哲学以前

日々の思索を綴ります

ティマイオス

2017-05-17 11:18:53 | 日記

『ティマイオス』を読んでいると弁証法的な発想が随所に出てくる。

やはりプラトンの著述は弁証法の宝庫だ。

中でも特に意識されるのが「善と悪との対立」。

そこから連想されたのが哲学に関する出隆の「智慧を求める愛の努力」という規定に「智慧を求める悪の努力」という対立事項を用意するということ。

出隆は果たして何を見つめていたのか?哲学の根本的規定に「愛」を用意したのは、それが元より「倫理=仲間のため」だとか「正義」だとかいった思想の上に成立していることを意味し、物理学や化学、医学といった知識が原爆による人類滅亡やサリンによる殺生、人体実験などに結びつくことを防止する、いわゆる「Mad scientist」や「Mad engineer」の出現を抑止しているということだろうか?

「さいりんぶんじ」や「なんごう」が出隆の規定を鼻で嗤うことが出来たのも、ひとえに勉強不足の浅はかな思考によるものなのだろう。

「智慧を求める悪の努力」とは如何なるものだろうか?

ナチスの科学技術、ムッソリーニのファシズム・ドクトリン、そして金正恩のミサイル開発?
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