医療と薬の日記

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疑似科学(ニセ医学)を否定しようとする人は、いったい何を攻撃しているのか?

2016-10-24 10:04:00 | 日記
これだけ科学が進歩した現代においても、疑似科学は社会から淘汰されてはいません。
疑似科学というのは、科学のフリをした「誤った考え方」のことです。ニセ科学、ニセ医学、トンデモ医療などと呼ばれたりもします。疑似科学に基づいた健康食品やその他の商品は至る所で販売されていますし(もっとも、健康になる訳ではないのですから、健康食品というのも変な話ですが…)、ヘンテコな治療法を駆使する困った人物も、探そうと思えば、あっという間に見つけることができます。

疑似科学・ニセ医学を否定する人たちがいます。それはそれは一生懸命になって否定しています。医師や理系学問の専門家といった科学のエキスパートの人たちもいれば、そうではなく、関連する情報や解説を読み、知識を身に付けた人たちもいます。
まるで、親の仇にでも会ったかのような覚悟と勢いで、ひたすら疑似科学を攻撃し、バカにし、否定し続けます。

難解な用語を並べ立て、時にヒステリックにもみえる否定派の人たちは、一体なぜ、そんなにムキになっているのでしょうか。
「科学的な正確さ・厳密さ」といった代物は、そんなにも重要でしょうか。効果があると信じて購入する人がいる、効いた気がする、それでいいじゃないかという意見も耳にします。
なるほど確かに、科学といえど万能ではありません。分かることもあれば分からないこともある。科学によって説明できなければすぐ否定するというのは、いくらなんでも心が狭すぎるのかもしれません。
しかし、彼らの主張に注意深く耳を傾けていると、彼らの真意が見えてきます。

疑似科学はそもそも、単なる「誤った考え方」に過ぎません。
一方で、疑似科学を好意的に紹介する人・販売する人には感情があり、意図があります。

「科学的であるべき」と考える人にとって「疑似科学に基づく商品」は、考えれば考えるほど、効果が見込めないものですから、人に勧めたり、好意的に紹介したり、ましてや人に高値で販売するべきものではありません。
これとは対照的に、商品を好意的に紹介する人は
「使った人が効果を感じたらいいじゃないか」
「自分がよかったと思ったから紹介しただけ。目くじら立てて怒るほどのこと?」
といった様子です。
彼らは基本的に、思考を重ね「効果があるのかどうか」を判定しようとする労力を、面倒くさいと思ってしまうタイプなのかもしれません。あるいは、神秘的なものを好み、科学に「権威」を感じて遠ざけるといった性格的な傾向があるだけかもしれません。

「分からないけれど、とりあえず使ってみる」これ自体は単なる「誤り」です。しかし、周囲の人々に好意的に紹介する、販売する、アフィリエイトで収入を得ようとする人たちの行為には、これとは根本的な隔たりがあります。
彼らはつまるところ、「勧めようとする相手のために」思考を重ねたり、慎重に考えるのが面倒なのです。販売することで自分に利益が転がり込むのであれば、相手への気遣いや罪悪感といった感情を脇に置き、喜んで思考停止を受け入れる人々だといえるかもしれません。

疑似科学を批判する人たちは結局、そういった「誠実さに欠ける人物」に対して怒りの声を挙げ、「そういうことはやめろ。みんな、こんなヤツらは信用ならないぞ」と叫んでいるのですね。
商品を好意的に紹介する人物が、批判をのらりくらりとかわしつつ、自分には悪意はない、そもそも、そんなに詳しくないのだと主張するのを目にします。それにも関わらず、その人が書いたブログの文章は、法律(国の認可を受けていない商品の効能効果を謳ってはならない)に抵触しないよう、とても巧みに記述されていたりするのですね。
「なんだ。ちゃんと洗練された確信犯じゃないか」とガッカリしてしまいます…。

怪しい健康食品やニセ医学の界隈でよく目にする、「好転反応」という言葉があります。
使用してもよくならず症状がひどくなった。副作用らしき症状が発生した。しかしそれは、治療効果があることの証明であったり、体の中の毒素が排出されるから起こる症状であるといいます。もちろん標準的な医療にこのような考え方はありません。

この考え方こそ、疑似科学やニセ医学を提供したり、好意的に紹介する人たちのキャラクターを、とてもよく表しているのだろうなと感じます。
こうした商品や治療に効果がなかったとしても、別に何の不思議もありません。ちゃんとした医薬品や標準的な医療を利用すればよいのです。効果がみられず悪化したり、副作用が発生している利用者を目の前にしてなお、自分たちが提供する治療法に疑いの目を向けられたくない、金銭的な利益を手放したくない。もしそのような気持ちがあるのだとすれば、健康被害はいつ発生しても不思議ではありません。

疑似科学は単なる誤りに過ぎません。
ほんの少しの金銭欲、罪悪感の欠如によって疑似科学やニセ医学は影響力・説得力を持ち、そしてその説得力を背景にして、被害は繰り返されているのです。
被害を引き起こすのは結局、人なのですね。

ちょっとした悪意や誠実さの欠如、無責任に対して敏感になりましょう。誠実な社会を作るべきという価値観を、なるべく多くの人で共有したいものです。

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2 コメント

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代替医療=ニセ医学? (zaurus)
2016-10-25 15:43:54
疑似科学、ニセ医学 という言葉じたいが、否定派の視点からの言葉ではないでしょうか?
たとえば、代替医療の古参であるホメオパシーの実践者がホメオパシーを疑似科学とは呼ばないと思います。同じように気功療法の実践者が気功を疑似科学、ニセ医学とは言わないのではないでしょうか?

そもそも “疑似” とか “ニセ” を冠したものを標榜したり、擁護したりするひとはいないのではないでしょうか?それらを冠したものがダメなのは当たり前ではないでしょうか?

せっかく、いわゆる疑似科学否定論者の不寛容ぶりを問題視する数少ないエッセーでありながら、疑似科学否定論者の発想の枠組みの中にとどまっているのがとても残念です。

そこを飛び出して、疑似科学やニセ医学ではなく、もっと実際的な “代替医療” というカテゴリーをテーマにして別に書いていただけたらと思います。よろしくお願いいたします。
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Unknown (小波盛佳)
2018-08-08 07:11:38
とても丁寧な説明で、分かりやすいですね。途中まで「あれ?」と思いましたが、最終的に明快に疑似科学をばっさり切るという展開がすばらしい。私は工学技術における疑似科学に関心がありますが、健康関連ではだましやすいのか、ひどい疑似科学が横行していると感じます。
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