何かしらの映画を流しています。
ほとんどは洋画の海賊版ですが、ときどき独立電影をやります。
主に土曜日にイベントがあります。
たまに監督が来てQ&Aをすることもありますが、ごく稀です。
それでも、宋荘に遊びに来た映画関係者が顔を出すことがも多いので、ひょっこり誰かに出会うかもしれません。
ちなみに、昨日は賈樟柯のいとこで、いつも炭坑夫の役などをしている韓三明が来ていました。
こちらも微信で情報を流しています。
一元電影院で調べたらいろいろ出てくると思います。
ここは開くのが夜なので、車を確保するか、宋荘に泊まる覚悟で来なければならないという欠点はあります。

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堕落  


王宏偉が帰ってきました。
ずっとのびのび一人暮らしを楽しんでいたけど、また肩身の狭い居候生活です。

居候ですから、掃除とかはやります。
深夜に酔って帰ってきて、パスタを作れと言われる時もあります。
今日は洗濯物を干しておいてくれと言われ、パンツまで干しました。
まるで現地妻のようです。

ただ、基本的に彼は毎日出かけて行くし、深夜まで帰ってこないことが多いので、そんなに顔を合わすわけではありません。
昨日も会わなかったし。
王宏偉は香港では酒も控えめだし、煙草も家では吸わないようにしているし、知り合いも少ないから外で飲むこともなくて、ジッとしています。
北京に戻ると、その反動で外にいる時間が増えるのです。

顧桃も、小さな子供がいるので、たまに北京にいるときくらい家族サービスをしなければならず、昔のように遅くまで飲むことは減りました。
そうは言っても、連日飲み歩いているのだけど。

私は台湾では飲むことも少なく、よく泳いで健康だったのに、最近は運動不足な上に食生活も不摂生です。
何だかんだで毎日かなり飲んでるし。
あんまり北京にばかり居てもよくないですね。
どこか行くところを考えなければいけません。

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動画  


3月に上海で収録した、ネットのスピーチ番組の動画が公開になっていました。
私が自分のやってる映画祭について話したものです。
あえてリンクは貼りません。
私は子供の頃から目立つことが嫌いで、できるだけ静かにすごしてきたつもりなのに、いい年をしてから醜態を晒しているわけですから、どれだけ映画祭の宣伝を頑張っているか察していただけると思います。
私の狙いは、この映像が出ることで中国国内でスポンサーが見つけやすくなったりするのでは、ということでした。

「これに出たら有名になるぞ」と収録前に顧桃は言ってました。
確かに人によっては数百万回も再生されている人もいるし、あの張賛波でも10万回近くあったりして、影響力はあるみたいです。
顧桃が出演依頼を断ったのも、影響が大きくて今後の撮影に支障が出るのではと危惧したためです。

この番組を作っている会社の場合、映像をネットに公開すると同時に微博と微信で告知をします。
それを見て多くの人が動画にアクセスするわけです。

今回の告知が出たのは7日夜のことでした。
微博は今やほとんどの人が使っていないので、反応は鈍いです。
今でも使っているのはフォロワーが数十人しかいない新しいユーザーがほとんどなので、リツイートも全然伸びません。
私も微博のアカウントは持っているので、告知にはそのアカウント名も@されているのだけど、フォローしてくる人もまばら。
これが4年くらい前だったら、一瞬にして数百人とかがフォローしてきて、一夜にして数千人なんてことも珍しくなかったんですけどね。
私自身が更新してないから、フォローしても仕方がないとは思いますが。

一方、微信のほうはさすがにユーザーが多いですが、こちらは転載されていても数字で見えてこないので、よくわかりません。
とりあえず私の周りの独立映画系の人はかなり転載していました。
情報を見てすぐに連絡してきた友人も数人いました。
ただ、動画そのものの再生数は千回程度。
あれ?ちょっと少なくない?

翌朝起きると少し伸びていたけど、思っていたほどの勢いはなく、ほぼ転載されつくした9日0時の段階では微信のリツイートが140、新たなフォロワーが110、動画再生数は4000でした。
思ったほどではなかったようです。
あと、見知らぬ人から私の微博にメッセージが2つ来ていて、ひとつは「独立電影を撮っていて、何本か作品があるので、日本で上映してください」というもので、もうひとつは「自分で媒体を作ってます。インタビューしたいので連絡ください」というものでした。
知らんわ。どっちも、自分の名前ぐらい書けんのか。

残念だったのは、新たなフォロワーの8割が男性だったことですね。
べつにいいけど。

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隣人  


このところ、北京も徐々に寝苦しくなってきました。
王宏偉の家は冷房がないので、これからが心配です。
それでも、この家は天井が高いし、あまり陽が差さないので、比較的涼しいほうです。

最近、近所の夫婦が夜になるとこの家を訪ねてきます。
自分の家が暑くて寝苦しいらしく、泊めてくれというのです。
私は留守番をしている身なので、普通なら躊躇するのだけど、王宏偉は留守をするときに彼らにカギを預け、植木に水をやるように頼んだりしている間柄で、たぶん私がいないときにも彼らは泊まったりしているのです。
私には断る理由がないので、彼らを泊めています。

彼らはいつも22時過ぎにやって来て、シャワーを浴びたり、冷蔵庫の中から飲み物を出して飲んだりしています。
日本ならちょっと引きますね。
でも中国では、特に北の方ではわりと普通のことです。
良く言えば人情味があるというか、「知り合いの家は自分の家も同然」という感じがあって、隣の庭に勝手に入って布団を干したり、黙って物を借りていったりします。
その代わり、深夜にタクシーがなければ電話して、車で迎えに来てもらったりもする、もちつもたれつの関係。

そういう関係性が成り立つ地域性だから、私も気兼ねなく居候ができたりするわけです。
ある意味、居心地は悪くありません。
これが上海や広州だったら、こうはいかないんですけどね。

先ほども彼らがやって来て、旦那が洗脚をしている間に、奥さんが庭で杏を収穫してました。
平和な夜です。

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児童  


6月1日は児童節です。
これは中国においてはなかなか大事な日で、子供のための各種イベントが開かれます。

楊瑾が宋荘に来るというので、会うことにしました。
午前中にやって来た彼は、一緒に顧桃の家に行こうと言います。
彼の運転する車で顧桃の家まで行くと、ちょうど顧桃が出てきたところで、私を見て「どうして来たんだ」と驚いています。
楊瑾に連れられて来たのだと言うと、ちょっとバツの悪そうな顔をして、「今日は子供がたくさん集まっているんだよ」と言うのです。
門から庭を覗くと、中には大勢の子供が騒いでいます。
自分の子供が1歳になった顧桃は、小さな子供のいる友人たちに声をかけ、児童節パーティーを開いていたようです。

楊瑾に子供がいるわけじゃないけど、彼らは最近仕事で会うことが多くて、たまたま声をかけられていたようです。
それ以外は、幼稚園以下の子供がいる家族ばかりが招かれていて、総勢30人くらい(うち幼児10人くらい)。
しかも、午後からはメンバーが入れ替わり、夕食組がまた30人くらい来るのだとか。
顧桃は「お前を呼ぼうかとも考えたんだけど、子供嫌いだろ?」と言います。
確かに、私は子供が嫌い。

中でも幼稚園児くらいの子供が一番嫌いで、泣き声を聞くとイライラします。
なのに、ここにはそういう年の子が10人ぐらい集まって、ギャーギャー騒いでいるのだからたまりません。

庭にいる家族連れと距離をおくために、屋内で楊瑾夫婦と話をすることにしました。
楊瑾夫婦はむしろ子供が好きだし、庭にいないと食べ物にありつけないので、彼らにとっては災難ですが、私を連れてきた責任を取ってもらわないといけません。
ひたすらピーナッツをつまんで、午後になりました。

第一陣の客が引き上げて少し静かになったので、庭に出て餃子を食べていると、楊瑾が酒を飲み始めました。
しかも、ビールに韓国焼酎を混ぜて飲んでいます。
車で来ているのに、帰る気ゼロです。
仕方がないので、酔いが覚めるまでしばらくいることに。
すると、第二陣の客が子供を連れてドッとやって来ました。
またしても阿鼻叫喚の地獄絵図です。

結局19時頃まで顧桃のところにいて、その後楊瑾に送ってもらってまた家でしばらく茶を飲んでから別れました。
夜の静寂って、素晴らしいですね。

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鏈接  


TIDFでも上映された『沒有電影的電影節』が、YouTubeに上がっています。
たぶん権利上問題ないと思うので、リンクを載せておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=-iaWnZG7IRM

いろんな人が撮った映像を繋いで、2014年の北京独立影像展が弾圧されたときの様子を刻名に記録しています。
中国語と英語の字幕ですが、ぜひご覧ください。

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懐古  


TIDFのとき「東京電視台」が取材に来ていて、テレビ東京だったらしいのですが、私はてっきりTBSだと思っていました。
まさかテレビ東京が台湾に取材に来るなんて考えもしなかったので。
じゃあTBSは中国語で何というのかというと、TBS電視台だそうです。

そのときの取材は、いま台湾では日本統治時代の映画がブームだということで、『湾生画家』の観客に声をかけたりしてました。
映画祭そのものとはあんまり関係なかったようですね。

日本統治時代の映画は確かに流行っています。
『海角七号』に始まり、『セデック・バレ』に『KANO』、そして昨年の『湾生回家』など、どれも記録的なヒットを生んでいます。
ただ、日本人が見るとなんでそんなに流行るのか首を傾げてしまうような作品ばかり。
『湾生回家』なんて、私はどうも好かんですね。
老人が子供の頃を懐かしんでるだけの映画なんて、観たって面白くもなんともない。
これを日本人が撮ったのなら、気持ち悪いと切って捨てるところですが、台湾人が撮ったというのだからタチが悪いです。

どうも台湾人は日本時代を美化しすぎていますね。
私のイメージはこうです。

台湾を幼い女の子だとします。
もともとは野生児みたいな子で、ひとり野山をかけずりまわって原始的な暮らしをしてました。
スペインやオランダや清がやってきては、「お前は俺んとこの子だ」などと言われるけど、特に厳しく躾されるわけでもなく、かなり放任主義だったので、半野生児でした。
あるとき、「ご主人様と呼べ」と言ってたドラ息子の清のところに、日本というチンピラが殴り込みをかけて、台湾を奪っていきました。
台湾はもう年頃になりかけていて、日本人はこの子を使ってひと稼ぎしようと、台湾にいろいろ教育を始めました。
でも後から貰われたよその子だから、差別もあったし、いじめられたり、辛い思いもしました。
つらい思春期を終えたころ、日本がヤクザのアメリカ組に喧嘩をうって半殺しにされ、台湾はアメリカ組に出入りしていた蒋一家にもらわれることになりました。
蒋一家は台湾と親戚筋だったので、最初はこれで暮らしも良くなると喜んでいましたが、蒋一家の親分はとんでもないDV野郎で、土足で上がり込んでくるなり我がもの顔で家に住み着いてしまい、文句を言えば暴力を振るわれました。
ああ、今となっては日本のほうがマシだったと思いながら、苦しい日々を耐えました。
そのうち蒋一家の親分たちは死んでしまい、大人になった台湾は自立することができました。
でも、蒋一家の兄弟分だった中国が、「あいつは俺の女だ」と因縁をつけ、嫌がらせをしてきたりするので、なかなか大変です。
チンピラだった日本は、今やアメリカ組に入り、組長に取り入ることに必死で、台湾のことなんて忘れてしまいました。
台湾はそんな日本を遠くから見つつ、かつて日本に育てられた若いときを懐かしく思うのでした。

こんな感じだと思います。
日本にとっては、台湾なんて「若気の至り」程度にしか思っていないんだけど、台湾はすぐそばに中国という面倒な人たちがいるから、「自分たちは中国人じゃない」という理由のひとつとして日本というルーツを感じているんだと思います。
日本は、中国が酷すぎたことで救われているだけなので、調子に乗るべきではありません。

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水道  




宋荘にもどってきています。
朝、シャワーを浴びたあとで気づいたこの水の色。
洗面器に砂(錆?)のようなものまで沈殿してます。
中国に帰ってきたなあと実感する瞬間です。

よく人から、なんでそんなに中国が好きなんだと聞かれることがあるのですが、私はべつに中国が好きなわけではありません。
ただ中国に興味があるだけで、中国人にだけは生まれたくないと思っているくらいです。
もちろん、中国に仲の良い人はたくさんいるし、悪いことばかりではないですけど。
この水を見たら、好きになれるはずもありませんよね。

念のため言っておきますが、毎日こんな色をしているわけではありません。
ときどきです。

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