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ドレスデンからライプチッヒへ

2008年08月30日 | その日その日
■ICEでドレスデンからライプチッヒへ
昨日の朝8時55分発のICE1640号でドレスデン中央駅からライプチッヒ中央駅に到着した。DBの誇るドイツ版新幹線ICEは70分ほどでザクセンの州都から学術の街ライプチッヒまで運んでくれる。ICは客車特急だったがICEは立派な新幹線。日本で言う在来線型の新幹線である。普通のホーム,普通の線路を走る(線路の幅が元々広いからできることなのだろう)。フランスのTGV同様,時々遅くなるが概して速い。日本の新幹線と比較してあまり疾走感がないのは車窓の風景がどこまでも続くような牧草地なのでスピード感が狂うのかも知れない。
相変わらず静かで安定した走りである。ちなみに,車掌は必ず検札に来る(笑)。


駅前から見たライプチッヒ中央駅

ライプチッヒ中央駅はヨーロッパの駅によくあるように,行き止まりになっている櫛形の駅だ。列車は折り返すように逆方向に出て行く。ここはドイツでも最大級の駅だ。駅は古色蒼然としたものだが内部はショッピング・モールになっている。しかし,そんな大きな駅なのにトイレが1か所しかなくしかも有料,しかも高い。ドイツ的で簡潔な案内サインがあるが少なすぎて目標に到達できない(ようにしてあるとさえ思える)。1階の出入り口は木製の重厚な扉なのだけれど,片側しか開けていないので通行に不便。この駅は何を考えているのだろうと思った。


ライプチッヒ中央駅構内。なかなか賑わっているが。。。


ライプチッヒ中央駅構内に展示してあったSL。4軸の貨物用と見た。日本のSLより恰幅がよく重厚だ。
鮮やかな赤い車輪が目立つが,そのそばでもっと派手な髪の毛のおねえちゃんがたむろしていた。

■ライプチッヒ市内で
駅を出てみると,ドレスデンより広い大通りになっており,その先は市電の駅,その奥は古い建物が建っているが,どことなく古くもなく新しくもなくという中途半端なテクスチャー。市電も青色で旧式が目立つし,音もうるさく遅いようだ。ドレスデンの市電の敵ではない。全体的に感じるのは旧東ドイツ的というか,社会主義的というか,遅れているというか。。。旧東ドイツの状況を知るわけではないから確定的なことは言えないが旅行者としてはそう感じる。そう言えば,駅のスーパーでも店員が横柄だったから,これが官僚だったらさもありなんだろう。駅前のビルも落書きで汚れていたり廃業したホテルがそのままお化け屋敷になっていたり,クレーンの数がドレスデンより多かったりで荒廃という言葉も胸の中に滑り込んできたりした。


地下道の落書き。東京でも同じようなものだが。。。

さて,以上が昨日のライプチッヒの第1印象。旅の疲れも重なってか,この街は好きになれないかも知れない。ドレスデンは州の中心であるし,古都ということもあって市民は鷹揚だしホスピタリティも持ち合わせている。しかし,ライプチッヒは。。。と比べてしまうことになる。
今日は仕事を午前中で片付け,午後からはフリーにした。今日は土曜日でもあるし,出張に出てから1日も休みがなかったことだし。

■グラッシー楽器博物館
もちろん,ライプチッヒではバッハの働いていたトマス教会に行くことが最大の目的であるが,はやる心を抑えてまずグラッシー楽器博物館に行った。ここも是非行ってみたかった場所なのだ。ここにはライプチッヒ大学が管理するたくさんの古楽器が展示されている。素晴らしいコレクションだ。本でしか見たことのないルネサンスやバロック時代のオリジナル楽器がずらりと並んでいる。見ていながら涎が垂れてくるのが分かる(笑)。中には見たこともない珍しい形をした弦楽器があって興味深かった。


館内での古楽アンサンブルの練習風景。チェンバロの音が意外と大きく豊か。
この博物館ではコンサートもあるし,自分で弾くこともできるらしい。時間があればなあ。。。

ここで初めて知ったのが,バッハがこの地域の楽器職人と交流があったということ。想像するに,バッハはそれらの職人と共同して楽器の改良,新しい楽器の開発などを試みていたのではなかろうか。それは彼の作品にも反映されているわけだから,研究が進めば使用楽器の特定にも繋がるのではないかと思うが,どうだろう。それにしても,バロック時代の楽器の多様性には改めて驚かされた。

■メンデルスゾーン・ハウス博物館
グラッシー博物館に近い場所に建っているので見学した。メンデルスゾーンはバッハ復活の恩人でもあるし(笑)。
ゲヴァントハウスから歩いて数分で,ここで音楽活動していたメンデルスゾーンにはほどよい距離だったのだろう。簡素な建物でライプチッヒで活動した彼の部屋や遺品,楽譜や彼の描いた水彩画などが展示されている。受付で日本語の解説書を渡してくれた。
実は近所にもうひとつ,シューマン博物館があるのだがこちらは惜しいことに失念してしまった。


メンデルスゾーン・ハウスの庭の胸像。ちょっとなあ。。。

■聖トマス教会
メンデルスゾーン・ハウス博物館から歩いてリンク通りを渡り,へんてこりんなデザインのゲヴァントハウスを左にオペラハウスを右手に見て歩いていくとやがて右手に旧市庁舎(Rathaus)が見えてくる。きれいな建物だが市当局とあまりうまく行っていなかったバッハにとってはどう見えたことだろう。そこからトマス教会は目と鼻の先だ。


旧市庁舎と広場背後には例によってクレーンがニョキニヨキ。


トマス教会前の公園。普通の市民生活がある。


バッハが約30年間勤め上げたトマス教会。
出張前にはグーグルで上空から失礼させていただきました。


とうとうお目にかかれました。教会裏手のバッハ像。
28㎜レンズではこれが精一杯。


バッハ像を見上げ説明を聞く団体さん。バッハの背には光背代わりに
パイプオルガン。う~む,ご本尊様(宗旨が違うだろう(爆))。


バッハ像のそばで演奏する女性。聞いている人は少ない。
地面も周囲も石造りだからよく響いていた。チェロも聴きたかったなあ。。。

さすがに教会の前は多くの人々,例によって団体さんが目立つ。日本人はほとんど見かけない。バッハの像の前に陣取ってガイドから説明を受けているグループもいる。もちろん,記念写真を撮る人も多い。しかし,その中にどれほどバッハの音楽を聴いたことがある人がいるだろうかと思ってしまった。

バッハ像の横でヴァイオリンを弾いている女性がいた。もちろん,バッハだ。まあ,上手な方なので1ユーロ差し上げた。ドレスデンにもヴァイオリン弾きがいたが,こちらは『タイスの瞑想曲』などを下手に弾いており感心しなかった。この点,さすがはライプチッヒだ,さすがはバッハのお膝元だ,と思ったら,いきなりヴィヴァルディの『四季』を弾き始めた(笑)。。。

さて,昼もだいぶ過ぎたのでちょっと横丁に入り,ガイドブックに従って(ミーハーかも)パウラーナーというカフェで軽い食事をする。相変わらずメニューと現物が一致しないので慎重に注文した(笑)。ドイツらしいソーセージ料理を頼みたかったのだが出てきたのは黒こげウィンナー数本(爆)。う~ん,またしてもやられたか,とビールを飲む。こちらも本場物のビールらしいが,ドレスデンで飲んだビールにはかなわない。あれはやはり天使のビールだったのだ。。。


パウラーナーのビール。ミュンヘン系のビールらしい。
ドレスデンのビールが第3ポジションならこちらは第1か開放弦の味。
まあ,本人もよく分からないのだが。。。写真の奥にトマス教会の屋根が。

■トマス教会でバッハを聴く
適度にお腹も満たされたので,再びトマス教会に戻り,午後のモテット(と看板に書いてあった)の演奏会を聴きに内部に入る。既に信じられないくらいたくさんの人が座っており,バッハ人気の高さに驚いた。たかが観光客目当ての演奏にこれだけの人が入るのかと,さすがドイツ,さすが東独,さすがはライプチッヒだと思いつつ,初めて見る教会の内部に目をやる。天井は高く一部赤く塗ってあるので余計に高さが強調される演出だ。ここがバッハの職場だったのかと思うと心に染みるものがある。


トマス教会での私の席から。左手奥にオルガンと合唱団。
書見台に置いてあるのは寄付のお願い。


トマス教会の内部(演奏終了後)。この空間でバッハも働いていたのだ。

やがてオルガンが響き演奏が始まった。バッハの『前奏曲とフーガ,ハ長調,BWV547』。教会の中で初めて聞くオルガンの音だ。教会の空間全体にオルガンの響きが満たされるようだ。が,オルガンには横を向いた形になり,少し引っ込んだ席だったためか,少し物足りない感じがした。しばらくオルガンと少年合唱団の音楽に静かに耳を傾けた。
ところが,曲が終わると説教が始まった。もちろん,ドイツ語。僅かな単語しか分からない。次は何とバーンスタインの『チチェスター詩編』を演奏。この作品も付属の少年合唱団が歌っているのだがこの声も美しかった(開始前はメンバーが木戸銭を取っていた。ハリー・ポッター似の少年であった。数人の合唱団員の何人かが座っている親(と思われる)席に来て何やら会話していた。日本でもよく見かける微笑ましい光景だが,バッハの音楽が生きているということか)。

■わたしのバッハ詣で
1時間ほどかけてすべての演奏が終わった後に,いきなり全員が起ち上がった。つられて私も起立(笑)。何が始まるのかと思ったら,聖書の唱和である(主の祈り)。文はパンフレットにも書いてあるのだが,ほぼ全員暗記。さっきまで寝ていた人も参加している(笑)。教会を揺さぶるようなバリトンやバスが響いてくる。先ほどのオルガンよりもよほど迫力がある。これは完全な宗教行事ではないか。モテットとは音楽の形式ではなく別の意味があるらしい。私はバッハに釣られて紛れ込んだだけだったのだが(笑),お陰でバッハの時代もさもありなんという雰囲気を体験できたわけだ。

だが,待てよ。生前はお互いに対立したこともあったバッハ,教会,市当局だが,現在はそのバッハが大いに集客に利用されているのではないか。短気で保守的なバッハだっただけに宮仕えは大変だったろうと思うし,実際,苦労したのだろうなあ,悔しいだろうなあと思わずにはいられなかった。ここで眠っているバッハ自身はどう思っているのか聞いても答えは返ってくるはずもないのだが,あの顔に(笑)皮肉な笑いを浮かべているような気がした。
少し複雑な感慨を持って,私は彼の墓の前で頭を垂れ,ささやかな灯明を献じた。


バッハが眠る墓。1950年に墓地から改葬されもの。
演奏前に少年合唱団代表がヒマワリを献花したのでバッハの名前が隠れてしまった。


私も一灯を献じた献灯台。

コンサートで疲れたので,教会前の有名なカントラーというカフェで休憩した。有名なバッハ・コーヒーとバッハ・トルテを注文したときはさすがにウェイトレスに笑われた。私も笑う他はない。そしてお土産にバッハ・ターラー(チョコレート菓子)を買って帰ったのは言うまでもない。


バッハ・トルテ。まずくはない。

注1:トマス教会の隣のバッハ博物館は改装のため閉館状態です。再開されればまたライプチッヒに少なくないお金をもたらすことでしょう。


改装のため休館中のバッハ博物館(右端)。ほんの一部だけ展示してありました。

注2:バッハの顔の復元が報じられていたのですね。CGを元に復元されたのはスコットランドの大学の先生。現地に行くまで知りませんでした。記事中の「故ヨハン~」という表現が奇異(笑)。顔は,まあ,想定内のでき,かな。ただし,カツラの型が違うのではないかと思う。

■アウアーバッハケラーにて
トマス教会を後にして,すぐ近くにある有名なアウアーバッハケラーという酒場で早々に夕食にした。ここはゲーテ(ライプチッヒ大学校友)が学生の頃飲んだ店ということで有名なのだけれど,それはどうでもいいからおいしい肉が食べたい一心で入った。そんなに古ければバッハも食事に来たのではないかと思うが,そういう文献は読んだことがない。店内も改装したらしく明るくなっているようだ。記念にカメラをビアグラスの上に置きタイマーを使って自分の写真を撮っていたら,隣のテーブルのお父さんが見かねて撮ってくれた(笑)。Vielen Dank!(だが,私はストロボを使わぬ主義なので見事に失敗していた)
残念ながら料理はまた外れ。ビールはもちろんドレスデンを凌ぐものではなかった。
まあ,トイレも行けたしいいや,と思いつつ今日の日程を,そしてライプチッヒでの全日程を終了した。


アウアーバッハケラーの店内。老若何女,様々なお客が入ってくる。前のテーブル席の女の子,がっつり寝てますなあ。。。(ドイツにもお子様椅子があったのですねえ)
上品な店なので,飲めや歌えやという雰囲気はない(笑)。バッハもここで食べたのだろうか。いや,ケチな彼のことだから。。。

■ライプチッヒの夜の慰め
ホテルに帰って荷造りを済ませベットに横たわった。私は仕事の傍らではあるが,バッハの最期の地,ライプチッヒに彼を偲ぶことができたわけだ。が,その結果はどうだっただろう。

トマス教会は観光名所になっており,バッハも有名人であることは間違いないのだが人寄せパンダみたいなものではないのか。日本にいるときは,バッハ好きな私もライプチッヒの地を踏めば,そしてバッハの墓を訪れれば,恐らく,憑き物が落ちるようにバッハ熱が冷めるのではないか,あるいは,自分なりにひとつの区切りがつけられるのではないかと思っていた。トマス教会に来てからも,その前も私はあまり熱心なバッハ崇拝者ではなかったが,あの時代に,この場所で音楽活動をし,生活の資を稼ぎ,友好関係を築き,あるいは闘争した彼の心中をほんの少し察することができたような気がする。その意味で,一個の人としてのバッハに,より深い興味を抱いてしまったようだ。私のバッハ探求は終わるどころかこれから始まると言ってもいいのかも知れない。

できれば,再度,今度はライプチッヒだけでなく,生地のアイゼナッハやケーテンなど彼の足跡を辿る旅をしてみたいものだと思う。
(本日の歩数:約7,500歩)


トマス教会のすぐ先にあるバッハの記念塔。1837年にメンデルスゾーンによって建立された。
ここを訪れる人はなく静かだった。

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