ブログを立ち上げて間もないのに、カテゴリが多い事に驚かれている読者の方もたくさんいらっしゃると思います。
最近、「健康・福祉」というカテゴリを設けた理由の1つについて、お話したいと思います。
小生、実は17歳(高校3年生)の春に、左足の良性腫瘍に冒され、1ヶ月程、癌専門病院に入院していた経験があります。悪性であれば『骨肉種』の末期で、ダメだっただろうと、無事退院した時に主治医に告げられました。その意味では、運が良かったです。
(ですが、3年位に一度は定期検診があります。今年5月に、診てもらう予定です。)
先日、ヒトの生命とか、疾病治療に興味が湧き、薬学を志望したことをお話させていただきましたが、薬学を目指したのは、本件がバックボーンにあったからなんですね。
本当は医学部に進み、整形外科を専門にしたかったのですが、身の程を弁えると、医学部に進める学力はなかった…だから、薬学に進みました。
社会人になって少し落ち着いた1998年頃、発病から10年過ぎ、再発の可能性が限りなくゼロに近くなったので、助けて頂いた恩返しを自分でできる事でしたい…と思い、ボランティアで手話を始めました。
2002年11月に、一度山口から別の場所に転勤したのですが、それまでの4年間、結構勉強したと思います。
市内の手話サークルにも入って活動しましたし、『手話奉仕員』の資格も取りました。中国地区各県の青年部の活動にも参加し、たくさんの友人もできました。今でもその友人達と、年賀状のやり取りは続いています。
さらには、『手話通訳者』の養成講座も受講し、通訳者を目指してもいました。
その講座の途中(しかも、残り1ヶ月の最後の実地訓練の時)に、会社から転勤の辞令が出て、途中リタイヤ…。無念でした。
現在は、とりあえず現業を一生懸命やる事が最優先と考え、手話の勉強は中断中です。(簡単な日常会話なら、まだ読み取りもできるし、表現もできます。)
ですが、諦めていません。手話に対する情熱は、多分消えないでしょう。
仕事も一人前にできて、会社の中でも一目置かれるような存在となり、なおかつ時間が作れたら、やり直しですが、再び勉強したいと思っています。
定年後は、聴覚障害者と共に歩めるようになれば最高かな?と思っています。
前置きが長くなりましたが、昨日、安倍首相が、聴覚障害者のスポーツの祭典『デフリンピック』選手団の表敬訪問に対し、手話で激励されたとの報道記事をネットで発見しました(こちらをご覧下さい)。
写真の安倍首相の手話は、『良い』とか『宜しく』などを意味します。
今は、“バリアフリー”の時代。
薬剤師も昔は「耳の聞こえない者」「口がきけない者」は、薬剤師法による“絶対的欠格事項”に該当し、免許は与えられませんでしたが、その薬剤師法も数年前に改正され、今は免許を与えられます。
聴覚障害者の皆さんは「聴く事が苦手」なだけで、聴こえる人(健聴者)と同じです。素晴しい能力を持った方も大勢いらっしゃいます。
『デフリンピック』に出場される選手の皆さん、ぜひ頑張って下さい。
応援しています。
※『デフリンピック』の“デフ”は、英単語で“deaf”。聴覚障害者を意味します。
最近、「健康・福祉」というカテゴリを設けた理由の1つについて、お話したいと思います。
小生、実は17歳(高校3年生)の春に、左足の良性腫瘍に冒され、1ヶ月程、癌専門病院に入院していた経験があります。悪性であれば『骨肉種』の末期で、ダメだっただろうと、無事退院した時に主治医に告げられました。その意味では、運が良かったです。
(ですが、3年位に一度は定期検診があります。今年5月に、診てもらう予定です。)
先日、ヒトの生命とか、疾病治療に興味が湧き、薬学を志望したことをお話させていただきましたが、薬学を目指したのは、本件がバックボーンにあったからなんですね。
本当は医学部に進み、整形外科を専門にしたかったのですが、身の程を弁えると、医学部に進める学力はなかった…だから、薬学に進みました。
社会人になって少し落ち着いた1998年頃、発病から10年過ぎ、再発の可能性が限りなくゼロに近くなったので、助けて頂いた恩返しを自分でできる事でしたい…と思い、ボランティアで手話を始めました。
2002年11月に、一度山口から別の場所に転勤したのですが、それまでの4年間、結構勉強したと思います。
市内の手話サークルにも入って活動しましたし、『手話奉仕員』の資格も取りました。中国地区各県の青年部の活動にも参加し、たくさんの友人もできました。今でもその友人達と、年賀状のやり取りは続いています。
さらには、『手話通訳者』の養成講座も受講し、通訳者を目指してもいました。
その講座の途中(しかも、残り1ヶ月の最後の実地訓練の時)に、会社から転勤の辞令が出て、途中リタイヤ…。無念でした。
現在は、とりあえず現業を一生懸命やる事が最優先と考え、手話の勉強は中断中です。(簡単な日常会話なら、まだ読み取りもできるし、表現もできます。)
ですが、諦めていません。手話に対する情熱は、多分消えないでしょう。
仕事も一人前にできて、会社の中でも一目置かれるような存在となり、なおかつ時間が作れたら、やり直しですが、再び勉強したいと思っています。
定年後は、聴覚障害者と共に歩めるようになれば最高かな?と思っています。
前置きが長くなりましたが、昨日、安倍首相が、聴覚障害者のスポーツの祭典『デフリンピック』選手団の表敬訪問に対し、手話で激励されたとの報道記事をネットで発見しました(こちらをご覧下さい)。
写真の安倍首相の手話は、『良い』とか『宜しく』などを意味します。
今は、“バリアフリー”の時代。
薬剤師も昔は「耳の聞こえない者」「口がきけない者」は、薬剤師法による“絶対的欠格事項”に該当し、免許は与えられませんでしたが、その薬剤師法も数年前に改正され、今は免許を与えられます。
聴覚障害者の皆さんは「聴く事が苦手」なだけで、聴こえる人(健聴者)と同じです。素晴しい能力を持った方も大勢いらっしゃいます。
『デフリンピック』に出場される選手の皆さん、ぜひ頑張って下さい。
応援しています。
※『デフリンピック』の“デフ”は、英単語で“deaf”。聴覚障害者を意味します。
早速お邪魔します。
手話を始められたキッカケ、そういう事情があったのですね・・・。
そうですね、今はバリアフリーな時代。
障害のこと、人種の違い、性別の違い、年齢による区別。
少しずつですが色々なバリアが取り除かれていく事をうれしく思います。
私もこれからちょくちょく寄せてもらいます。
深夜まで将棋の番組を見ていたので、「草木も眠る丑三つ時」ですが…お礼を申し上げたくて…。
そうなんですよ。応援団やっていても、ここまで五体満足というわけではなかったんです。
でも、助けていただいたご恩は、返すのが礼儀と、律儀に思っているので、自分でできることで、興味もあった手話を始めたんですね。
聴覚障害者の皆さんは、小生が知る限りは、本当に心がきれいだし、素晴しい能力を持った方も大勢いらっしゃいます。
『奉仕ごころの履き違え』という記事でも述べましたが、聴覚障害者は、ただ「聴くことが苦手」なだけで、健聴者と一緒です。
少なくとも、小生はそう思っています。
さて、とらいでんとさんは、走る事、泳ぐ事を楽しんでいらっしゃるようですね。
小生も、良性腫瘍になる前までは、走る事は得意でした。
主治医には「もう何やっても大丈夫だけど、足に負担のかからない水泳なんか、お勧めだよ!」と言われています。
泳げないわけではないのですが、二の足踏んでいる状況です。
始めてみたら、楽しいかも…なんて思っています。
遅い時間にコメント(お返事)いただいて恐縮です。
今まで見えなかったり興味がなかった分野や世界に突然視野が開ける事ってあるんだと思っておりまして、
腫瘍の事はきっとお辛い経験だったと思うのですが、けれども、それがきっかけでDanchoさんの今の考え方や姿勢があるのかなあと思いました。
水泳も別の世界が見えますよ(^o^)/
水泳経験がなくても、大人になってからでも充分楽しめるし、仰るとおり足にも負担が少ないのでとってもオススメです!
お返事が大変遅くなり、申し訳ありません。
『腫瘍の事はきっとお辛い経験だったと思うのですが、けれども、それがきっかけでDanchoさんの今の考え方や姿勢があるのかなあと思いました。』
と、とらいでんとさんにおっしゃられると、なんだか恐縮しちゃいます…。正直照れちゃいますね(笑)。
でも、助けていただいたおかげで、今の進化した日本で生き続けられているのですし、nanaponさんのブログを通じて、nanaponさんとはもちろんのこと、とらいでんとさんともこうして情報交換させていただくご縁を頂いた…と思っている次第です。
とらいでんとさんがおっしゃるように、助かったけれど、癌専門の病院へ入院したという経験があったからこそ、薬学へ…そして手話を…となったわけですから、類稀な経験をさせていただいたんだ…と、今では感謝しているくらいですね。
左足とは、上手に付け合っていけば、暫くはこの世で普通に生活できるので、決して無理せず、充実した日々を過ごせれたら…なんて思っています。
徒歩通勤でも、なかなか体重を絞るのは大変だ…ということが分かってきたので、ここら辺で、思い切って、新たな世界へ飛び込むのも一考かな…な~んて考えている今日この頃です。
ブログ立上げと同様、世界が広がることは間違いないですし…ね(笑)。
というわけで、とらいでんとさんのブログに、また“度々”寄らせていただきたいと存じますので、今後とも宜しくお願い申し上げます!。