≪ 昨年9月のミー ≫
ミーが昨年12月19日の未明(深夜)、
20才6ヶ月の猫生を終えて旅立った。
チビの時に体験していたこともあり、
私自身が納得して落ち着いて見守ることができたように思う。
逆算すると、亡くなる3週間前あたりから急に腰が落ち、
後ろ足が目に見えて弱って来た。
それでも椅子に掛けている私の膝には飛び乗ってきていた。
膝からテーブルに上がり、そこから飛び降りようとするので、
さすがにその時は私の膝に戻すか、抱いて降ろしてやっていた。
12月初旬、小春日和が続いた数日の間、
ベランダに出て 収納ボックスの上で気持ち良さそうに寝ていたのを思い出す。
日向ぼっこ用にとコタツ布団を敷いてやっていたので、
本当に暖かそうで幸せそうに見える姿だった。
掛かりつけの獣医師は、診るたびにいつも
「保護してから、良くここまでされましたね」
と言葉をかけてくださっていた。
ひどい便秘になった約8年前からの食餌は、
処方された腎心疾患用のドライフードと缶詰で、
数ヶ月ごとにもらいに行っては先生に報告相談していた。
「野生動物は、敵から狙われないように最後まで立っている」
と聞いていたように、
ミーも前日の午前中までは、歩いて水場まで来た。
でももう受け付けないようで、しばらく立って口を動かすだけで、コタツに戻って行った。
自分で水を飲んだのはその前日までで、
最後に食べたのは、その2日前の一口だった。
鳴き方も「ナ~」と言うやわらかい音声になった。
トイレも以前はベランダに置いていたのだが、
コタツ布団で数回粗相して(昨年の春先?)からは室内に移動させた。
最後の3.4日は、そのトイレ付近で排尿した。
もうトイレに足が上がらなかったのだと思われる。
それでトイレの周りにペット用吸水シートを敷いていた。
そのことを先生に話したら、
「最後までしっかりしていましたね。普通はもうどこでも垂れ流しますよ」
と言われた。
考えとしては、積極的な延命治療を受けさせる方法もあったと思うが、
チビの時にいくつもの検査を受けた後の弱り方、その前後に何度も吐いた姿がきつそうに私には思われ、ミーには年齢的にももう無理はさせたくなかった。
以前に先生から聞いた
「最後は眠ったまま老衰という一生が良いですね」
の言葉も頭にあった。
夜中、コタツで寝ているミーの背中は普通に息をしていた。
それが最後だった。
≪昨年10月、2才の孫娘は「にゃんにゃんとおんなじ」と言って、這ってついて回っていた≫
長男家族は前日会いに来ていた。
2才の孫娘もミーが大好きで、コタツ布団をめくってミーに声をかけ、しばらくながめていた。
次男が間に合わず、早朝メールで知らせた。
仕事で忙しかったはずだが、なんとか都合をつけてきたのか、私が用事で出かける前に到着した。
タオルでくるんで抱かせると、その前からだが涙がポタポタと落ちて止まない。
3時間後に帰宅したらティッシュペーパーの山が出来ていて、
ミーの枕元には、チビとミーが並んで日向ぼっこしている写真スタンドを立ててあった。
今 書きながらやはり涙は出るが、
寂しさよりも悲しさよりも悔いよりも、何千何万倍も感謝の方が大きい。
自分(人間)もできるならば、こういう自然な経過をたどれると良いなーと、ミーの姿は思わせてくれた。
その記録としてここに記している。
≪昨年7月、「2さい おめでとう」のメール写真≫
ミー、うちに来てくれて ありがとう。
チビと遊んでくれて、
甘えてくれて、
長生きしてくれて、
ずっと一緒にいてくれて ありがとう。
12月21日、日向峠を越えた実家の山へ、
2年8ヶ月前に先立った義妹猫のチビの隣に
仲良く並んで眠った。
ミーが昨年12月19日の未明(深夜)、
20才6ヶ月の猫生を終えて旅立った。
チビの時に体験していたこともあり、
私自身が納得して落ち着いて見守ることができたように思う。
逆算すると、亡くなる3週間前あたりから急に腰が落ち、
後ろ足が目に見えて弱って来た。
それでも椅子に掛けている私の膝には飛び乗ってきていた。
膝からテーブルに上がり、そこから飛び降りようとするので、
さすがにその時は私の膝に戻すか、抱いて降ろしてやっていた。
12月初旬、小春日和が続いた数日の間、
ベランダに出て 収納ボックスの上で気持ち良さそうに寝ていたのを思い出す。
日向ぼっこ用にとコタツ布団を敷いてやっていたので、
本当に暖かそうで幸せそうに見える姿だった。
掛かりつけの獣医師は、診るたびにいつも
「保護してから、良くここまでされましたね」
と言葉をかけてくださっていた。
ひどい便秘になった約8年前からの食餌は、
処方された腎心疾患用のドライフードと缶詰で、
数ヶ月ごとにもらいに行っては先生に報告相談していた。
「野生動物は、敵から狙われないように最後まで立っている」
と聞いていたように、
ミーも前日の午前中までは、歩いて水場まで来た。
でももう受け付けないようで、しばらく立って口を動かすだけで、コタツに戻って行った。
自分で水を飲んだのはその前日までで、
最後に食べたのは、その2日前の一口だった。
鳴き方も「ナ~」と言うやわらかい音声になった。
トイレも以前はベランダに置いていたのだが、
コタツ布団で数回粗相して(昨年の春先?)からは室内に移動させた。
最後の3.4日は、そのトイレ付近で排尿した。
もうトイレに足が上がらなかったのだと思われる。
それでトイレの周りにペット用吸水シートを敷いていた。
そのことを先生に話したら、
「最後までしっかりしていましたね。普通はもうどこでも垂れ流しますよ」
と言われた。
考えとしては、積極的な延命治療を受けさせる方法もあったと思うが、
チビの時にいくつもの検査を受けた後の弱り方、その前後に何度も吐いた姿がきつそうに私には思われ、ミーには年齢的にももう無理はさせたくなかった。
以前に先生から聞いた
「最後は眠ったまま老衰という一生が良いですね」
の言葉も頭にあった。
夜中、コタツで寝ているミーの背中は普通に息をしていた。
それが最後だった。
≪昨年10月、2才の孫娘は「にゃんにゃんとおんなじ」と言って、這ってついて回っていた≫
長男家族は前日会いに来ていた。
2才の孫娘もミーが大好きで、コタツ布団をめくってミーに声をかけ、しばらくながめていた。
次男が間に合わず、早朝メールで知らせた。
仕事で忙しかったはずだが、なんとか都合をつけてきたのか、私が用事で出かける前に到着した。
タオルでくるんで抱かせると、その前からだが涙がポタポタと落ちて止まない。
3時間後に帰宅したらティッシュペーパーの山が出来ていて、
ミーの枕元には、チビとミーが並んで日向ぼっこしている写真スタンドを立ててあった。
今 書きながらやはり涙は出るが、
寂しさよりも悲しさよりも悔いよりも、何千何万倍も感謝の方が大きい。
自分(人間)もできるならば、こういう自然な経過をたどれると良いなーと、ミーの姿は思わせてくれた。
その記録としてここに記している。
≪昨年7月、「2さい おめでとう」のメール写真≫
ミー、うちに来てくれて ありがとう。
チビと遊んでくれて、
甘えてくれて、
長生きしてくれて、
ずっと一緒にいてくれて ありがとう。
12月21日、日向峠を越えた実家の山へ、
2年8ヶ月前に先立った義妹猫のチビの隣に
仲良く並んで眠った。