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あなたの人生で一番衝撃を受けたエピソードを書け〈1〉

 第53期文演(10/9/25~12/4)アンケートからです。

   SEG10冬期講習申し込み状況(4)残席10&3兄妹
でYさんと立ち話したとき、『アンケートを逸脱してかまいませんから、書きたいこと書ききってみたらどうですか』と激励しました。

 そそのかした、のかもしれません。

 文演部分だけを切り取るのは、いまのYさんには容易なことでしょうが、Yさんが後々読んだら羞ずかしくなるようなエネルギーが、この文章にはあります。
 
 goo文字数の関係で2回に分けて投稿します。 

 


     
Yさんの文演アンケート




 
Q.1 当講座をどんな目的で受講しましたか?
 A.1 
私は現在大学4年生。大学では女子ラクロス部に入っていたが、今年の11月で引退した。
 第53期文章演習講座の申込みをした5月、私たちのチームは8月から始まり、勝ち進めば12月まで進む大会での優勝を目指し、日々練習に励んでいた。しかしチームは11月の決勝進出を決める試合で敗れ、ベスト4という結果で大会を終えた。
 目標は達成できなかったが、4年生として最後の大会に臨んだ私は準決勝の試合で終了を告げるホイッスルが聞こえた瞬間、目標を達成できなかった悔しさよりも、これまで応援し、支えてくれた仲間やコーチ、家族への感謝の気持ちで胸が一杯になった。私の目からは自然と涙があふれた。悔し涙とは違う、どこか清々しい気持ちのする涙だった。

 ラクロスの試合が行われるのは、サッカーコートほどの広さのグラウンドだ。試合中は味方チームと相手チーム双方の観客の声援で、コート上で戦う選手同士の声はほとんど聞こえなくなる。いくら大きな声で叫んでも、芝のグラウンドが声をのみこんでしまい、チームメイトの耳まで私の声は届かない。その上、選手は試合独特の高い緊張状態に置かれるため、声が出せなくなることもある。声が届かない、聞こえない、出せない、という状況に置かれたとき、チームメイト1人ひとりの陥りやすい思考パターン、取るであろう行動をお互いに理解できていなければチームが1つになって戦うことができない。そのため日々の練習から指摘や要求をし合い、1人ひとりの考えや思いを積極的に共有することがチームの決まりだった。私もそれを実践しようと、努力はしていた。
しかし私の言葉がチームメイトにどうも伝わっていないような、当たってもすっと引いてしまう、押しても手ごたえのない壁が私とチームメイトの間にあるような感じがして悩んでいた。

 私はチームメイトから「普段はおっとりとしているけど、いざコートに立つと、急にスイッチが入って、人が変わったようになるよね」と言われたことがある。私自身はただただ一生懸命にやっているだけなのだが、普段は「なんだかいつも楽しそうだね」と言われるほど、人に極端な喜怒哀楽の感情、特に‘怒’の感情を見せないため、ラクロス中は急に真剣な眼差しでボールを追い、ときには味方に対して意見を強く主張する、そのギャップがチームメイトを驚かせていたのだと思う。後で自分のプレー中の大胆な行動やチームメイトに対し思わずぶつけてしまった言葉を思い起こして反省することがあった。また舌足らずで肝心なことをチームメイトに伝えられず、あの言葉は軽率だったと落ち込むこともあった
。 
 
私の中にはスポーツをやっているときのように大胆な勇気ある行動に出る自分と、それを押し止めようとする臆病な自分と、その極端な2人の自分の狭間で戸惑う自分とがいる。狭間にいる自分はいつも高低の激しいジェットコースターに乗っているような、とても不安定な状況に置かれる。私の中にいる極端に違う2人の自己主張が、熱くなりやすく、冷めやすい性格に私をさせている。

 この性格で私は、小さい頃から数多くのものに挑戦しては途中で諦めてきた。それがこれまでに習ったお稽古の数々に表れている。小学生の頃からたくさんのお稽古事をやっていた。プール、ピアノ、お習字、英会話、お絵かき教室、進学塾……。私の両親は本人が興味を示したことはなんでもやらせてみようという教育方針を持っていたので、私の思いをいつも尊重してさまざまなことをやらせてくれた。何がきっかけでもよい、ただ私が打ち込めることを見つけて、それを通して成長してほしい。そのような願いがあったのだろう。今思うとその優しさに甘え、中途半端なことしかしてこなかった自分に本当に情けなくなる。どれだけのお金と時間を費やしてきたのだろう、考えるだけでぞっとする。

 私には4つと6つ歳の離れた2人の兄がいる。いつも兄たちの背中を追うように、兄たちの通っていたプール教室に始まり、ピアノやお習字も習い始めた。中学受験の塾に通いだしたのも、どこかで「兄たちも私立に行ったのだから」という気持ちがあったのだと思う。中学受験ではなんとか志望校には入ったものの、それらのお稽古を努力してそれなりに自分のものにしてきた兄たちとの積み重ねの差が中学、高校、大学と年齢を重ねるうちに大きな差となって表れていった。もしかしたら初めから兄たちには敵わないと決めつけていたのかもしれない。後を追うように始めたお稽古も、自分の主体性も目標も何もなかった。だから少しの壁にぶつかるとすぐに弱気なマイナス思考の自分が現れて、兄たちにはできても、私には無理と、簡単に諦めていた。そのようなことを繰り返していくうちに、もっと悪いことに新しいものに果敢にチャレンジする自分よりも消極的な自分の方が大きくなっていった。 
 

 
速読はそのような消極的な流れへと傾きかけていた私を変える大きな転機となった。私は今年の4月からクリエイトに通っている。実はクリエイトには中学生のとき、体験に行ったことがあった。その頃、2人の兄はSEGで速読講座を受け、その後2人ともクリエイトに通い始めていた。兄たちのハマリぶりを見て、母は中学生だった私にもやらせてみたいと思ったのだろう、「速読の体験一緒に行ってみない?」と私を誘った。私はなんとなく嫌だなと思いながらしぶしぶ体験レッスンを母と受けに行った。
 
たくさんのお稽古事を中途半端に投げ出していた、そのときの私には新しいことに挑戦してみようという前向きな気持ちと90分間椅子に座って目の前のことに取り組む集中力がなかった。
 
体験レッスンが始まると、周りの見知らぬ大人たちのトレーニングに対する熱意と気迫にすっかり圧倒されてしまう。「いきまーす! よーい始めっ!」の掛け声で空気がピリッとしまる教室の中で自分だけがその場にはそぐわない異物のように感じた。隣を横目で見ると母も真剣な面持ちでトレーニングに向かっている。私は1人だけ置いてきぼりにされたような気持ちになった。体験の後、母に「どうだった!? やってみる? お母さん、あなたが通うなら一緒に通いたいわ」「……いいや、私ああゆうの苦手だから、頭使うの苦手だもん……」と私は答え、拒否してしまった。

 
大学4年生になって何気なく兄の部屋の本棚で先生の本を見つけて、手に取った。思わず一気に読んでしまった。そして私は台所で家事をしていた母に、「速読いいかもしれない……」とつぶやいた。
 「あら、体験行ってみたら?」「うーん、明日行ってみようかな」
 私は先生の本を読んだとき、‘私にはこれが足りないのではないか’、と感じた。また中学生の私には無理だったが今の私であればどうだろう、という自分を試してみたいという気持ちになったのだった。私は勇気を出し、7年ぶりにクリエイトのある池袋へ向かった。そして速読は ‘自分のためになるかもしれない’と初めて主体的に始めた、お稽古となった。 

 10回目の速読を受けた日、教室で文演の受講者募集の貼り紙が目に留まった。その日講師をしてくださった堂園さんに「文演に興味があるのですが、どのようなものなのですか?」と訊ねてみた。堂園さんに‘とてもためになった’というお話を聴いた私は部活で自分の言葉がチームメイトに伝わらないことを悩んでいたため、話すことと書くことは何か通ずるものがあるかもしれないとなんとなく感じた。そしてやってみようかなという気持ちになり、その日の夜、母に相談してみた。
 「秋から忙しくなるけど大丈夫なの?」
 
と母は私に訊ねた。つまり‘また中途半端に投げ出したりしないわね!?’と確認したのだと思うが、私は「部活の後で疲れてはいるかもしれないけど、2週間に1回くらいのペースだし、大丈夫だと思う!」 と答えた。
 
「じゃあやってみたら」
 と母は了解してくれた。そして速読に続いてもう1つチャレンジすることになった。 
 

 
文演が始まると、土曜日は部活を終え、家に帰るのが17時半、それから30分後にはジャージから私服へ着替え、晩ご飯を食べ、池袋に向かうというハードな日となった。けれども絶対に遅れまいと、私がきびきびと動き回って準備をするのを見て、母は「あらあら」という驚きながらもどこか嬉しそうな顔をしていた。私が部活から帰ってくると、すぐに食べられるようご飯を用意しておいてくれた。部活の疲れも気にならないほどの意欲的な気持ちが私を池袋に向かわせていた。文演の時間は消極的でマイナス思考の自分はどこへやら。「面白い、面白い、もっと、もっと」とハングリー精神旺盛な自分が私を引っぱった。「私の知らないこんな世界があったのか」と、私の顔は高揚してほてり、身を乗り出して先生の話に聴き入った。


 
Q.2 「文演」を受講して文章への印象で変わったことがありますか?
 A.2 
文演では私と同じアマチュアが書いた作文を読み込む。書き手と読み手双方の視点から文章を見つめ、言葉で伝え慣れていない人の文章を批評することで、受講生それぞれが文章を書くときの心得を学んでいく。アマの文章は主観的な表現が綴られ、読み手への配慮が足りないものになる。書き手の主観的、感情的表現を意識して読むことで自身の主観的な視点を反省することになる。
 また書き手が書ききれなかったことを、表出されている少ないヒントから推測し、想像する作業は他人の内面にお邪魔させてもらうような、秘密を教えてもらうような楽しさがあった。
文章は書き手の人柄や中身が表れてしまうものだと肌で感じ、文章の奥深さを知った。

 文演を受けたことで普段の文章を書くときの意識が変わった。日記を書くとき、これまでは限られたスペースに感情のまま言葉をぶつけて、思いを書ききれていないような不満足感の残るもので終わらせていた。けれども今は他者が読んでも理解できる文章でなければという気持ちから、
5年後、10年後の自分に向けて書くスタンスで取り組んでいる。5年後の私が読んでもその日何を体験し、それに対してどんな考えを持ったのか、情景が浮かんでくるような文章を目指して今は書いている。
 
勉強にも変化があった。今まで参考書を読むとき、ただ受身に最初から最後まで目を通し、頭に残らないことが多かった。けれども今はまずざっと全体を見て大枠をつかみ、ここでは何を学ばせる狙いがあるのか、何がポイントかを整理して読むようになった。前より頭に定着するものが増え、勉強が楽しくなった。

 受講目的であった話すことに関しても意識が変わってきた。部活は11月で引退してしまい文演効果を実感する前に終わってしまったが、就活面接のとき、自分の思いを端的にまとめて伝えることができた。また試験官が何を聞きたいのか、私の何を知りたいのか、聴き手に配慮して話そうと意識して話せたと思う。試験官から「あなたは学生と思えない深みがある」と言われ、言葉を通じて自分を理解してもらえる喜びと他者に思いが伝わる爽快感を味わった。面接の途中で ‘今の私の課題は考えや思いをどのように他者に伝えるかということで……’と、ついつい文演について触れようとしてしまったが、15分という面接時間ではとても話きれないと思い諦めた。
 そして面接後の小論の試験で‘あなたの人生で一番衝撃を受けたエピソードを書け’というテーマを見たとき、すぐさま「文演だ!」と思い、文章の新しい世界を魅せられた体験について書いた。ペンはさらさらと動いた。小論試験は60分という短い時間だった。‘文演について書きたい’という突発的な思いで取りかかったため、感情のままに書かれた表現の多い文章になってしまったかもしれない。けれども試験後はやり切ったという達成感があった。   
    

                      
〈2〉に続きます―                                                    

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そそのかし甲斐あり (小川)
2010-12-25 00:36:07
松田さん、こんばんは。

〈アマチュアが書いた作文を読み込む〉ことについて、<書き手が書ききれなかったことを、表出されている少ないヒントから推測し、想像する作業は他人の内面にお邪魔させてもらうような、秘密を教えてもらうような楽しさがあった。>なんて、凄いことが書いてありますね。

それから、細かいことですが、Yさんの文演アンケートの30行目<れたことがる。>は〈れたことがある。〉だと思います。

これから後半を読みます。ではまた。
 
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