またたびエッセイ集

ふと心に刺さった棘のようなもの。
それをきちんとしたコトバにしてみたい。

夜に想うこと

2010年05月09日 00時29分48秒 | こころ
本音をどこまで人に話せるか。
人には、「直接知っている相手には却って吐けない弱音」 というものがあるだろう。
友人、あるいは 家族。 夫だろうが遠い存在だ。

私がどこの誰か
顔も年齢も何も知らない 
顔も知らない誰かが読むのは気にならないのに
知っている誰かに読まれるのはイヤな何か。
なぜ イヤか。

片鱗だけを読んで わかった気になられるのがイヤなのか?
先入観なしで瞬間的な真実だけが伝わるのは
むしろ見ず知らずの他人なのかもしれない。

日常に潜むほんのわずかなトラップに陥り
泥沼に沈む数日間というのがある。
うっかり「友人」に苦しい心の中を漏らしたとしても
何度も繰り返すうちにいつか「狼少年」扱いされるであろうような
そういう状況。

それを危惧するから案外知り合いには吐きにくい。
吐かないで隠す。

だから私に「深刻な状態」が訪れていたとしても
「友人」たちも家族も何も気づかないだろう。
「またいつもの狼少年だろ、放っておけば回復するんだから相手にしなくても」
そう思うだろう。
そして、たまたま私が ある日 ある「一線」を越えて転落してしまったならば
彼らにとってそれは
「青天の霹靂」
「まるでそうは見えなかったのに」
「なぜそうなる前に頼ってくれなかったのか」
とか なんとか いうのだろうな。



些細な出来事(外部から見れば)を引き金として
何度も何度も
似たような落ち込みと復活を繰り返した延長線上に
たまたま 
「とうとうバランスをとりきれなくなった」
そういう閾値越えは発生するのだと思う。

不幸にして越えてしまった過去の誰にとっても。


はたからは狼少年みたいに思われる、
そんなレベルのことの繰り返しの果てに
たまたま。
たまたま、その日に限って、
どうにも支えきれなくなって
ぽっかりとあいた暗い穴に転落する。

それだけのことなのだ。