鞦韆院落
北京で過ごすインディペンデント映画な日常
 



映画祭2日目は、朝から草原へ移動です。
この映画祭のメインはゲストを草原に連れて行って遊ぶことなので、気合が入っています。
大型バスのほか、十台以上の車に分乗して90名近くのゲスト、スタッフが、フフホトから1時間半ほどのところにある草原の宿泊施設へ行きました。





このあたりは草原を観光利用しているところで、近くには他にも宿泊施設がいくつもあります。
遠くから見ると白いパオに見えるけど、実際にはコンクリートや鉄板で出来たパオ風の小屋で、バスルームの付いたツインもあれば、4人用、10人用の大型のものもあります。
電気は通っているし、携帯の電波も届くので、不便はありませんが、問題は寒さです。
毛布の敷かれた床の上に寝て、綿の布団を頭から被っても、もの凄く寒くて全然寝られません。
中には風邪を引いてしまうひともいました。

日中は各々が馬に乗ったり草原をブラブラしたり、自由行動です。
何のプランも無いことにビックリしたのだけど、本当に自由行動なのです。もともとは、草原についてすぐに大きなパオ風の建物の中で上映をする予定でいたのです。
しかし、大きな天窓があって明るすぎ、とても上映できる状態ではないことが当日になって発覚したということで、上映は中止に。



何もすることがなく、各自寝たりフラフラしたり、かなり手持ち無沙汰な感じ。
そのうち夕食の時間になり、これでもかというほど肉料理が出て(半分は残飯と化し)、それが終わるとカラオケ大会だということで場所を変え、でもカラオケは歌いたい人が勝手に歌うという何の企画もないもので、そのうちみんな外に出て、薪を燃やして暖を取りながら酒を飲んで深夜まで談笑をしていました。



翌日は、午前中は希望者を募って車で近くをグルグル周り、午後は青空モンゴル語教室というのがありました。
その場でなぜか私が日本語を教えることになり、モンゴル語と日本語で挨拶の仕方などを紹介していたのだけど、そのうちモンゴル語の歌を歌おうと誰かが言い、そのまま一部の人が中国語の歌を歌い始めて、大半の人が徐々に退席していき、私も部屋に戻りました。



その後も自由行動がひたすら続きます。
夕食が終わったころ、ようやく上映することになりました。
3時間ほど短編フィクションの上映とQ&Aが行われました。
私は疲れと寝不足で、一足先に部屋に戻って寝ていました。
一部の人は深夜まで酒を飲んで語り合っていたようです。

草原を離れる日、みなを見送った後で片付けをしていたら、まだ栓を抜いていないワインやビールが各部屋からたくさん出てきました。
スタッフがそれを集めて持ち帰ろうとしていたら、宿泊施設の人が怒りだして「ケチケチ持って帰るな。全部置いていけ」と言うのです。
我々が施設から買ったはずなのに、何とも理不尽です。
私は納得いかなかったのだけど、結局置いていくことになりました。
とても後味が悪かったです。

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17日の午後、開会式がシネコンの凱諾星空影院で始まりました。
定員250人の、ここでは最大のスクリーンなのですが、招待客が多かったり入場料がタダということもあり、席は早々に埋まり、通路も最前列の前の床も観客でいっぱいになりました。
開会式に続いてオープニング上映があり、この作品の関係者だけでも200人近く来ると聞いていたため、ある程度予想ができていたこととはいえ、取材陣も多くてかなり混雑しました。



予定より少し遅れて、音楽の演奏で開会式が幕を開けました。
最初はモンゴル語で歌うラップのグループ、続いて老人と幼児の民族楽器演奏、そして最後は口簧琴の演奏です。
これまで私が聞いてきた口簧琴の演奏とはまったく違って、風の音や動物の鳴き声の声帯模写をしながら演奏するという、江戸家猫八もびっくりの離れ業。
前の2組が一気に安っぽく思えてしまうほど、迫力ある演奏でした。



続いてモンゴル族の俳優・宝迪による司会のもと、ゲストの紹介が行われ、つづいて顧桃から今回参加している監督たちの紹介がありました。



これについて私は特に聞いていて何も問題を感じなかったのですが、後になって政府側からクレームがついたそうです。
というのは、本来司会が話す原稿やゲストの名簿などは政府側が事前に目を通さなければいけないらしく、司会も体制側の認めたプロが務めることが求められるのだとか。
いろいろ面倒くさいのですね。
これを受けて、閉会式では地元テレビ局のアナウンサーに頼むことになりました。

こうした式典では、来賓の中から位の高い順に数名の役人がスピーチをするのが通例です。
ただ、顧桃はそういうやり方にしたくないということで、最後の開会宣言だけを区の宣伝部長に頼み、他は全部カットしてしまいました。
これはかなり異例なことで、きっと来賓の役人たちもメンを喰らったことと思います。

続いてすぐにオープニング作品の上映となりました。
最前列に座っていた役人たちは、上映前に全員退席。彼らは映画に興味が無いようです。



オープニング作品は、東京国際映画祭にも選ばれている『八月』です。
これは1990年ごろのフフホトを舞台に、まもなく中学校に上がる少年のひと夏の出来事を描いたものです。
少年の父親は国営の電影制片廠に勤めているのだけど、この時期の制片廠は民営化にともなって縮小されていて、とても不安定な状況にありました。
そんな時代を、白黒でややノスタルジックに撮った、味のある作品です。
監督の張大磊はこれがほぼデビュー作ですが、映画の主人公と同様、父親が内モンゴル制片廠で働いていた関係で小さな頃から映画に親しんでいたし、ロシアの大学で映画を学んだ経験もあり、とても洗練されています。
90年代の再現も上手だし、演技も非常に自然でうまいのです。
内モンゴルをテーマにした映画のコンペではレベルの高い作品は集まらないのではという私の危惧に反し、想像以上に良い作品があったので安心しました。



この作品が地元フフホトで上映されるのは初めてとあって、スタッフや俳優をはじめ多くの人が会場に来ていました。
上映後は監督と俳優たちが登壇し、顧桃司会のもとQ&Aが行われました。
これまで内モンゴルでは映画祭など行われてこなかったし、観客にとっては監督とQ&Aをする経験など滅多にないので、どんな質問が出るのか想像もできずにいたのだけど、変な観客もいなかったし、いたってマトモなQ&Aでした。
映画の上映中も、想像していたより静かで、真剣に映画を見ている人が多かったです。

オープングでコンペ部門に入っている作品をやるというのは、他の作品に対して不公平なので、個人的にはどうかなと思うところもありました。
しかも、オープニング上映の後で顧桃はゲストを全員宴会に連れて行ってしまい、その次の上映には誰も行かなかったのです。
もともと純粋な観客は多くないので、次の上映はガラガラ。
監督のQ&Aもあったので、ちょっと可哀想でした。

ちなみに私は、そのガラガラ上映でQ&Aの司会を担当しました。
ボランティアなどの身内が質問をしたけど、予定時刻より前に質問が尽きてしまい、早めに終了。
華やかなオープニングとのコントラストが激しかったです。

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顧桃の映画祭が閉幕しました。
私はゲストでありスタッフでもあって、開幕前から舞台裏を見てきたわけですが、非常に特徴があり、中国の事情が伺える映画祭でもあったので、レポートを書こうと思います。

開幕3日前に映画祭の事務所に行ってみたところ、非常に充実した環境であることに驚きました。
大召寺に近い旧市街に、古い建物を再現した大盛魁文創園という一角があり、これは政府が文化事業をバックアップするべく作られたものなのですが、民芸品の店や博物館などが入っています。
顧桃はそのうちの1部屋を借りて、映画祭の事務所として使っています。





マックのパソコンがずらっと揃っていて、プロジェクターや電動のスクリーン、卓球台などもあります。
すべてこの1ヶ月で買い揃えたものです。
スタッフは10名ほどいて、半分以上は北京から来ており、みなホテル暮らしをしています。
顧桃はアパートを借りて、家族と住んでいます。

映画祭のTシャツを何百枚も作ったらしく、事務所を覗きに来る人たちに何枚も配っています。
紀念品のトートバッグは絵柄が5パターンもあるとか。
他にも特製USBメモリーなども作ったそうです。



8月まで資金がないと困っていたわりには、湯水のごとく金を使っているので、何があったのかと思えば、フフホト市の玉泉区政府から十数万元を提供してもらい、更にコネでかき集めた資金を合わせ、三十数万元の予算を得たのだそうです。
それだけあれば余裕はあるわけですが、それにしてもちょっと金遣いが荒い気がします。

政府の協力が得られたおかげで、映画館を政府持ちで利用できるようになり、今年7月にオープンしたばかりの七彩城というショッピングモールに入っているシネコン、凱諾星空影院で上映することになりました。
決まったのは9月に入ってからのことです。
それまでに会場として決まっていた、大召寺近くのアートスペース“87画廊”と合わせ、2会場で同時に上映する形となりました。

ただ、2つも会場が必要なのか、という疑問が私にはありました。
コンペ部門は長編フィクションが4本、長編ドキュメンタリーが2本、短編フィクションが8本2プログラム、短編ドキュメンタリーが3本1プログラム、実験映像が5本1プログラム、その他に特別上映が5本あって、合計15プログラムしかありません。
それを1週間かけて、1回ずつしか上映しないのだから、シネコンだけで十分なはずなのですが。

準備のため、87画廊へ行ってみました。
こちらで10本の上映があるので、メイン会場と言えます。





重い鉄の扉を開けると、中は白い壁で囲まれた広い空間で、パイプ椅子や学校の教室にあるような椅子が二三十個置いてあります。
窓にはロールスクリーンのカーテンがあるけど、その周囲からは直射日光が漏れていて、電気を消しても中は普通に明るく、上映できる暗さではありません。
プロジェクターはごく小さなもので、音響に至ってはパソコン用のスピーカーが置かれているだけ。
外の騒音がうるさいので、セリフもまともに聞き取れないほどです。
とてもじゃないけど、まともな上映環境ではありません。
「これで上映するつもりなの?」と尋ねると、「ダメ?」とスタッフ。



とりあえず窓の光漏れを防ぎ、大きなスピーカーを調達して、少しは改善を試みたものの、音の反響は大きいし、白壁に光が反射するしで、あまりよい環境とは言えません。
顧桃は知り合いからこの場所を提供してもらったようなのだけど、せっかく金があるならこんな所で映画祭をする必要などないのにと思ってしまいます。
きっと、しがらみがあるのでしょう。

試写をしてみたところ、画質が悪い作品が多数ありました。
上映素材をみると、どれもDVDなどの小さなデータばかり。
応募の際に届いた作品選考用の映像を、そのまま上映にも使うつもりだったのです。
さして上映環境が良くないとはいえ、それでもDVDよりはHDで上映したほうがいいので、監督たちに映像を持参してもらうことにしました。

顧桃に審査員は誰がやるのかと聞いたら、「まだ考えてない」と言います。
曰く、開幕してから来たゲストたちに頼んでみればいいとのこと。
でも、多くのゲストは数日で帰ってしまうし、いる間に審査員たちに対象作品を見せ、全員で話し合う場も設けなければいけないわけで、とてもじゃないけど草原で遊んでいる人に「帰るのを延ばして、審査員やっていってよ」なんて頼むのは無理です。
直前ではあるけど、候補者に連絡を取って審査員を決め、審査員用の上映スケジュールも決めました。

開幕2日前、開幕式の司会者をどうしようかという話になりました。
なんと、開幕式の内容は何も決まっておらず、司会者もこれから探すというのです。
政府が主催ということになったため、テレビ局も多数来るようなので、まさかスタッフの一人というわけにはいきません。
急遽、モンゴル族の俳優である顧桃の知り合いに電話して、飛行機で飛んできてもらうことになりました。
開会前日の深夜に会議を開き、トランシーバーを買ったほうがいいとか、マイクスタンドも買おうとか言っています。
随分のんびりしているものです。
さらに、閉幕式はといえば、会場すら決まっていないというのだから驚き。

ただ、のんびりしているのはスタッフにとどまらず、ゲストや監督、観客も同じです。
特別上映の作品の中には、スタッフが誰も観たことのない作品が数本含まれています。
それは外部からの要求で入れたものなのですが、開幕前日になっても上映素材が届いておらず、問い合わせても「まだ編集中」との回答。
内モンゴルすげえ!

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呼市  


フフホトにやって来ました。
17日から始まる顧桃の映画祭に向けて、早めに現地入りして欲しいと頼まれたからです。
当初は9月になったらすぐにと言われていたけど、考えが変わったのか、こんな中途半端な時期に呼ばれました。
3日間で何を手伝うのか、よくわかりません。

北京からフフホトまでは、まだ高速鉄道が開通しておらず、普通の緑色の列車に乗っていきます。
6時間半かかるので、座席よりベッドに人気があり、午後出て夜着く列車なのに寝台を中心とした編成になっています。
軟臥でも200元ちょっとで、硬臥とあまり差がないので、映画祭はゲストに軟臥のチケットを買っています。
軟臥の良いところは、上のベッドでも座って過ごせることです。
パソコンで映画を何本か観ていたら着くので、さほど退屈しません。

15時半に北京を発って、フフホトに着いたのは22時でした。
「内モンゴルはもう寒いから、ダウンジャケットを用意して来い」と言われていたけど、さほど寒くはなく、北京からの半袖1枚でも耐えられなくはありません。

駅を出ると、顧桃が迎えに来ていました。
その隣には、蒙古の民族衣装を着た女の子が、青い哈達を持って立っています。
映画祭のボランティアに応募してきたという、地元の大学生です。
こんな時間だというのに、私一人のためにこんな格好までして待っていてくれて、申し訳ないくらいです。
私はゲストではあっても仕事を手伝うべく一足先に来たつもりなので、この様なもてなしは大げさだとは思うけど、顧桃としては内モンゴル式の歓迎を示したかったのでしょう。

顧桃は、今回作ったという映画祭のTシャツとトートバッグを身に着けています。
中国では、まず形から入りますからね。
予算が無いと言ってたくせに、こういう所には力を入れます。

ほとんどのゲストは、開幕前日の16日晩に到着するそうです。
聞けば、楊瑾、邱炯炯、楊荔鈉、于広義、李紅旗、王宏偉、張献民などなど、独立電影関係者が二三十人来るそうです。
べつに作品があるとか、審査員をするとかではなく、ただ遊びに。
映画祭は前半に草原で2泊する予定で、その間は乗馬に射的にバレーボール大会、餃子作りに羊バーベキューと、イベントが盛り沢山。
ほとんどのゲストはその草原のイベントに来て、そのまま帰るみたいです。
つまり映画は観ません。

凄い映画祭があったものですね。
で、私は明日から何をするんでしょう。射的の的でも作るのかな?

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宣伝  


『我的戦争』という映画のCMが話題です。

『我的戦争』は、香港の彭順が監督し、劉燁や王珞丹が主演している朝鮮戦争映画で、もうすぐ公開される予定です。
先日この映画の宣伝動画がネットにアップされると、たちまち話題になりました。

動画はこちらにありますが、日本から開けるでしょうか。

動画は映画の本編とは関係なく、中国の老人たちが韓国旅行をするという設定です。
老人たちが観光バスに乗り込むと、チマチョゴリを来た若い韓国人ガイドの女性が現れて、中国語で挨拶をします。

ガイド:お早うございます
老人たち:お早うございます
ガイド:ソウルにようこそ。私は本日のガイドです。よろしくお願いします。
老人たち:ハハハ……
ガイド:皆さんはソウルに来るのが初めてなので、まずは私がご紹介を……
老婆A:ガイドさん、私たちは来たことがありますよ。
ガイド:?
老婆B:当時私たちは文工団だった。
老爺A:私たちは鋼刀連だ。
老爺B:お嬢さん、私たちは60年以上前に来たんだ。
ガイド:でも、パスポートにも、コンピューターにも、記録はありません。
老爺C:そのころコンピューターは無かったんだ。
老婆C:パスポートも不要だった。
老人たち(満面の笑みで):そう。パスポートは無かった。
ガイド(不思議そうに):どうやって来たんです?
老爺D:俺たちは、紅旗を持ってやって来たんだ。
ガイド:紅旗を持ってソウルに?
老婆D:当時はソウルじゃかった。
老爺E:漢城と呼んでた。
ガイド:おじいさん、私はまだ理解できないんですが。
老爺F:ある映画を見れば分かるよ。
ガイド:映画?
老爺G:俺の孫は劉燁。
老爺H:私の孫娘は王珞丹。
老婆E:私の甥は監督の彭順。
(以下、俳優の紹介が続くので省略)
老爺I:映画の名前は『我的戦争』。
老爺J:この映画を見れば、どうやって我々が紅旗を持ってやって来たかが分かる。
ガイド:『我的戦争』?
老人たち:そう、『我的戦争』

という内容です。
いかにも戦争に行ったことを誇らしく思っているといった風で、みな意気揚々としています。
(補足:鳳凰網によれば、数年前からネットに出回っていた小話で、韓国のイミグレで中国の老人がソウルに来るのは初めてかと聞かれ、「二度目だ」「前回はパスポートは無かった」「当時は漢城と呼んでいた」「そのときは戦車に乗って来た」と答えるというのがあり、それを元ネタにしたものと思われます。)

しかし、この動画はたちまち反感を集めてしまいました。
「韓国人が見たら怒るに違いない。恥知らずもいいところだ」
「日本の老人が中国で同じことを言ったら、どう思うんだ」
「北朝鮮が核実験をしたタイミングで、こんな動画を流すなんて」
といったコメントがたくさん。
中には肯定的に捉えている意見もあるけど、少数です。

中国では朝鮮戦争のことを抗美援朝戦争と呼んでいて、もちろん正義の戦いだったとされています。
ただ、中共なりの大義名分はあるにせよ、中国が侵略を受けたわけでもないし、多くの犠牲を出し、結果的に北朝鮮の独裁政権を生んだわけで、今の北朝鮮を見れば、この戦争は賛美できたものではないと多くの中国人が感じています。
まして韓国人に向かってこんなことを言うCMは、中国人から見ても異常に感じられるのです。

朝鮮戦争を扱った映画は、過去には少なくありませんでしたが、韓国と国交が成立してからはほとんど作られていないか、あっても注目されるような作品ではありませんでした。
韓国や北朝鮮との関係が微妙だから、扱いにくいというものあるのでしょう。
アメリカとの関係を悪くしたくないという思いもあるはずです。

抗日戦争映画ならば、勧善懲悪で分かりやすいし、最後は戦争に勝利するというハッピーエンドになるので、作りやすいです。
特に2012年以降は反日感情の高まりとともに、テレビドラマや映画で盛んに抗日戦争が取り上げられてきたわけです。
ただ、あまりに多すぎて、さすがに飽きられてきました。

そこにこの『我的戦争』。しかもこんな挑発的なCMです。
これは、韓国やアメリカを敵として扱いやすくなった現れとも感じられます。
近年の南シナ海の問題などで、アメリカとの関係は良好ではありません。
そして今年、THAADミサイルの韓国配備の問題で、中国と韓国の関係は悪化しました。
それを受けて、中国政府は“限韓令”と言われるお触れを出し、韓国人芸能人による中国での大型公演を禁止したり、韓国ドラマやバラエティーの放送を禁止したと言われています。
こういう流れの中で、朝鮮戦争を扱った映画が出てきたわけです。
ミサイル問題は7月に起こったことで、映画はその前に撮られていたから、これは偶然だけど、こういう時勢なら検閲を通りやすくなっただろうし、映画宣伝にもうってつけのタイミングです。
この映画の売り上げ目標は5億元だそうで、今の中国なら無理な数字ではないとはいえ、かなり強気です。

でもこのCMは裏目だったでしょうね。
この映画に関わっている人たちが如何に無神経で頭の悪い人たちか、露呈してしまったわけですから。
はたして、どれくらいの人が観に行くのでしょうか。

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復活  


栗憲庭電影基金の映画祭がここ数年開けずにいることは、これまでにも折にふれて書いてきました。
今年ももちろん開催できるはずもなく、当初から開こうとは考えていませんでした。
ただ、従来のような映画祭ではなくても、形を変えて継続していくことは諦めていませんでした。

今年も春から作品の募集を行い、フィクション部門約100本、ドキュメンタリー部門約80本、実験映像部門約50本の応募がありました。
8月に締め切りとなり、選考メンバーを集めて上映作品の選考が行われました。
ただ選考メンバーや入選作品リストについては、公表されていないので、ここでも言及は避けます。

9月1日、798芸術区で「BIFF実験映像展」が開幕されました。
BIFFとはべつに釜山映画祭のことではありません。
分かる人にだけ分かるように、現代アートとしてパッケージし、いちばん当り障りがないであろおう実験映像だけ上映することにしたのです。
会場の中にたくさんのモニターを置く、芸術展のような方法でやりました。
30本ほどの作品が選ばれ、作家たちもみな呼び集めて、開幕式もやりました。
ただ、その日のうちに当局がやって来て、イベントは中止になってしまいました。
残念ではありますが、予想はしていたことです。

ただ、なぜか映像展は数日後に復活したのです。
こんなこともあるものかと、ビックリしました。
G20も終わって、警戒レベルが下がったのかもしれません。


基金では半年前まで、ときどき週末になると上映イベントを開いていました。
このところは電影学校もあって、週末の上映はやっていなかったのですが、ここにきて再開することになりました。
今後、よほどのことがない限り、毎週末上映をするといいます。
作品はいずれも、映画祭に応募されたものから選ばれています。
そして、第一弾として李紅旗の『神経二』が10日に上映されました。

実は8月下旬に一元電影院で独立電影を上映しようとして、中止させられたことがありました。
例年その時期に基金が映画祭をやっていたので、宋荘で上映活動すること自体がとても警戒されていたのだと思います。
そんなこともあって、今回も中止になるのではという不安がありました。
でも、蓋を開けてみても特に問題はなく、50人ほどの観客を集めて、普通に上映が始まったのでした。



もしかすると、いま王宏偉や栗憲庭が北京にいないので、さほど問題視されていないのかもしれません。

『冬休みの情景』で日本でも李紅旗を知っている人がいると思いますが、彼は詩人でもあり、中国ではわりと知名度のある人です。
その李紅旗の新作が上映されるとあって、注目度は高かったようです。

『神経二』はドキュメンタリーで、ほとんどのシーンは道端に座っている老人たちの会話を固定カメラで撮ったものです。
彼のナンセンスな持ち味はドキュメンタリーでも同じで、とてもシュールな会話が繰り広げられています。
時々客席から笑い声がこぼれていました。
良い映画と呼ぶようなタイプの作品ではないので、味があるというか、ちょっと面白いとしか言いようが無いですが、刺激的な映画です。
本人も、何かを考えるきっかけになるような作品を作りたいのだと言ってました。

上映後にはQ&Aがあって、活発に質問も出たのですが、理解に苦しむのは、上映最後の20分くらいで入って来てろくに映画も見てない人が、堂々と手を挙げていくつも質問するのです。
それも、映画と何も関係のない、「あなたにとって幸福とは何ですか?」といった質問を。
こういう人は何が楽しいんでしょうか。

それから、上映中に微信をやってる人がとても多くて、そういう人はたいていスクリーンを撮影しています。
画像を載せて、「いま映画を観てる」とか微信に書いているんでしょうね。
ちょっとイラッとします。

ともかく、無事上映ができたことは何よりです。
今後もつつがなく上映が行われることを願うばかりです。

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今年のベルリン映画祭で芸術貢献賞(撮影)を獲った、楊超監督の『長江図』が、満を持して公開されます。
構想から10年、撮影2年、編集2年という、とても難産だった作品です。

私は楊超監督とは面識がないですが、共同プロデューサの一人と親しいので、企画段階から話は聞いていました。
知り合いも多く関わっていて、端役ですが王宏偉、馮艶、張献民なども出演しています(張献民のシーンはカットされたようです)。
なので、個人的にもとても期待していた作品です。
6日に北京でプレミア上映が行われ、私も招待されたので行ってきました。

会場は北三環中路にある天幕新彩云国際影城。
ここはスクリーン数7つと小規模ではありますが、4Dシアターや中国巨幕を備えています。
中国巨幕とは、IMAXなどに対抗すべく作られた中国独自の規格で、とにかくスクリーンがデカいのです。
ここのスクリーン1は約700人収容可能なのですが、スクリーン幅が32メートル、高さが18メートルあります。
TOHOシネマズ六本木ヒルズの一番大きいスクリーンが幅20.2高さ8.4ですから、どれほど大きいか分かると思います。
この巨大スクリーンを使って、『長江図』を上映してやろうというわけです。



受け付けに行くと、独立電影の監督がたくさん来ていました。
『ベヒモス』の趙亮、『独身男』の郝杰、『現実、それは過去の未来』の黄偉凱、『黄瓜』の周耀武もいます。
たまにこういうイベントがあって集まれるから、みんな北京を離れられないんですよね。





レッドカーペットでは、監督や主演の秦昊、辛芷蕾、そしてゲストの王小帥などが記者たち撮られていました。
王宏偉は、呼ばれていたけど香港に行ってしまったので来ていません。
中国巨幕の席は記者や重量級のゲストで埋まってしまい、私たちのような友人枠は、小さなスクリーンがある別ホールに通されました。
通常の2K上映です。

さて、映画ですが、映像はさすがに素晴らしいです。
映画がすごく良いかというと、私は何とも言い難いですが、とにかく映像は美しい。
上海から宜賓まで(更には源流の青海省まで)、長江を船でじっくり遡っていく話なので、長江好きにはたまらないでしょう。
というか、これはとても良く出来た長江の宣伝映画ですね。
いろんな長江を見てきた私でも、改めて長江を旅してみたくなるくらい魅力的です。

物語はラブストーリーで、秦昊演じる小さな貨物船(3人乗り)の乗組員の男が、上海から怪しい積み荷を載せて長江を上っていく途中、不思議な女性と出会って惹かれていくという内容です。
女性は上海では船の上で売春をしている娼婦で、男は彼女のことを遠くから見かけて気になるのだけど、会いに行けないまま船旅に出ます。
男は船の中で古い本を見つけます。長江の旅日誌が、詩で綴られている本です。
旅では途中いくつもの船着場で下りるわけですが、その都度なぜかその女性と再会します。
しかも、女性はどこで出会っても、そこに住んでいるようなのです。
次第に古い本と女性に夢中になっていく男は、一方で積み荷をめぐるトラブルにも巻き込まれていき、ついには……、という話です。

正直、物語は理解しにくいです。
理解を超越した、独特の世界観に酔えればそれが正しい見方かもしれません。

私が聞いた話では、実はストーリーはもう少し背景があって、それが検閲とのせめぎあいの中で徐々に隠れていき、現在の形になったとのこと。
つまり、検閲に通りにくい筋書きがあったと深読みしていけば、よりストーリーが分かるのです。
それと、これは気づきにくいのですが、女性は出会うたびに見た目が若くなっていて、そこにファンタジーのタネがあります。
すべて聞かされるとウーンと唸らされましたが、そうでなくても楽しめる作品です。
何より、ここ数年ハズレばかりの中国映画の中では良質な作品であることは間違いないので、観て損はありません。

映画を見終わって、中国巨幕のほうで監督と主演俳優の挨拶があるというので移動しました。
すると、同時に上映が始まったはずなのに、こちらのほうはまだ途中です。
聞けば、映像がボケてて、調整をし直していたために時間がかかったとか。
なのにやっぱりピントが合ってなくて、色もくすんでいて、私たちが観たのとは比べ物にならないくらい酷いのです。
プレミア上映、大失敗。
これだけ大きなスクリーンなのに、4Kに対応してなくて2Kだし、ボケてるし、色悪いし、中国巨幕って何なんでしょう。
上映後に出てきた監督は、申し訳ないと頭を下げ、4K版もあるのでそちらを観て欲しいとだけ言って、舞台挨拶を終えてしまいました。
俳優、一言も声出してないし。
わざわざ移動して来た意味が無かったです。



ところで、この映画の編集をした楊明明は、かつていつも顔を合わせていた仲で、今回再会できて嬉しかった一人です。
彼女は楊超のプロデュースの下、『女導演』という短編を数年前に監督したことがあり、これがなかなか良く出来ていました。
噂では、『長江図』も彼女の力でかなり良くなったのだとか。
実は楊超より実力があるのではと、密かに期待を寄せている若手監督です。

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啤酒  


最近中国ですっかり一般化した輸入ビール。
今や、ドイツビールやベルギービールは村のスーパーでも置いてあります。
しかもすごく安い。
宋荘のスーパーでも500mlの缶が10〜15元ほどで買えます。
青島が6元くらいだから比較すれば高いとはいえ、中国ビールはアルコール度数も3%程度しかないので、そう考えれば同等の金額と言えます。

中国ではとくに小麦のホワイトビールに人気があるようで、ベルギービールではヒューガルデン・ホワイト(福佳白)が急速に拡大中。
顧桃の弟が宋荘でやっているレストランでも、ビールはヒューガルデンだけを扱っていて、330mlの瓶が15元で飲めます。
スーパーではこれを10元ほどで売っているところが多く、私がよく行く朝陽公園の輸入食品スーパーでは7.5元ととてもお得。
日本では考えられない値段です。
中国のビール消費税が1トンあたり250元と安いので、日本よりずっと安くなるのです。(日本のビール税は220000円)

しかも、輸入ビールやワインの市場価格はここ数年どんどん下がっています。
2012年にこのブログでヒューガルデンのことを書いたけど、そのときはスーパーで17元だと書いてあるから、半額以下になっています。

先日、宋荘のスーパーに行ったら、見慣れない500ml缶のヒューガルデンがありました。
日本では売っていない商品だと思います。



これが、宋荘のスーパーで10元で売っているのです。ちょっと驚きました。
朝陽公園のスーパーだとわずか8元。
500mlでこの金額は安すぎると思って手にとってみたら、ベルギー風味と書いてあります。
つまり、ベルギー産ではないのです。
原産国はなんと韓国。
まさか偽物ではないだろうから、韓国で提携してる工場があるんでしょうね。

飲んでみたところ、味はベルギー産とよく似ています。
並べて飲み比べたら違うのかもしれないけど、言われなければ気づかないレベル。
これは、今後急成長するかもしれません。

中国は13年連続で世界一のビール消費大国なのですが、実は頭打ちで、消費量も生産量も2014年から下降に転じています。
飲酒運転に対して意識が高まっているうえ、車を持つ人が増えているというのもあって、無理に酒を勧めなくなってきているし、飲み方が変わってきたのを実感します。
若い人はだんだん飲まなくなっているようだし。

そんな中でも、輸入ビールの販売量は伸びていて、なんと2015年は前年比59.2%増という報告もあります。
安くなったというのが第一ですが、量より質を求めるようになったとも言えるでしょう。
中国ビールは薄くて味がしませんから。
宋荘の一元電影院でさえ、輸入ビールしか置いていません。

最近は中国のビールメーカーも工夫をしていて、白ビールを出したりしています。
ただ、金額が輸入ビールと変わらないわりに、それほど美味くありません。
しばらくは輸入ビールの増加が続くでしょう。

みなさんも、中国で輸入ビールを試してみてはいかがですか?

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紀念  


ちょうど20年前の1996年9月2日、私は初めて日本を出た。
9万円以上する半年オープンのチケットを買って、中国国際航空で成田から北京へ飛んだ。

フライトは遅れていて、14時ごろに出発するはずが、搭乗口で数時間待たされた。
この便には、日中留学協会で手続きした留学生が大勢乗ることになっており、渡されていた名簿には、氏名や留学先の学校名が書いてあった。
私と同じ大学に行く女子も2人いるはずだった。

ようやく搭乗が始まった。
スチュワーデスは全員中国人で、若くもキレイでもない。
チークの塗り方が日本人女性とは違っていて、これが中国人の化粧かと妙に感心した。

前方スクリーンでは、スチュワーデスをキャラクターにしたアニメによる安全ビデオが流れていた。
日本のアニメとは違うキャラクターの動きが、見知らぬ中国への期待を高まらせた。

せっかく禁煙席を取ったのだが、すぐ後ろの列が喫煙席だったので、煙が漂ってきた。
ちょっと不機嫌になりながらも、隣の席の出張サラリーマンと話などしながら4時間近いフライトを過ごした。

首都国際空港は想像以上に小さかった。
古くて小ぢんまりしたターミナルビルが1つあるだけで、なんだかボロっちい。
イミグレを抜けて両替を済まし、外に出ると白タクの運転手がたくさん寄ってきた。
タクシー乗り場で、同じ学校に留学する女子たちをみつけ、一緒に行こうと声をかけたが、2人は友達らしく、私の出現をあまり歓迎していないようだった。
私が運転手に行き先の中央財経大学を告げたが、伝わらない。
数カ月前に大学名が変わったばかりだったので、古い名称の中央財政金融学院と言ったら通じた。
女子たちは私が中国語が多少はできるのを見て安心したようで、一緒に行く気になったようだった。
ただ、私は大学名だけを必死に暗記してきたのであって、喋れるわけではなかったが。

タクシーは、運転席が檻のように柵で囲まれていた。
メーターを使わないタクシーが多いと聞いていたので、メーターを使うのを確認しながら、私は助手席から外を眺めていた。
北京は暗かった。
街灯は殆どなくて、街路樹が白く塗られているだけだ。
ヘッドライトを点けずに走っている車もある。
市街地に近づいても、ネオンサインなどはほとんどなくて、驚くほど暗い。

広い道に出たと思ったら、天安門が見えてきた。
テレビで見ていた北京の光景を目の前にして、テンションが上がった。
それはそうと、地図を見ると大学のある海淀区からかなり遠ざかっているようである。

運転手は道がわからないのか、グルグルと同じ所を行ったり来たりし始めた。
仕舞には車を降りて、道行く人に訪ねたりしている。
地図を見せても、よくわからないことを言うだけだ。

ようやく中央財経大学と書いてある門をくぐり、タクシーを降りた。
メーターは50元だった。
50元を渡すと、運転手は1人50元だから3人で150元だという。
そんな馬鹿な話はないが、如何せん言葉ができない。
私は外にいる学生に救いを求めようとするが、一緒に来た女子が面倒だからと払ってしまった。
ちょっと納得がいかなかった。

近くを歩いていた学生に、ニイハオと声をかけたら、ニイハオと返ってきた。
本当にニイハオと言うのだなと、変な感動を覚えた。
留学生寮はどこだと英語で尋ねたところ、親切に招待所へ連れて行ってくれた。
この学校は留学生が17名と少ないため、招待所の一部が留学生にあてがわれていた。
私は韓国人学生と同室の、1日3ドルの部屋だった。
多くの学生が今日ついたところだったので、老同学が近くのレストランで買ってきた料理で小さな宴会を開いた。

私が空港からのタクシーで150元取られたと話したところ、同じく今日着いた日本人学生が「え?俺800元だったよ」と言った。
上には上がいるものだと思った。


あれから世の中いろいろ変わったが、あの日のことは、今でもはっきりと覚えている。

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選片  


顧桃に頼まれていた作品選考に参加してきました。

会場となったのは、先日上映活動を禁止された一元電影院。
午前中から楊瑾、耿軍、陳心中という監督たちが選考委員として集まり、応募してきた18本の短編と8本の長編を観ることとなりました。
これらの作品はすべてフィクションで、ドキュメンタリーや実験映画は他にあるそうです。
意外と集まっていたのですね。

1日ですべての作品を見終えることはできないので、皆がつまらないと思う作品は途中でパスすることになります。
ただ、そもそものレベルが低いので、どの程度でつまらないと判断していいかが微妙です。
とても観てられないくらいつまらない作品ばかりで、「次の作品にしよう」とみんなが言っても、顧桃だけが「もうちょっとで面白くなるかもしれないから」と、最後まで見せようとします。

顧桃は面白いかどうかよりも、少しでも多くの作品を上映すべきと考えていて、長編はすべて、短編は10本を映画祭で上映したいと言います。
しかし、短編を10本も選ぼうとすれば駄作ばかりにならざるを得ません。
結局、選考委員の強い意見で、長編4本、短編5本に絞ったのですが、顧桃はどうも納得していない様子。

彼は当初、我々選考委員にドキュメンタリーも選ばせるつもりだったようなのですが、このままでは作品が足りなくなると感じたようで、ドキュメンタリーは自分で選ぶと言い出しました。
きっと、ドキュメンタリーは駄作のオンパレードになることでしょう。

募集要項にはフィクション、ドキュメンタリー、実験映画、アニメの4部門で計6つの賞を出すと書いてあったけど、顧桃はそれだけでは足りないと言い出しました。
長編フィクションだけでも、最優秀作品賞以外に、脚本賞、撮影賞、俳優賞などを設けるべきだというのです。
賞金などは無いので、ケチケチしないでたくさんの賞を与えたほうが、若者たちを応援することになると思っているようです。
でも、それでは審査をする意味もなく、やはり我々は反対していましたが、結局決めるのは彼なので、どうなることか。

彼の映画祭への考え方は、他の監督たちと比べても際立って異なっています。
地元の人は映画への審美眼も違うのだから、選考委員が良いと思わない映画でも上映していいはずだと言います。
こんなにストライクゾーンの広い監督も珍しいと思います。

あと3週間しかないのに、審査員も会場もこれから考えるというから驚きです。
これからプログラムを決め、カタログを作っていくのだといい、それを私にやらせるつもりみたいです。
間に合うわけないから、私はやりませんよーだ。

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