オ リ メ ガ。

萌え専用ブログ。ほぼBASARA3の石田三成に陣地占領されてます(笑)。

ラクガキ石田

2010-10-22 | 戦国BASARA(ゲーム)

石田だらけでスイマセン。昨日ノイタミナやってねーし書くことが無くなったんで(笑)結局
また石田だよ。どーなるこのブログ。
色々ラクガキしてたものを集めてみました。もう一つ、カリスマ美容師的な石田とかも
描いたんですが(笑)そっちはスペース的に入れませんでした。あのヘアスタイルはどう見ても
美容師系だよ。と思って。ワックスかハードスプレーでガッチガチに固めてるのかな。
BASARAって美容院必須な髪型のキャラ結構いるよね(笑)。ユッキーとか。家康とか。



↑は刑部が実は包帯とると美形かもしれないっていう妄想から(笑)描いた。
もうムリヤリそういう方向でCPするしかこの二人の場合ナイかもしれないよね。なんでああいう
デザインにしたのかな。天海とか出さないで似たような感じにすれば良かったのにねぇ。
陰陽師とか祈祷師とか呪術師とかそんなカンジの系統キャラにするなら。
CPの話だと、意外にユッキーとはいいかもしれないとか思った。チラチラ見かけるんでまだ
増えそうな気もするけど、あの子に調子を狂わされる石田は結構面白いかもしれない(笑)。
石田×真田。うん。アリ。
アニメ二期で伊達主従愛を見て失恋した(笑)幸村の前に石田との出会いがあったワケだ。
せっかくホッとした佐助の安堵も束の間で、「独眼竜より悪いっ」みたいな(笑)。
BASARAにおける幸村のキャラって天然で素直で嘘つかないし、いい子だよね基本。
ちょっと騒々しい(笑)けど。慣れれば癒されるんじゃないかな。
史実だと年齢差は7歳。(幸村が石田より7つ下)家康なんか石田より17歳も上だぜ?
オッサンなんだぜ(笑)。BASARAではいくつの設定なのかワカラナイけど。
史実では関ヶ原から15年後に大阪・夏の陣があって、幸村が家康を討とうとしてるんだし、
そういうのも含めてイイよね。石田と真田(笑)。
「三成殿の仇っ!!」みたいな。
家康を実は幸村が討ち果たしたっていう異説もあるよね。その後の家康は影武者で、幸村が
家康を討ち取ったからこそ、スゴイ英雄のように言われるようになったっていう説。
真田、日本一のつわものって。真偽はまだワカラナイけど、それはそれで面白い。

※史実に合わせると、幸村(信繁)の妻が大谷吉継の娘なんで、15年後の夏の陣でのリベンジ
(じゃないけど)で仇を討つ的なアレだと、妻の父の仇ってことになるけどね(笑)。
でもBASARAワールドではユッキーに妻はいないし、大谷にも家族はいるのかどーか不明だし、
・・・そもそも年齢設定が違いすぎ(笑)。
でも色々資料とか改めて見てみると面白いよね~。歴史って。関ヶ原の戦いで西軍だった
真田幸村、大谷、長曾我部、毛利は15年後の大阪・夏の陣でも一緒にまた戦ってるんだよね。
大谷は吉継の息子で、長曾我部、毛利は当然だけど元親と元就じゃなくて(笑)子孫。
石田の子孫は参戦してないけどちゃんと生存してて、直系が絶えてしまった大谷の家に養子を
あげたりとか、なんだかまた絆を感じるエピソードがあったりして泣ける。
大谷吉継の血は娘が幸村の妻だからその子供にも受け継がれてるわけで、その娘が二代目
小十郎の妻となってさらに続いてるのもドラマチックだよな(笑)。
島津さんと毛利は徳川をずっと恨み続けて、260年後の倒幕に活躍するっていうのもスゴイ
因縁を感じて面白い。子々孫々まで語り継いだんだね。
(毛利・島津は関ヶ原で西軍に付いたけど、実際には参戦してないんですよ。島津は色々な
事情があってそうしたんだけど、毛利は保身のためにそうしたんだと思う。小早川の裏切りで
西軍が敗北したってよく言われるけど、毛利が参戦していれば勝てたとも言われてるので
この二人(小早川・毛利)のせいではないかと思います。なぜならこの二人の軍が最も多かったんで
全軍が出ていれば間違いなく西軍は勝てたはず。
で、島津・毛利は参戦してないことを理由に所領や地位の安堵を要求しますが、毛利は所領を
かなり減らされてしまいます。これに激怒して以後、徳川を恨み続けるわけですね)

※夏の陣で伊達は味方の神保さんの隊を「ジャマだっ!!」って全滅させてしまってるんだよね。
大変なことをしちゃってるんだけど(笑)、よっぽどイライラしてたんだろうな、と思うと徳川のする
事に対してなんらかの思うところがあったのかなって。
この時、幸村率いる真田隊と二代目・小十郎率いる伊達隊が別の場所で出くわしてるんだけど、
双方戦うことなく分かれてる。諸事情あったらしいけど、のちのことを思えばまさにこの時に約束が
交わされたのではないか、と思うよね。当然、主君である伊達が知らないはずは無いし、むしろ
これよりも前にすでに約束は交わされていたのかもしれないし。伊達と真田の友情みたいなものが
やっぱりあったんだろうな、と。(※この時、二代目・小十郎は30歳。伊達・真田よりも18歳下)
夏の陣は豊臣を一掃するためのもので、秀吉の縁者を関ヶ原のあと生かしておいたことを後悔
したっていうことだったんでしょうね。徳川政権にとってジャマになる者はすべて消すっていうのが
家康のやってることだったし、誰もさからえなかったのはそこに要因があってみんな家のために
従わざるを得なかったわけだ。でないとあらぬ罪をでっち上げられて所領を減らされて飛ばされ
たり、もしくは処刑されたりしちゃうから。
こういうやり方が少なからず目に余ると感じていた大名たちは結構いたんだと思う。
伊達もその一人だったんじゃないかな。毛利や島津は徳川に慇懃無礼な態度をとり続けたし、
いつか見てろよっていう思いは全国的にあったんじゃないですかねぇ。


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