「ありがとう」日記

【あ】ありがとう 【い】いつも楽しく 【う】うれしくて 【え】笑顔になれる 【お】お手伝いしたいな

家に来た頃のミー

2012年02月03日 |  ねこ


 昔のミニアルバムが出てきた。
上の写真は、ミーが家に来て27日目。

子猫なのに、
メスなのに、

おじさん顔なんです・・・。


 

 これは13日目。
噛み付き癖をやわらげようと、
当時高校生だった長男がずいぶん可愛がってくれた。







 昨秋、Lani 先生からもらった三毛猫カイロ入れ。
見た瞬間、「かわいい~っ」と笑顔でさわりまくってしまった。

ミーが亡くなった後は、私の枕元にいる。
撫でては時々涙・・・だったけど、もう大丈夫。

ありがとうね♪ =^・^=

ミー、ありがとう

2012年01月08日 |  ねこ
               ≪ 昨年9月のミー ≫


 ミーが昨年12月19日の未明(深夜)、
20才6ヶ月の猫生を終えて旅立った。

チビの時に体験していたこともあり、
私自身が納得して落ち着いて見守ることができたように思う。

逆算すると、亡くなる3週間前あたりから急に腰が落ち、
後ろ足が目に見えて弱って来た。
それでも椅子に掛けている私の膝には飛び乗ってきていた。
膝からテーブルに上がり、そこから飛び降りようとするので、
さすがにその時は私の膝に戻すか、抱いて降ろしてやっていた。

12月初旬、小春日和が続いた数日の間、
ベランダに出て 収納ボックスの上で気持ち良さそうに寝ていたのを思い出す。
日向ぼっこ用にとコタツ布団を敷いてやっていたので、
本当に暖かそうで幸せそうに見える姿だった。

掛かりつけの獣医師は、診るたびにいつも
「保護してから、良くここまでされましたね」
と言葉をかけてくださっていた。
ひどい便秘になった約8年前からの食餌は、
処方された腎心疾患用のドライフードと缶詰で、
数ヶ月ごとにもらいに行っては先生に報告相談していた。

「野生動物は、敵から狙われないように最後まで立っている」
と聞いていたように、
ミーも前日の午前中までは、歩いて水場まで来た。
でももう受け付けないようで、しばらく立って口を動かすだけで、コタツに戻って行った。

自分で水を飲んだのはその前日までで、
最後に食べたのは、その2日前の一口だった。
鳴き方も「ナ~」と言うやわらかい音声になった。

トイレも以前はベランダに置いていたのだが、
コタツ布団で数回粗相して(昨年の春先?)からは室内に移動させた。
最後の3.4日は、そのトイレ付近で排尿した。
もうトイレに足が上がらなかったのだと思われる。
それでトイレの周りにペット用吸水シートを敷いていた。
そのことを先生に話したら、
「最後までしっかりしていましたね。普通はもうどこでも垂れ流しますよ」
と言われた。

考えとしては、積極的な延命治療を受けさせる方法もあったと思うが、
チビの時にいくつもの検査を受けた後の弱り方、その前後に何度も吐いた姿がきつそうに私には思われ、ミーには年齢的にももう無理はさせたくなかった。

以前に先生から聞いた
「最後は眠ったまま老衰という一生が良いですね」
の言葉も頭にあった。
夜中、コタツで寝ているミーの背中は普通に息をしていた。
それが最後だった。

                
≪昨年10月、2才の孫娘は「にゃんにゃんとおんなじ」と言って、這ってついて回っていた≫



長男家族は前日会いに来ていた。
2才の孫娘もミーが大好きで、コタツ布団をめくってミーに声をかけ、しばらくながめていた。

次男が間に合わず、早朝メールで知らせた。
仕事で忙しかったはずだが、なんとか都合をつけてきたのか、私が用事で出かける前に到着した。
タオルでくるんで抱かせると、その前からだが涙がポタポタと落ちて止まない。
3時間後に帰宅したらティッシュペーパーの山が出来ていて、
ミーの枕元には、チビとミーが並んで日向ぼっこしている写真スタンドを立ててあった。

今 書きながらやはり涙は出るが、
寂しさよりも悲しさよりも悔いよりも、何千何万倍も感謝の方が大きい。
自分(人間)もできるならば、こういう自然な経過をたどれると良いなーと、ミーの姿は思わせてくれた。
その記録としてここに記している。


       
       ≪昨年7月、「2さい おめでとう」のメール写真≫


ミー、うちに来てくれて ありがとう。
チビと遊んでくれて、
甘えてくれて、
長生きしてくれて、
ずっと一緒にいてくれて ありがとう。

12月21日、日向峠を越えた実家の山へ、
2年8ヶ月前に先立った義妹猫のチビの隣に
仲良く並んで眠った。

 現在のミー 

2010年12月22日 |  ねこ
 昨年の4月にチビが亡くなり、
その後ミーが鳴き続けていることを 以前書いたが、
現在でも同様の状態が続いている。

 ただ、その間にわかったことがある。
耳が聴こえていないのである。

今年に入り、鳴き叫ぶような大声になった時期があり、
それをたまたま電話口で聞いた弟が言った一言。
「発情期のオス猫みたいやね」

自分の声が聴こえにくくなったため、
身体中を使い、声を振り絞って
確認していたのか。

電話音にも反応しなくなり、
以前は即隠れていた来客時のピンポン音にも動じなくなった。

かわいそうな気もするが、
長生き故の老化現象はしかたないのかもしれない。

一つ幸いに思えるのは、
性格が穏やかになったように見えることである。

それまでは神経過敏で、
私以外の者は恐る恐る近づいていたのが、
今は2才の孫もわりあい平気で触れるようになった。


         
            ≪ ミーをつっつく孫 ≫



 他サイトでコメントいただいた中に、
「高齢猫が亡くなった後、
残った高齢猫がやはり鳴きまくっている」
とあり、同じ状況なんだ
と涙が出そうになった。

 鳴きながら付いて回られるのに閉口しつつも、
大切に見守っていきたいと思っている。

 チビに会いに行った =^・^=

2010年04月18日 |  ねこ
 1週間前の日曜日、
チビが眠る実家の山に 息子たち家族と集まった。
私がお昼に着いた時には、もう皆そろっていた。

長男は、朝から張り切って山でタケノコを掘り、
「 いい運動になった 」 と笑顔いっぱいだった。


        



チビが大好きだった次男は、
自宅の生ゴミ処理機から出来た肥料を、
チビが眠るそばの桜の幼木にやっていた。


 チビが亡くなったのは、1年前の4月9日だった。
その2日後、私の実家へ皆で行き、
山の斜面に埋葬してお別れした。

その時、次男が
「 何か記念になる花木を植えたい 」 と言う。

どうせならこの時期に咲くものがいいと考えて、
実生の桜木を後日 チビのそばに植えた。


        

       
       そばで咲く野イチゴの花と 白い八重桜 




 桜の種は、蒔いてから ( 芽吹いてから? )
6年ほどで花をつけるそうだが、
うちのようなプランター育ちの場合はどうだろう?

天拝公園で拾った桜の実 ( 種 ) を
紫蘭 ( シラン ) でいっぱいのプランターに蒔いたのが5年ほど前だった。
 
まあ、いつ咲くかを楽しみに、山の斜面に登るのもいいねぇ 、チビ。





            
       HULAの先生も猫好きで、1年前 チビに下さった花束 

 きのうは猫の日 ・・・ 猫好きの日

2010年02月23日 |  ねこ
               ミー&チビのデザイン的?な寝姿  
         

 一昨日、長年続いている食事会に 10数年ぶりに参加した。
一人ひとりの 簡単な近況報告がすんだところで、
隣りの席のSさんに声をかけた。

「 10数年前のあの日、Sさんはインコのピーちゃんを逃がして 悲しかったのよね。
私はどう対応したらいいかわからず、ぼーとしていてごめんなさい 」

昨年チビが亡くなってから ふっと思い出し、会ったら伝えたいと思っていた。

 すると、S田さんが飼い犬を亡くした時の話を始めた。
その後、次々とペットの話題が出てきた。
Sさんも2代目、3代目のインコを飼い続けているらしい。
その中での失敗談がおかしくて、かなり皆で笑った。


          
         プレゼントのにゃんこMEMO...もったいなくて飾っている


 帰宅してから、その日のお世話係だったOさんにお礼の電話をした。
Oさんが言うには、
「 人間の話題は深刻になるけど、ペットだとあんなに楽しく盛り上がるのね~ 」
なるほど、そう言えばそうかもしれない。



            
            記念スタンプ代わりに 郵貯の日付



 食事会の後、例年開催されている 『 来る福、招き猫展  』 に行った。
数年前、【 三毛猫日記 】 のしも1さんから教えていただいて以来、
毎年 楽しみにしているイベントである。

 丸善福岡ビル店 3Fギャラリー  2月28日(日)まで



          
          「 懐かしの猫スター 」 なる手拭いを買った


 S田さんから聞いた テレビの動物番組での話。
急に凶暴になって檻でしか飼えなくなった猫に、
動物の気持ちがわかる外国人女性が 
まばたきで会話をして、理由がわかり解決できたという。

 え~っ、この話を聞くために 私は今日ここに来たのかも、と思った。
ミーが鳴きながら私に付いてまわる時、ずーっと私の顔を見上げ続け、
私が椅子にすわるとヒザに乗り、私の胸へ前足をかけて
キスせんばかりに顔を近づけるのである。

 とは言うものの、 「 まばたきで会話 ... 」 

うーん、どうすればいいのか、 どうやったら通じるのか ...

 ブルームーン 。。。 チビと満月

2010年02月01日 |  ねこ
                 ≪ 2008年夏のチビ ≫


 同じ月のうちに満月が2回あるとき、
その満月を 『 ブルームーン 』 と呼ぶそうだ。

めったにないことなので、幸運の兆しとも言われるらしい。
それが今年は、1月と3月に見られる。   

どの時点が満月なのか知りたくて検索していたら、
非常に詳しく公開している人のサイトがあった。

         ↓
http://koyomi.vis.ne.jp/img/cm/koyomis.gif
      ( こよみのページ )

3月も 1月と同じく、
1日 ( 1:38 なので、2/28 の深夜ともいえるかな ) と30日で
ちょっと楽しみである。


          
       ≪ 昨年の3月、チビをコタツに入れてやる1才の孫 ≫


 昨年の4月に亡くなったチビに、その後も思い出しては
「 ありがとうね 」 と呼びかけている。
それは満月に近い夜空を見上げたときと、
鳴き続けるミーに声かける時である。

 ミーに、「 チビと遊んでくれて、仲良くしてくれてありがとうね 」 と言い、
「 元気で長生きしてくれてありがとう。 チビのおかげだね。 チビにありがとうって言おうね 」
と撫でながら抱きあげる。

 昨年、チビの具合が悪くなり かかりつけの獣医さんに診てもらった時には、
もう腎臓が触診でわからないほどに腎不全が進んでいた。
それまでのチビは、保護した時に目やにで受診した以外は元気だった。
一時期 6Kg もあった体重が落ちてきたのを
高齢のため自然に普通体重になってきたのだと思っていた。


         
         ≪ 2006年10月のミーとチビ ≫
 

 ミーの場合は、5、6年前に重症の便秘になって以降
獣医さんの指導で治療食を続けていた。
それが腎疾患・心疾患の予防になっていたということが
あらためて獣医さんの話でよくわかった。

その頃よりも、ミーは元気でいるような気がする。
体を押されるとたまによろけたりするのは、
6月で満19才という高齢のせいかと思いながらだが・・・。

比較というかたちでチビが教えてくれた、と思う。

「 チビ、ありがとう  おかげでミーは元気にしてるよ 」

 新年もありがとう ・・・ 新しい出会い 4

2010年01月01日 |  ねこ
              見てくださっている皆様 
             明けましておめでとうございます
             新年もどうぞよろしくお願いいたします


 ミーは相変わらずよく鳴いているが、
現在はコタツまで連れて行って中に入れれば、
けっこう寝てくれる。
ただ、何度入れても鳴きながら出て来るときもある。。。


 昨年大晦日の夜も、今年元日の夜も
空に昇った月が美しかった。

 昨年の4月、満月の日にチビが亡くなったので、
満月を見上げると 「 チビ、ありがとう 」 と呼べかけ、
満月を毎月見られることに ( その時から今日までずっと ) 、
なんだかチビが応えてくれているような気がしてうれしくなる。

       
       ≪ 2年前のお正月のチビ ≫


 ここで、時系列でいくと 「 新しい出会い 4 」 のことを書きたい。 
昨年の2月、誘われて行った講演会。
テーマは 「 人生は感謝 」 だったかな?
講師の小林正観さんにも内容にも、驚きの連続だった。
ひょろひょろした男の人が、よろよろと出てきて椅子に座り、
話はダジャレのオンパレード・・・。

 「え・・・、これがずっと続くの? 」 と本当に心配した。
本人も 「 ○時頃に本題に入るかもしれないし、入らないかもしれない 」
と言っている。
しかし、その○時前後になると一気に本題のエキスが放出された。
「 ありがとう 」 を口に出すことの効果をたくさん聴いた。
集中してそれだけを伝えられると、実際にやってみようと言う気になる。


       


 帰宅したらさっそく出迎えてくれた猫たちに
「 留守番してくれてありがとう 」 と言ってみた。
その後も「 ありがとう 」 と言うからには、
何が 「 ありがとう 」なのか考えるようになった。
すると小さな事や当たり前のことも、
確かに 「 ありがとう 」 と言えることに気づいてきた。

 それまでチビは次男が猫かわいがりしていたので、
私にはあまり甘えて来なかった。
それが、「 ○○してくれてありがとう 」
と声かけるごとに、私に寄って来て甘えるようになった。

 具合が悪くなってからは、特に
「 チビのお母さん、チビを産んでくれてありがとう 」
を何度も言った。

「 うちに来てくれてありがとう 」
「 ミーと遊んでくれてありがとう 」
「 一緒に寝てくれてありがとう 」
「 お兄ちゃん( 次男 ) を和ませてくれてありがとう 」
「 皆を楽しませてくれてありがとう 」


       


 書きながら涙はあふれてくるけれど、
おかげで少しの寂しさはあっても、
悲しみや後悔は少なかったような気する。
今でも思い出しては、「 チビ、○○でありがとう 」
と言えること自体がありがたいように思える。




          
   ≪ 松葉が大好きで、狙われるお正月は大変 ≫

 鳴き続けるミー

2009年12月07日 |  ねこ
              ≪ ミーは、時々ピンクの舌を出している ≫


 今年の4月にチビが亡くなってから、ミーが非常によく鳴くようになった。
最初は寂しくて鳴いているのかと思ったが、ちょっと違うようにも感じる。
というのは、眠らずにあちこちで鳴くので、
寝る場所がわからず探しているように思えるのだ。

 それまでは、一日の大半を寝て過ごしているチビの所へ
ミーがくっつく形でいつも一緒に寝ていた。
そのチビが急にいなくなり、どこで寝たらいいのかわからなくて
鳴いているように見えるのだが...
(現在は、早めにコタツを出したので中を寝床にしている)

           
           ≪ 3年前の秋。 秋から春の寝場所は、ふとん
           (押入れの場合も)かコタツの中、ストーブの前
           (手作り猫ベッド)。夏だけは別々に涼しい場所 ≫



 8ヶ月たった今も、ミーは相変わらずよく鳴いている。
数人から「あら、お孫さんが来ているの?」とか
「同居されてるの?」などと聞かれる。
その訳は、電話で私が話し始めると、ミーがどこにいても走ってきて
すぐそばで鳴き続けるからだ。
かなり高い声なので、私にはうるさく感じるのだが、
電話越しにはかわいい赤ちゃんの声に聞こえるらしい。

 ミーは、18才の高齢猫とは思えないぐらい、身軽にパソコンデスクにも
食卓にも飛び乗り飛び降りる ( しつけができなかった...)。
そして鳴きながら小走りに私について回る。
たぶん猫語で何か言っているのだろう。
次男が言うように、私のことを「お母さん」と思って
甘えまくっているのかとは思うが...


           
          ≪ 私の足元で、こんなふうに見上げて鳴きます ≫


 なぜ泣き続けるのか、困っているわけではないけれど、
もっと人と猫が良い関係でともに幸せでいるために、
見てくださっている方の中で、もし他に何かわかる(思われる)ことが
ありましたら ぜひお教えくださいませ 

 よろしくお願いしますにゃ =^・^=

 今夜の月も美しかった

2009年12月03日 |  ねこ
            ≪ 今年の早春、日向ぼっこするチビとミー ≫
                        ( チビが亡くなる1ヶ月前 )   


(11/13の続き)

 長男は数年後、進学のため家を出るのだが、
それまでの間、ミーはしっかり長男に甘えていた。

 その後は 私にべったりくっつき、今に至る。
それを見ながら次男が言うには、
「ミーは、自分のことを人間だと思っている。
そしてお母さん( 私 )のことを、自分のお母さんだと思っている」

 「えーっ、じゃあチビのことは何て思ってるの?」と聞くと
「毛むくじゃらの変な生き物って思ってるんじゃない」と次男。
そう言われればそうかも・・・、そうなのか、
とおかしくも妙に納得したものである。

 前回( 11/13)の写真でも、寝る時はいつも一緒のように
見えるが、実際はちょっと異なる。
同じ猫とは思えないぐらい睡眠時間が違うのである。
チビは、「食っちゃ寝にゃんこ」「たぬき寝入り?」というぐらい
寝てばかり。

 ミーは、一人(一匹)で走り回ったりしていつも身軽に動いている。
寝る前も毛づくろいに長く時間をかけてからやっと、
寝ているチビの腹側あたりでクルクルと回って、体勢を整えてから寝るのである。
どうもミーは、次男の見方でいくと、
チビの腹部を「 温い寝床 」とでも思っていたのかもしれない。
          
   
          ≪ 絨毯でころがるチビ ≫

    ( 続きます )

 ミーは チビの異母姉

2009年11月13日 |  ねこ
  ≪ 私のハンドルネーム『 からふる 』の由来・・・白猫を時々預かっている
   知人が、我が家の猫写真を見て言った「まあー、からふるね~」から ≫


( 11/4の続き )

 その3ヶ月前の6月中旬に、1匹目の猫ミーを私が連れて来た。
18年たった今でも息子たちが言うには、
「朝起きたら子猫が寝ていて びっくりした」

 ある日の夜中、当時住んでいたマンションの外から、子猫の鳴き続ける声が聞こえる。
私は子供の頃から、猫の、特に子猫の声が聞こえたら、姿を見に行かずにはおれなかった。
行ってみると、隣に建つ酒店の奥さんが、隠れている子猫を捕まえようとしているところだった。
「親猫が交通事故で死に、子猫だけになっているので、明日保健所に連れて行く」
と言う。
 
 (え~っ、そんなことはさせたくない) と心の中で思い、
「一晩うちで預かります」 と連れて帰った。
片手に乗る大きさで、後日近所の人から聞いたところによると、数日前はまだ目が開いてなかったそうである。
小さな全身がノミと下痢便まみれで、毛にからんで固まった汚れがなかなか落ちなかった。

 翌朝になり、事情を聞きその様子を見た夫が、
「うちに来たのも縁だろうから飼うか」 と言ってくれた。
 ところが、この小さな生き物が凶暴なのである。
私たちの足を見ると、必ずかかとに噛み付く。牙がまだ細くするどいので、「チクッ」とその痛いこと。
でも、「親に死なれた子猫には、巨大に見える人間の足が恐怖だったのだろう」と私たちは憐れんだ。
特に高校生だった長男が、胸やひざに抱え込んで、ミーの頭を両手で撫でまくって慣れさせてくれた。
ただその際、ごろごろと喉を鳴らしながら肛門腺の臭いを出すらしく、「くっさーい」と何度も顔をそむけていたことを思い出す。


 二匹目となるチビが我が家にやって来て、初めて獣医さんに診せた時、「2匹は、その保護した場所の近さと同じ三毛柄から、父親が同じで母親は違う姉妹猫ではないか」と推理された。

 そういうふうにして、月齢差約2ヶ月弱の異母姉妹猫との生活が始まった。


              
             ≪ 顔も性格も 体格も毛質も 全く異なるが、
               右肩~腕の黒柄だけはぴったり同じ≫

 

   ( 続きます )