阪神大震災から
29年目を迎えやす。
もう29年になるんや
記憶が次第に薄れていく中,
毎年1月17日に
朝日新聞大阪本社が作った
当時の新聞縮小版を
見なおしておりやす。
これは1月17日の夕刊。
近くにガス漏れがあったので
家族で中学校の体育館に避難、
夜遅くなって
パン1個が支給されやした。
翌日家族を
阪急西宮北口まで送って
京都の実家へ避難させやした。
インフラの普及は
電気、水道、ガスの順やった。
ガスの復旧は
近くの火葬場が優先されて
民家に届いたのは
桜が咲いてからやったと
記憶しておりやす。
29年目を迎えやす。
もう29年になるんや
記憶が次第に薄れていく中,
毎年1月17日に
朝日新聞大阪本社が作った
当時の新聞縮小版を
見なおしておりやす。
これは1月17日の夕刊。
近くにガス漏れがあったので
家族で中学校の体育館に避難、
夜遅くなって
パン1個が支給されやした。
翌日家族を
阪急西宮北口まで送って
京都の実家へ避難させやした。
インフラの普及は
電気、水道、ガスの順やった。
ガスの復旧は
近くの火葬場が優先されて
民家に届いたのは
桜が咲いてからやったと
記憶しておりやす。