今東光(1898~1977)
○略歴
今 東光(こん とうこう)は、天台宗僧侶(法名 今 春聴)、小説家、参議院議員。横浜市伊勢町(野毛山・伊勢山皇大神宮下)にて代々津軽藩士の家系の父武平、母綾の間の3人兄弟の長男として生まれた。父が日本郵船会社の船長職にあったため、幼年・少年期を小樽・函館・横浜・大阪と転じ、10歳より神戸で育つ。関西学院中学部を第3学年の1学期の終わりで諭旨退学になった後、兵庫県立豊岡中学校に転校するも地元の娘と恋愛したため、素行が悪いとされて退校処分を受ける。こののち正規の教育を受けることなく、本人の記すところに拠ると「以後独学」とある。1915年、上京して小石川茗荷谷の伯父の家に寄食し、「太平洋画会」「川端画塾」に通い、画家を目指しながら文学も志し東郷青児、関根正二らと親交を結び、佐藤春夫を紹介される。1930年、金龍山浅草寺伝法院で出家、天台法師となり「東晃」と号した。新感覚派作家として出発し、出家後は住職として住んだ河内や東北を題材にした作品で知られる。作家・評論家で文化庁長官を務めた今日出海は弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。
●晩年考
天台宗による「一隅を照らす運動」が1969年に始まると、その初代会長を勤め(1973年まで)、そのための辻説法も行った。晩年には、S字結腸癌を患い国立がんセンターで2度の手術を受けるも、1977年には体調を著しく崩し再々度の入院、そして急性肺炎を併発し、9月19日、死去した。世寿79歳。弔辞は、前夜パリから駆けつけた東郷青児が「十七歳の東光ちゃんは」と泪の裡に呼びかけ、椎名悦三郎が続き、皇太子からの供花、福田赳夫首相の献香、宗教界、文壇、政界、財界、芸能界(戸川昌子、安岡章太郎、藤本義一、田宮二郎ら)ほか多数の参座者が延々と続いた。
「今東光名作選集(6)『河内草枕』」(徳間書店)
★闘病、静養もままならぬなか、ヨーロッパ、ハワイと巡り、過密なスケジュールながらも、「作家は、ジャーナリズムに殺されてこそ本望」「ボクは生涯現役だよ」と果敢に執筆をかさね、テレビ出演、講演、口述を続けた。・・・「立派」の一言!余談だが、夫人清も夫の祥月命日と同月同日死去。これ珍(めずら)!