我が家の鏡を見ているときにゃ全く感じていなかったんだが、先日、理髪店の鏡の前に座ってみて驚いた。
な、なんという髪の白さ、というか、黒い髪の中に白いものが目立つこと、目立つこと。
ぇえっ、いつの間にこんな白さに!と思わず素っ頓狂な声を上げてしまったんだが、すかさず床屋のおかみさん曰く、「あるだけいいじゃないですか。」
慰めにも説明にもなってないんだが、まぁ床屋的にはそうなんだろうなぁ。髪の毛が無くなってたら客としての資格がなくなるんだからなぁ。
そういえば、髪ふさふさの若い頃は外人、とりわけ白人の女の子とお話しをしたいという下心満載で英会話を習得し、まぁそこそこ願いは達成していたことがあったんだが、その娘(エリザベスなんちゃら、愛称は「ベッツィ」)が泣きながらも帰国してしまい、それっきり英会話というものはほとんど使う機会もなく、いつの間にか英会話なんて無縁になってしまっていた。
言葉ってぇもんは使わなければ忘れてしまう、っちゅうのは鍛えていなけりゃ弱ってしまう筋肉みたいなもの(部屋の片隅に20kg×2個のダンベルセットが放置してあるんだが、これ、片手で20kgのダンベルを軽々と何回も持ち上げて鍛えてたってことだよな。今じゃ両手でも重くて持つ気にもならねぇ・・)で、同じように、自然を記述する言葉つまり「数式」も、長い間疎遠にしていると使い方を忘れてしまうものだ。
三角関数は何とかいくつかの公式などを思い出すことができているが、微分積分の、とくに積分の方法や微分方程式、偏微分方程式など、全く手が出ないほどに、ほぼ完璧に忘れ去ってしまっている(涙)。
ましてや、波動方程式とか群論とかテンソルとか、きれいさっぱりと頭の中から消え去ってしまっている。
使う機会も必要性も無かったんだから仕方ないこととはいえ、昔の駆使していた頃が、何故か今になってはメッチャ懐かしい。
まぁそんな訳で、今は何とかほそぼそと「ヨビノリたくみ」(あるいはヨビノリたくみ)とか、「鈴木貫太郎」(あるいは鈴木貫太郎)とか、「川端哲平」(あるいは川端哲平)とかのサイトを「眺め」ながら、数とか数式とか図形とかいうものの奥深さについて再認識をしている日々を過ごしている。これが結構、奥深くタメになり、得心させられたりもする。
一度、「数検(数学検定)」などを受験してみて、どれだけ忘れちまってるのか確認しようとも思ったんだがが、「検定過去問題」を見る限り、「2級」より上は、現時点では全く歯が立たないようだ。トホッ。(ひょっとしたら「2級」だってあやしいかもしれない・・・・)
ときどき、こまやかにかついぶかしげに「いつもネットでなに見てるの?」などと聞かれることがあるんだが、普段はただボケーッとネット・サーフィンしてるんだが、たまにはいろいろと考えさせてもらいながら、ときには鉛筆を走らせながら、上記のような、ある意味、知的なサイトも見ている訳なんだが、これがまぁあ時間の経つのが早いこと、早いこと。あっという間に人生、終わってしまうんだろうなぁ、などと余計なことまで思ってしまう速さである。
そういえば、久しぶりに壁掛け時計などを買ったんだが、いままで掛かっていた電波時計がしょっちゅう止まったり時刻が狂ったりしていたので、昔ながらの単純なものを購入してみた訳だ。
そのレトロチックな掛け時計だが、1秒毎にコチコチと音を立てる代物で、久しぶりにこのような音を出す時計に出会った訳だが、この「コチ、コチ、・・・」という音、ひがみ根性かもしれぬが、「さぁ、残り少ない最期のときまで数えてやるぞ、コチ、コチ、コチ・・・・」と言っているような気がしないでもない。心臓の鼓動とシンクロしているようなところが辛いところだ。
具体的に数えられる数字であることが現実味を持っているので、覚悟を迫られているのだろう。
そして、その後は、「還る(2014年07月27日)」でコメントしていたとおり、地球の「土に還る」というか、もっと汎用的に言えることは、「『死』とは、元の『宇宙』という場所に還るだけのこと」だということである。
「土に還る」というのは「埋葬」からの比喩なんだろうが、「火葬」して分子レベルにまで分解した細胞などは、その細胞などを構成していた分子・原子が、いつの日にか巡り巡って誰かの細胞や遺伝子として取り込まれていくことになるだろう。
それが、現代風に解釈した「輪廻」ということなのだろう。
きちんとした生き方の考え、小さくとも理念に基づいた「志」、そういうものを日ごろから持ち合わせていないと、創〇学会(仏教系)とか統一教会(似非キリスト教系)とかの宗教という名の集金詐欺にまんまと陥ってしまうことにもなりかねないのだ。そぅかそぅか・・・・
人類救済を謳うキリスト教が最も多く戦争をし、最も多くの人類殺戮をしてきた歴史も、きちんと認識しておかなかればならない。
そのキリスト教徒らしい発言が下記。
あの国のアホんだらが常日頃思っていたであろう発言を公表してしまった。
ここに、あの国が広島・長崎そして多くの空襲に対する本音が垣間見える。
とにかく、阪神淡路大震災での自衛隊の多くの救出活動の実績が報道される以前は、自衛隊といえば暴力装置だの人殺し集団だの憲法違反組織だのと、8割以上の国民は否定的な見方をしていた時代だということが背景にある。
(参考) 石川県立図書館SHOSHO