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2 コメント

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空間(境界)覚書 (ウルトラのW)
2009-01-17 16:43:37
空間(境界)という語において言語は何を語るのか。そこでは 空けることが 語りだす。それは森を開墾し荒地を切り開くことを意味するのである。
空けることにより 自由な場所が開かれる。空けることは 人間が移住し居住する開けたところを もたらしてくれる。
空けることは それに固有な事柄を思えば さまざまな場所を開放することである。そのように開かれた場所のうちで そこに住まう人々の運命が 故郷に留る幸運や 故郷を喪失する不幸へと さらには こうした幸運や不幸に対する無関心へと そのつど変転する。
空けるとは 場所をもたらす開放である。空けることによって 神なるものが現れる場所 そして 神的なものの出現が久しく滞るあの場所が 開かれる。
空けることは 人々がそのつど住まいを整える居所をもたらしてくれる。そのような世俗的空間は 聖なる空間の喪失であるが 世俗的な空間を遡れば しばしば遥かに 聖なる空間が見出されるのである。
空けることは 諸々の場所を自由に開放することである。
空けることを通じて ひとつの出来事が語りだし 同時に 自らを蔽い隠す。空けることに固有なこの性格は いとも簡単に見過ごされてしまう。そして 仮にそれが見届けられてはいても 空間の特徴を述べるあらゆる指摘をあらかじめ支持する空間として とりわけ あの物理技術的空間が通用するかぎり この正確を画定することは困難なままである。

空けることは どのようにして 出来事となるだろうか。それは 空けわたすことであり しかも 受け入れながら整えるという二重の仕方で 場所を空わたすことではなかろうか。
空けわたすことは まず 何ものかを容認する。そのようにして さまざまな開けの働きが許容される。空けわたすことにより とりわけ 人間の住まいと深く関わるさまざまな事物が顕わるあの現前がゆるされる。
つぎにまた 空けわたすことにより 諸々の事物がそのつど帰属すべき場所が用意され それらが相互に所属しあう可能性が整えられる。
この二重の空けわたしにおいて 諸々の場所が授けられる。そのように 場所を授けるということが
この出来事の根本性格なのである。しかしながら 場所を開放する空けわたしというこの道しるべから 場所に固有なものを規定すべきとするならば 場所とは いったい如何なるものか。
場所は そのつど ひとつの境域を開く。さまざまな事物が 相互に呼応しながらひとつの纏まりとして この境域に集められる。
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コメントありがとうございます (obata)
2009-01-17 21:59:09
うぅぅぅ…
読めば読むほど味が出ますね。
作業の合間のたびに読み込んでいきたいと思います。
ひとつ、この文章でドキっとさせられたのは…
今ある建築がなくなることで生まれる空間。その空間のことを一番言いたいのに、その作業に集中出来ていないことです。

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