ヨーロッパの憂愁庭園★華麗なる美とロマン

魅せられし19世紀末の美や浪漫。文学・絵画・映画・モード等から導かれる心の放浪♪

ペーター・アルテンベルク:PETER ALTENBERG

2007-08-03 | 詩篇・作家
ペーター・アルテンベルクは、本名リヒャルト・エングレンダー(Richard Engländer:1859年3月9日~1919年1月8日)という19世紀末のオーストリアの作家。とされているけれど、肩書きは路上生活者、即興詩人、街の傍観者、編集能力のある執筆家、少女愛好家(この点が実に興味を持っているところ)...など。ボヘミアンでとても自由に夢の世界に生きたようなお方に思う。愉快な変わり者で個性的なお方だったようで興味が尽きない。今もウィーンに存在する「カフェ・ツェントラール」を当時からご自分の住所(実際は安いホテルの一室に部屋があったけれど、カフェや路上が仕事場であり生活の場だったのだろう)とされていたそうだ。それ以前は若きウィーン派達の溜まり場とされていた「カフェ・グリーンシュタィトル」の住人だったが、取り壊されてしまったという。私は大好きなデヴィッド・ボウイ様が影響を受けた表現主義(特にドイツを中心に)について、時間があれば気が向けばその様な御本を読んでいる。そんな中で知ったお方。あまりにも素敵な人生だ!なかなか死ぬまでこのようなスタイルを維持するのは安易ではないと思う。奇行が目立ったそうだけれど、愛され人々の援助と文芸娯楽欄の執筆者(フォーリットニスト)として生活していたようだ。上のお写真の格好もとても面白い!

写真や手紙、絵葉書などの隅にいつも即興でなにやら書き記されていたという。そんな中の一枚。そこには”絶対的理想の脚!13歳のエヴリン.H・・・・・PA1916”と書かれている(この辺りのことはまた、もう少し『クララの森・少女愛惜』に追記予定)。彼の兄ゲォルク・アルテンベルクに捧げられたという著書『その日が私に告げるもの』の中で、自分自身について以下のように書いている。

『私の人生は神の創り給いし芸術品(婦人への肉体)への前代未聞の讃嘆に捧げられたものだ。私の貧しい部屋は壁紙の剥げかかった壁に仕上げた裸体習作が掛けられている。きちっと額縁に入れられたものはどれもみな著名と書き込みがある。15歳の娘の写真にはこう書かれている。「美は美徳である」ほかのにはこう書いてある。「裸体のたったひとつの行儀悪さは、裸体にわいせつ性を感ずることである」』

なかなか興味深い。彼の最初の著作は『私の見たまま』1896年のもの。そこでも、「私はちっちゃな手鏡に過ぎないのです。世界の鏡じゃありません。化粧鏡です。」と謙遜して語った言葉が残されているけれど、当時のウィーンの街頭やウィーンの森、彼が傍観した記録の断片たちは貴重なものとして、今私のような者が19世紀末のウィーンにうつつとなる。”主観主義、万歳!”である。忘れ去られることなく語り継がれるには何があったのだろう。実にユニークなペーター・アルテンベルク!

Peter Altenberg. Leben und Werk in Texten und Bildern.

Insel Verlag

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