"デーモン小暮閣下"が大相撲放送のゲストで解説やインタビューに活躍していたのは記憶に新しいが、昔、NHK「生活笑百科」のゲスト相談員に浜村淳が出たときも、地味ながらレギュラー相談員を圧倒する迫力があった。
みんなみてね。
「予告編」と「ストーリー」だけでこてこて感あふれる映画「県庁の星」。なにも映画にしなくたってよかったんじゃないか…と、期待をしぼませておいて、最後にどーんと盛り上がる仕掛けだな。ははーん。
撮影が行われた岡山県高梁市の三流スーパー(失敬な)「ポルカ」は天満屋ハピータウンが核に入ってるんでなかったか。作品中の三流スーパーの名前が「満天堂」(失敬な)。現在、当の三流スーパーでは、撮影の模様を撮影した写真展が開催されているのだそうです。
深山ファミリージョギング大会に備え、7.3kmコースを試走してきた。去年の記録より4分遅く申告していて、今日の試走では3分半遅れ。よし、いい線だ。狙って遅いわけじゃないのが悲しいけど、申告タイム部門の上位を狙えそうな感じはしている。
すでに距離も知れたコース。あえてGPSで計測することもないのでSEIKO「パルスグラフ」を持って行こうと思ったら、表示が点滅していた。久しぶりなので電池が切れていることに気が付かずにいたのだ。地元商店街ポイントが5千円分くらいたまっていたので、ボタン電池一個をそれで買おうと電器店に行ったら、誤ってポイント全部引かれた。ひ、ひどい…。
結局、「手ぶれ補正機構が面白そう」という理由で新しいデジタルカメラを開梱したが、主用途が晴天の屋外では違いなし。前のPENTAXのは、そういえばパノラマ合成補助機能(次の写真を撮るときに、前の写真の端のほうを反対側に表示しといてくれる機能。それを目安に重ねて撮影すると、後で合成作業をする際に効率的)をしばしば利用していた。
「低脂肪食でがん予防」の調査が期待はずれに終わる。
失敗に終わったことを一つの結果として発表することは、大規模な調査だっただけに大変有意義なことだと思う。小規模なら期待通りの結果であろうとなかろうとそれほど意味を持たないとは思うんだけど、とりあえず、嘘のデータを作ったり、データがないのに好意的な解釈を積み重ねて目標点にもっていこうとするよりは、失敗は失敗として発表したほうが無用な混乱を招かないし、潔い。
東京国際マラソンの最中であります。外国人選手が「日本はきれい」と言うのは、沿道にごみが落ちていないから。日本は、そういうところがいい国なんだよねえ。まったく落ちていないわけじゃない。直前清掃の成果であるにしても、諸外国に比べて少ないほうなのではないかというところがね。
というとおり、でも捨てる人もいるんだよね。空き缶が落ちていたりしてね。こういうのを「普通にあること」として許容してしまうから、捨てる人は「自分だけじゃない」という訳の分からないことを言い出すんだろうけど、まあそういう種類の人もいくらかはいるものだ、と僕もあきらめる。でもねえ。アサヒ飲料「おしるこ」の缶が捨てられていたのを見たときには、おしるこ好きとしてはがっくりしたねえ。
光子に質量はあるの?……ふむふむなるほどそういうことか、さっぱりわからんねー♪
「幽霊は存在する」と言ってやまない人と似ている。概念として存在するのは分かる…というか当たり前。実際のあるなし関係なく、そう定義してあるんだから。ただ、そういう発想が昔からあって、なおかつ広く受け入れられているということは、誰か存在の確証をつかんだ人がいるのだろうか、という考えが出てくる。今度も、霊に質量があるかっていう話と重ねて考えた。質量がなかったら重力の影響下にはないわけで、では何の力で地上に固定されているのかという素朴な疑問があったのよね。
さて、「光子に質量はない」とされている説が有力である点に引っかかった人がいた。その、なのにどうしてブラックホールの影響を受けるの?という問いには、あれは周囲の空間がゆがめられているためで、光は最短距離を通ろうとするだけで運動方向を変える力が直接作用しているわけではないとのこと。さらに、「重力とは何か」という問題が出てきた。存在は経験的に確かだが、それが何かということは分かっていない力。だから、重力の影響を受けているからといって質量があると決めてしまう前提が間違っている可能性も指摘される。
ますます訳が分かりませんね。とりあえず、世の中の根幹の部分はけっこう適当ということですよ。
職場のあの人が、「パワーポイント研修」を受けて帰ってきた。本人が言うにはパワーポイントについての知識を身につけてきたらしいのだが、そう言いながら今度使う発表資料作成を人にやらせているのはあの人七不思議の一つだ。
僕は、MS-Officeシリーズの中で、PowerPointはOutlookとHomeStyle+の次に使ったことがない。Publisherよりも。それほどに使わないけど、PowerPointを取り巻く環境などについては、きっとあの人よりは理解している。操作時のショートカットキーとか、職場にはMS-Office Professional同梱の1ライセンス分しかないこととか、ノートPCをビデオプロジェクタにつなぐときの諸注意とか。
そして、あの人が学んできたと言うのはあくまでも「MS-PowerPointを使ったプレゼンテーションについて」である。「プレゼンテーションを考えるとき、MS-PowerPointを使うか使わないか」という考察を飛ばし、まず「使う」というのが前提なんである。OHPを使ったスライド投影にはできないことをやってこそのMS-PowerPointだとか、僕もろくに使えないのでそんなことは言わない。ただ、くれぐれも忘れてはならないのは、プレゼンテーションは、する人のためではなく、される人のためにあるもので、何よりも見る人に分かりやすいものでなければならないことだ。あえてPowerPointで複雑怪奇なスライドを作ろうとするよりも、表現すべき内容をどれだけ簡潔にまとめられるか、という点に多くの資源を費やさなければならないのだと思う。
その究極、「高橋メソッド」に乗るか乗らないかを一番に考えよう。PowerPointはそのあとだ。