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英国人は「穢れ」に無知でインド大反乱に火を付けた

2017-12-07 14:20:28 | 歴史談話


1857年にインドで英国に対する大反乱が起こった。かつては「セポイの乱」と呼ばれていた反英武力闘争である。英国に雇われていた傭兵がセポイと呼ばれ、彼等が反乱のきっかけとなる騒ぎを引き起こしたからそう名付けられたのである。彼等が反抗した理由が、当時のエンフィールド小銃の弾薬にあったと言われたのはよく知られている。エンフィールド小銃は火縄銃と同じく銃口から火薬を注ぎ込み弾丸を押し込んで装填する仕組みである。しかし発射速度を高めるために弾薬が改良されていた。図にあるように弾丸と火薬が紙に包まれて一つになっていた。兵士は左手に銃を持ち、右手で弾薬袋から紙包みを取り出して弾丸のある反対側の端を噛み切って中の火薬を銃口から注いでその後で弾丸を押し込むのである。弾丸と一緒に紙も噛んで丸めて押し込む。装填した後で銃口を下に向けても動かぬように火薬と弾丸をしっかりと固定させるためである。この紙には油がべっとりと塗ってあつた。一つには水に濡れても中の火薬を湿らせないためであり、もう一つには銃身の中に押し込むのに滑りやすくするためである。
 その油が大問題となった。牛と豚の脂身が使われていると噂されたのだ。実際に一部では使われたらしい。セポイの出身者はヒンドゥー教徒とイスラム教徒であり、インドで彼等の社会的地位は高かった。地元に帰れば名士の息子とされる人々が、高い給与を得るために英国の傭兵となっていたのだ。傭兵と言えば社会のはぐれ者のイメージがあるが、彼等は全く違ったのである。そしてヒンドゥー教徒にとって牛は神聖な動物であり、殺したりその肉を食べるなどは絶対にあり得ない事なのである。またイスラム教徒にとって豚は穢れた動物であり、その肉を食べるなどとは絶対にあり得ない事だった。その口にしないはずのはずの牛と豚の油が使われているとセポイ達が騒ぎ出し、それが民衆にまで広まっまってインド全土をゆるがす大反乱になったのである。
 しかし、これには反対意見もある。問題は英国の経済的搾取と政治的抑圧や人種的差別であり、牛や豚の油身にこだわるのは反乱の本質を矮小化するものだと言うのである。たしかに英国の植民地支配に対する憤懣がインド人の反乱を招いた事は確かである。だが牛や豚の脂身だって大問題だった。反乱はいつかは起こっただろう。しかしながら1857年にセポイがきっかけで起こったのは、牛と豚にたいする宗教的感情が原因だったのは間違いない。
 英国人はなぜヒンドゥー教徒やイスラム教徒が忌み嫌う牛や豚を使ったのか。後にやったようにヤギ肉の脂身を使えば何の問題もなかったはずである。ヒンドゥー教徒は獣の肉を食べたがらないそうだが、噛んで吐き出すならヤギの脂身にも我慢したはずである。神聖な牛だから激怒したのである。イスラム教徒はヤギや羊を食べている。それこそ何の問題も無いのである。英国人は皆、ヒンドゥー教徒が牛を食べないしイスラム教徒が豚を食べない事を知っていた。知らなければインド人を統治できないから、インドへ行く時に真っ先に教え込まれたはずである。しかし牛の肉を「人間の遺体」のように神聖と見なしたり、豚の肉を「糞便」のように汚らわしく感じるとは知らなかった。牛や豚を日常的に食べていたからだろう。そこまで想像出来なかったのだ。紙の薬莢を噛んで吐き出しても「食べる」わけではないと思い込んだのだろう。
 牛肉を「人間の遺体」豚肉を「糞便」と考えれば日本人にも理解出来るだろう。噛むどころか触れるのも忌まわしい行為である。神聖と不潔であるが、両極端は一致するのである。もし練り歯磨き剤に人間の死体や糞便が混入した可能能性が少しでもあるとなったら大騒ぎになるだろう。99%安全だと言おうと全く相手にされず、その製品は残らず廃棄され製造元は激しい非難の集中砲火をあびるだろう。吐き出せばすむという問題ではない。口が「穢れた」のである。英国人は「食べる」とは別に口にするだけで「穢れる」という感情がインド人にある事が分らなかった。インド人について何も知らなかった。インド大反乱によって、インドの重要性と自分達の無知に気付いた英国は本腰を入れてインド研究に乗り出すのである。それを象徴する人物がいる。
「マイフェアレディ」のピッカリング大佐である。

 


 



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