Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

『第89回 全国高等学校野球選手権』が終わって…

2007-10-11 00:14:14 | 高校・大学野球
8月22日に、表題のいわゆる「夏の甲子園」が、佐賀県代表の佐賀北高校が見事に、公立の普通科の高校では、あの『木内マジック』の序章となった、茨城県代表の取手第二高校以来、なんと23年ぶりの優勝で幕を閉じました

あれから1ヶ月半以上経つんですね…早いものです。

この1ヶ月半で、随分涼しくなりましたが、小生の胸は、思いを甲子園に馳せると熱くなります。

秋田県で開催されている国体にも佐賀北高校は出場していますが、「佐賀北フィーバー」は、秋田でもまだまだ冷めていないそうです
ここでも先ほど調べたら、なんと…準決勝まで勝ち進む快進撃を見せましたが、惜しくも準決勝で今治西高校に敗退したようです。

随分前になりますが、その決勝戦…テレビ朝日系の『熱闘甲子園』を録画して拝見しましたが、とにかく凄かったですね

ちょっと振り返ってみましょう

7回裏までの佐賀北高校は、対戦校の広島県代表の広陵高校の野村 祐樹 投手の前に僅か1安打のみ

しかし、8回裏に巡ってきた最大のチャンスを見事にものにし、副島 浩史 選手の逆転満塁本塁打で一挙5点を奪って、劇的な勝利で優勝を勝ち取りました

百崎 敏克 監督は、佐賀北高校に赴任してから、先ずは「甲子園で勝てる」チーム作りを目指すために、徹底的に基礎体力強化に努め、久保 貴大 & 馬場 将史の両投手をチーム内で上手に「競わせ」て「二本柱」を築き、守備を「これほどか…」と唸らせるほどに鍛え上げて、チームをここまで成長させました。

しかも、普通科の進学校という事から、普段から勉強に割く時間も作るという環境まで整えるようなご指導までなさっていたそうです。

2001年に、同じ佐賀県の神埼高校を、春夏連続出場に導いた時の監督も、同じ百崎監督でしたが、当時の神埼高校も「投手が素晴しい」との評価で、この年は常に「ダークホース」的な存在だったことを覚えています

この優勝で、未だに全国から「寄付」や「援助」が絶えないようですが、三重県代表の宇治山田商業高校との延長15回引き分け再試合を制し、優勝候補の東東京代表の帝京高校をも、延長戦の末に敗ってのものです。
当然、7試合で73イニングを戦ったのも大会記録となりました。

試合にかける情熱とひたむきさ…そして無欲さが、高校野球ファンの感動を呼んだのかもしれません。

また、この優勝は、小生の母校にとっても非常に励みになりました。

佐賀北高校には、突出した選手がいなければ、なんと日本の男子高校生の平均体格より僅かに大きいくらいで、小柄な選手ばかり。
でも、こんな大舞台で、優勝候補をも倒して、見事に戴冠したわけです

全国の公立高校の野球を志す選手達に…

「とにかく頑張れば、あんなに人を惹きつけられるんだ」
「とにかく頑張れば、甲子園に行く事はもちろん、優勝する事だって決して不可能ではないんだ」

という勇気と希望を与えたと思います。

その意味で、功績は非常に大きいと思います。
本当におめでとうございます

さぁ、今度は小生の母校の番です
やればできるのです
いや、今のチームなら…坂下監督のご指導の下なら…可能性はあります

坂下監督が就任なさってから、母校の野球も変わりました。見違えるほどです。
その証拠に、部員が100名近くも在籍しているというではありませんか
佐賀北高校の快進撃を見習って、決して諦めることなく頑張ってください


さて、今回の「夏の甲子園」…小生はある1校に注目して見ていました。

その高校とは…春夏通じて初出場だった、大分県代表の楊志館高校です

この高校の甲子園の出場から、ベスト8にまで勝ち上がる過程…実に感動的で劇的です

その第一の感動的なエピソード…。

レギュラーサードポジションだった選手が、大分大会前の練習中に打球を左目に強打させて失明してしまい、残念ながら今大会は控えに回る事になったそうです。

ですが、大分大会では、貴重な場面で代打で登場しては、チームの流れを大きく変える安打を放つなど大活躍だったそうです。

毎日新聞の記事でも「隻眼の選手」として紹介され、なんとこの全国大会でも、背番号は、サードのレギュラーポジションの選手を意味する「5」を背負っていました。
したがって、楊志館高校の甲子園でのスターティングメンバーのサードのポジションには、実際に小生がテレビ観戦した試合では、背番号「15」の選手でしたし、甲子園での最後の試合となってしまった長崎日本大学高校戦では、小生がテレビ観戦した試合では、ショートストップのポジションの選手(阿南主将だったかな)と記憶しています。

楊志館高校の選手達が、皆で一体となって試合に臨んでいる様子が凄く伝わりましたね。
3試合も戦っているのに、たったの1試合しか観戦できなかったのは残念ですが、でも、そのたったの1試合が、小生を感動させてくれました

ですが、そのチームの一体感の陰には、実はこんな第二の感動的なエピソードが…。

これも、毎日新聞の8月18日の記事で紹介されていたのですが…実は2年生のマネージャーの女子生徒が、長期入院が必要な重い病気で、なんと大分大会の直前の6月中旬から闘病生活を余儀なくされたそうです

この2年生女子マネージャーの生徒は、中学時代はソフトボールの選手で、選手達とキャッチボールをするほどの活発な女性とのこと。

女子生徒も病気と分かってから不安な日々を過ごし、陰では涙する事もあったようですし、選手達も相当ショックを受けたようです

しかし、選手達は、闘病しているマネージャーの女子生徒を「なんとしてでも甲子園に連れて行こう」と奮起し、団結力が一気に芽生えたとか。

そして、大分大会で勝つたびに、闘病中の女子生徒の病室にウィニングボールを届け続け、「必ず6個揃えて優勝する」という約束を果たしての、今回の甲子園の出場だったのです
これには闘病中の女子生徒も大喜びだったそうです。

ところで、それまでの楊志館高校は、県大会でも精々2回戦で涙を呑むチームだったそうです
それが、この快進撃ですから、「一致団結」の真の力って、凄いですよね

選手達は「あいつが来させてくれた甲子園かもしれない…」という思いが募り、闘病スケジュールの合間に大分から女子生徒が甲子園に駆けつけられるように…と、全国大会でも奮起します。

選手達は、甲子園出場を決めてからも「できるだけ多くのウィニングボールを集めて、あいつに届けよう」と目標を定めて臨んだ大会だったようです。

そして主将の阿南君は、闘病中の女子生徒を励ますように、こう語りかけたそうです。

「おまえが来るまで勝ち続けるから、ゆっくり治せ」…。

その結果、2勝を挙げてのベスト8進出だったのです

選手達は、願わくばもう少し多くのボールを集めて、闘病中の女子生徒の病室を訪れたかった事でしょう
小生も、こうなったら、初出場初優勝のドラマも良いかな…と思ったほど、楊志館高校の選手の皆さんから、爽やかな風を頂いた気がしています。

楊志館高校の皆さん、小生に感動を与えてくださって、本当にありがとうございました

母校の埼玉・春日部高校も、その「一致団結力」を見習って、きっと頑張ってくれる事でしょう


この大会は、1ヵ月半経って改めて振り返ってみても、この九州勢の2校の大活躍によって、昨年の「ハンカチ王子 対 マー君」に勝るとも劣らない、素晴しい大会になりました


良い話を台無しにしてしまいかねませんが、避けて通れないので最後の最後でフォロー(といいますか、「突っ込み」いや「ケチ」ですかね…)しますが、だからこそ特待生制度の問題については、うやむやにせず、しっかりと議論を重ね、しっかりした方向性を、高野連には示していただきたいな…と思う次第です。

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1 Comments

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百崎敏克の検索でたどり着きました (野田澄男)
2007-11-05 06:23:39
 私は佐賀北高校の野球部のOBです
現在埼玉県さいたま市岩槻区に住んでいますが、このたび熊本に単身赴任しました。百崎監督とは野球部の2級先輩で昨日30年ぶりに会ってきました。
大學時代はお互い夏休みには母校で練習の手伝いをしていましたがいつしか縁遠くなってしまい、まさかこんな再会ができるとはおもいもよらず、30年ぶりにもかかわらず歓待してくれました。
高校時代とまったく変わらないことにお互い安心したり冷やかしたり 笑
母校に赴任して4年、勝てなくて首寸前でしたよ と笑って話す彼の笑顔は30年前とまったく変わりませんでした。
キャプテンの市丸君や先発の馬場君の親父もチームメイトでした。
本当に普通の子供たちです。 僕らも甲子園にはもう少しのところでいけなかったのですが、今年のチームとどちらが強いのか結構議論になるところです 笑
それくらいたいして実力のない学校です。
プロのスカウトが、 他校の選手の実力評価を聞くために尋ねることはあっても、佐賀北のスカウトにはこない と笑っていました。
秋の新人戦は3回戦で負けました。
これが実力なんでしょうね。 笑
 帝京や広陵などの野球名門と何回練習試合をやっても勝てない。でも甲子園の本番は違う とマスコミに言ってい
ましたが、内心は大差で負けることが怖かったと言っていました。  やはり彼も普通の監督でした 笑
僕は実はなにもやっていないんです。
やったのは選手と部長の吉冨先生ですよ と笑って話す彼の人柄は高校時代とまったく変わっていませんでした。
人におもねず、それでいて自分の考えを絶対曲げない頑固さも変わっていませんでした。
先輩はとてもやさしく、怒られたことがなかった と言ってくれて、高校時代のお礼の意味でしょうか、内緒で決勝戦で使ったボール何個か持ち帰ったもののなかから1個をくれました。 一生の宝物ですよ 笑
これからは、たまにはグランドに顔をだそうかと思っています。
春日部高校はたしか青島健太さんの母校ですよね
うちの長男も受験しましたが見事に不合格、栄東にいきました
来年の甲子園は大変なプレッシャーがかかりますが、田中亮君(今年のセカンドでたびたび好プレーを連発)が主将として、市丸君に勝るとも劣らないリーダーシップを発揮してくれると信じています。
春高の健闘を祈っています。

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