(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2013年3月4日号 掲載
■21世紀の会社像 反発おそれず提案
バブル経済が膨張していた1980年代の終わり、在職していたサントリーで21世紀の会社像を描いた。88年8月に企画部の課長となり、若手部員を率いて、半年余りかけて「“夢”2001」と名付けた将来ビジョンを策定する。
主眼は「脱?ウイスキー依存」だった。当時、焼酎ブームに火がついて、ウイスキーの売上高は下り坂となり、業績が落ちていた。財務部から経営戦略を立てる部門へ異動し、「この会社は、10年たったら、どうなるのだろうか」を探る。
頭には、酒類事業を立て直そうというだけではなく、会社の軸を製品というハードからソフトへと移せないかとの思いが、強くあった。その結果、ビジョンは、大胆な内容となる。2001年の中核事業として5分野を示したなかで、第一に置いたのは「コミュニケーション」。次いで「健康?ライフサイエンス」「エンタテイメント」とし、創業以来の大黒柱である酒類は4番目、食品は5番目にしか出てこない。
当然、社内の大半が反発した。多角化は、伝統的に嫌いではない社風だったが、「これは、許せん」との声が広がる。決して製品を軽視してはいない。ただティンバーランド アウトレット日本人の生活様式が変わり、高齢化や国際化が進み、「生活ソフト」というような領域が大きな地位を占めていく。酒類事業が中心の会社であっても、その周辺に「生活ソフト」は広がっていくはずで、そこへ攻め込んでいく。そう考えて、心が命ずるままに書いた。
取締役会で説明したが、冷ややかな空気が流れていた。いまでもよく覚えているが、部屋の向こう側に、90年まで社長を務めた佐治敬三さんがいた。説明など全く聞いてない様子で、何かメモを書いては秘書に渡している。ところが、説明が終わると、パッと手を挙げ、前向きな質問をしてくれた。それで議論が進み、最後に佐治さんが「ええやないか」と言って、了承された。満40歳が近づいているときだった。
実は、ビジョンは「佐治敬三になったつもり」で書き上げた。社内には、優秀な人がたくさんいる。そういう人たちを論破できるとしたら、何かあればいいかと考えたら、「サントリーは同族会社。普通の社員は社長にはならないし、長く社長をしてきた佐治さんが断トツの存在だから、社長になった気でものを考えている人はいない」と思う。いかにすれば、憧れの佐治さんのように考えることができるか。子どもがウルトラマンになったつもりで遊んでいるように、自然な気持ちになれた。
新入社員のころ、大阪支店で輸入したウイスキーやワイン、果実酒の営業をした。ホテルなど大きな販売先は別の課が扱っていて、自分たちは比較的小口の領域を受け持った。職場は開放的で、「仕事は自分でつくっていこうや」との気風に、あふれていた。売り上げ目標は厳しかったが、この時代に、自分で「何をやるか」を考えて、自らに「何をしたいのか」「なぜやるのか」と問いかけてすごす。
いま、それを「Will」という言葉に置き換えて、若い社員たちに語りかける。自らの意思と向かい合えば、答えは、必ずみいだせる。そう、教え続けている。
ビジョンを書いたときも、社内では少数派だったが、「何をしたいのか」「なぜしたいのか」を考え抜いて、答えを出した。「脱?ウイスキー」は、決して敗北宣言ではない。あくまで次へのステップだ。自分の「Will」はそうだった。
「不昧己心、不盡人情、不竭物力」(己の心を昧まさず、人の情を盡くさず、物の力を竭くさず)――自分の心を偽らず、他人の情をいつまでもむさぼらず、物は役に立たなくなるまで酷使するなといった意味で、余力をもって臨むように説く。中国?明の洪自誠の書『菜根譚』にある言葉で、良心の命ずるままに生きる大切さ、人の情もほどほどで辞退する思慮深さ、何物もすり切れて使えなくなるまでにはしない注意深さを求めている。自らの思いに正直に生き、ゆとりを忘れない中山流は、この教えに重なる。
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