Bosoっ

日々考えていることをつぶやいてしまうブログです。

愛車と海をこえる

2006年07月19日 | Weblog
「引越し」を目前に身も心も多忙になり、ヘロヘロの毎日です。
今日は仕事中は、あまりイスにすわらない私も、おもわず何度もへたって座り込んでしまいました。

今回の”お引越し”は、愛車とともに海をわたらねばならない。
渡ったあとも全ての道が見知らぬ道です。
おまけに上陸後も目的地まで近くない。てか、遠い。道知らない。
愛車=わたしの愛馬のようなものなんで。
車と一緒でない苦労より、車と一緒にする苦労を選びます。

今まで、吹雪の中の峠越え、豪雨や強風の中の高速走行と、修羅場をくぐり続けてきたわたしですが、今回は最大の修羅場を乗り越えることになりそうです。

やっぱ、ナビ買おうかな・・・。
ETCも搭載しなきゃ・・・。

というわけで、当分ブログ休みます。
再開は8月1日くらいになりそうです。

その頃にはハーツクライもキングジョージで優勝し、ディープも欧州におでかけになっていることでしょう。
あぁ・・早く全てすんで落ち着きたいです。(ためいき)

移送がきまりました。

2006年07月15日 | Weblog
わたしは、ただいまリストラ受刑中。
7月26日付けで、宮○県岩○刑務所から、札幌刑務所への移送がきまりました。

いやー、宮○県の岩○刑務所は辛かったです。
わたしが、本物の犯罪者と勘違いされないよう、ホントのところをいいますと、岩○刑務所とは、某大手流通企業の物流センターのことです。

ここには、不運にも「上司ににらまれてしまった」人が若干名集められています。
会社としては、「ここに送ればやめるだろう」と思って送るのでしょうが、そこがこの会社の読みの甘いところでしょう。

送られた人たちはすっかり気楽な環境に順応し、もう前の職場には戻りたくないとさえ思っています。

ところが一人決して順応せず、定期的にあばれている女がいました。
それが私です。

この職場の顔ぶれはこうです。

センター長の○藤○男
温厚だが、めんどうくさいことが大嫌い。
職場妻の佐○木○子を頼りにしている。
それ以外の従業員は、リストラにより自分におしつけられためいわくな”奴隷”か”囚人”と思っている

自称”センター長の職場妻”の佐○木○子
センター長とはアカの他人だが、なぜか、センター長のことを「おにいちゃん」と呼ぶ。
センター長を見る眼はうるみ、接する態度は恋する女そのものだ。
(わたしのように)汗まみれ、誇りまみれになって作業をするなんてこの女にとってはもっての他だ。
常にセンター長のソバで秘書業のような仕事を一手にひきうける。
好きなものは、「会社」「男」「人の悪口」
この女の悪口は”量多い””声でかい”
センター長以外の人間は、「自分とセンター長が自由にできる奴隷」と勘違いしている。

自称”伝票入力は俺がやる”小○原
パソコン音痴だが、早打ちゲーム感覚でできる伝票入力は”俺の仕事”と決め、誰にも譲らない。
気分がいいと浪曲のような歌を口ずさみ、それが胃を不快に刺激する。
大好きな伝票入力作業が完了すると、喫煙ルームと職場を往復し始める。
伝票入力ができる→自分はパソコンがうてる→自分は時流にのっている
という重大な勘違いをしている。時流にのっていると思いこんでいるので、ディープインパクトの名を時々口ずさむ。
この男が観戦にいった有馬記念でディープははじめて敗北している。

”権力にへつらう犬”猪○和○
大きな感電事故から生還したものの感電が脳に影響を及ぼしたのか、全く仕事をしないし、できない。しかし、権力のあるものに擦り寄って生き残ろうとする本能は、野生動物なみに鋭く、その策略は「仕事もこのようにやればいいのに」と思うほど見事だ。自分に有利になる人物には、犬のようにへつらうが、自分と同等か下のものには、いばりちらす。マテラッツィも真っ青な侮辱は日常茶飯事だ。

黙々と刑務作業をこなす益○さん、○沢さん、山○さん。
わたし同様、作業を黙々とこなす。なんでも上記連中の思いどうりになる”奴隷”と思われている疑いがある。

しかし、わたしは抵抗し続けました。
”奴隷ではない””わたしを好き勝手にはさせない”と。

ということで、常に不穏な態度のわたしに、センター長のさらに上の偉い人がいいました。

偉い人「ここに馴染もうという努力をせよ。」
わたし「馴染んだら生き物として終わりです。それはできません。」
偉い人「ここの雰囲気が悪くなるじゃないか。移送してやる。」

この状況をプラスにするのはわたし次第。
自堕落な私ですが、そうできるよう頑張ります。
時間があまりたくさんない。毎日緊張してがんばらねば。
冷蔵庫に栄養ドリンクを常備してでも。

おじさんのお葬式

2006年07月11日 | Weblog
7月9日の未明に、うちの母の兄、つまり私のおじさんが亡くなりました。
ということで、今日はそのおじさんのお葬式でした。
おじさんの住んでいるところは、田舎中の田舎です。
そしておじさんの仕事は農業です。
小さな田んぼや畑を細々と耕し、冬には近所の工場などにバイトにいっていました。
おじさんは、無口で、すごくいい人でした。
わたしが子供の頃には、おじさんの家に遊びにいったわたしたち兄弟に、そっとおこずかいをくれました。
母のわがままはなんでも聞いてくれました。母が「山菜がほしい」というと、バイクに乗って、さーと山道を駆けていき、たくさんの山菜をかかえて戻ってきてくれました。
母と姉がおじさんの家に遊びにいくと必ず「暗くなるとあぶないから、早く帰れ」というのが口癖でした。

ところが、このおじさん、本当に病院ぎらいだったということで、癌が全身に拡がり、手が付けられなくなるまで放置してしまったのです。
痛かったでしょうに、無口でがまん強いおじさんは、じっとこらえてしまったんです。

お友達がそんなおじさんを無理やり病院にかつぎこんだ時はもう、余命、長くて1カ月という状態でした・・・。

おじさんのお葬式は、談笑の中、なごやかに始まりました。
しかし、おじさんのお友達の弔辞で、涙、涙のお葬式となりました。

<弔辞要約>
一郎(かずろう)くん、君がバイク事故をおこしたとき、なぜもっと万全の検査と治療をしていなかったのかと、僕はそれが悔やまれてなりません。
どうやって身につけたのか、君の指圧やお灸は本当によく効きました。
君は、友達が痛かったり苦しかったりすると、痛いところをさがしあて、本当に良くなるまで懸命に指圧をして、治してくれました。
人のことになると、そんなに的確に痛いところ、苦しいところをさがして治してくれた君が、どうして、自分のことは治そうとしなかったのか、僕はそれが悔しくて悔しくてしょうがありません。
昔は74才くらいで亡くなる人がたくさんいましたが、今は人生90年の時代です。
これから、もっとゆっくり君と一緒にいろいろ楽しい時を過ごすことができるはずだったのに。
悔しくて悔しくてなりません。

この”おじさんのお友達の紳士”の弔辞に「無垢に素朴に人として美しく生きてきたおじさん」を思い、そしてそんなおじさんは、このように素晴らしいお友達から、こんなにも大切にされていたのだと「感動」と「ありがたさ」で、私は、涙がとまりませんでしした。

本当に”いいひと”のおじさんにもっと接していれば、人間として教えられることがたくさん、たくさんあったはずなのに。
わたしも、そういう機会をもっとたくさん持たないままおじさんが逝ってしまったことが、悔しくて悔しくてなりません。

おじさん、安らかに。