ちよ子のkaisolog

ちよ子の、ちよ子による、ちよ子の為の回想録

ホステスたるものデブるべからず

2015-07-31 22:22:22 | 回想
両親族から受け継いだ酒飲み体質、元々の性格(人見知りしない・ブラックユーモアが得意・負けず嫌い・その他)がウケて、ホステス稼業にどっぷり。

食べても良いけど太るのは禁止。
てか、食べなきゃいけない。
同伴も店内もアフターも、食べることから逃れられない。

飲んでも良いけど太るのは禁止。
てか、飲まなきゃいけない。
同伴も店内もアフターも、飲むことから逃れられない。

断わることもできるけど、指名と売上の数字ためには、断わってばっかいられない。
そして、素敵なドレス着て、髪をセットして、夜のお店で華やぐには、体重計の数字も大切。

難儀な職業なんですわ。

でも今考えると、この頃のダイエットなんて可愛いもの。
見せる職業でなくとも、全日本女子が雑誌とかテレビに影響されて万年思い続けるだけ、言い続けるだけのレベル。

「痩せてキレイになりたいなー。」

昼間は絶食。
(しかし夕方から深夜、場合によっては朝まで、飲み食いし続ける。)
週1~2回、スイミング。
週2~3回、エステ。

こんなのでは摂食障害にはならない。

バイトも横文字

2015-07-29 01:21:41 | 回想
わざわざロンドンの専門学校行ったものの、お勤めする気ゼロ。
実家に戻り、専業主婦の母が何でもやってくれる。
家賃や水道光熱費の心配も皆無。

それに、お勤めしてストレス溜めるわけにはいかない。
横文字職業「ダイエッター」にストレスは大敵。
ジエイの、自営による、自衛の為の、その名も「フリーのダイエッター」。

日中はほぼ毎日家でゴロゴロ。
たまにスイミングとかエステ。(逆やろ、ダイエッターが!)
そして帰国報告を言い訳に、夜は色々な友達と出歩く。

毎晩ウロウロしてるうちに、同じくウロウロしてるキャバクラのスカウト衆と顔見知りになる。
「キャバクラが嫌なのではなく、働く気がない。」と断わってたけど、毎晩会うから毎晩断わるのが面倒くさい。

でもある晩、終電ないのに財布空っぽ、マクドでジュース1杯で始発待ちしようかと思ってた矢先にあの衆の言葉を思い出す。

「体験入店の日給は当日全額払い」

そして、いつもの角にいつもの衆がいたので、即体験入店決定。
そしてそして、生まれて始めて接客したお客様に指名をいただき、翌日の同伴約束もしていただいたので、本入店決定。
バイトも横文字職業の「ホステス」となる。

ちなみに、店内では「ホステス」とは言わず「キャスト」というのが一般的。
当時は「キャバ嬢」なんて言葉はなかったな。

本業に精を出すため、エステにもっと通うためにはお金が必要。
だからバイトにも精を出す。


就職する

2015-07-27 23:56:04 | 回想
一番太ったのはロンドンで専門学校に通っていたとき。

若気の至りで食欲旺盛な20~22歳、食生活が一転。
実家から離れて食生活が自由気ままになった、その食生活が欧米化だった。
そのせいで太った。

そもそも、体重計持ってなかった。
日本から持ってきた服が入らなくなって、前よりも「太った」ことには気付いていた。

でも「太ってる」意識がなかった。
前がガリガリ過ぎたんだと周りから言われた。
言われてるうちに、自分自身もそうだと思ってしまった。

なんせ、デブの基準が日本と全然違う。
服屋行っても、問題があるのは横サイズではなく縦サイズ。
日本人にはありえない太り方した人が、そこらへんにウヨウヨいる。

今関係ないけど、欧米人は日本人に比べて糖尿病になりにくいらしい。
日本人ならあそこまで太る前に糖尿病になって、その後は逆に痩せていくらしい。

半年経ったころに帰省したとき、両親に「そんだけ太ってたら心配ない。」と言われる始末。
異国から娘が痩せて帰ってきたら、どこの親もそりゃまあ心配するだろうけどそんな心配は我が家には皆無。
たった半年で体重は10kg増の49kg。

それ以来、帰省しても体重は測らなかった。
専門学校を終了して帰国したときに2年ぶり測ってみたら、なんとか49kg。
多分50kg代に突入していた時期もあったと思う。

そして「ダイエッター」という名の念願の横文字職業を手に入れる。




過食症との出会い

2015-07-26 00:03:07 | 回想
「過食症」ということばを知ったのは、高校生だった。

入学時から3分の1の体重になったクラスメイトが修学旅行中にクラスメイトが言った。
「一生食べないわけにはいかないから、食べるものは食べて吐く。」

不規則な食生活のせいで太ったバイト先の社員さんが言った。
「こんな生活させてる会社が悪いと思ってたけど、食べた後何もしてない自分が悪いことが分かったから吐く。」

阪神大震災で被災して避難所生活中に従姉妹が言った。
「今食べとかないと次いつ食べれるか分からないから、吐いてでも食べる。」