Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援団に捧げた青春(17)/感動の『第25回 臙脂の集い』

2007-09-09 16:05:02 | 応援団シリーズ化記事
昨日から、東京六大学野球秋季リーグ戦も始まりましたね。

ただ、紫紺の八木崎健児先輩の速報コメントにありますように、残念ながら、当面は応援団の団旗の数は、「5つ」になる可能性が出てきました。

開幕週の結果と、『暗い影』の件に関する新たな記事は、後日エントリーすることとして、やっぱり学生野球シーズンとなると、『応援団バカ』の血が騒ぐようです。

ですので、選手や応援団の皆さんを『応援』する意味でも、先ずは、『応援団に捧げた青春』のシリーズ記事をエントリーしようと思います。

今回は、『第25回 臙脂の集い』の、いよいよ本番当日の様子です。

では、早速…。

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1985年の『春高祭』の2日目…とうとうこの日を迎えました。

『第25回 臙脂の集い』の当日です。

前日の練習で倒れ、早めに帰宅した、心臓に不安を抱える同期も、先輩方から「無理をするな」と指示されていましたが「ステージに立つ」といって遅れて登校してきましたが、顔を見せました。

とにかく、この『臙脂の集い』に賭ける気持ちが、小生達1年生部員ももちろんですが、このステージの後に「幹部」に就任なさる2年生の先輩方、そして、このステージで引退となる3年生幹部の先輩方が「一つ」になっている感じです。

ステージ本番直前まで、2年生の先輩を先頭に、小生達1年生2名をかわるがわる引き連れて、ほぼ1時間~30分に一度は目立つ場所へダッシュで駆けつけて颯爽と現れ、「学生注目」(現在の本ブログのプロフィールにある写真が、それに該当します)をして、『臙脂の集い』への来場をアピールします。

その間も、本番ギリギリ(正確には、本番前の「発声練習前」)まで「展示」を行います。
小生の中学3年生の時のクラスメイト(確か、女性3名だったと記憶しています)が、午前中展示会場に訪問してくれたので、小生がどんなことを応援指導部でやっているのか…説明もしました。

そして…前回の『床屋デー』に関することで、凄いことに…

カモ達1年生の確か3名だったと記憶していますが、3年生幹部の先輩に…

「頭…剃る気があるか

と聞かれたみたいで、カモは即その気になって、展示の控え室で早めの昼食を摂っていた小生に「俺、先輩から勧められて、頭剃りに床屋に出かけるから。許可ももらったので、展示宜しく」といっては、そそくさと床屋へ出かけていきました。

頭を剃る…これは、現在もそうですが、応援団では下級生部員の「気合」を示すためのある意味「常套手段」で、強要はされませんが、「気合」という意味と、素直な性格を見込まれて、3年生幹部の先輩に勧められたようです。
カモも、元々こういったことが嫌いではなかった性格だったので、「喜んで」剃りに出かけたように小生には見えました。

とにかく、下級生が各々、自身の考えた方法で、本番まで「気合」を高めていました。

小生は、本番直前の「学生注目」に出かけることで、その「気合」たるものを示したと思います。(少なくとも、その様に記憶しています。)

そして、ステージ本番直前の「発声練習」を迎えます。いよいよです。

頭を綺麗に剃ったカモ達3名も帰ってきて、皆身形も整え、本当にあと僅かで、凄く厳しかった練習の成果を出し切るステージが始まるんだ…そう思うと、自然と感激と気合が入り混じった、「ハイテンション」になりましたね。

1年生はOBの先輩方からも、当日の3年生幹部の先輩からも「倒れてもいいから」位の勢いで「とにかくがむしゃらに、食らい付いて、どうでもいいから声だけは出せ」とご指導を頂いたように記憶しています。

小生も、熱くなりやすいのか、これで「やってやる」という気持ちが高ぶりました。


そして、会場の体育館に到着すると…とても蒸し暑いのに、凄い観客の数でした。
決して広いとは言えない体育館が、人の波で溢れています。
前日の夕方からの閑散とした体育館が嘘のような大盛況です。

こんなにもたくさんのお客様が、このステージを楽しみになっている…。

そう思うと、更に気合が高まりました。

そして、10分間の『余興』が始まりました。
小生も数演題に出演しましたが、KT先輩の前日の熱心なご指導の賜物で、お客様に喜んでいただけました。

この年、ヒットしたのが、当時アニメで放映された『北斗の拳』の真似と、最後の最後で総勢9名(11名だったかな)が登場して演じる、「伝統」の『バルタン星人』でしたね。
小生は、この両者に登場しました。「観客に受ける」時の心地よさは、今でも良い思い出です。
(『バルタン星人』は、KT先輩の思い入れが非常に強い余興で、前日も凄い形相でご指導下さいました。結果的に成功して、ホッとしました。)


『余興』が終わり、KT先輩が掲げる団旗がステージ向かって右袖に入場するまで、ステージの緞帳が下がっている状態ですが、この間の「実践体形」を組むまで、とにかくお客様に聞こえない程度の声で、3年生幹部からはもちろん、2年生の先輩からも、そして1年生同士でも「気合を入れていこうゼ」という掛け声を掛け合って、鼓舞していました。

そして、ステージの緞帳が上がり、当時はトップを切って颯爽と歌われる、1,2番合わせても僅か30秒で終わる、第一応援歌『秩父の嶺』で、本番の演技が幕を切りました。

どの演題も苦しかったですし、梅雨時期で蒸し暑く、お客様が大勢でしたので、人の熱気で条件は過酷でしたが、不思議と体調は良く、全演題に全力を出せましたね。

ですが…ちょっとしたミスがありました。

『勝利の拍手』を演じるMY先輩が、練習でも失敗した事がない出だしの「乱打」から「一拍子」に入る姿勢に構える時に、バランスを僅かに崩し、一瞬ステージの床面に「手を付いて」しまったのです。
ビックリしましたが、ステージでたとえミスしても、「しまった」といった顔をすることはご法度です。小生達も顔には出しませんでしたが、でも驚きました。

それまでの練習プロセスの中で、3年生幹部では、量も質も一番「過酷」な条件を乗り越えてこの日を迎え、やるべき事は全てやったはずのMY先輩の、ほんの僅かなミスです。

この日まで、熱心にMY先輩をご指導なさった1学年上のOBの先輩も、ステージが全て終わった後、MY先輩に…

「あそこで手を着いてしまったこと…後悔していないか」

という会話があったとか、なかったとか…。

小生達下級生も動揺はしましたが、そこでそれが表に出ると、このステージは滅茶苦茶になります。

とにかく、淡々と進めるだけです。一心不乱に…。

旗手もKT先輩からI先輩へと引き継がれ、KT先輩の持ちテクである、第二応援歌『若き血潮』や、三大テクの『撃滅の拍手』等も披露され、途中、厳しいステージの全体練習にも嫌な顔せずに参加していただいた吹奏楽部の紹介があり、クライマックス近くでは、2年生が昼休みも返上で「特訓」を受けていた『春高ブローク』が披露されました。

現在は、この『春高ブローク』では生徒達によって「ハッスル・ポーズ」をしながら掛け声をかけて「援軍」を贈ってくれるのですが、当時は、2年生がテクを披露すると、ステージに立つ1年生のみで『秩父の嶺』を4番まで歌わねばなりません。生徒達の「援軍」など、当時はなかったのです。

最後の最後で、もう「気力」だけでステージに立っている小生達1年生にとっては、とっても過酷でした。

でも、やり切ったのです。

そして、最後の最後で迎えたのは…そうです。『春日部高等学校 校歌』です。

この時は、応援指導部のOBの先輩方はもちろんですが、春日部高校のOBの先輩方、現役生徒の皆さん、先生方まで一緒にご唱和下さるので、体育館が「大海原」のような感じになります。

小生はある意味「途中入部」みたいなもので、1ヵ月半でしたが、その短い間の3学年揃った厳しい練習…そして、Hの不本意な形のリタイアなど、色々な事が「走馬灯」のように思い出され、校歌を歌いながら「ウルウル」していました。

そして、校歌も終わり、お客様からたくさんの拍手を浴び、緞帳が降りてステージの演題の全てが「終わった」瞬間…自然と涙が溢れました。

隣にいる1年生と抱き合って、大泣きした事を鮮明に覚えています。
初めての「嬉し泣き」でした。

ですが、1年生に感動に浸る暇はありません。

団旗を解体してケースに大事に戻し、太鼓も崩していつもの練習前の状態に戻したり、何より、この暑い中を我々応援指導部を盛り上げるために全面協力していただいた吹奏楽部の皆さんの人数を確認し、冷たい飲み物を調達するという大事な役割が残っています。

小生は、その吹奏楽部の皆さんへの冷たい飲み物を調達するために、嬉し泣きをしながら、結局退部してしまいましたが…同期1人と一緒にダッシュして近くの店に駆け込んだ記憶があります。

ステージは、感動の渦に包まれ、大成功に終わりました

大変な「事件」も乗り越え、成功できた喜びは、顧問のM先生も「格別」だったようで、団長のSJ先輩と抱き合って泣いていました。
(OB会発足5周年記念誌にも、その様に記載があります。)
それだけ、あの「事件」は、色々な意味で「大きかった」ということでしょう。

ステージを終えての、当時は「裁判官と被告」のようなOBの先輩方との「反省会」でも、先輩方から多少苦言はありましたが、概ねこの年は好意的な意見が多かったように記憶しています。

そして、『春高祭』のフィナーレを飾る『GFF』と呼ばれる「後夜祭」で、小生達応援指導部が、最後の最後で盛り上げるのですが、その時の春日部高校の生徒達の応援指導部に対する「熱いまなざし」は、決して忘れられません。

そうです。

母校の春日部高校にとって応援指導部は、「不可欠な存在」ということを、この時に知ったのです。

自分に照らし合わせると、53番との約束や、TSさんを「振り向かせる」ための鍛錬の目的がありますが、学校にとっても大切な存在の一員なんだ…ということを知り、意地でも「辞めるまい」と感じた一幕でもありました。

後夜祭も終わり、やがて「兵どもが夢の跡」と化した学校の校門を後にし、現役部員同士の「打ち上げ」の席で、下級生は内輪ネタの余興を3年生に披露したりしながら、和やかに、そして最後に、このステージで引退される3年生幹部お一人お一人から、ステージの感想などをお伺いし、解散…。

長くて短かったような『臙脂の集い』当日は、こうして幕を閉じました

小生にとっては、自然ではありましたが、初めて「嬉し泣き」を経験した忘れられない1日となりました。

2年後…幹部となってステージに立つ事を夢見て、床についた気がします。

翌日は、『春高祭』の後片付けで登校し、その翌日は『臙脂の集い』の当日が日曜日のために「代休」でした。


『第25回 臙脂の集い』が終わり、いよいよ2年生が幹部に就任する事になります。

その「選挙」の様子や、その翌日に、「練習の一環」で、3学年揃って日比谷公会堂に『第32回 六旗の下に』を観覧する様子などを、次回お話しましょう。

新しい「第63代」の時代の幕開けとなりますが、まだまだたくさんの思い出があります。
小生達1年生にとっても、初めて「野球応援」を経験しますし、やっぱり過酷な「夏合宿」や、53番との「劇的な再会」や、先輩から各応援歌の「テク」を習ったりと、まだまだ話題は尽きません。

今後の展開に、どうぞご期待下さい。

(次回に続く)

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2 Comments

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Unknown (ざっく)
2007-09-09 17:22:28
こんにちは。

この応援団に捧げた青春シリーズ、Danchoさん方の当時の苦労や意気込み、応援にすべてを懸けた臨場感のある一瞬一瞬などが、たくさん伝わってきます。
文化祭、無事に成功してよかったですね。

読んでいてとてもおもしろいので私はこのシリーズが大好きです。

六旗の下にで見た応援団(部)員の方々もきっとこのように大変辛い練習を乗り越えてステージに立っているのでしょう。

表面的な部分だけでなく、裏での秘話(?)を知ることができるのも嬉しいです。

次の執筆期待してます(・∀・)
返信する
ありがとうございます。 (Dancho)
2007-09-24 08:37:39
ざっくさん、おはようございます。

大幅なレス遅れを来たし、申し訳ありません。

このシリーズは、まだまだ1/6~1/5が終わった程度です。

間もなく第18話をエントリー予定ですが、恐らく100話を超えると思います。
凄い大長編シリーズとなりますが、ざっくさんのようなコメントを頂戴すると、励みになります。

本当はもう少しペースを上げたい気持ちがありますが…1日1エントリーを原則とすると、1話/週ペースとならざるを得ない状況を、どうかご理解いただければ…と思います。
ですが、頑張ります。今後の展開にご期待ください。
(実は、これからも凄い「激動」の展開を迎えます。)

それと、10月になると六旗のDVDが届きます。

これも鑑賞記を全8回のシリーズで立ち上げますので、どうぞお楽しみに。
(昨年6月の分は、3月頃の記事で8回のシリーズで既にやっています。チアは、特に法政でたくさん紹介していますので、ご覧下さい。)

では、今後とも、気楽に遊びにお出でください。大歓迎です。

心よりお礼まで。
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