<帯のキャッチフレーズ>
「くたばれ、うつ病! 奇才・中島らもが綴った波瀾万丈・奇想天外の躁うつ人生」
前出の「双極II型障害という病」(内海健著)で登場した中島らも氏の本が手元にあったので、読んでみました。
内海先生によると、彼の父は双極型障害、らも氏自身は双極型障害が疑われるとのこと。
私にとって「中島らも」は新聞の「明るい悩み相談室」の回答担当者として記憶している名前でした。
そのらも氏自身による躁うつ病体験記です。
実際の患者さんが書いた体験記は、医師の建前的”上から目線”とは異なり、何が不快で何に一番困っているかがわかり、大変参考になります。
この本もその例に漏れず、頷きながら読んだ箇所多数。
それにしても「型破り」「波瀾万丈」「奇想天外」という言葉が似合う人生だなあ、と驚きを越えて感心してしまいました。
うつ状態の時はつらいけど仕事は何とかこなせる、躁状態の時は集中できず気ばかり焦って仕事が手に付かない、というコメントは意外でした。
一般に、軽躁状態の時は「絶好調」という印象しか持たないとされているので、らも氏はBPのいわゆる躁状態を経験したのではないか、と思いました。
それから、躁状態を自覚できるかどうか、については、初期には「なんかヘンだぞ」と思う節がありますが、進行してしまうともう自覚できず歯止めが利かなくなることも記されていました。
なるほど。
数あるうつ病体験記の例に漏れず、抗うつ薬の副作用も登場します。
らも氏は緊急時以外は病院へ行かず、身内に薬だけ取りに行かせて飲んでいた、という期間が長く続きました。
これは、医師との信頼関係も影響しているようです。
当初信頼したY医師は、途中から彼自身が精神に異常をきたしてらも氏の主治医の座を降り消えてしまいました。
その後は病院へ行く気にならなくなってしまったとのこと。
処方された治療薬が強力かつずっと同じ内容だったので、後年”目が霞んで見えない”とかその副作用が出て生活に支障が出てきたのですが、歯科医の兄に指摘されるまでずっと気づかずにいたというエピソードが紹介されていました。
本来「診察無しの薬だけ処方」は法律違反のため、当院ではすべてお断りして行っておりません。らも氏はその弊害が顕性化した例ですね。
闘病生活をしている患者さんとその周囲の方々にとって参考になりそうなキーワードをたくさん見つけました。
以下のメモの赤字/青字で示しましたのでご参考になれば幸いです。
<メモ>
気になったフレーズを抜粋。
■ 睡眠と精神状態には密接なつながりがある。
睡眠障害はうつ病の典型的な症状の一つ。睡眠の質や量が変わってきたら、うつ病のグレーゾーンにさしかかっている可能性がある。
■ タリラリランのリタリン
リタリンというのは抗うつ剤の一種で、クスリ仲間の間では「タリラリランのリタリン」と呼ばれていた。山下洋輔とか筒井康隆とかがいつもそれを飲んで「ウオーッ」ってなことを言っていると噂になっていたのだ。
服用を開始すると1週間ほどでうつ症状は治ってしまった。そして「この地球は俺が救うんだ、俺が救わなくて誰が救うんだ」という根拠のない万能感が沸いてきたのである。
中学生時代からの友人で眼科医を開業している男は「リタリン? 中島、それはシャブ(覚醒剤)やで」と指摘された。
ところでおかしなもので、うつ病でない人にはこのリタリンは全く作用しなかった。
精神医学に詳しい友人は「リタリンはビオフェルミンのようなもの」と例えていた。手っ取り早く、そして幅広い症状をカバーするということだろう。
あくまでも対症療法でしかないのだが、不安やつらさが和らぐのであればそれでいい、不思議なクスリである。
■ オレを励まさないでくれ
うつ病と診断されてすぐに妻に注文を出した;
1.絶対に励まさないでくれ
頑張りたいのは山々なのだ。会社に行けないとか、歩けないとか、症状が出ている時点でもうポキッと折れてしまっているのだから、それ以上追いつめないで欲しい。「頑張れ」と言われると、まだ頑張りが足りないのかと情けなくなったり、腹立たしくなったりするのだ。
2.気分転換を強要しないでくれ
気分転換したくなったら自分でするから、それを強要しないで欲しい。ましてや「外の空気でも吸ったら気分も変わるよ」「旅行にでも行ってみようか」など連れ出されるのはごめんこうむりたい。
3.放っておいてくれれば一人で治るから干渉しないでくれ
とにかく干渉されたくない。心配してもらっていることをありがたいと感じる余裕すらないのだ。ひたすら放置されていることが、俺にとっては一番よかった。「根性さえあれば何でもできるんじゃい」なんてセリフは絶対に聞きたくない。
温かい感じで距離を置く、とでもいうのだろうか。オレの経験からするとこうしてもらうのがもっともありがたい。
■ 薬の効用
うつ病でも、原因がはっきりしているときはその原因を取り除いてやれば症状は必ず改善されるという明かりが見える。
ところが世の中には原因のわからないうつ病も数多くあり、あるいは原因そのものも存在しないうつ病だってあるのだ。
また、原因ははっきりしているのだが、その原因を取り除くことが難しいというパターンがある(例:ペットロスなど)。
例えばペットロスが原因でうつ病になった人に対して、いくら言葉を費やしてもその人は楽にはならない。理屈は自分でもよくわかっている。わかっている上で、なお苦しいのだ。
理屈でダメなときは薬の力を借りればいい。
薬が合えば2週間から1ヶ月で回復する。
■ うつ病の再発
40歳になる1年くらい前から奇妙なイメージがしばしば浮かぶようになり、40歳になってその頻度が高くなったものだから、これはうつ病が再発したんだなと自覚するようになった。自分の意志に反して見たくもない映像に追い回されているのだから、これはもう病気に罹ったと判断するしかない。
この時もさっさと精神科に行けばよかったのだが、前に一度経験して耐性がついてしまっているというか、まだ大丈夫、これくらいでは死なない、という判断を自分でしていた。
しかしあまりにつらいので友人の眼科医を訪ねて専門外ながら抗うつ薬を処方してもらった。これを飲み出したら1週間ほどで利いてきて、少し元気が出てきた。ところがこの「少し元気が出てきた」というのがくせ者で、オレの場合「自殺する元気」が出てきてしまったのだ。
■ 精神科への入院生活は快適
犯罪者と患者だけに与えられる「隔離」という措置は、オレに安心感をもたらすものだった。疎外されているというよりも、安全なところにいるんだと感じている人が多いように思えた。
■ バリ島で躁を発病
オレにもいくらかの違和感はあった。自分の精神状態がふだんとは違っているという自覚である。疲れないし、眠くもならない、何より「自分は何だってできる」という根拠のない万能感が沸いてくるのだ。
バリ島から帰ってきてからが躁状態のクライマックスだった。ただし本人にはその意識がないから余計に始末が悪い。
ある芝居の稽古で、団員達に無茶な要求、説教を繰り返していた。
この時点では、オレはもう自分を客観的に見ることができなくなっていた。しばらく前までは自覚していた「あれ?オレは少し変だぞ」という感じもどこかに消えていた。
躁病の症状に、怒りっぽくなる、人の意見に従わない、というものがあるそうだ。やたらと金遣いが荒くなるというのも躁病の症状の一つらしい。この時期のオレにもその症状が見事に発現していて、手に負えないおっさんだったことだろう。
そんなある日、稽古を終えた役者達がオレの仕事場に来たら、オレは完全に「できあがっていた」そうだ。目が一点を睨みつけるようになっていたという。すぐに病院へ担ぎ込まれて診察を受けた。
躁病に罹っている、と診断されたが、オレは信じなかった。オレ一人だけが正常で、オレのことを異常だという周りの奴らこそが異常なのだと思っていた。
しかしY先生は場数を踏んだプロである。
「ここ何日か眠っていないでしょ」
と、こちらの一番痛いところを突いてきた。自分でも睡眠時間の少なさはおかしいと認めざるを得なかった。
うつ病と違って躁病は死に至る病ではない。ただ周りに迷惑をかけるという点からすれば、躁病の方がはるかに厄介ではある。
■ 躁状態の時は仕事にならない
躁病の時には万能感に支配されていたせいもあって、仕事のアイディアが次から次へとわいてくる。アイディアこそわいてくるのだが、実際には躁の時はものを書けない。とてもじゃないが原稿用紙を1字ずつ埋めていくというような根気のいる作業はできないのだ。
心の中は暗黒の暗闇だが、なんとか仕事はこなせるうつの時とは対照的である。
その結果、仕事の約束だけが先走り、躁病が治ってからはその約束を一つずつ消化するのが大変な毎日だった。
■ 川端康成も晩年はラリ中だった?
彼は晩年、日本中の知人に手紙を送ってハルシオンなんかを送ってもらっていた。膨大な量の薬を集めては飲み、飲んでは集め、していたそうだ。
■ 躁うつ病とのつきあい方、私論
もちろん病気はつらい。ただつらさにはキリがない。もっとつらい人だっているのである。自分だけがひどい目に遭っているわけでもない。
上を見たらキリがない。元気な人はたくさんいるだろう。ただ、下を見てもキリがないのだ。苦しみに苦しんでいる人を見て、なお、
「うらやましい」
と思うくらい苦しい人もいるのだ。
このようにイージーに、前向きに考えるようにしている。躁うつ病なんて薬さえ合えば、悔しいくらい楽になるのだから。
反対に、マイナス思考ではなかなか切り抜けるのが難しいと思う。そもそもマイナス思考から抜け出せなくなるのがうつ病なのだが、それでも「いつかは治る。必ず治る。」と自分自身に言い聞かせてやるのがいい。
うつ病は確かに自殺に至る病ではあるけれど、予備知識があればそれは避けられる。
ガンに比べればちゃちな病気だ。
■ 自殺を思いとどまる方法の提案
こういう考え方も役に立つのではないか。つまり、
「自殺をしよう。ただし、今日はしないで明日にしよう。」
という考え方だ。
これはドラッグを止めるときの方法論をそのままスライドさせたものだ。ドラッグをうつ、あるいは吸うのをパッタリ止めるのは、依存者にはつらい。ただ、少しだけ足踏みするのだ。どうしてもドラッグがやりたくなったら、明日になってからにしよう。明日やっても遅くはないだろう、と自分を納得させる。こうして、一気に勝負をつけるのではなく、1日ずつ時間を稼ぎ、結論を先送りにするのだ。
■ うつ病患者は、話せば楽になる?
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
話を聞いて欲しいと行ってこられる患者さんがよくいらっしゃるんです。もちろん、こちらは聞くけれども、聞くのは簡単なんですが、止めどころが難しいんです。これ以上しゃべらせたらいかんという点がどこかにあるんですね、
話せば話すほど楽になると誤解されている方が多いんですが、そうではない。話すことによって、これまで無視することができていた問題を意識させられてしまって、かえって悪化することもあるんです。
■ 宗教とうつ病
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
ドイツでは宗教の力が無視できません。自殺のブレーキになるし、あるいはそういうものを根拠にして医者が自殺を止めたりしています。日本ではそういうのはないですからね。
ドイツ人の場合には「この苦しみから逃れたい」ということで自殺する方が多いんです。
日本人の場合はそうじゃなくて、死ぬことで全てを精算する、カタをつけるという感じですね。武士の切腹みたいな意味合いですかね。
典型的なうつ病になる方は宗教に無関心な人が多いんですよ。
うつ病になるわけだから当然苦しみますよね。そうするとキリスト教の伝統のある国では宗教に救いを求めても不思議じゃないんだけども、彼らは不思議と関心が薄いんです。
宗教とか、宇宙とか、自然などという人知を越えたものに興味のある方がうつ病になると、これは注意していないと躁うつになる可能性があるんです。
■ 躁とうつは正反対ではない?
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
一般の方はうつと躁というのは正反対だと思っておられるんですが、そういう単純なものではないんです。精神医学的には、躁というのはうつが悪化したものなんだという考え方もあります。また、躁うつ混合状態と言って躁とうつの症状が同時に出ることがあります。
抗うつ剤の副作用で躁転することがあると本には書かれていますけど、私の経験では、純粋なうつだけのうつ病というのは躁転しないですね。躁転される方というのはもともと躁うつの素因がある人なんです。
■ 身内がうつに苦しんでいる人へのアドバイス
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
まず、専門家に聞くことです。
うつだっていうとみんな「休ませないといけない」「励ましてはいけない」と思っているでしょ。そうでないのもあるんですよ。ちょっとのうつだったら頑張っていきなさいよってお尻を叩かれた方がよくなる場合もあるんです。そういう人に仕事をするな、休め休めっていってると、慢性化してしまって悪化することもある。一般論じゃ語れないんです。
「くたばれ、うつ病! 奇才・中島らもが綴った波瀾万丈・奇想天外の躁うつ人生」
前出の「双極II型障害という病」(内海健著)で登場した中島らも氏の本が手元にあったので、読んでみました。
内海先生によると、彼の父は双極型障害、らも氏自身は双極型障害が疑われるとのこと。
私にとって「中島らも」は新聞の「明るい悩み相談室」の回答担当者として記憶している名前でした。
そのらも氏自身による躁うつ病体験記です。
実際の患者さんが書いた体験記は、医師の建前的”上から目線”とは異なり、何が不快で何に一番困っているかがわかり、大変参考になります。
この本もその例に漏れず、頷きながら読んだ箇所多数。
それにしても「型破り」「波瀾万丈」「奇想天外」という言葉が似合う人生だなあ、と驚きを越えて感心してしまいました。
うつ状態の時はつらいけど仕事は何とかこなせる、躁状態の時は集中できず気ばかり焦って仕事が手に付かない、というコメントは意外でした。
一般に、軽躁状態の時は「絶好調」という印象しか持たないとされているので、らも氏はBPのいわゆる躁状態を経験したのではないか、と思いました。
それから、躁状態を自覚できるかどうか、については、初期には「なんかヘンだぞ」と思う節がありますが、進行してしまうともう自覚できず歯止めが利かなくなることも記されていました。
なるほど。
数あるうつ病体験記の例に漏れず、抗うつ薬の副作用も登場します。
らも氏は緊急時以外は病院へ行かず、身内に薬だけ取りに行かせて飲んでいた、という期間が長く続きました。
これは、医師との信頼関係も影響しているようです。
当初信頼したY医師は、途中から彼自身が精神に異常をきたしてらも氏の主治医の座を降り消えてしまいました。
その後は病院へ行く気にならなくなってしまったとのこと。
処方された治療薬が強力かつずっと同じ内容だったので、後年”目が霞んで見えない”とかその副作用が出て生活に支障が出てきたのですが、歯科医の兄に指摘されるまでずっと気づかずにいたというエピソードが紹介されていました。
本来「診察無しの薬だけ処方」は法律違反のため、当院ではすべてお断りして行っておりません。らも氏はその弊害が顕性化した例ですね。
闘病生活をしている患者さんとその周囲の方々にとって参考になりそうなキーワードをたくさん見つけました。
以下のメモの赤字/青字で示しましたのでご参考になれば幸いです。
<メモ>
気になったフレーズを抜粋。
■ 睡眠と精神状態には密接なつながりがある。
睡眠障害はうつ病の典型的な症状の一つ。睡眠の質や量が変わってきたら、うつ病のグレーゾーンにさしかかっている可能性がある。
■ タリラリランのリタリン
リタリンというのは抗うつ剤の一種で、クスリ仲間の間では「タリラリランのリタリン」と呼ばれていた。山下洋輔とか筒井康隆とかがいつもそれを飲んで「ウオーッ」ってなことを言っていると噂になっていたのだ。
服用を開始すると1週間ほどでうつ症状は治ってしまった。そして「この地球は俺が救うんだ、俺が救わなくて誰が救うんだ」という根拠のない万能感が沸いてきたのである。
中学生時代からの友人で眼科医を開業している男は「リタリン? 中島、それはシャブ(覚醒剤)やで」と指摘された。
ところでおかしなもので、うつ病でない人にはこのリタリンは全く作用しなかった。
精神医学に詳しい友人は「リタリンはビオフェルミンのようなもの」と例えていた。手っ取り早く、そして幅広い症状をカバーするということだろう。
あくまでも対症療法でしかないのだが、不安やつらさが和らぐのであればそれでいい、不思議なクスリである。
■ オレを励まさないでくれ
うつ病と診断されてすぐに妻に注文を出した;
1.絶対に励まさないでくれ
頑張りたいのは山々なのだ。会社に行けないとか、歩けないとか、症状が出ている時点でもうポキッと折れてしまっているのだから、それ以上追いつめないで欲しい。「頑張れ」と言われると、まだ頑張りが足りないのかと情けなくなったり、腹立たしくなったりするのだ。
2.気分転換を強要しないでくれ
気分転換したくなったら自分でするから、それを強要しないで欲しい。ましてや「外の空気でも吸ったら気分も変わるよ」「旅行にでも行ってみようか」など連れ出されるのはごめんこうむりたい。
3.放っておいてくれれば一人で治るから干渉しないでくれ
とにかく干渉されたくない。心配してもらっていることをありがたいと感じる余裕すらないのだ。ひたすら放置されていることが、俺にとっては一番よかった。「根性さえあれば何でもできるんじゃい」なんてセリフは絶対に聞きたくない。
温かい感じで距離を置く、とでもいうのだろうか。オレの経験からするとこうしてもらうのがもっともありがたい。
■ 薬の効用
うつ病でも、原因がはっきりしているときはその原因を取り除いてやれば症状は必ず改善されるという明かりが見える。
ところが世の中には原因のわからないうつ病も数多くあり、あるいは原因そのものも存在しないうつ病だってあるのだ。
また、原因ははっきりしているのだが、その原因を取り除くことが難しいというパターンがある(例:ペットロスなど)。
例えばペットロスが原因でうつ病になった人に対して、いくら言葉を費やしてもその人は楽にはならない。理屈は自分でもよくわかっている。わかっている上で、なお苦しいのだ。
理屈でダメなときは薬の力を借りればいい。
薬が合えば2週間から1ヶ月で回復する。
■ うつ病の再発
40歳になる1年くらい前から奇妙なイメージがしばしば浮かぶようになり、40歳になってその頻度が高くなったものだから、これはうつ病が再発したんだなと自覚するようになった。自分の意志に反して見たくもない映像に追い回されているのだから、これはもう病気に罹ったと判断するしかない。
この時もさっさと精神科に行けばよかったのだが、前に一度経験して耐性がついてしまっているというか、まだ大丈夫、これくらいでは死なない、という判断を自分でしていた。
しかしあまりにつらいので友人の眼科医を訪ねて専門外ながら抗うつ薬を処方してもらった。これを飲み出したら1週間ほどで利いてきて、少し元気が出てきた。ところがこの「少し元気が出てきた」というのがくせ者で、オレの場合「自殺する元気」が出てきてしまったのだ。
■ 精神科への入院生活は快適
犯罪者と患者だけに与えられる「隔離」という措置は、オレに安心感をもたらすものだった。疎外されているというよりも、安全なところにいるんだと感じている人が多いように思えた。
■ バリ島で躁を発病
オレにもいくらかの違和感はあった。自分の精神状態がふだんとは違っているという自覚である。疲れないし、眠くもならない、何より「自分は何だってできる」という根拠のない万能感が沸いてくるのだ。
バリ島から帰ってきてからが躁状態のクライマックスだった。ただし本人にはその意識がないから余計に始末が悪い。
ある芝居の稽古で、団員達に無茶な要求、説教を繰り返していた。
この時点では、オレはもう自分を客観的に見ることができなくなっていた。しばらく前までは自覚していた「あれ?オレは少し変だぞ」という感じもどこかに消えていた。
躁病の症状に、怒りっぽくなる、人の意見に従わない、というものがあるそうだ。やたらと金遣いが荒くなるというのも躁病の症状の一つらしい。この時期のオレにもその症状が見事に発現していて、手に負えないおっさんだったことだろう。
そんなある日、稽古を終えた役者達がオレの仕事場に来たら、オレは完全に「できあがっていた」そうだ。目が一点を睨みつけるようになっていたという。すぐに病院へ担ぎ込まれて診察を受けた。
躁病に罹っている、と診断されたが、オレは信じなかった。オレ一人だけが正常で、オレのことを異常だという周りの奴らこそが異常なのだと思っていた。
しかしY先生は場数を踏んだプロである。
「ここ何日か眠っていないでしょ」
と、こちらの一番痛いところを突いてきた。自分でも睡眠時間の少なさはおかしいと認めざるを得なかった。
うつ病と違って躁病は死に至る病ではない。ただ周りに迷惑をかけるという点からすれば、躁病の方がはるかに厄介ではある。
■ 躁状態の時は仕事にならない
躁病の時には万能感に支配されていたせいもあって、仕事のアイディアが次から次へとわいてくる。アイディアこそわいてくるのだが、実際には躁の時はものを書けない。とてもじゃないが原稿用紙を1字ずつ埋めていくというような根気のいる作業はできないのだ。
心の中は暗黒の暗闇だが、なんとか仕事はこなせるうつの時とは対照的である。
その結果、仕事の約束だけが先走り、躁病が治ってからはその約束を一つずつ消化するのが大変な毎日だった。
■ 川端康成も晩年はラリ中だった?
彼は晩年、日本中の知人に手紙を送ってハルシオンなんかを送ってもらっていた。膨大な量の薬を集めては飲み、飲んでは集め、していたそうだ。
■ 躁うつ病とのつきあい方、私論
もちろん病気はつらい。ただつらさにはキリがない。もっとつらい人だっているのである。自分だけがひどい目に遭っているわけでもない。
上を見たらキリがない。元気な人はたくさんいるだろう。ただ、下を見てもキリがないのだ。苦しみに苦しんでいる人を見て、なお、
「うらやましい」
と思うくらい苦しい人もいるのだ。
このようにイージーに、前向きに考えるようにしている。躁うつ病なんて薬さえ合えば、悔しいくらい楽になるのだから。
反対に、マイナス思考ではなかなか切り抜けるのが難しいと思う。そもそもマイナス思考から抜け出せなくなるのがうつ病なのだが、それでも「いつかは治る。必ず治る。」と自分自身に言い聞かせてやるのがいい。
うつ病は確かに自殺に至る病ではあるけれど、予備知識があればそれは避けられる。
ガンに比べればちゃちな病気だ。
■ 自殺を思いとどまる方法の提案
こういう考え方も役に立つのではないか。つまり、
「自殺をしよう。ただし、今日はしないで明日にしよう。」
という考え方だ。
これはドラッグを止めるときの方法論をそのままスライドさせたものだ。ドラッグをうつ、あるいは吸うのをパッタリ止めるのは、依存者にはつらい。ただ、少しだけ足踏みするのだ。どうしてもドラッグがやりたくなったら、明日になってからにしよう。明日やっても遅くはないだろう、と自分を納得させる。こうして、一気に勝負をつけるのではなく、1日ずつ時間を稼ぎ、結論を先送りにするのだ。
■ うつ病患者は、話せば楽になる?
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
話を聞いて欲しいと行ってこられる患者さんがよくいらっしゃるんです。もちろん、こちらは聞くけれども、聞くのは簡単なんですが、止めどころが難しいんです。これ以上しゃべらせたらいかんという点がどこかにあるんですね、
話せば話すほど楽になると誤解されている方が多いんですが、そうではない。話すことによって、これまで無視することができていた問題を意識させられてしまって、かえって悪化することもあるんです。
■ 宗教とうつ病
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
ドイツでは宗教の力が無視できません。自殺のブレーキになるし、あるいはそういうものを根拠にして医者が自殺を止めたりしています。日本ではそういうのはないですからね。
ドイツ人の場合には「この苦しみから逃れたい」ということで自殺する方が多いんです。
日本人の場合はそうじゃなくて、死ぬことで全てを精算する、カタをつけるという感じですね。武士の切腹みたいな意味合いですかね。
典型的なうつ病になる方は宗教に無関心な人が多いんですよ。
うつ病になるわけだから当然苦しみますよね。そうするとキリスト教の伝統のある国では宗教に救いを求めても不思議じゃないんだけども、彼らは不思議と関心が薄いんです。
宗教とか、宇宙とか、自然などという人知を越えたものに興味のある方がうつ病になると、これは注意していないと躁うつになる可能性があるんです。
■ 躁とうつは正反対ではない?
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
一般の方はうつと躁というのは正反対だと思っておられるんですが、そういう単純なものではないんです。精神医学的には、躁というのはうつが悪化したものなんだという考え方もあります。また、躁うつ混合状態と言って躁とうつの症状が同時に出ることがあります。
抗うつ剤の副作用で躁転することがあると本には書かれていますけど、私の経験では、純粋なうつだけのうつ病というのは躁転しないですね。躁転される方というのはもともと躁うつの素因がある人なんです。
■ 身内がうつに苦しんでいる人へのアドバイス
(精神科医:芝伸太郎先生の言葉)
まず、専門家に聞くことです。
うつだっていうとみんな「休ませないといけない」「励ましてはいけない」と思っているでしょ。そうでないのもあるんですよ。ちょっとのうつだったら頑張っていきなさいよってお尻を叩かれた方がよくなる場合もあるんです。そういう人に仕事をするな、休め休めっていってると、慢性化してしまって悪化することもある。一般論じゃ語れないんです。