ナチュラルキャピタリストのブログ

地球環境問題を切り口にした諸問題解決をライフワークとしている筆者が、独自な視点で語ります。

ドイツの黒い森は「黒い工場」だった。

2010-04-29 11:17:16 | 日記
Twitterで民主党政権の林業政策をダメ出ししたところ、賛否両論で反響があった。なぜ山に道を作るのがダメなのか?ドイツの黒い森を例にして私見を述べたいと思う。

筆者のパラダイムで一言で言うと、黒い森は「黒い工場」である。つまり生態系と共生していない、人間社会の階層だけで過剰な合理化を図っている「林業風工業」なのである。

昨秋、ドイツの黒い森を一人で歩いて見た。

写真を見ると下に道路が走っているが、道路の標高は大体400mとお考えいただきたい。そこから約100m一気に登った。


写真の通り、林道がおおよそ、標高500m前後で等高線に沿って平らに引かれてる。登り切ってからはほとんどアップダウンはなかった。林道の幅は3m以上あり、重機が悠々入れる。林道の両端は重機の車輪の重量でへこんでいて、中央が盛り上がっているのがお分かりになると思う。


写真の通り、きちんと間伐はされていて、林業という産業の観点では極めて合理的である。


写真の通り、日本の山ほど急峻でないのがわかる。またこの写真で分かることだが、林道のがけ下でなく、山頂側の路肩にクリークが意図的に浅く掘られているのがお分かりになると思う。


次の写真は、そのクリークのところどころにコンクリートの土管が設けられている。林道の下から水を流しているようだ。しかしながら、これは水の流れを人工的に作っていることになる。


また、写真のような林道の側壁に木の根がむき出しになっている箇所が至るところで見られた。


次の写真は林道と作業道の分岐点。


決定的だったのが、次の2枚の写真で見られるとおり、人工的に水の流れを作ったもののうまくいかず、溜池になってしまっている箇所である。




もちろん間伐さえ、できていないところも多々あった。何と言っても森が工場と化して荒れていると強く感じた。鳥のさえずりも聴こえなかった。そうなると、そういう「工場」から搬出された木質バイオマスでコージェネをやっている、ドイツが誇る「環境首都」フライブルク市のエコ住宅街、ヴォーバン地区もダメ出しということになってしまう。

民主党政権の作業道、路網整備の政策は、ドイツのこの「黒い工場」の影響を大なり小なり受けていると思われ、筆者は非常に危惧している。

「再生可能エネルギー」は誤訳でしょう!?~言葉の定義をはっきりさせよう!

2010-04-22 20:43:02 | 日記
日産のカルロス・ゴーンCEO、別に好きではないが、彼が日産に来た時の第一声が、

「まず言葉の定義から始めよう」

であった。言葉の定義をはっきりさせなければ、議論も噛み合わず、時間のロスは計り知れないという意味でゴーン氏は言ったと思うし、筆者もその通りだと思う。

地球環境分野でも、言葉の定義がおかしいものが結構あり、その言葉が一人歩きしているものが散見される。

その典型的な言葉が「再生可能エネルギー」である。

公式な解釈は、NEDO等のHPにもにも出ているので、ここでは特に述べないが、素朴な疑問で、「エネルギー自体が再生するのか?」と筆者は考えた。エネルギー自体が再生するのであれば、発電所など必要とせず、リサイクルして使えば良く、こんな夢のような話があるわけがない、というのは子供でも分かる。

ではなぜ、「再生可能エネルギー」なのか?どうも「renewable energy」という英語の直訳であるようだ。

英英辞典(OALD)で「renewable」を調べると以下の通り出てきた。

renewable

adj.

[usually before noun](of energy and natural resources) that is replaced naturally or controlled
carefully and can therefore be used without the risk of finishing it all:

「(is) replaced naturally」は「再生」と曲解しやすいが、「自然に置き換えられる」だ
けで、エネルギー自体が「再生する」とは一言も言っていない。

さらに、「(is) controlled carefully」は「再生」と曲解さえもできない。

英英辞典は欧米人が編集したもので、キリスト教の影響があるのであろうが、

人間社会>生態系

という筆者に言わせれば、傲慢な思想が入っていて、英語自体が間違いではないか?

決定的なのは「can therefore be used without the risk of finishing it all」で、これは、「全てを枯渇する危険性がなく使うことができる」である。

さらに、renewable energyの英和を引いてみると、英和なので確かに「再生可能エネルギー」と出てくるが、その注釈として「理論上、無尽蔵に利用できる自然エネルギー」とある。

まず「再生」という言葉とその注釈の「無尽蔵に利用できる」が合致していない。非常にロジックが苦しいと筆者は考える。

次に何故、注釈に「理論上」とわざわざ付け加える必要があるのか?理論づけするのは人間であるので、

人間社会(科学技術等)>生態系

という、これも傲慢な発想である。

筆者の考えでは、

「資源の枯渇なしに持続可能に利用できるエネルギー」

が正しいか、少なくとも一番近いと考える。

さらに、地熱エネルギーはこれにさえも該当しない、と筆者は考える。

要は「資源が枯渇しないこと」と「エネルギーが再生すること」は全然別物であり、全く話にならないということである。

尚、逆に「再生」という言葉を広辞苑で引いてみたが(詳細は省略する。)、「無尽蔵」とか「枯渇しない」という意味は全く出てこなかった。

この「renewable energy」という言葉を「再生可能エネルギー」と和訳して定義した人間は、学者先生なのか?役人の方なのか?現状、筆者には分からないのだが、分かったら議論してみたいものである。

今日のクローズアップ現代に思いっきりダメ出し

2010-04-20 20:28:45 | 日記
諸般の事情で、沈黙していましたが、ブログを本当に久しぶりに更新します。

NHKのクローズアップ現代では、地球環境問題が取り上げられるが、今日は全くダメ出しで、地球の生態系を滅茶苦茶にすることに繋がるので、警告しておく。

今回のテーマは「バイオ燃料」であった。

一言で言えば、科学技術という人間社会の部分最適に過ぎない階層が生態系というより上位の全体最適に属する階層に対して(無意識ではあるが)挑戦をしているということである。

非常に難しいことを冒頭から申し上げるが、その詳細の定義付け、説明は、諸般の事情があり、次回以降に譲らせていただくことをお許し願いたい。

さて具体的な話に移ろう。

まず、アサヒビールが品種改良を行ったサトウキビ由来のバイオエタノールについて述べる。

まず新種のサトウキビは、「従来種と比べて、単位面積当たりの収量(原料茎重)が1.5倍、全糖収量が1.3倍、繊維量が1.8倍となる」とあり、番組でもエタノール精製の大幅効率化が喧伝されていた。

しかしながら、もっと重要なのことだが、その収量が多いサトウキビを栽培するためには、水、および土壌からの養分が、今まで以上に必要となるが、物質収支は安定するのであろうか?また在来種のサトウキビが駆逐される可能性はないのか?等の問題は一切述べられていなかった。

筆者の間違いであって欲しいと願うのだが、多分アサヒビールはこれら物質収支を含めた生態系の観点からの考えはないと思う。

さらに筑波大学の渡邉信教授が研究している藻の研究はもっと危険である。

渡邉信教授は「将来、日本が産油国になることも可能だ」と豪語していらしゃったが、問題は産油国になることではなく、人間社会によって量産されたエネルギー効率の良い「特定の藻」が何らかの形で海に入り込み、そのために生態系を壊してしまう危険性に関しては全く、言及していないことである。この「特定の藻」は何らかの形で、例えば人の長靴なりに付着して、海に入り込み、海の生態系に何らかのダメージ与え、死滅するものも出てくることが考えられる。さらには船底に付着して世界中に広がる可能性は高いと言っていいだろう。

今や外来生物でさえ、簡単に日本に入り込み、生態系を壊していることは広く報道されていることから考えても、このようなことは素人でも十分予測できることなのである。逆に、近視眼的に科学技術だけにスコープを当てて見ていると、専門家さえも気付かないのである。

つまり、地球環境問題への取り組みにおける考え方がしっかりしていないことこそ、重い罪なのである。

これも筆者の間違いであって欲しいと切に願うのだが、おそらく前出の渡邉教授も深く考えていないのではないだろうか?

さらに今日、番組解説をしていた飯田哲也氏は、これらの要素技術に日本政府が資金を出さないことを嘆き「オープンイノベーション」という言葉を使い、要はグローバル化せよ、と訴えていた。飯田氏ともあろうお方でさえ、地球の生態系全体を俯瞰して見れておらず、無意識であろうが、科学技術という人間社会に属する部分最適しか視野にないのである。

もっと言えば、アメリカでコンチネンタル航空がバイオ燃料の実証をした際、ロックフェラーが出資していると番組で聞き、筆者は嫌な予感がした。前述の日本の技術は世界中が欲しがっているという。これに金融コングロマリットのような地球環境分野の素人が投資することを、筆者は非常に恐れる。彼らはリーマンショック以来、新しいビジネスとして地球環境分野をとらえており、スマートグリッド、排出権取引等にも絡んでいると噂される。彼らは生態系のことなど分かっていないだろうし、もし十二分に分かっていて、地球の生態系が滅茶苦茶になっても、カネのためならやるかもしれない。

改めて警告する。人間社会が生態系に挑戦することは絶対にいけない。共生しなくてはいけないのである。