「ありがとう」日記

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ミー、ありがとう

2012年01月08日 |  ねこ
               ≪ 昨年9月のミー ≫


 ミーが昨年12月19日の未明(深夜)、
20才6ヶ月の猫生を終えて旅立った。

チビの時に体験していたこともあり、
私自身が納得して落ち着いて見守ることができたように思う。

逆算すると、亡くなる3週間前あたりから急に腰が落ち、
後ろ足が目に見えて弱って来た。
それでも椅子に掛けている私の膝には飛び乗ってきていた。
膝からテーブルに上がり、そこから飛び降りようとするので、
さすがにその時は私の膝に戻すか、抱いて降ろしてやっていた。

12月初旬、小春日和が続いた数日の間、
ベランダに出て 収納ボックスの上で気持ち良さそうに寝ていたのを思い出す。
日向ぼっこ用にとコタツ布団を敷いてやっていたので、
本当に暖かそうで幸せそうに見える姿だった。

掛かりつけの獣医師は、診るたびにいつも
「保護してから、良くここまでされましたね」
と言葉をかけてくださっていた。
ひどい便秘になった約8年前からの食餌は、
処方された腎心疾患用のドライフードと缶詰で、
数ヶ月ごとにもらいに行っては先生に報告相談していた。

「野生動物は、敵から狙われないように最後まで立っている」
と聞いていたように、
ミーも前日の午前中までは、歩いて水場まで来た。
でももう受け付けないようで、しばらく立って口を動かすだけで、コタツに戻って行った。

自分で水を飲んだのはその前日までで、
最後に食べたのは、その2日前の一口だった。
鳴き方も「ナ~」と言うやわらかい音声になった。

トイレも以前はベランダに置いていたのだが、
コタツ布団で数回粗相して(昨年の春先?)からは室内に移動させた。
最後の3.4日は、そのトイレ付近で排尿した。
もうトイレに足が上がらなかったのだと思われる。
それでトイレの周りにペット用吸水シートを敷いていた。
そのことを先生に話したら、
「最後までしっかりしていましたね。普通はもうどこでも垂れ流しますよ」
と言われた。

考えとしては、積極的な延命治療を受けさせる方法もあったと思うが、
チビの時にいくつもの検査を受けた後の弱り方、その前後に何度も吐いた姿がきつそうに私には思われ、ミーには年齢的にももう無理はさせたくなかった。

以前に先生から聞いた
「最後は眠ったまま老衰という一生が良いですね」
の言葉も頭にあった。
夜中、コタツで寝ているミーの背中は普通に息をしていた。
それが最後だった。

                
≪昨年10月、2才の孫娘は「にゃんにゃんとおんなじ」と言って、這ってついて回っていた≫



長男家族は前日会いに来ていた。
2才の孫娘もミーが大好きで、コタツ布団をめくってミーに声をかけ、しばらくながめていた。

次男が間に合わず、早朝メールで知らせた。
仕事で忙しかったはずだが、なんとか都合をつけてきたのか、私が用事で出かける前に到着した。
タオルでくるんで抱かせると、その前からだが涙がポタポタと落ちて止まない。
3時間後に帰宅したらティッシュペーパーの山が出来ていて、
ミーの枕元には、チビとミーが並んで日向ぼっこしている写真スタンドを立ててあった。

今 書きながらやはり涙は出るが、
寂しさよりも悲しさよりも悔いよりも、何千何万倍も感謝の方が大きい。
自分(人間)もできるならば、こういう自然な経過をたどれると良いなーと、ミーの姿は思わせてくれた。
その記録としてここに記している。


       
       ≪昨年7月、「2さい おめでとう」のメール写真≫


ミー、うちに来てくれて ありがとう。
チビと遊んでくれて、
甘えてくれて、
長生きしてくれて、
ずっと一緒にいてくれて ありがとう。

12月21日、日向峠を越えた実家の山へ、
2年8ヶ月前に先立った義妹猫のチビの隣に
仲良く並んで眠った。