この夏の決算(バーゲンではない)のつもりで書かなければならないことを思い出した。
やれ、マラ8の実演でお祭りだ、吹奏楽の県大会だ、上原彩子の展覧会の絵だ、しまいにゃN響のやっつけ仕事にしては完璧だったドボ8だと、生演奏のことばかり何かと騒いでいた私(間にご来客があって拙宅のシステムを聴いていただいたり、待望のYAMAHA音響パネルをお借りできたりと他にも色々あったが)だが、ここ10年以上忘れていた大切なことを思い出した。
学生時代、名古屋に住んでいた私、実家は隣県の新潟県だったので年に1・2回は帰省のために片道5時間ほど電車に揺られていた。若いころは四六時中音楽漬けだったので、当然電車の中にも音源を持ち込み(あの頃はウォークマン→CDウォークマンだった。今思うとローテクな時代だなあ。)岐阜県や長野県の谷川を車窓から眺めつつ、その車窓に合うような音楽をセレクトして聴いていた。シベリウスの交響曲とか、シブいところでショスタコの「ミケランジェロの詩による歌曲集(F・ディースカウが十八番にしていた)」をよく聴いていたが、ある回に、まるで偶然だがマラ8をチョイスした。その頃のマラ8に対する感想は、あまりにも漠然とした曲すぎる、といったところだったのだが、どうせ道中の暇を持て余すのならば勉強のために聴いてみようかなと、気まぐれな選択だった。電車は山谷をくぐり抜け、曲は第2部の密やかな感じから様々な表情を持って展開する。うん、景色に合ってるじゃないのと聴き進む。やがて電車は松本平を抜け、再び山道へと差し掛かり、トンネルを何本かくぐり抜ける。曲が盛り上がって、それはまさにコーダに差し掛かったところだったが、眼下に飛び込んできたのは長野平の雄大な景色だった、、、
こうして、マラ8は大好きな曲の1つになった。
うそのような本当の話だが、偶然にしても不便な旅をしていると時に限ってこんな素敵な出会いがある。
今夏の旅は、その昔を懐かしむ意味もあったことを思い出した。でも、あえて道中に音楽を聴く必要を感じなかった。
今は便利な時代で、スマホに音楽をダウンロードしておけば、わざわざ音楽ソースを取り出して掛け替えたりする手間もなく、好きな音楽を好きなときにすぐ聴けるのだが、ここまで便利になると逆に積極的に音楽を求めなくなるのが不思議だ。まあ年齢のせいもあるのかしら。
電車に揺られていても、昔より過ぎていく時間も景色も速くなったように感じていた。
やれ、マラ8の実演でお祭りだ、吹奏楽の県大会だ、上原彩子の展覧会の絵だ、しまいにゃN響のやっつけ仕事にしては完璧だったドボ8だと、生演奏のことばかり何かと騒いでいた私(間にご来客があって拙宅のシステムを聴いていただいたり、待望のYAMAHA音響パネルをお借りできたりと他にも色々あったが)だが、ここ10年以上忘れていた大切なことを思い出した。
学生時代、名古屋に住んでいた私、実家は隣県の新潟県だったので年に1・2回は帰省のために片道5時間ほど電車に揺られていた。若いころは四六時中音楽漬けだったので、当然電車の中にも音源を持ち込み(あの頃はウォークマン→CDウォークマンだった。今思うとローテクな時代だなあ。)岐阜県や長野県の谷川を車窓から眺めつつ、その車窓に合うような音楽をセレクトして聴いていた。シベリウスの交響曲とか、シブいところでショスタコの「ミケランジェロの詩による歌曲集(F・ディースカウが十八番にしていた)」をよく聴いていたが、ある回に、まるで偶然だがマラ8をチョイスした。その頃のマラ8に対する感想は、あまりにも漠然とした曲すぎる、といったところだったのだが、どうせ道中の暇を持て余すのならば勉強のために聴いてみようかなと、気まぐれな選択だった。電車は山谷をくぐり抜け、曲は第2部の密やかな感じから様々な表情を持って展開する。うん、景色に合ってるじゃないのと聴き進む。やがて電車は松本平を抜け、再び山道へと差し掛かり、トンネルを何本かくぐり抜ける。曲が盛り上がって、それはまさにコーダに差し掛かったところだったが、眼下に飛び込んできたのは長野平の雄大な景色だった、、、
こうして、マラ8は大好きな曲の1つになった。
うそのような本当の話だが、偶然にしても不便な旅をしていると時に限ってこんな素敵な出会いがある。
今夏の旅は、その昔を懐かしむ意味もあったことを思い出した。でも、あえて道中に音楽を聴く必要を感じなかった。
今は便利な時代で、スマホに音楽をダウンロードしておけば、わざわざ音楽ソースを取り出して掛け替えたりする手間もなく、好きな音楽を好きなときにすぐ聴けるのだが、ここまで便利になると逆に積極的に音楽を求めなくなるのが不思議だ。まあ年齢のせいもあるのかしら。
電車に揺られていても、昔より過ぎていく時間も景色も速くなったように感じていた。