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【181】朝護孫子寺 奈良信貴山

2008年07月10日 | 【 奈良の古刹 】

【181】朝護孫子寺 奈良信貴山

住所 生駒郡平群町信貴山
宗派 信貴山真言宗 総本山
山号 信貴山
開山 聖徳太子
本尊 毘沙門天

国宝 信貴山縁起絵巻
重文 兜、鎧袖

 信貴山縁起絵巻は、開山の縁起を記したものではなくて、信貴山で修行していた命蓮という聖の説話を描いたものです。山崎長者の巻、延喜加持の巻、尼公の巻の3巻からなる絵巻です。人物の表情や躍動感が鳥獣人物戯画と並ぶものとして評価されています。
 鉢を飛ばし、その鉢に倉を乗せる話、どこかで聞いたようなと思ったら、瀬戸内海の船から米を鉢に乗せて取った話の西国26番一乗寺の話や、役行者が母を鉢に乗せて中国へ行った話があることを思い出しました。これらの話も信貴山縁起を真似て出てきた話ではないかと思います。
 醍醐天皇が病に伏した折、河内の地の信貴山に毘沙門天を祀る庵で病気平癒のため祈祷を行ったようです。また、聖徳太子が物部守屋討伐の戦勝祈願を四天王の像を刻んだ折に、毘沙門天が現れ、その加護によって物部氏に勝利したと言い伝えられ、その毘沙門天を祀る寺を建立したのが始まりとも言われています。本当のところは、不明なことのようです。醍醐天皇が、「朝廟安穏・守護国土・子孫長久」の祈願をしたことから、朝護孫子寺の勅号を賜り、毘沙門天を信ずべき貴ぶべき山と言うことで信貴山と名付けられたそうです。

本堂 空鉢堂 開山堂

宝蔵院  大和十三佛霊場 第十一番 阿シュク如来 御詠歌

そのみくに ひがしの かたに ありときく ほとけ たのまば まもりますらん


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