歩くたんぽぽ

たんぽぽは根っこの太いたくましい花なんです。

月明かりの夜に

2015年09月30日 | 日記
27日には中秋の名月を雲一つない空で迎えたが、昨日のスーパームーンは曇りだった。

雲の切れ目から見える真ん丸の月を探して一喜一憂したのだ。

満月の夜に胸がざわつくのはなぜだろう。

狼男なんていう架空の存在もあながち馬鹿にできないかもしれない。



うちは風呂に入るために一旦外に出なければならない。

今日も日が変わってから外に出ることになった。

玄関の戸を開けて驚いたのは、辺りがあまりにも明るかったからだ。

少しだけ欠けている様だが、満月と言われれば見間違う程だ。

月を眺めるのはもちろん好きだけど、月夜にもっとも心が浮き上がるのは月明かりのせいである。

月明かりは電気の少ない田舎の夜に影を落とす。



風呂上がりにその辺に腰を下ろして少しぼーっとした。

さらさらと風の音が心地いい。

とりとめのない妄想が膨らんでは消えを繰り返しいくらか時間が経った頃、

家の方向から白い生き物のシルエットがのそっと現れた。

そしてそのままの足取りで私の数十メートル横を通り過ぎようとしたのだ。

「アーサー!」

思わず声に出してしまった。



家には猫が4匹いるが、その親玉で生粋の野良の血を引いているのがアーサーだ。

父が山口県で拾ってきた頃は端正な顔立ちでさぞ格好のいい猫になるだろうなんて思ったものだが、

喧嘩やなんやかんやで顔はがめがめ、おまけに人にはほとんど寄り付かないという始末。

懐かれてなんぼの人間本意の世界ではなかなか人気も上がらない。

私もこの猫に対してしばらく親しみというものを持てないでいた。



月夜に照らされたアーサーの影は立ち止まり私の方を向いた。

警戒心を露わにし姿勢は低いままだ。

数分感お互い動かないまま目を合わせていた、と思う。

ほとんど家に寄り付かず人に慣れないこの猫はいったいどんな世界を生きているのだろう。

私を通り過ぎて今夜はどこにいくのだろう。



しばらくしてアーサーはまた歩き出し、数歩歩くとまたこちらを見た。

心を通わせたような手応えはないが、アーサーが私の存在に目を留めたことがなんだか嬉しかった。

のそのそと地を這うような歩き姿は柄が悪く不格好だが、何者にも媚びない一匹の猫の生き様を物語っていた。



月明かりに照らされて、アーサーはその場を去っていった。


写真はスーパームーン。
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石が流れて木の葉が沈む

2015年09月19日 | 日記
間もなく安全保障関連法案の採決がなされようとしている。

この時間から採決のための最終討論がなされている。



野党が喋っている時になぜ自民党議員は笑うのだろうか。

もちろん皆ではないが、本当に馬鹿にしている。

感情的な言葉は伝わりにくいけれど、今日だけは本当に許せない。

野党全体に対してこんなにも共感したのは初めてかもしれない。



民主党の福山議員が言った言葉がとても印象に残っている。

「今の自民党は保守を語る資格はない。単なる保心だ。」

国会の場で誰が真剣に討論をしようとしているのか、顔を見れば分かる。



もちろんこの法案には反対であるけれど、何よりもやり方がよくない。

まず2012年参院選、2014年衆院選において安保法制のことはほとんど議論されなかったことだ。

2012年の時点で安倍首相の一番の目標はこの法案であったはずなのに。



そして憲法解釈変更という違憲行為。

正々堂々と国民投票してください。



今の日本の法律では強行採決という暴挙に対し国民は手が出せない。

私たち国民が選んだ国会議員なのだから。



国会で多数を誇る与党議員が遠いこと。

今日は採決される。

でも今回得たものは大きい。

この気持ちをもち続けよう。

波は立ったから。

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黄色い天敵

2015年09月17日 | 日記
自然界は捕食する側と捕食される側がいて、主に捕食する側を天敵と呼ぶ。

捕食ないし寄生、あるいは過剰防衛による攻撃者などもそう呼んで構わないだろう。

言葉の正しい意味を探るのは難しいのでそこら辺は適当だ。



天敵はなぜ天に敵と書くのだろうか。

天から現れる敵ということであるならば、今回のことは実に天敵たりうる事態だ。



10日程前から実家に帰省している。

一昨日は母の検査で県の大学付属病院まで行く用事があり、私もそれに便乗することになっていた。

午前11時半過ぎに家を出て車庫まで歩いていたのだが、途中の建物の側で少しだけぼけっと立ち止まっていた。

すると目の前を一瞬小さな黒い陰が通り過ぎた。

その時である、頭に激痛が走った。

わけが分からないまま「いててててて」と地面にへたり込む。

それに気づいた母がわめきながら私の頭めがけて鞄を振り落とした。



キイロスズメバチだ。

あまりの衝撃的な痛さに体がびっくりしたのか涙が止まらない。

頭を剣山で殴られたあとぐりぐり押し付けられているかのような凄まじい痛さである。

それでいて皮膚をこれでもかというくらいに引っ張られているような頭皮の突っ張り感。

もうなにがなんだか。



父は「そんなもん大丈夫やわい」と言うし、近くの寺の和尚さんは「それは痛いわ」と言いながら笑っている。

凄く遠い場所から声をかけられているような気分だ。



頭が朦朧とし耳や首まで麻痺してきた時にはさすがにこれはまずいと思った。

アナフィラキシーショックという言葉が頭をよぎる。

症状が現れると最悪の場合死に至ることもあるという。



しかし周りの楽天的な大人に後押しされる形で都市部行きの車に乗ってしまった。

車に乗っている間も頭を動かすことができない。

あぁ自然界はなんて理不尽なんだと頭の中で文句を垂れる。

キイロスズメバチは私の長い黒髪を何かと勘違いしたのだろう。



40分後、いろんな不安をよそにだんだん頭の痛みが和らいできた。

あれ、なんか大丈夫かも。

不謹慎だけど少し残念な気もした。

その後は頭痛くらいの痛みが夜まで続いた。

楽天的と思われた大人達には長い田舎暮らしで積んだ経験と根拠があるのだな。



キイロスズメバチからすれば天敵から身を守るための防衛行動だったのだ。

私は一日の痛みと数日の腫れに耐えるだけですむけれど、巣を守ろうとしたキイロスズメバチは鞄の一撃で死んでしまった。

今まではキイロスズメバチを見ても何も思わなかったが、これからは頭だけは隠そうと思う。

共生するためには相手への配慮も大切なのかもしれない。

次はアナフィラキシーの恐れがあるからそんな悠長なことも言えないだろうけどね。

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